2006/11/07

伊豆松崎の旅(2)

11月2日から3日にかけては、松崎町では秋祭りの開催される時期である。事前に調べたときに、一番近い伊那下神社で夕方から三番叟と呼ばれる奉納能が舞うという話を聞いたので、そちらを見に行こうと思った。開催前から伊那下神社に乗り込んだのだが、赤い鳥居を潜ると見事な銀杏の木が立ちはだかっているのが分かる。この神社は、神社内に掲載されている説明書きでは次のように書かれている。ちなみにこの神社は、一時期「松崎護国神社」と呼ばれていたようで、その名残の石像も境内の右奥に立っている。

産業守護の神様である彦火火出見尊と、航海守護の神様である住吉三柱大神を祭神として祀っているとても古い神社で、源頼朝が寄進したと伝えられている国宝松藤双鶴鏡や、県文化財指定である金山奉行大窪石見守寄進の青銅金渡金製釣灯篭を蔵している。この伊那下神社の境内にある県指定天然記念物の大銀杏は、目通り8m、枝張り25m、樹高22mで樹令約1000年と言われ、他の2本と合わせ古来親子銀杏と称せられている。秋には黄葉し、沖行く船が目標にしていたと言われている。
大銀杏の傍には、ポンプ式でくみ上げられた小さい水車が廻っていて、水車を回す歯車には「祓所」と呼ばれる、「ここで身を清めて」という意味の札が掲げられていた。
神社の境内の左奥には能舞台があり、そこではこれから始まる能の準備をしているのが見えた。
中心である神社の社は真っ赤な神社色で染められている典型的なタイプの建物で、神主がこれから奉納される能について祈願をしているところだった。
能舞台の手前には、神社の神主らが住み込み為の控え場があり、そこに簡単な納めている宝物も展示されている。町の超有名人であった入江長八が作製した神功皇后と竹内宿祢の人形が飾っており、これは必見の価値がある。
それと地味に天井に掛っていたのだが、神功皇后が新羅へ進撃したときの綺麗な絵があるのも見逃せない。絵の右上で白い着物を着て、胸に日の丸をつけた人が皇后本人で、玉を海に投げ込むと見る見るうちに潮が陸地に押し寄せ、それをみた新羅の軍勢が驚いて逃げているところが描かれている。
しかし、控えの場から聞こえてくる声は、これから能を演じるひとたちかまたはその関係者が集まっていたようで、本番前なのに既に酒を飲んで出来上がって、ぎゃーぎゃー騒いでいるおっさんたちの溜まり場があった。だいたい祭りのときに酒は欠かさないものだとはいえ、これから能がちゃんと舞えるのかどうか他人事ながら心配になる。でも、その心配は余計なことで、酔っ払っているのは、町の長老や自治会長など能演者とは関係ない単なるサポーターたち。だから、能を舞っているときの本番中でも「いよぉー!うまい!」とか、ほとんど酔っ払いの掛け声が頻繁に聞こえてくる。
能が始まった。小鼓3台と大鼓1台および能管と呼ばれる管絃楽器の1台で楽器は構成されている。あとは、脇役にいる人が、能の間で合いの手の代わりに、床を木槌で打つことがメインの音の構成である。最初は、小鼓3台による能の始まりがしばらく続く。現在の音楽とは異なりゆったりした音楽なので、最初は楽しいと思って聞いていても、途中から同じパターンのメロディラインばかりを繰り返し繰り返し行われるので、眠くなってしまう。しかし、これが典型的な和楽器を使った旋律なので仕方ない。鼓を叩いている人たちは、叩くだけでなく、途中でお囃子の掛け声を入れる。「あいやぁー」とか「いよーっ」という掛け声だ。人間の言葉とはとても思えない。それも発音が大陸中国語のような現在の日本語にない発音の合いの手を入れているから不思議である。

実際の能はその鼓の演奏のあとに、翁 / 三番 / 千歳と呼ばれる3人の演者が出てくることで、物語が形成される。物語の構成は詳細は見ても良く分からなかった。基本的には各地方でも演じられているように稲の農作業から型をとった豊年満作を祈る舞いを歌舞伎化したものだといえよう。調べたところ、三番叟とは次のような説明で書かれていた。

三番叟とは、能の「翁」をもととするもので、天下泰平、五穀豊穣、千秋万歳を寿ぐおめでたい儀式曲として、 正月や上棟式、舞台開きなどの場で演じられる。千歳の枚、翁の舞、三番叟の舞と質の違った三つの舞を相次いで行うものです。 三番目に舞う三番叟は、初め躍動的なもみの段を舞い、そして黒い翁の面をつけた三番叟に千歳が鈴を渡し、猿楽を舞うように促す 掛け合いが行われ、鈴の舞に移る。笛と鼓と拍子木を囃子に、足を踏み鳴らしながら舞うために、特に舞うとはいわず、三番叟を踏むという。 多少の滑稽味を折り込みながらも、気品と荘重さを備えた儀式である。

ここ松崎の三番叟は、メインの三番と千歳は子どもが演じることになっている。特に三番を演じている子どもは、観客のみんなから「かっこいい」とか「うまい」と褒めの言葉を貰っていた。確かに、この子の演技はとても子どもとは思えないような完璧な振る舞いだったため、掛け声や応援でいい言葉を貰ったのだろう。いい出し物を見たという興奮が収まらなかった。

そのあと、ここの神社では、棟上のときのように餅を振舞う儀式が行われた。能が終わったあと、どこからともなくたくさんの人たちが舞台に近づいてきたので、なにがあるのだろう?と思っていたら、前に座っていた老婆に「これから餅が投げられるんだよ。縁起物だから、持っていきなさい」と言われた。へー、結構面白そうだな。餅の他にお菓子も投げられていて、ほとんど難民キャンプの餌確保と同じような取り合い合戦がここで始まる。一通り配られたら、三三七拍子で今年の豊作に感謝して解散となった。

旅館に戻ると、ちょうど夕ご飯の時間で、自分達のヘ部屋の1階部分に料理が用意されていた。
これは料理全体の写真である。個別に撮ったのは次の通りだ。
地元の酒も一緒に飲めば、もう楽しくて仕方ない。

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