2006/10/10

ねこぢる(その2)

以前、「ねこぢる」のことについて記事を書いたが、実際に手元にある本をここで列挙したいと思う。 最近ねこぢる関係で仕入れた本をここで記載することにする。

まずは「ねこぢるだんご」だが、他のシリーズにも出てくる「にゃー子」と「にゃん太」の家族が中心の漫画である。比較的長編の「半魚人」と「かちく」が最初にあるのだが、どのねこぢるの漫画同様、少し暴力的であり、内容としては「うーん・・・」と頭を抱えてしまうような内容ではあるが、なんとなく、そこにあの目の玉がでかいネコキャラが振舞っているのを見ると、少し笑える。やっていることがめちゃくちゃなんだもん。「おまえはー!」とツッコミをいれたくなる。特に「父ネコ」のキャラクタはインパクトがある。無言でいつも酔っ払っているおっさんだが、子ども達にとっては常に「強い」存在である。父にかかれば、怖いものなしというのが前編通して知ることができる。

「ねこぢるだんご」の最後に長編漫画として、ネコが登場しない漫画で少し哲学的な内容が載っている。たま出版から出版したら、泣いて喜びそうな内容だと言っておこう。詳細は読んでみて欲しい。



続いて「ねこぢるせんぺい」なのだが、題名に特に意味が無い。キャラクタも「ねこぢるだんご」に出てくるような家族ネコたちが主人公である。まぁ、その中でも、表紙に載っている「にゃ-子」と「にゃん太」の2匹がメインだというのも変わらない。 人間世界に猫たちが入り込んで、普通に生活している中で巻き起こすへんてこりんな行動がかなりシュールで笑える。猫だけじゃなく、豚とか猿とかモグラとかも普通に出てくるところは、「Dr.スランプ」のようで面白い。しかし、猫に苛められて木に縛り付けられた豚が警官を見つけて、「おまわりさん、助けて」と言っている場面で、警官が「なんだ、ブタか・・・」と見逃すところなど、一種人種差別的なところがあってとても面白い。作家ねこぢるが、普段の生活で感じたりする漫画「ぢるぢる日記」に通じるものがあると感じた。


「ぢるぢる日記」は上述したように、「ねこぢる」が普段の生活で感じたり、見たり、体験したりした内容を、夏休みの子どもの絵日記のように書いている本である。絵日記風に書いているので、シンプルな文章なのだが、なぜ、ねこぢるはこんなに普通に生活しているのに、変な体験をたくさんするのだろうと不思議に思う。「類は朋を呼ぶ」とはよくいわれるが、まさしくすべての変な出来事は「ねこぢる」が呼んでしまったのでは?と思う内容だ。ここの中で体験するような人たちがまわりに頻繁に出くわしたら、「世の中、変なことばっかりだ」と素直に言えると思う。または、「絶対、なにかに取り付かれたかも」と感じてしまうかもしれない。ねこぢるのインパクトがある漫画をみるときに、最初に見るのはこの漫画が良いと思う。一番「まとも」な漫画だと思えるからだ。

「ねこぢる食堂」は「ねこぢるごはん」「ぢるぢるご近所日記」「ぢるぢる昔話」「ぢるぢる見聞録」と4コマ漫画からなる。「ねこぢるごはん」は、定番「にゃー子」と「にゃん太」姉弟が暴走ぎみにひっちゃかめっちゃかしてくれる漫画で、とても面白い。猫の凶暴さがまた一段と笑える。まともな人が見ると、「脳みその構造が理解できない」と思うはずだ。「ぢるぢるご近所日記」は、ねこぢると旦那の山野氏の生活が少し垣間見れるが、それでも「ぢるぢる日記」と少し内容がカブるところがあり、この夫婦の周りで見つけられる変なやつらをまとめて紹介しているようなもの。夫婦揃って、「呼んでしまった」のだろうと思う。「ぢるぢる昔話」は有名な日本・西洋の昔話をねこぢる風にアレンジした内容。物語のなかでは、ご多望に洩れず、「猫」が活躍する。あまりにもブラックなので、元の昔話の本当の内容がわからなくなってしまいそうなものだ。「ぢるぢる見聞録」は、ねこぢるが「漫画家」として活躍し、その担当マネージャと一緒にいろいろなところへいく話なのだが、ねこぢる自体があんまり企画に乗る気がなく、ねこぢるが本来ならその性格上、ぶっとんでほしいところだが、マネージャのほうがもっと個性的だったというオチをおかしく書いた内容だ。マネージャもやっぱり「呼ばれて」しまったのだろう。紹介帯にもかかれているが、「ねこぢる食堂のメニュはめちゃ豊富です。おいしさは保証しますが、少々毒もございますので、食べ過ぎ、食中りにはくれぐれもご注意ください」という内容は「まさしく、そう!」と言いたくなる。

「ねこ神さま」は、神様として存在することになった「猫たち」が人間の住む地上でいろいろ意味の不明な行動を振りまく物語である。神様なので、「お願い」と言われたら、それを実現したりするところ、意味を取り違えたり、「確かにそうは言ったが、違う違う」とツッコミをいれたくなるところが満載だ。だいたい、人間の目にみえるところで、人間のように神様が暮らしているという設定が「ありえない」と言いたいし、「あっ、神様だ。こんにちわー」と、ドリフの神様なみにあまりありがたく思われていないところが笑える。「にゃぁー!!!」と叫ぶと、いろいろな事件が始まるところが、みものだ。
「ぢるぢる旅行記・イン編」は初めて「ねこぢる」の漫画に触れた思い出の本である。この本をなぜか本屋の「旅行関係」の棚で見つけて「超笑える!」と思ったのが最初だ。ずいぶん前に読んだきり、すっかり内容は忘れてしまったが、本当にインドってこんなにいい加減で、中国人と異なり金儲けに勤しむこととは縁の遠いひとたちなのだろうか?と考えてしまうような内容だったことを覚えている。改めて読んでみると、記憶していた内容はまったくデフォルメされていなかった。ただ、きっと1930年代の上海にたくさんあったアヘン窟のようなものが、公式に宗教的に存在するところがインドの懐の広さなのだろうというのを改めて知る。以前、アムステルダムで初めて「ガンジャ」を吸ってみたが、あまりラリることができなかった。しかし、普段からタバコを吸っているひとのほうが、ガンジャでラリってしまうらしいことを証明してくれるのがこの漫画である。ねこぢる夫婦がインドの聖地を旅行したときの体験談を元に漫画を書いているのだが、欠かせないのは、ガンジャとガンジャを利用した飲み物の存在だ。これを吸引しているときに、「もう、どうにでもなれー」とトランス状態に入っている挿絵がいっぱいでてくるのだが、できれば、こういう恍惚とした状態に自分もなってみたいなと、この漫画を見たときに思った。インドを旅行する日本人たちのあやしげな行動や、インドを旅行する西洋人は、ヒッピーまがいのろくなやつがいなかったとねこぢるは述べている。こういう観察力は、日頃から「イッちゃっているひとを良く見ている」から、周りを観察できているのだと思う。とにかく、インドに行ってみようと思うか、やめておこうと思うかは別にして、ねこぢるが何故、インドに行ってみたのかというのがわかる気がする漫画だ。決してねこぢるは、「何のためにインドにきたか」は文章として残していない。
いくつかの「ねこぢる」の漫画を紹介したが、まだ手に入れていない漫画がたくさんある。「ねこぢるうどん」の全3巻シリーズも手に入れていない漫画だ。どなたか持っている人がいたら、譲ってほしいものだ。

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