2006/10/12

NTTの動画プラットフォーム

◆ 最大手のYouTubeと競合しない道を歩むNTTの動画共有サイトhttp://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20061006/250119/

不正なコンテンツがないという安心感や,作品の再利用や改変の許可などの使用条件を投稿者が設定できる「クリエイティブコモンズ」という枠組みを採用したことなどから,セミプロの映像作家などが自身の作品を公表する場として活用する動きが広がっているようだ。
(ソース:IT Pro)

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このニュースを知って、またフレッツ限定動画配信の延長?と思ったのは自分だけだろうか?

ネット上の動画を見たいというユーザのニーズというのは、基本的に自分たちが欲しい情報であるかどうかに係っていると思われる。見たくも無いような内容の動画が大量にたとえ存在したとしても、そんなものにアクセスしたい人がどこにいようか。例を挙げれば分かりやすい。例えば、過去のテレビ映像で、文字情報では昔から話題になっているのに、その映像を一度も見たことが無い場合には、どうしても見てみたいという欲求がユーザに起こり、必至になってネット上を探しまくることだろう。そして、誰かがその映像を発見した途端、連鎖反応的に横に情報連携がされて、その映像源へのアクセスが起こることは容易に予想される。ところが、ネット上に、素人が撮影した近所の子供の普段の遊んでいる映像が大量に転がっていたとしても、そんなコンテンツへのアクセスは、一部のロリータ趣味の人間以外は興味の対象外の何者でもない。つまり、上記の動画共有サイトというのは、プラットフォーム提供者がそのプラットフォーム上で繰り広げられるコンテンツのアップデートおよびコンテンツへのアクセスについては、あとから「これは著作権に移封しているのではないか?」と関係各社から自分たちが訴えられるのを事前に防ぐためのものであって、全く利用者側に側面から考えられたプラットフォームではない。「セミプロの映像作家などが自身の作品を公表する場」なんていっているが、そんなつまらない者に誰がアクセスするのだろうか?デジタルコンテンツになった途端に、コピーされることは当然であると考えるべきはずなのに、「コピーされないようにする」ことに一生懸命になっているのは、世の中の動きを認めているわけではないことの証明だ。

Youtube が流行ったのは、素人のビデオ撮影をみんなで見ようというのが流行ったのではなく、世の中に埋もれてしまった映像を世界中で見ようということから広まったものであることを知る必要が有る。さらに国ごとに放映権と放送する範囲が決まっているために、ある国で見られたものが外国では見られない映像コンテンツを、Youtube を使ってどの国からでも見られることを可能にしたのは画期的だと思う。例えば、韓国で反日的な映像が流れたというのが分かれば、それをアップした人の努力によって、日本人の誰もがその映像源にアクセスでき、そして、文字でしか知ることができなかった情報以上のことを映像で知ることができるようになる。

当然、ここでは既存のメディアで考えられていた「枠」の問題と衝突するのは必然的である。既存のメディアでのみしか考えられていなかった「枠」だったので、ネットになった瞬間、国境・時間という概念が全く無くなるから「枠」が通用しなくなるのだ。そして、一度ネットワーク上にアップデートされたソースは誰が何度消そうとしても、永久にネット上から消えるわけではない。アップされたら、そのデータを消す。消されたら、また誰かがアップロードする。そしてまたそれを見つけたら消す。このいたちごっこが永久循環するだけなのだ。つまり、一度デジタルコンテンツ化されたものは、ネット上でいくら規制を掛けても無駄なのである。コピーしちゃいけないと言っても、これは「人を殺してはいけない」とモラルの範囲で言っているだけのことで、実際には無駄な説教にしか聞こえない。利用者全員が善者なんだと思っている馬鹿がたくさんおり、その考えの上で規制の概念を設けているから、話がおかしくなる。

デジタルコンテンツはコピーされてしまうものという考えでなければいけない。コピーはされても再生されなければいいのだ。そのほうを考えたほうが楽だと思う。NTTが考えたプラットフォームは、アクセスするユーザの考えとは全く異なることなので、本当に意味が無い。

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