
入口で訪問者リストとして名前とサインを書かねばならないのは良いし、靴を脱いで中に入るのは普通のことなので、特に違和感がない。まぁ、名前を書くという意味がいまもってわけがわからないなーとは思う。
中に入ると、白い大理石で覆われた、つるつるに磨かれた床が広がっている。すごい広い床なので、信者が毎日一生懸命に交代で磨いているのだろうと勝手に思った。建物を良く見ているとイスラム的と表現するべきなのかわからないが、建物壁のデザインや隙間壁の格子のデザインは珍しいというのを通り越して、見とれてしまった。イスラムの建物のデザインは本当に面白い。規則正しく決まったデザインを広範囲に広げることで、元の基本デザインからは考えられないようなデザインを作っているのは凄い。感激する。キリスト教の教会に行くとステンドグラスは見事なのだが、なぜか規則正しさが抜けているために、「ふーん」という程度しか思わず、「見事だ」という感激が出てこない。偶像崇拝を禁じているイスラム教では、人間の顔をした神様を描くことは禁止なのだが、その代りに、いろいろなモザイク模様のデザインからなる装飾は、現代で言うところの眼から刺激を受けるトランスを思わせるような気がする。イスラム教初期の時代に、現代のトランス音楽があったら、きっと音楽による宗教瞑想を行なっていたことだろう。
















0 件のコメント:
コメントを投稿