
まずは「ねこぢるだんご」だが、他のシリーズにも出てくる「にゃー子」と「にゃん太」の家族が中心の漫画である。比較的長編の「半魚人」と「かちく」が最初にあるのだが、どのねこぢるの漫画同様、少し暴力的であり、内容としては「うーん・・・」と頭を抱えてしまうような内容ではあるが、なんとなく、そこにあの目の玉がでかいネコキャラが振舞っているのを見ると、少し笑える。やっていることがめちゃくちゃなんだもん。「おまえはー!」とツッコミをいれたくなる。特に「父ネコ」のキャラクタはインパクトがある。無言でいつも酔っ払っているおっさんだが、子ども達にとっては常に「強い」存在である。父にかかれば、怖いものなしというのが前編通して知ることができる。
「ねこぢるだんご」の最後に長編漫画として、ネコが登場しない漫画で少し哲学的な内容が載っている。たま出版から出版したら、泣いて喜びそうな内容だと言っておこう。詳細は読んでみて欲しい。




「ねこ神さま」は、神様として存在することになった「猫たち」が人間の住む地上でいろいろ意味の不明な行動を振りまく物語である。神様なので、「お願い」と言われたら、それを実現したりするところ、意味を取り違えたり、「確かにそうは言ったが、違う違う」とツッコミをいれたくなるところが満載だ。だいたい、人間の目にみえるところで、人間のように神様が暮らしているという設定が「ありえない」と言いたいし、「あっ、神様だ。こんにちわー」と、ドリフの神様なみにあまりありがたく思われていないところが笑える。「にゃぁー!!!」と叫ぶと、いろいろな事件が始まるところが、みものだ。
「ぢるぢる旅行記・イン編」は初めて「ねこぢる」の漫画に触れた思い出の本である。この本をなぜか本屋の「旅行関係」の棚で見つけて「超笑える!」と思ったのが最初だ。ずいぶん前に読んだきり、すっかり内容は忘れてしまったが、本当にインドってこんなにいい加減で、中国人と異なり金儲けに勤しむこととは縁の遠いひとたちなのだろうか?と考えてしまうような内容だったことを覚えている。改めて読んでみると、記憶していた内容はまったくデフォルメされていなかった。ただ、きっと1930年代の上海にたくさんあったアヘン窟のようなものが、公式に宗教的に存在するところがインドの懐の広さなのだろうというのを改めて知る。以前、アムステルダムで初めて「ガンジャ」を吸ってみたが、あまりラリることができなかった。しかし、普段からタバコを吸っているひとのほうが、ガンジャでラリってしまうらしいことを証明してくれるのがこの漫画である。ねこぢる夫婦がインドの聖地を旅行したときの体験談を元に漫画を書いているのだが、欠かせないのは、ガンジャとガンジャを利用した飲み物の存在だ。これを吸引しているときに、「もう、どうにでもなれー」とトランス状態に入っている挿絵がいっぱいでてくるのだが、できれば、こういう恍惚とした状態に自分もなってみたいなと、この漫画を見たときに思った。インドを旅行する日本人たちのあやしげな行動や、インドを旅行する西洋人は、ヒッピーまがいのろくなやつがいなかったとねこぢるは述べている。こういう観察力は、日頃から「イッちゃっているひとを良く見ている」から、周りを観察できているのだと思う。とにかく、インドに行ってみようと思うか、やめておこうと思うかは別にして、ねこぢるが何故、インドに行ってみたのかというのがわかる気がする漫画だ。決してねこぢるは、「何のためにインドにきたか」は文章として残していない。
いくつかの「ねこぢる」の漫画を紹介したが、まだ手に入れていない漫画がたくさんある。「ねこぢるうどん」の全3巻シリーズも手に入れていない漫画だ。どなたか持っている人がいたら、譲ってほしいものだ。
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