司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズはとても好きなシリーズ本ではあるのだが、その中の「南蛮のみち」は、シリーズの中でも珍しく2巻構成になっている。「南蛮」と書いているのは日本・日本人から見た西洋のことであり、それは主にポルトガルのことを指していた。だから、ポルトガルのことが書かれている本なのかなーと、実はポルトガルに渡航する前に思っていたのだが、実際に買ってみて読んでみると、この2冊はイベリア半島の2つの国のことを書かれていることに気づく。
しかし、国全体のことをフォーカスしているのではなく、日本に影響を与えた南蛮ものといえば、フランシスコ=ザビエルとポルトガル船のことであり、司馬遼太郎はそのなかでもザビエルとその周辺に関するものを中心に、探求しているときに感じた現イベリア半島の人たち、および過去の影響と現在の没落振りというのを表現している。もう1つスペインとポルトガルという国ではなく、ザビエルを通して、独自文化をいまでも保持しており、ヨーロッパの中でもとても神秘的と言われている地域についての民族性と文化についても紹介している。
それにしてもザビエルについては、イエズス会に属している人というのは知っていたのだが、イエズス会というのは結構昔からある学派であり、そこに単に属しているだけとおもっていた。しかし、ザビエルはそのイエズス会の創始者の1人であり、本人は「誘われた」形でメンバになっていたというのを知ったときに、へぇーと思ったのは言うまでも無い。誘ったのは同じバスク出身であり、軍人出身であるイグナチオ・デ・ロヨラ。軍人は王のために戦い、王のために死ぬ人生であるが、戦時中に負傷してしまい軍人としての役にたたないことを知った自分を何かに役立つことは無いかということから、なぜかキリスト教神学に目覚めてしまうというのも凄いことだが、そのときに、無学の状態からバリに留学し、キリスト教の真髄とはなんなのか?というのをいちから勉強しなおすという努力家でもあることを知った。だいたいもともと軍人として働いていたということはそれ相当の年齢はたっているわけで、その段階から全く異質のものに傾倒していくという心意気が凄い。が、そのときから既にキリスト教を通じて、ローマ教皇に仕える軍人的気質であるべきだという考えを持っていたことは素晴らしい。それに共鳴した、先に神学の道をマスターしていたザビエルが洗脳されてしまうというところも、なんとも漫画的なところがあるのだが、それは実は事実だから、歴史って面白いと思う。
バスク人気質とカトリックキリスト教の結びつきがイエズス会の基本的考え方を形成されていたに違いないと思うのは、イエズス会の基本的行動指針が、①高等教育の普及、②非キリスト教徒に対する宣教活動、③プロテスタントからカトリックを守ることである。特に日本では、②のことだけが知られていて、その一環としてザビエルが荒波を越えて日本にやってきたというような見方が多いようだが、あくまでもザビエルのやっていることは基本行動指針のうちの1つであるのだ。
これだけで「街道をゆく」の2巻構成が終わってしまっては、キリスト教のことだけで終わってしまうところだが、ちゃんとスペインとポルトガルの2つの国における状況も盛り込んでいる。先にポルトガル編を読んでしまったのだが、そのときにはなんとつまらない内容なんだろうと正直に思ったのが感想だ。なにしろ、ちょうどポルトガルに渡航するときに読んだということもあるのだが、旅名人ブックスなんかで先に知っているポルトガルよりも内容が文字だけしか書いていないのに、想像力を書き立てるような内容に仕上がっていないのである。司馬遼太郎はポルトガルに対してはとてもつまらない国であり荒廃的な場所だと映ったのだろうか。目に見えているものから妄想的に繰り出される司馬遼太郎節というのがポルトガル編に入った途端にパッタリ消えてしまうのである。もちろん、ポルトガルのなかを案内してくれるポルトガル人および在住の日本人が登場はしてくるのだが、ポルトガルの良さを全く引き出しているような内容になっていないのが正直悲しい。
そのかわりに前半はスペインのことに関する内容がメインになるのだが、こちらのほうはザビエルを通して見えるスペインの世界、といってもバルセロナやアンダルシアのような華やかなスペインではないのだが、国家としてフランスとスペインに分けられてしまった北部スペインのバスクが中心ではある。バスクはスペインでもなければフランスでもない。バスクはバスクであるという言葉が印象的だった。バスクはヨーロッパのなかでも特殊であり、なんとなく神秘的なところであることは言うまでもないのだが、日本でもあまりまだ馴染みの無いところだからそう思えるのかもしれない。しかし、ヨーロッパ人からみたバスクというのはどういうところに見えているのだろうか?それを「南蛮のみち」は少し垣間見せてくれているのではないのか。それもザビエルという視点を使って。
街道をゆく〈22〉南蛮のみち(1)
街道をゆく〈23〉南蛮のみち(2)
著者:司馬 遼太郎
文庫: 380ページ(1)/ 234ページ(2)
出版社: 朝日新聞社
発売日: 1988/10(1)/ 1988/11(2)
2013/07/27
2013/05/12
ポルトガルに関する雑誌いろいろ
ポルトガルに関する本は意外と少なく、渡航前に何冊か読もうと思ったのだが、その種類が少なすぎて、結局似たような情報しか手に入らなかったことが、個人的なポルトガルに対するイメージを渡航前に「つまんない国」または「発展性がない国」という印象を与えてしまった感がある。しかし、それが現実のポルトガルを映し出した各著者のもつ印象なのだろうとおもうと、致し方ないということは受け入れることにした。
さて、まずはポルトガル全体の様子を満遍なく網羅し、歴史的な意義や各都市の見所に関して多くのカラー写真を使って説明しているのが、「旅名人ブックス」シリーズの「ポルトガル」である。こちらの本は渡航前に読むのは必須に近いと思うのだが、これをそのままポルトガルに持っていくのは荷物が重くなるだけなので、渡航前に熟読したほうがいいのだが、参考資料としては持っていたほうがいい本だと思う。なにしろ全ページカラーなので1枚ずつの紙が厚いため、結局それを持ち運びしながら観光するには不適なのであっ、ホテルに置きっぱなしにするか、自分なりにスキャナでデータ化してタブレット端末に入れて持ち込むと言うのもありだろう。旅名人ブックスでは、ポルトガルが海洋王国として君臨した偉大なる時代があるということを紹介しつつ、いまはその栄光時代のときに培った遺跡や史蹟を観光客目当ての素材として使っているところであると説明する。しかしながら、全く悲観的な様子はここでは説明していない。あくまでも事実のままに歴史と現実を述べているだけのことだ。全部で480ページもある分厚い本の中には、リスボンやポルトのような大都市だけじゃなく、地方都市やマデイラ島のような島嶼部も掲載されているので、ポルトガルに行ったことがあるという人が居ても、そんな深いところまで探ったことが少ないと思われるので、結構参考資料として十分適しているだろうと思う。
既に廃刊にはなってしまったが、雑誌「旅行人」にもポルトガルにフォーカスをあてた特集記事がある。もちろんこれも買ってみた。2011年下期号であるNo.164は「特集ポルトガル・サウダーデの国のすべてを旅する」である。前者の旅名人ブックのほうがポルトガル全土を写真で網羅しているものと考えれば、こちらは部分的なテーマを設けて、そのテーマに基づいて深く追求した内容になっている。特に旅名人ブックでは載っていないテーマとしては、古代民族の建築および遺跡というのをテーマにしているところ。リスボンではないのだが、ポルトガルにも古代文化は存在しているところだろう。それとアズレージョとファドについても、この本に記載されているのが一番詳しいので、是非渡航前には読んでおいて損はないものばかりだ。おもしろいのは、ポルトガル側からスペインの北部にあるサンチアゴ・デ・コンポステーラに向かうための巡礼の道を報告しているというもの。だいたいの場合はピレネー山脈を通って、バスク地方を通る巡礼の道ばかりだが、ポルトガルのほうから北上していく巡礼というのもあるのだぞというのを紹介しており、道中の様子を述べているのは個人ブログで書かれているくらいしか読んだことがない。これも注目だ。「リスボンの乗り物に揺られて」という記事は、どうしてこんな人が記事を書いているのかというくらいつまらない。読む価値はない。その記事以外はどれも素晴らしい。
そのほかの雑誌系としては、雑誌「TRANSIT」も棄てきれない。ポルトガルだけをフォーカスした特集はまだないのだが、第3号はスペインも含んだイベリア半島全体の特集。スペインやポルトガルという国家レベルとしての比較ではなくて、半島全体に存在していた過去の国家や文化の違い、民族性や宗教観というものが全体的に載っているのが、情報として整理されていてとても分かりやすい。行きたくなるようなワクワクする写真を載せているのは毎回TRANSITの特徴だとは思うのだが、実際に行ったことがある場所の写真を後から観ると、自分が撮った写真がこの雑誌に載せている写真から影響されているというのがよくわかる。この雑誌をみると、スペインとポルトガルと分かれている半島の地域も、ピレネー半島の南にあるキリスト教の国家というジャンルで観れば同じようなものだと思う。が、となりは巨大なスペイン、もう一方は小国ポルトガル。いやおうがなにもポルトガルのほうがスペインの影になって注目がいつも当たらないのは仕方ないのだろう。
これまでの雑誌はどちらも料理についてはあまり言及していない。ポルトガルという国全体を記事にしているためなのだろう。料理の本としては次を読むといい。「ようこそポルトガル食堂へ」だ。表紙には、料理の途中で味見をしているおばさんが写真に撮っている。これだけみても、中身はおいしそうなものだと想像できる。これは女性目線で取材をしているものだからなのか、すべてがすべて男性的なことが出てこない。すべてがご飯ばかり。ポルトガル全体の色々な街を巡って地元の美味いものを食べたり、人気の店に行ったりとしているのを紹介。ポルトガルには相当長く住んでいるんだろうとおもうのだが、そんなところ、絶対ポッといくような旅行者では行かないだろうというところばかりが出てくるので、ポルトガルにいく事前調査としてこの本に記載されているところに行こうとするのはダメだと思う。まず移動手段がないものばかりだからだ。
最後にJTB出版から出ている「ポルトガル・小さな街物語」というのも旅名人ブックスとは違った目線で取材をしているのは面白い。しかし、記載しているのは複数のひとが行っているのではなく、女性の記者による記載であるために、あらゆるところに主観的なコメントが入っているのが気になる。ポルトガル全体を紹介しているのはいいのだが、その人の主観を押し付けているような印象があったことを、読んだ後に気になった。そして、他の本では普通に紹介されているものだとつまらないと思ったのか、どこ、それ?というような場所の紹介ばかりしている。したがって、単なるポルトガルの田舎の村ばかりを読まされているようだった。
さて、まずはポルトガル全体の様子を満遍なく網羅し、歴史的な意義や各都市の見所に関して多くのカラー写真を使って説明しているのが、「旅名人ブックス」シリーズの「ポルトガル」である。こちらの本は渡航前に読むのは必須に近いと思うのだが、これをそのままポルトガルに持っていくのは荷物が重くなるだけなので、渡航前に熟読したほうがいいのだが、参考資料としては持っていたほうがいい本だと思う。なにしろ全ページカラーなので1枚ずつの紙が厚いため、結局それを持ち運びしながら観光するには不適なのであっ、ホテルに置きっぱなしにするか、自分なりにスキャナでデータ化してタブレット端末に入れて持ち込むと言うのもありだろう。旅名人ブックスでは、ポルトガルが海洋王国として君臨した偉大なる時代があるということを紹介しつつ、いまはその栄光時代のときに培った遺跡や史蹟を観光客目当ての素材として使っているところであると説明する。しかしながら、全く悲観的な様子はここでは説明していない。あくまでも事実のままに歴史と現実を述べているだけのことだ。全部で480ページもある分厚い本の中には、リスボンやポルトのような大都市だけじゃなく、地方都市やマデイラ島のような島嶼部も掲載されているので、ポルトガルに行ったことがあるという人が居ても、そんな深いところまで探ったことが少ないと思われるので、結構参考資料として十分適しているだろうと思う。
そのほかの雑誌系としては、雑誌「TRANSIT」も棄てきれない。ポルトガルだけをフォーカスした特集はまだないのだが、第3号はスペインも含んだイベリア半島全体の特集。スペインやポルトガルという国家レベルとしての比較ではなくて、半島全体に存在していた過去の国家や文化の違い、民族性や宗教観というものが全体的に載っているのが、情報として整理されていてとても分かりやすい。行きたくなるようなワクワクする写真を載せているのは毎回TRANSITの特徴だとは思うのだが、実際に行ったことがある場所の写真を後から観ると、自分が撮った写真がこの雑誌に載せている写真から影響されているというのがよくわかる。この雑誌をみると、スペインとポルトガルと分かれている半島の地域も、ピレネー半島の南にあるキリスト教の国家というジャンルで観れば同じようなものだと思う。が、となりは巨大なスペイン、もう一方は小国ポルトガル。いやおうがなにもポルトガルのほうがスペインの影になって注目がいつも当たらないのは仕方ないのだろう。
これまでの雑誌はどちらも料理についてはあまり言及していない。ポルトガルという国全体を記事にしているためなのだろう。料理の本としては次を読むといい。「ようこそポルトガル食堂へ」だ。表紙には、料理の途中で味見をしているおばさんが写真に撮っている。これだけみても、中身はおいしそうなものだと想像できる。これは女性目線で取材をしているものだからなのか、すべてがすべて男性的なことが出てこない。すべてがご飯ばかり。ポルトガル全体の色々な街を巡って地元の美味いものを食べたり、人気の店に行ったりとしているのを紹介。ポルトガルには相当長く住んでいるんだろうとおもうのだが、そんなところ、絶対ポッといくような旅行者では行かないだろうというところばかりが出てくるので、ポルトガルにいく事前調査としてこの本に記載されているところに行こうとするのはダメだと思う。まず移動手段がないものばかりだからだ。
最後にJTB出版から出ている「ポルトガル・小さな街物語」というのも旅名人ブックスとは違った目線で取材をしているのは面白い。しかし、記載しているのは複数のひとが行っているのではなく、女性の記者による記載であるために、あらゆるところに主観的なコメントが入っているのが気になる。ポルトガル全体を紹介しているのはいいのだが、その人の主観を押し付けているような印象があったことを、読んだ後に気になった。そして、他の本では普通に紹介されているものだとつまらないと思ったのか、どこ、それ?というような場所の紹介ばかりしている。したがって、単なるポルトガルの田舎の村ばかりを読まされているようだった。
リスボン市内の様子(そのほか)
リスボン全体を通して、特にトピックを設けなかった点について、追記という形で1つ項目を起こしてみた。それぞれの項目は1つのトピックとして長く文章が書けるほどでもないものばかりである。
ベレン地区とテージョ川を挟んで対岸のアルマダ地区を結ぶために作られた吊り橋が、「4月25日橋(Ponte 25 de Abril)」と呼ばれるものだ。見た目はサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジみたいな形をしている。長さ2277mの橋は、1966年に開通したときには、当時の独裁者アントニオ・サラザールの名前にちなんでサラザール橋という名前だったのだが、1974年に起こったカーネーション革命(Revolução dos Cravos)の際に革命が起こった日付をとって、橋の名前がいまの4月25日橋という名前にかわったといういわくつきの橋だ。
この橋は高速道路と鉄道が走っている橋であるため、近くに行っても見ることができるのだが、ホテルからたまたま遠くに見える橋が見えたので、結構高台があるリスボンのしないからはどこからでも見られるんじゃないのかという気がした。
リスボン市内を歩いていると、歩道のところは見事なまでにモザイク模様にデザインされたたくさんの場面をみることに遭遇することは多いと思うのだが、これ、一体どうやって作っているんだろう?という単純な疑問がわいてくるのは当然だろう。もちろん、これは自動的に作っているわけじゃなく、実際には人間の手で作られているものなのだ。たまたま、その作っている場面に遭遇してしまった。
場所は交通の要所であるポンバル侯爵広場のところで、花壇があるのだが、その傍にもやはりモザイクのデザインの歩道が存在する。そこで補修作業を行っていたところに遭遇したのだ。働いている人たちはどうみても旧植民地からやってきたアフリカの人たち。ポルトガルの経済は、他のヨーロッパ各国が右肩あがりになっていったとしても、1人だけ取り残された感がいつまで経っても拭いきれないところではあるが、それでも宗主国だったポルトガルのほうが旧植民地よりは仕事があるという思いはあるために、とりあえずリスボンまでやってきた出稼ぎの人たちである。アフリカはほぼすべての国がヨーロッパの国のどこかの植民地であったのだが、ポルトガルの植民地だったところに限って言うと、モザンビークやアンゴラが上げられる。ここは2000年に入っても内戦が続いていたところであるので、そこから逃げてきたひとたちやその子供たちがリスボンに居るといってもおかしくないだろう。ただ、たぶんいまのポルトガルの経済がダメなところまで行っているので、それほど多くのアフリカ系の人たちを街中に観ることは無かった。たぶん、出稼ぎの黒人は、もっと経済的に発展しているが同じポルトガル語が通じるブラジルのほうに行っているんだろうと思う。だから、リスボンに残っている黒人はブラジルに行きそこなった人、奴隷じゃないが重労働のような仕事についている低賃金者、あとは広場によくいる麻薬売人としているんだろう。
彼らの仕事の傍で仕事をしていたとき「なにを撮っているんだ、おまえらは?」と思わず襲われそうな木が下ので怖かった。ただ、傍に現場監督をしているポルトガル人がいたので、たぶん彼らは文句を言わずに、小さいブロックを1個ずつ丁寧に並べていって、あの綺麗なモザイクを作っているのだろう。
それから、日本人は歩くのが早いといわれるのだが、リスボンの人たちだって負けていられない。特に地下鉄の乗り換え駅のときに、コンコースを歩くひとたちの足の速さは、日本人に負けず劣らずだった。たぶん何も考えず、自分が乗り換える電車に間に合いたいがためのただその欲望から歩くのが早いのだろうと思う。
ベレン地区とテージョ川を挟んで対岸のアルマダ地区を結ぶために作られた吊り橋が、「4月25日橋(Ponte 25 de Abril)」と呼ばれるものだ。見た目はサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジみたいな形をしている。長さ2277mの橋は、1966年に開通したときには、当時の独裁者アントニオ・サラザールの名前にちなんでサラザール橋という名前だったのだが、1974年に起こったカーネーション革命(Revolução dos Cravos)の際に革命が起こった日付をとって、橋の名前がいまの4月25日橋という名前にかわったといういわくつきの橋だ。
この橋は高速道路と鉄道が走っている橋であるため、近くに行っても見ることができるのだが、ホテルからたまたま遠くに見える橋が見えたので、結構高台があるリスボンのしないからはどこからでも見られるんじゃないのかという気がした。
リスボン市内を歩いていると、歩道のところは見事なまでにモザイク模様にデザインされたたくさんの場面をみることに遭遇することは多いと思うのだが、これ、一体どうやって作っているんだろう?という単純な疑問がわいてくるのは当然だろう。もちろん、これは自動的に作っているわけじゃなく、実際には人間の手で作られているものなのだ。たまたま、その作っている場面に遭遇してしまった。
場所は交通の要所であるポンバル侯爵広場のところで、花壇があるのだが、その傍にもやはりモザイクのデザインの歩道が存在する。そこで補修作業を行っていたところに遭遇したのだ。働いている人たちはどうみても旧植民地からやってきたアフリカの人たち。ポルトガルの経済は、他のヨーロッパ各国が右肩あがりになっていったとしても、1人だけ取り残された感がいつまで経っても拭いきれないところではあるが、それでも宗主国だったポルトガルのほうが旧植民地よりは仕事があるという思いはあるために、とりあえずリスボンまでやってきた出稼ぎの人たちである。アフリカはほぼすべての国がヨーロッパの国のどこかの植民地であったのだが、ポルトガルの植民地だったところに限って言うと、モザンビークやアンゴラが上げられる。ここは2000年に入っても内戦が続いていたところであるので、そこから逃げてきたひとたちやその子供たちがリスボンに居るといってもおかしくないだろう。ただ、たぶんいまのポルトガルの経済がダメなところまで行っているので、それほど多くのアフリカ系の人たちを街中に観ることは無かった。たぶん、出稼ぎの黒人は、もっと経済的に発展しているが同じポルトガル語が通じるブラジルのほうに行っているんだろうと思う。だから、リスボンに残っている黒人はブラジルに行きそこなった人、奴隷じゃないが重労働のような仕事についている低賃金者、あとは広場によくいる麻薬売人としているんだろう。
彼らの仕事の傍で仕事をしていたとき「なにを撮っているんだ、おまえらは?」と思わず襲われそうな木が下ので怖かった。ただ、傍に現場監督をしているポルトガル人がいたので、たぶん彼らは文句を言わずに、小さいブロックを1個ずつ丁寧に並べていって、あの綺麗なモザイクを作っているのだろう。
それから、日本人は歩くのが早いといわれるのだが、リスボンの人たちだって負けていられない。特に地下鉄の乗り換え駅のときに、コンコースを歩くひとたちの足の速さは、日本人に負けず劣らずだった。たぶん何も考えず、自分が乗り換える電車に間に合いたいがためのただその欲望から歩くのが早いのだろうと思う。
リスボン空港
リスボンの空港は、ポルトガルのゲートウェイとしては無くてはならないものだろうと思う。そして、市内に比較的近いところにあるために、交通の便もよく、時間もそんなにかからずに移動できるというのはメリットだ。リスボン空港と市内の移動手段でも記載したが、交通手段はなんでもあるので、旅行者の気分によってなにを使ってもいいと思う。行きは空港でタクシーをチャーターしたのだが、同じ距離を帰りはホテル前に停まっていたタクシーを使うと、9.90ユーロだったので、リスボン空港に到着したときには、インフォメーションカウンターで提示された価格はボラれたものに等しい。が、それは正規料金である。そういうやりとりが面倒くさいと思うのであれば、地下鉄やバスを使ったほうがいいだろう。だいたい時間として空港と今回泊まったホテルまでは、15分程度だった。
クリスフライヤーのゴールドメンバーになったため、スターアライアンスで利用した場合、空港ラウンジが利用できる特権は持っている。リスボンの空港でも出発までの時間は、タクシーで早めに着いたこともあり、早速ラウンジに直行してのんびりすることにした。なにしろ、お土産は既に街中にいたときに購入していたので、空港でわざわざばら撒き土産を含めて買う必要がなかったからである。
リスボンの空港のラウンジはなかなか広くて、TAPポルトガル航空のイメージカラーである、朱色と黄緑色というのが、ラウンジの中のいたるところにもデザインとして利用されていたのは印象的だった。それも北欧デザインとは異なるし、アールデコのようなデザインでもなく、独特のデザインとインテリアで作られているラウンジだった。
ユナイテッドの成田にあるラウンジは、食事がショボすぎて泣きたくなるようなものだったが、リスボンのラウンジのご飯は、かなり豊富な種類を持っているために、なんとなく何でもかんでも選んでしまって、これでお腹が一杯になってしまうと思った。この時、既にホテルで早めの朝食を摂っているために、別にそんなに口に入れる必要は無いのだが、なにしろ目に付いてしまったら、人間の欲望としてはついつい手を出してしまうということになる。何と言っても、ポルトガルならではのエッグタルトがここでも出来たてのものが食べられるというのは面白い。どこまでエッグタルト様サマなんだろうとは正直思ったが、ポルトガルなのでそれは許そう。アルコールに付いてもポルトワインは当然あるが、ビールもウィスキーも全部飲み放題なので、乗る前に飲みすぎてしまうのもわからなくもない。
もちろんラウンジの中では無線Wi-Fiが無料で利用できる。ただし、無料といってもSSIDに対するパスワード規制があるため、利用する前には、ラウンジのカウンターのところでパスワードを貰うことが必要だ。結構他の空港のラウンジ傍で見かける光景があるのだが、ラウンジから漏れてくる無線Wi-Fiを勝手に使おうとラウンジ前に陣取る中国人を結構見かけるのだが、ここではラウンジ前に陣取ってもパスワードが分からなければ利用することはできないというものだ。本来ラウンジとは、特権を持ったひとだけが、そのラウンジ内で提供されているサービスを利用出来るというものだから、資格が無い人にこぼれて来たサービスを使わせてあげてもいいというのは間違いな考え方だ。
そういえば、リスボンから出発する前に駐機場に停まっている飛行機の写真を撮っていたところ、「空港内は撮影禁止ですっ!」と係員に怒られた。なんで?なにか映ってはいけないものでもここにはあるわけ?!こんだけの乗客のひとが窓の外の景色をみているのになんで写真に撮ってはいけないわけ?!実は、搭乗口でのこの注意もそうだったが、チェックインカウンターのところでも同じように注意された。つまり、空港内は全面的に撮影禁止なのである。でも、バレなければ撮影をしてもいいんじゃないかとおもう。なぜなら、自分たちのほかにもスマホでバシバシ写真を撮っている人たちを結構観たから。
TAPポルトガル航空を含めてスターアライアンスの航空会社を利用してリスボンから出発する場合は、ほぼ全員自動チェックイン機械にてチェックインを行わせるようなことになっている。空港に到着すると、そのあまりにも長い待ち行列にウンザリすると思われるが、まぁちょっとはガマンして欲しい。たぶん20分後には自分たちの番が廻ってくるはずだ。チェックインカウンターの機械はかなりたくさんあるので、どこかの馬鹿が操作をなかなか出来ない状態であったとして、後の人たちが詰まっているということはなく、順番に係員が「あなた何番のカウンター」とテキパキと誘導してるので問題ない。カウンターでは、荷物を預けて、それで終わりである。
クリスフライヤーのゴールドメンバーになったため、スターアライアンスで利用した場合、空港ラウンジが利用できる特権は持っている。リスボンの空港でも出発までの時間は、タクシーで早めに着いたこともあり、早速ラウンジに直行してのんびりすることにした。なにしろ、お土産は既に街中にいたときに購入していたので、空港でわざわざばら撒き土産を含めて買う必要がなかったからである。
リスボンの空港のラウンジはなかなか広くて、TAPポルトガル航空のイメージカラーである、朱色と黄緑色というのが、ラウンジの中のいたるところにもデザインとして利用されていたのは印象的だった。それも北欧デザインとは異なるし、アールデコのようなデザインでもなく、独特のデザインとインテリアで作られているラウンジだった。
ユナイテッドの成田にあるラウンジは、食事がショボすぎて泣きたくなるようなものだったが、リスボンのラウンジのご飯は、かなり豊富な種類を持っているために、なんとなく何でもかんでも選んでしまって、これでお腹が一杯になってしまうと思った。この時、既にホテルで早めの朝食を摂っているために、別にそんなに口に入れる必要は無いのだが、なにしろ目に付いてしまったら、人間の欲望としてはついつい手を出してしまうということになる。何と言っても、ポルトガルならではのエッグタルトがここでも出来たてのものが食べられるというのは面白い。どこまでエッグタルト様サマなんだろうとは正直思ったが、ポルトガルなのでそれは許そう。アルコールに付いてもポルトワインは当然あるが、ビールもウィスキーも全部飲み放題なので、乗る前に飲みすぎてしまうのもわからなくもない。
もちろんラウンジの中では無線Wi-Fiが無料で利用できる。ただし、無料といってもSSIDに対するパスワード規制があるため、利用する前には、ラウンジのカウンターのところでパスワードを貰うことが必要だ。結構他の空港のラウンジ傍で見かける光景があるのだが、ラウンジから漏れてくる無線Wi-Fiを勝手に使おうとラウンジ前に陣取る中国人を結構見かけるのだが、ここではラウンジ前に陣取ってもパスワードが分からなければ利用することはできないというものだ。本来ラウンジとは、特権を持ったひとだけが、そのラウンジ内で提供されているサービスを利用出来るというものだから、資格が無い人にこぼれて来たサービスを使わせてあげてもいいというのは間違いな考え方だ。
そういえば、リスボンから出発する前に駐機場に停まっている飛行機の写真を撮っていたところ、「空港内は撮影禁止ですっ!」と係員に怒られた。なんで?なにか映ってはいけないものでもここにはあるわけ?!こんだけの乗客のひとが窓の外の景色をみているのになんで写真に撮ってはいけないわけ?!実は、搭乗口でのこの注意もそうだったが、チェックインカウンターのところでも同じように注意された。つまり、空港内は全面的に撮影禁止なのである。でも、バレなければ撮影をしてもいいんじゃないかとおもう。なぜなら、自分たちのほかにもスマホでバシバシ写真を撮っている人たちを結構観たから。
TAPポルトガル航空を含めてスターアライアンスの航空会社を利用してリスボンから出発する場合は、ほぼ全員自動チェックイン機械にてチェックインを行わせるようなことになっている。空港に到着すると、そのあまりにも長い待ち行列にウンザリすると思われるが、まぁちょっとはガマンして欲しい。たぶん20分後には自分たちの番が廻ってくるはずだ。チェックインカウンターの機械はかなりたくさんあるので、どこかの馬鹿が操作をなかなか出来ない状態であったとして、後の人たちが詰まっているということはなく、順番に係員が「あなた何番のカウンター」とテキパキと誘導してるので問題ない。カウンターでは、荷物を預けて、それで終わりである。
リスボンカード
リスボンの街中にある数多くの史跡や有名箇所を廻るのには、是非リスボンカードと言うのを持参していたほうが良いと思う。これは、有効期間内であればリスボン市内のすべての交通機関は無料で利用できるということと、市内および郊外にある史蹟で有料の場所は無料で見られたり、特権として割引になって観ることが出来るということができるというものだ。このカードを持っているほうが、1箇所ごとに入館料等で支払いをする必要もないので便利だし、有効期間内に廻る場所を効率よく決めていけば、リスボンカードを購入するときに支払った金額なんか、すぐに元が取れるというものである。
リスボンカードには、24時間/48時間/72時間有効券の3種類が存在しており、利用するには、裏面にサインを記載すればいいだけ。別にこれは漢字でもいいし、アルファベットでもどちらでも良い。そして、カードの有効は、購入した時点とか、サインを記載した時点というわけではなく、そのカードに記載したサインを記載した時間から24時間や48時間というものなのである。だから、最初に使ったときに早朝であった場合には、24時間だったら、また早朝までが有効期間というわけになる。決して日単位ではないので、利用開始した日が終わってしまったら次の日には使えないというわけじゃないことも間違いないように。サインを書いているときや時間の記載のときには、係員がチェックをしているので不正が出来ないようになっている。
そういえば、購入に関しては注意が必要だ。このカード、どこでも買えるかというと、そうではない。ホテルのコンシェルジェに言えば買えるかというと買えない。じゃぁ、国鉄駅に行けば買えるかというと、これも買えない。リスボン市内にある観光案内所でしか購入が出来ないのである。だから、観光案内所が運悪くまだサービス開始をしていない場合には、購入が出来ないのである。これは実体験で知ったことである。リスボンカードは、シントラの王宮やシントラに行くまでの電車も無料になる特権があるのは知っていたので、シントラに行くための電車が出発するロシオ駅の窓口で買おうとしたら、窓口のひとが「ここでは無理。下に行って観光案内所で買え」といわれた。なんでこんな不便なんだろうとは思ったが、そうするしかないので仕方ない。
リスボンカードを購入した場合、どこの場所が無料かとか、どこがディスカウントになるのかというのが説明が書かれている冊子を貰える。これと照らし合わせてどこに行くときにこのカードを使えばいいかは、購入後に確認してもいいが、滞在時間が少ない日本人観光客にとっては、もっと事前に情報は知りえていたほうが良い。効率よく廻るほうが時間の無駄にはならない。リスボンカードの公式サイトに、上述の場所をリスト化したPDFがダウンロードできる場所があるので、そこから最新版をダウンロードしたほうがいいだろう。
リスボンカード(Lisbon Card)
URL : http://www.golisbon.com/Lisboa-Card/
カードの種類:24 hours Lisboa Card: 18.50 euros
48 hours Lisboa Card: 31.50 euros
72 hours Lisboa Card: 39.00 euros
カードの有効場所:こちらをクリック
リスボンカードには、24時間/48時間/72時間有効券の3種類が存在しており、利用するには、裏面にサインを記載すればいいだけ。別にこれは漢字でもいいし、アルファベットでもどちらでも良い。そして、カードの有効は、購入した時点とか、サインを記載した時点というわけではなく、そのカードに記載したサインを記載した時間から24時間や48時間というものなのである。だから、最初に使ったときに早朝であった場合には、24時間だったら、また早朝までが有効期間というわけになる。決して日単位ではないので、利用開始した日が終わってしまったら次の日には使えないというわけじゃないことも間違いないように。サインを書いているときや時間の記載のときには、係員がチェックをしているので不正が出来ないようになっている。
そういえば、購入に関しては注意が必要だ。このカード、どこでも買えるかというと、そうではない。ホテルのコンシェルジェに言えば買えるかというと買えない。じゃぁ、国鉄駅に行けば買えるかというと、これも買えない。リスボン市内にある観光案内所でしか購入が出来ないのである。だから、観光案内所が運悪くまだサービス開始をしていない場合には、購入が出来ないのである。これは実体験で知ったことである。リスボンカードは、シントラの王宮やシントラに行くまでの電車も無料になる特権があるのは知っていたので、シントラに行くための電車が出発するロシオ駅の窓口で買おうとしたら、窓口のひとが「ここでは無理。下に行って観光案内所で買え」といわれた。なんでこんな不便なんだろうとは思ったが、そうするしかないので仕方ない。
リスボンカードを購入した場合、どこの場所が無料かとか、どこがディスカウントになるのかというのが説明が書かれている冊子を貰える。これと照らし合わせてどこに行くときにこのカードを使えばいいかは、購入後に確認してもいいが、滞在時間が少ない日本人観光客にとっては、もっと事前に情報は知りえていたほうが良い。効率よく廻るほうが時間の無駄にはならない。リスボンカードの公式サイトに、上述の場所をリスト化したPDFがダウンロードできる場所があるので、そこから最新版をダウンロードしたほうがいいだろう。
リスボンカード(Lisbon Card)
URL : http://www.golisbon.com/Lisboa-Card/
カードの種類:24 hours Lisboa Card: 18.50 euros
48 hours Lisboa Card: 31.50 euros
72 hours Lisboa Card: 39.00 euros
カードの有効場所:こちらをクリック
Pastelaria Versailles(リスボン)
ホテルから歩いていける範囲ではあるのだが、隣の地下鉄駅サルダーニャ(Saldanha)からさらにちょっと北に行ったレプブリカ通り(Avenida da República)沿いに、実はリスボンでは結構なの知れたパティスリーの店がある。それが、ヴェルサイユ(Pastelaria Sala de Cha Versailles)という名前の店である。
朝の7時半から夜の10時まで営業しているので、朝ごはんの買出しから、夕御飯として利用するまで、各種の食事と持ち帰りを提供する店なのだが、ここは絶対に一度は行ってみてほしいところだと思う。
というのも、ここの店、開業は1932年とそんなに老舗とは言えるものではないとおもうのだが、不景気のポルトガルの中では結構長く営業を続けているとk路緒ではあると思うことと、店の内装が本当に見事で、街は荒廃しきって、住んでいる人たちもなんとなく疲弊し切っている感が拭えないのだが、ここの店の中だけは、ウイーンやパリの老舗のパティスリのような雰囲気と気品と品数とデコレーションがすごい見事だからだ。
持ち帰り用としてカウンターには、すごい種類の菓子パンが売られているケースがある。そこはもうミスタードーナツなんか比にもならないくらいのドーナツやタルトも当然だが、ケーキもある。見た目もおいしそうなものばかりで、気持ち悪いくらい派手な色でデコレートされたものなんかはここには存在しない。どちらかというと上品な菓子パンという感じのものばかりだ。カウンター裏の方の壁にいくと、名前がよくわかんないキャンディーやチョコレートなんかも売られているので、常連客にとっては、もう「あれ、なんですか?」なんか聞かなくても買って帰るようになっている。
自分たちのような一元さんの場合には、ガラスケースの中に並べられている種類になにも名前が書かれていないので、これが欲しいというときに、名前を言うよりも指差し呼称で「あれが欲しい」というのを言えば良いのでとても楽だが、常連客の場合には、なにを買うのか大体毎回同じようなので、客が入ってきた途端に、お店の人がその客用に買うだろうと思うものを適当にまとめていたことには、それだけここは常連客にとっては御用達の店なんだろうなというのはよくわかった。
ドーナツのような持ち帰りようなモノばっかりではなく、実はカフェとしても使われている。店に入って左のほうを眺めていると、テーブルと椅子のセットがずらっと並んでいるのが見えるだろう。ここで買って、そのままテーブルで食べてもいいし、テーブルで注文をしてお茶と一緒に食べるというのもありだ。お茶といえば、実は旧植民地のモザンビークのお茶「Licungo」というのがここの店では提供されている有名なお茶らしいのだが、それだけじゃなく、いまでは英国茶なんかも当然置かれているので、不慣れな人は飲みなれているお茶やコーヒーを頼めばいいだろう。
そして、軽食だけではなく、実はここのパティスリー、もうちょっと重そうなご飯も食べることができる。ステーキ類なかも全然パンとは関係ないじゃんとおもうのだが、ちょっとしたレストランよりもおもしろい種類のご飯が食べられるので、夕御飯として使うのもいいだろう。
昼ごはん兼おやつとして立ち寄って、そのままホテルに帰って食べたのだが、その種類の名前が全くわからないので記載できない。しかし、写真は撮っておいたのでそれを載せておこうと思う。
Pastelaria Sala de Cha Versailles
Address : Avenida da República 15A, Lisbon
Open : 毎日7:30am-10pm
朝の7時半から夜の10時まで営業しているので、朝ごはんの買出しから、夕御飯として利用するまで、各種の食事と持ち帰りを提供する店なのだが、ここは絶対に一度は行ってみてほしいところだと思う。
というのも、ここの店、開業は1932年とそんなに老舗とは言えるものではないとおもうのだが、不景気のポルトガルの中では結構長く営業を続けているとk路緒ではあると思うことと、店の内装が本当に見事で、街は荒廃しきって、住んでいる人たちもなんとなく疲弊し切っている感が拭えないのだが、ここの店の中だけは、ウイーンやパリの老舗のパティスリのような雰囲気と気品と品数とデコレーションがすごい見事だからだ。
持ち帰り用としてカウンターには、すごい種類の菓子パンが売られているケースがある。そこはもうミスタードーナツなんか比にもならないくらいのドーナツやタルトも当然だが、ケーキもある。見た目もおいしそうなものばかりで、気持ち悪いくらい派手な色でデコレートされたものなんかはここには存在しない。どちらかというと上品な菓子パンという感じのものばかりだ。カウンター裏の方の壁にいくと、名前がよくわかんないキャンディーやチョコレートなんかも売られているので、常連客にとっては、もう「あれ、なんですか?」なんか聞かなくても買って帰るようになっている。
自分たちのような一元さんの場合には、ガラスケースの中に並べられている種類になにも名前が書かれていないので、これが欲しいというときに、名前を言うよりも指差し呼称で「あれが欲しい」というのを言えば良いのでとても楽だが、常連客の場合には、なにを買うのか大体毎回同じようなので、客が入ってきた途端に、お店の人がその客用に買うだろうと思うものを適当にまとめていたことには、それだけここは常連客にとっては御用達の店なんだろうなというのはよくわかった。
ドーナツのような持ち帰りようなモノばっかりではなく、実はカフェとしても使われている。店に入って左のほうを眺めていると、テーブルと椅子のセットがずらっと並んでいるのが見えるだろう。ここで買って、そのままテーブルで食べてもいいし、テーブルで注文をしてお茶と一緒に食べるというのもありだ。お茶といえば、実は旧植民地のモザンビークのお茶「Licungo」というのがここの店では提供されている有名なお茶らしいのだが、それだけじゃなく、いまでは英国茶なんかも当然置かれているので、不慣れな人は飲みなれているお茶やコーヒーを頼めばいいだろう。
そして、軽食だけではなく、実はここのパティスリー、もうちょっと重そうなご飯も食べることができる。ステーキ類なかも全然パンとは関係ないじゃんとおもうのだが、ちょっとしたレストランよりもおもしろい種類のご飯が食べられるので、夕御飯として使うのもいいだろう。
昼ごはん兼おやつとして立ち寄って、そのままホテルに帰って食べたのだが、その種類の名前が全くわからないので記載できない。しかし、写真は撮っておいたのでそれを載せておこうと思う。
Pastelaria Sala de Cha Versailles
Address : Avenida da República 15A, Lisbon
Open : 毎日7:30am-10pm
マフラ修道院(ポルトガル)
カンポ・グランデのバスターミナルからバスで約30分乗った場所に、いきなり目の前に巨大な建築物が現れるため、どこでバスを降りれば良いのかは一目瞭然なのが、今回のお目当てのマフラ修道院(Palacio Nacional de Mafra)である。
しかし、このマフラ修道院、実は想像以上の大きさなので、ガイドに書かれている量から想像してたいしたことが無いだろうなんていう生半可な気持ちで行くと、たぶん途中で嫌になってしまうことだろう。
歴史の教科書やガイドブックでは、この建物はポルトガル王ジョアン5世がなかなか生まれない嫡子の誕生を祈って、生まれたら神のために修道院を建てますと約束したから建てたということになっている。もともと狩猟地として使っていたこのマフラの土地は余っていたために、この巨大な修道院をつくったことになるのだが、なぜ巨大化しなければならなかったのかは不思議だ。別に子供誕生の感謝のためなら、もっと小さい修道院でもいいんじゃないのかとおもうのだが、それには王としての威信を見せ付けないといけないという背景があったようだ。
ポルトガルは伝統的にカトリックの国家であり、いまもカトリック信者が多いところでもある。その権威を大金を出してまで守らなければいけないのはなんだったのか?それはポルトガルがスペインの脅威から守ってもらうために、イギリスの協力を得ようとしたことであり、イギリスは反カトリックの先鋒でもあったわけだし、協力を要請したことにより見返りをイギリスはポルトガルから金とダイヤモンドという、植民地ブラジルからのいわゆる「アガリ」を吸い取られる形になってしまった。このままではスペインからの独立はしたのに、イギリスの奴隷になってしまうのではないかとポルトガル王は懸念する。さらに政治的基盤としてのポルトガル王は、ローマ教皇からも民衆からもあまりよく思われていなかったため、どうしても威信をカトリック教会と民衆に見せる必要があったのかもしれない。そういう意味で巨大化した建物になったようだ。
じゃ、一体この建物はなにが収められているかというと、まず部屋の多さから驚かされる。一体この建物中には部屋がいくつあるのかと数えても数え切れないくらいあるんじゃないかと錯覚してしまうくらいの数があるのだ。全部の部屋を見て廻ることは実は許されていない。しかしながら、見られる範囲は実は全体の1/3くらいしかないのだが、それだけでも全部歩き回るだけでも簡単に1時間は経過する。それらの部屋に飾っているモノを見学していることを合わせると、さらに数倍の時間は経過してしまうことになる。
中に展示されているものは、ヴェルサイユ宮殿やシェーンブルン宮殿のような派手さはここにはない。だから展示されているものもそんなに派手なものは存在されているわけじゃない。しかしながら、壁や装飾に残っているところには巨大宮殿になっていたことの名残が残っているし、展示物も若干派手になっているところもある。
名前が修道院となっているように、いちおうここには修道僧が住んでいたことの証拠もある。今で言うところのカプセルホテルみたいな個室がずらっと並んでいるところを見ると、そこが修道僧たちの唯一のプライベートルームなんだろうとおもうが、それも他人からは丸見え状態なのだろうから、落ち着くことは無かっただろう。ただ、ドミトリの生活をしたことがあるひとであれば、そんなのは普通だとおもうに違いないが、個人的にはここには住めないなと思う。
絶対見て欲しいのは、宮殿奥のところにある図書館だ。これは圧倒される。しかし、先にコインブラの大学図書館を見てしまったこともあるので、こちらの図書館のすごさもかわらんでもないのだが、凄いという共感が半減してしまったのは正直なところだ。特に原点になるような要素があったかというとそれはない。唯一無二のものがあれば感動するが、二番煎じのように見えてしまうと、やっぱり感動は半減してしまうようだ。ただ、こちらの図書館にはポルトガルの叙事詩である「ウズ・ルジアダス」の初版が保存されているのは必見だろう。
さらに王室の食堂のところには、鹿の頭部の骨ばかりを集めた部屋があるのだが、これはこのマフラが狩猟地域であった名残だとはいえ、ここまで同じようなものを集めておく王の趣味というものは、少しセンスがないとは思った。しかし、角の飾りはあったとしても、全身剥製のような絶対あるだろうとおもうものが飾っていないというところもよくわからない。もっと笑えたのは、同じ部屋にあるシャンデリアを鹿の角で作っているものが上から飾られていて、それを実際にいまでも利用しているんだが、これはかなり滑稽だ。
一体マフラ修道院をここまででかくしたのは、先述のとおりなにかにとりつかれたように巨大化したような建物になっているので、本当に館内全部を廻るのは、途中でしんどくなってくる。さらに最初は気合をいれて観ていても、後のほうになってくると刺激が少なくなってくるからということもあるのだが、だんだんだらけてくる。この修道院はどこを模しているのか?たぶんヴェルサイユ宮殿を模していたのだろうとおもうのだが、なんとなくヴェルサイユのような華やかさと品性が感じられない。それは現在の保管状態が適当すぎるからと言うこともあるのだろう。
それよりも、こんなに広いんだから、それなりに全体の展示物の説明があるガイドブックが売られていいと思うのだが、ポルトガル人はそういう本を編集すること自体が面倒くさいと思っているのか、お土産店にも売られていない。教養がないひとたちの集まりとは思えないのだが、なぜ販売していてもおかしくないようなもので、一番金になるガイドブックを作らないのか不思議だ。
マフラ修道院(Palácio Nacional de Mafra)
URL : http://www.palaciomafra.pt/
Address : Terreiro D. João V, 2640 Mafra
Open : 10:00 - 18:00
Holiday : Monday, 1/1, 12/25
しかし、このマフラ修道院、実は想像以上の大きさなので、ガイドに書かれている量から想像してたいしたことが無いだろうなんていう生半可な気持ちで行くと、たぶん途中で嫌になってしまうことだろう。
歴史の教科書やガイドブックでは、この建物はポルトガル王ジョアン5世がなかなか生まれない嫡子の誕生を祈って、生まれたら神のために修道院を建てますと約束したから建てたということになっている。もともと狩猟地として使っていたこのマフラの土地は余っていたために、この巨大な修道院をつくったことになるのだが、なぜ巨大化しなければならなかったのかは不思議だ。別に子供誕生の感謝のためなら、もっと小さい修道院でもいいんじゃないのかとおもうのだが、それには王としての威信を見せ付けないといけないという背景があったようだ。
ポルトガルは伝統的にカトリックの国家であり、いまもカトリック信者が多いところでもある。その権威を大金を出してまで守らなければいけないのはなんだったのか?それはポルトガルがスペインの脅威から守ってもらうために、イギリスの協力を得ようとしたことであり、イギリスは反カトリックの先鋒でもあったわけだし、協力を要請したことにより見返りをイギリスはポルトガルから金とダイヤモンドという、植民地ブラジルからのいわゆる「アガリ」を吸い取られる形になってしまった。このままではスペインからの独立はしたのに、イギリスの奴隷になってしまうのではないかとポルトガル王は懸念する。さらに政治的基盤としてのポルトガル王は、ローマ教皇からも民衆からもあまりよく思われていなかったため、どうしても威信をカトリック教会と民衆に見せる必要があったのかもしれない。そういう意味で巨大化した建物になったようだ。
じゃ、一体この建物はなにが収められているかというと、まず部屋の多さから驚かされる。一体この建物中には部屋がいくつあるのかと数えても数え切れないくらいあるんじゃないかと錯覚してしまうくらいの数があるのだ。全部の部屋を見て廻ることは実は許されていない。しかしながら、見られる範囲は実は全体の1/3くらいしかないのだが、それだけでも全部歩き回るだけでも簡単に1時間は経過する。それらの部屋に飾っているモノを見学していることを合わせると、さらに数倍の時間は経過してしまうことになる。
中に展示されているものは、ヴェルサイユ宮殿やシェーンブルン宮殿のような派手さはここにはない。だから展示されているものもそんなに派手なものは存在されているわけじゃない。しかしながら、壁や装飾に残っているところには巨大宮殿になっていたことの名残が残っているし、展示物も若干派手になっているところもある。
名前が修道院となっているように、いちおうここには修道僧が住んでいたことの証拠もある。今で言うところのカプセルホテルみたいな個室がずらっと並んでいるところを見ると、そこが修道僧たちの唯一のプライベートルームなんだろうとおもうが、それも他人からは丸見え状態なのだろうから、落ち着くことは無かっただろう。ただ、ドミトリの生活をしたことがあるひとであれば、そんなのは普通だとおもうに違いないが、個人的にはここには住めないなと思う。
絶対見て欲しいのは、宮殿奥のところにある図書館だ。これは圧倒される。しかし、先にコインブラの大学図書館を見てしまったこともあるので、こちらの図書館のすごさもかわらんでもないのだが、凄いという共感が半減してしまったのは正直なところだ。特に原点になるような要素があったかというとそれはない。唯一無二のものがあれば感動するが、二番煎じのように見えてしまうと、やっぱり感動は半減してしまうようだ。ただ、こちらの図書館にはポルトガルの叙事詩である「ウズ・ルジアダス」の初版が保存されているのは必見だろう。
さらに王室の食堂のところには、鹿の頭部の骨ばかりを集めた部屋があるのだが、これはこのマフラが狩猟地域であった名残だとはいえ、ここまで同じようなものを集めておく王の趣味というものは、少しセンスがないとは思った。しかし、角の飾りはあったとしても、全身剥製のような絶対あるだろうとおもうものが飾っていないというところもよくわからない。もっと笑えたのは、同じ部屋にあるシャンデリアを鹿の角で作っているものが上から飾られていて、それを実際にいまでも利用しているんだが、これはかなり滑稽だ。
一体マフラ修道院をここまででかくしたのは、先述のとおりなにかにとりつかれたように巨大化したような建物になっているので、本当に館内全部を廻るのは、途中でしんどくなってくる。さらに最初は気合をいれて観ていても、後のほうになってくると刺激が少なくなってくるからということもあるのだが、だんだんだらけてくる。この修道院はどこを模しているのか?たぶんヴェルサイユ宮殿を模していたのだろうとおもうのだが、なんとなくヴェルサイユのような華やかさと品性が感じられない。それは現在の保管状態が適当すぎるからと言うこともあるのだろう。
それよりも、こんなに広いんだから、それなりに全体の展示物の説明があるガイドブックが売られていいと思うのだが、ポルトガル人はそういう本を編集すること自体が面倒くさいと思っているのか、お土産店にも売られていない。教養がないひとたちの集まりとは思えないのだが、なぜ販売していてもおかしくないようなもので、一番金になるガイドブックを作らないのか不思議だ。
マフラ修道院(Palácio Nacional de Mafra)
URL : http://www.palaciomafra.pt/
Address : Terreiro D. João V, 2640 Mafra
Open : 10:00 - 18:00
Holiday : Monday, 1/1, 12/25
カンポ・グランデ・バスターミナル(リスボン)
大きな修道院がある街・マフラにいくには、バスで行くしかない。そのバスは、北部のリスボンのバスターミナルである、カンポグランデ(Campo Grande)というところからいく。カンポグランデにいくには、地下鉄赤線に乗っていけば良いだけなので、結構実は簡単にいける。
カンポグランデは本当に大きなバスターミナルのだが、残念なことに大きなバスターミナルにも関わらず、ほとんど案内らしいものはない。だから、お目当てのバスがどこから出るのかというのは、現地に住んでいないような人が行った場合には、もう皆目検討が付かないのである。とはいっても、インドや未開の土地のバスターミナルのように、バスが適当に停まっていて、片っ端からお目当てのバスを探しまくってから乗るということはない。いちおう整然としたバス停が並んでいるのだ。だが、駅のすぐ傍にあるんだったら、どこ行きのバスがどこの場所から出ているというくらいの案内があってもいいはず。しかし、ポルトガルの全体にもいえることなのだが、説明らしい説明はどこに行っても何の建物もほとんどないというところが不適切というか不親切というか、知らないんだったら知っている誰かに聞けというスタンスなのか、このあたりの適当さが、個人的にはまだまだ慣れない。
しかし、駅を降りて、バスターミナルを真っ直ぐいくと小屋らしいものがあり、そこが総合案内所になっているようで、そこで聞くことは可能だ。案内所といってもどちらかというと、長距離バスの料金支払い所という感じだ。ただ、それに併設して自分が行きたいバスがどこから出て行き、何時のバスなのかということは教えてくれる。が、自分たちがここの案内所に行ったときには、確かに事前に調べていたバスの時間を教えてくれたのだが、バス停については超適当に「あっち」としか教えてくれなかった。バス停がどの島のどこのバス停番号からということを教えてくれれば良いのに、なんでそういうのを教えないのかなーと思う。乗るバスの色は緑色でというバスの特長だけは教えてくれるのだが、案内所をあとにして緑色のバスってどこかなーっとおもったら、あちこちその色のバスが停まっているじゃないかー。もうわけがわからんのである。
長距離バスの時間は事前に調べておいたほうがいい。それはネット上にも結構載っているので、ちょっと調べればすぐ分かる。そのときには、行きもそうだが、帰りの時間も事前に調べていたほうがいい。そうじゃなければ、もしかしたら、帰ってこれなくなるという危険性があるからだ。今回マフラまでいくバスは、Mafrense社のバス。時刻表はMafrense社のサイトから常に最新の情報を取ることができるのだが、気をつけるべきことは、平日と土日祝日で運行状況が全く異なるということだ。土日祝日になると運行本数が格段に減ることになるので注意である。いちおうバスターミナルの案内所では、同じ時刻表をくれるはずである。
#この記事を書いているときの時刻表はこちら。
マフラまでの片道は4.10ユーロ。車内で切符は購入することができるので、乗り込むときにバスの運転手から買うことになる。台湾のバスみたいに、料金はぴったり払えというわけじゃなくても、おつりはもらえるし、降りるまでは料金を払うときに貰う感熱紙のレシートを持っておかないといけない。
ちなみにMafrense社のバスは、地下鉄の駅を降りたあと、そのまま横断歩道を渡っていくと、正面のところにあるバス停が実はお目当てのバスが出発する場所だった。簡単に歩けばつける場所だったのだが、そのピンポイントの場所がわからなかったため、たぶんバスターミナル全体をくまなく全部見てしまったと思う。おかげで、どの程度広いバスターミナルなのかということを知ることができたのはありがたい。
それとポルトガルのバスが素晴らしいと思ったのは、すべての路線バスには無料で利用できるWi-Fiの環境が整っていること。これは事前登録なしに、誰でも使えることができるようになっている。路線バスとはいえ、中距離バスの領域に入っているこのバスで、長旅になるなかの暇を潰すにはもってこいだと思われる。帰りのバスの中では、リスボンにいく学生の集団に出くわしたのだが、学生が多いのにも関わらず、意外に車内が静かだなーとおもったら、乗車している学生の多くが、持っているスマホでネットに接続して遊んでいたという事実を知る。それだけポルトガルでもWi-Fi環境は一般的に普及しており、携帯電話会社の無線回線を使わせることが目的のようにインフラを進めているというわけじゃないことがよくわかった。
旅行者にとってのマフラへ行く間の30分くらいのバスの旅行は、途中山道なんかも通るので、景観がとてもいいため、別にバスの中でネットをして遊んでいるという暇は無いと思われる。車窓からの風景が素晴らしいためにそれを楽しむことをしたほうがいい。帰りはどっぷり疲れて見ている気合がないかもしれないが。
それはそうと、カンポ・グランデのバスターミナルには併設して、サッカースタジアムがある。こちらは、スポルティング・リスボン(Sporting Clube de Portugal)の本拠地ジョゼ・アルヴァラーデ・スタジアム(Estádio José Alvalade)である。もう、その大きさはとても大きくてビックリする。
Mafrense社のバス
URL : http://www.mafrense.pt/
カンポグランデは本当に大きなバスターミナルのだが、残念なことに大きなバスターミナルにも関わらず、ほとんど案内らしいものはない。だから、お目当てのバスがどこから出るのかというのは、現地に住んでいないような人が行った場合には、もう皆目検討が付かないのである。とはいっても、インドや未開の土地のバスターミナルのように、バスが適当に停まっていて、片っ端からお目当てのバスを探しまくってから乗るということはない。いちおう整然としたバス停が並んでいるのだ。だが、駅のすぐ傍にあるんだったら、どこ行きのバスがどこの場所から出ているというくらいの案内があってもいいはず。しかし、ポルトガルの全体にもいえることなのだが、説明らしい説明はどこに行っても何の建物もほとんどないというところが不適切というか不親切というか、知らないんだったら知っている誰かに聞けというスタンスなのか、このあたりの適当さが、個人的にはまだまだ慣れない。
しかし、駅を降りて、バスターミナルを真っ直ぐいくと小屋らしいものがあり、そこが総合案内所になっているようで、そこで聞くことは可能だ。案内所といってもどちらかというと、長距離バスの料金支払い所という感じだ。ただ、それに併設して自分が行きたいバスがどこから出て行き、何時のバスなのかということは教えてくれる。が、自分たちがここの案内所に行ったときには、確かに事前に調べていたバスの時間を教えてくれたのだが、バス停については超適当に「あっち」としか教えてくれなかった。バス停がどの島のどこのバス停番号からということを教えてくれれば良いのに、なんでそういうのを教えないのかなーと思う。乗るバスの色は緑色でというバスの特長だけは教えてくれるのだが、案内所をあとにして緑色のバスってどこかなーっとおもったら、あちこちその色のバスが停まっているじゃないかー。もうわけがわからんのである。
長距離バスの時間は事前に調べておいたほうがいい。それはネット上にも結構載っているので、ちょっと調べればすぐ分かる。そのときには、行きもそうだが、帰りの時間も事前に調べていたほうがいい。そうじゃなければ、もしかしたら、帰ってこれなくなるという危険性があるからだ。今回マフラまでいくバスは、Mafrense社のバス。時刻表はMafrense社のサイトから常に最新の情報を取ることができるのだが、気をつけるべきことは、平日と土日祝日で運行状況が全く異なるということだ。土日祝日になると運行本数が格段に減ることになるので注意である。いちおうバスターミナルの案内所では、同じ時刻表をくれるはずである。
#この記事を書いているときの時刻表はこちら。
マフラまでの片道は4.10ユーロ。車内で切符は購入することができるので、乗り込むときにバスの運転手から買うことになる。台湾のバスみたいに、料金はぴったり払えというわけじゃなくても、おつりはもらえるし、降りるまでは料金を払うときに貰う感熱紙のレシートを持っておかないといけない。
ちなみにMafrense社のバスは、地下鉄の駅を降りたあと、そのまま横断歩道を渡っていくと、正面のところにあるバス停が実はお目当てのバスが出発する場所だった。簡単に歩けばつける場所だったのだが、そのピンポイントの場所がわからなかったため、たぶんバスターミナル全体をくまなく全部見てしまったと思う。おかげで、どの程度広いバスターミナルなのかということを知ることができたのはありがたい。
それとポルトガルのバスが素晴らしいと思ったのは、すべての路線バスには無料で利用できるWi-Fiの環境が整っていること。これは事前登録なしに、誰でも使えることができるようになっている。路線バスとはいえ、中距離バスの領域に入っているこのバスで、長旅になるなかの暇を潰すにはもってこいだと思われる。帰りのバスの中では、リスボンにいく学生の集団に出くわしたのだが、学生が多いのにも関わらず、意外に車内が静かだなーとおもったら、乗車している学生の多くが、持っているスマホでネットに接続して遊んでいたという事実を知る。それだけポルトガルでもWi-Fi環境は一般的に普及しており、携帯電話会社の無線回線を使わせることが目的のようにインフラを進めているというわけじゃないことがよくわかった。
旅行者にとってのマフラへ行く間の30分くらいのバスの旅行は、途中山道なんかも通るので、景観がとてもいいため、別にバスの中でネットをして遊んでいるという暇は無いと思われる。車窓からの風景が素晴らしいためにそれを楽しむことをしたほうがいい。帰りはどっぷり疲れて見ている気合がないかもしれないが。
それはそうと、カンポ・グランデのバスターミナルには併設して、サッカースタジアムがある。こちらは、スポルティング・リスボン(Sporting Clube de Portugal)の本拠地ジョゼ・アルヴァラーデ・スタジアム(Estádio José Alvalade)である。もう、その大きさはとても大きくてビックリする。
Mafrense社のバス
URL : http://www.mafrense.pt/
2013/05/11
SLベンフィカ(リスボン)
ホテルから歩いていける下町っぽいところにあるレストランに行ったときに、地元のおっさんたちが、店内で放映されていたテレビのサッカー中継を齧りつく様に見ていたので、やっぱりポルトガルはサッカーが盛んなところなんだなーくらいしか思っていなかったのだが、実はこの日のサッカーの試合中継は、普通のサッカーの試合とは異なるものだったことが帰国したあとに判明してびっくりした。
リスボンには2つのクラブチームが存在しており、どちらもポルトガルのリーグの中では強豪であり、さいたまに浦和レッズと大宮アルディージャがあって、浦和ダービーと言われるくらい地元同士の試合だったら、すごい盛り上がりがあるのは有名だが、それと同じように、地元リスボンのチーム同士の試合のときは、町が二分するくらい盛り上がるものになっている。そのチームは、SLベンフィカ(Sport Lisboa e Benfica)とスポルティング・リスボン(Sporting Clube de Portugal)というチーム。SLベンフィカは赤白、スポルティング・リスボンは緑白のユニフォームだから、両者の対決のときにはスタジアムに両者を象徴する色が華やかに揃うため、それは見事な状態になるだろうと思う。
それで2013年5月2日はこの両チームの試合があったかというとそうではなく、ポルトガルのサッカーリーグの試合ではなく、ヨーロッパのクラブチームが欧州チャンピオンを決めるための試合、UEFAヨーロッパリーグの決勝を進出するかどうかを決める、地元SLベンフィカと、トルコのクラブチーム・フェネルバフチェSK(Fenerbahçe Spor Kulübü)の試合が、SLベンフィカの本拠地スタジアムであるエスタディオ・ダ・ルス(Estádio da Luz)で行われたのである。そして、その試合に地元チームが勝利をし、決勝戦へ進むことができたという祭りになってしまった日なのである。地元チームがもしかしたらヨーロッパ1位になるかもしれないという期待があれば、普段おとなしいポルトガル人も熱狂するのは当然だろう。
対戦チームのトルコのチームは、一時期ジーコが監督するということになったことで日本でもちょっと知られたチームである。が、あんまりこれ以上のことはヨーロッパのクラブチームのこと、トルコのチームに付いてはよくわからないので述べられないし、詳しい人にこのあたりの説明は受け継ぎたいところだ。
ご飯を食べたあとにホテルに戻ったら、どこのテレビチャンネルを捻っても、もちろんポルトガルのテレビ局ばかりだが、サッカーの試合で勝利したことばっかりしか放映されておらず、なにか解説があるかというと、そうでもなく、試合会場からのライブ映像が延々と流れていて、アナウンサーや解説者のコメントなし。現場の興奮を視聴者のみんなで共有しようという雰囲気が伝わってきた。サッカーファンであれば、UEFAヨーロッパリーグでの決勝進出というのがどれほど凄いものかと言うのは分かるのだろうが、個人的にはよくわからない。なにしろ日本のサッカーリーグでさえもよくわかってないんだから。ただ、ご贔屓のサッカーチームがポルトガル国内ではなく、ヨーロッパ全体の中で優勝できるかもしれないということへの期待については、経済的に下降し停滞しているようなリスボンの人にとっては、ちょっとした悦びであろうというのは容易に想像できる。
なにしろ、テレビ中継で「勝った」ということが報道されはじめると、街中も知らない間に騒々しくなっていた。自分たちが泊まっていたホテルは、ポンバル侯爵広場の傍ではなかったのだが、この広場を中心にサポータたちが通りに繰り出して、勝利を祝う祭りが始まってしまったのである。その騒ぎが自分たちのホテルまで聞えてきたからビックリした。ポンバル侯爵広場のところはロータリーになっており、かなり広い広場になっているからたくさんのひとがやってきたとしても全く収容できるほどの広さはある。さらに、サポーターたちは、道路を走る車の行き来なんか無視して、通る車の運転手に「一緒に勝利を楽しもう」とわざわざ車をとめて同意を求めているというすごさだ。それをテレビ中継し、警官も出てきて「やめなさいっ!」というようなことを一切やることはないところが、リスボンのひと、ポルトガル人のサッカーに対する情熱を示していると思われる。日本だとすぐにDJポリスなんか出てきて、秩序ある行動を歩行者や集まってきたひとたちに求めるのだが、そんな幼稚な要求を市民にしないところがリスボンのひと、ヨーロッパ人の人間性が出来ているところだろう。
だいたい、テレビ中継のときに、スタジアム全体に横断幕として「Go To Amsterdam」というのが出ていたので、なんのこっちゃ?と思っていたのだ。なにしろ、最初にテレビ中継をみたときに、てっきりポルトガルリーグの試合中継でもやっているのかと思っていたので、それだったら、アムステルダムなんて関係ないじゃんと思ったからだ。ヨーロッパもそうだが、サッカーの試合はいろいろなリーグが併行して行われているので、なんの試合で盛り上がっているのか実はよく理解していない、無知な状態で見ているというところに問題があるのだろうと思う。あとで調べたら、上述の通りの状況だということであり、その決勝戦がアムステルダムで行われるということを知ったので、あの横断幕の理由が後で分かったということに気づくのだ。
ちなみに試合が行われたスタジアムは、地下鉄青線のコレジオ・ミリタール・ルス(Colégio Militar / Luz)駅の目の前にある。この駅はスタジアムの隣りに巨大ショッピングモールのコロンボ・ショッピングセンタ(Centro Comercial Colombo)が存在しているので、このあたりはそれだけでひとつの巨大な街が形成されているところだ。ポンバル侯爵広場は、同じ青線で乗ってくれば、そのままやってこれる場所なので、スタジアムの興奮のまま地下鉄に乗ってきている人も多かったのだろう。なにしろ、ここは乗り換え駅でもあるわけだから。なお、スタジアムは正式の名称以外に、いろいろな名称を持っている。地下鉄の駅にも使われている通り「光のスタジアム」と言われていたり、SLベネフィカの選手・ファンにとっては、「カテドラル」と呼ばれていたりするのだ。それだけ、ファンにとっては聖地であることは間違いない。
しかし、2013年5月15日にアムステルダム・アレーナで行われた決勝戦では、イングランドの強豪チェルシーに2対1で負けてしまって、残念ながらこの年のリーグではSLベンフィカは準優勝で終わった。1983年以来の準優勝である。
SLベンフィカ(Sport Lisboa e Benfica)
URL : http://www.slbenfica.pt/
本拠地:">エスタディオ・ダ・ルス(Estádio da Luz)
UEFAヨーロッパリーグ
URL : http://jp.uefa.com/uefaeuropaleague/index.html
リスボンには2つのクラブチームが存在しており、どちらもポルトガルのリーグの中では強豪であり、さいたまに浦和レッズと大宮アルディージャがあって、浦和ダービーと言われるくらい地元同士の試合だったら、すごい盛り上がりがあるのは有名だが、それと同じように、地元リスボンのチーム同士の試合のときは、町が二分するくらい盛り上がるものになっている。そのチームは、SLベンフィカ(Sport Lisboa e Benfica)とスポルティング・リスボン(Sporting Clube de Portugal)というチーム。SLベンフィカは赤白、スポルティング・リスボンは緑白のユニフォームだから、両者の対決のときにはスタジアムに両者を象徴する色が華やかに揃うため、それは見事な状態になるだろうと思う。
それで2013年5月2日はこの両チームの試合があったかというとそうではなく、ポルトガルのサッカーリーグの試合ではなく、ヨーロッパのクラブチームが欧州チャンピオンを決めるための試合、UEFAヨーロッパリーグの決勝を進出するかどうかを決める、地元SLベンフィカと、トルコのクラブチーム・フェネルバフチェSK(Fenerbahçe Spor Kulübü)の試合が、SLベンフィカの本拠地スタジアムであるエスタディオ・ダ・ルス(Estádio da Luz)で行われたのである。そして、その試合に地元チームが勝利をし、決勝戦へ進むことができたという祭りになってしまった日なのである。地元チームがもしかしたらヨーロッパ1位になるかもしれないという期待があれば、普段おとなしいポルトガル人も熱狂するのは当然だろう。
対戦チームのトルコのチームは、一時期ジーコが監督するということになったことで日本でもちょっと知られたチームである。が、あんまりこれ以上のことはヨーロッパのクラブチームのこと、トルコのチームに付いてはよくわからないので述べられないし、詳しい人にこのあたりの説明は受け継ぎたいところだ。
ご飯を食べたあとにホテルに戻ったら、どこのテレビチャンネルを捻っても、もちろんポルトガルのテレビ局ばかりだが、サッカーの試合で勝利したことばっかりしか放映されておらず、なにか解説があるかというと、そうでもなく、試合会場からのライブ映像が延々と流れていて、アナウンサーや解説者のコメントなし。現場の興奮を視聴者のみんなで共有しようという雰囲気が伝わってきた。サッカーファンであれば、UEFAヨーロッパリーグでの決勝進出というのがどれほど凄いものかと言うのは分かるのだろうが、個人的にはよくわからない。なにしろ日本のサッカーリーグでさえもよくわかってないんだから。ただ、ご贔屓のサッカーチームがポルトガル国内ではなく、ヨーロッパ全体の中で優勝できるかもしれないということへの期待については、経済的に下降し停滞しているようなリスボンの人にとっては、ちょっとした悦びであろうというのは容易に想像できる。
なにしろ、テレビ中継で「勝った」ということが報道されはじめると、街中も知らない間に騒々しくなっていた。自分たちが泊まっていたホテルは、ポンバル侯爵広場の傍ではなかったのだが、この広場を中心にサポータたちが通りに繰り出して、勝利を祝う祭りが始まってしまったのである。その騒ぎが自分たちのホテルまで聞えてきたからビックリした。ポンバル侯爵広場のところはロータリーになっており、かなり広い広場になっているからたくさんのひとがやってきたとしても全く収容できるほどの広さはある。さらに、サポーターたちは、道路を走る車の行き来なんか無視して、通る車の運転手に「一緒に勝利を楽しもう」とわざわざ車をとめて同意を求めているというすごさだ。それをテレビ中継し、警官も出てきて「やめなさいっ!」というようなことを一切やることはないところが、リスボンのひと、ポルトガル人のサッカーに対する情熱を示していると思われる。日本だとすぐにDJポリスなんか出てきて、秩序ある行動を歩行者や集まってきたひとたちに求めるのだが、そんな幼稚な要求を市民にしないところがリスボンのひと、ヨーロッパ人の人間性が出来ているところだろう。
だいたい、テレビ中継のときに、スタジアム全体に横断幕として「Go To Amsterdam」というのが出ていたので、なんのこっちゃ?と思っていたのだ。なにしろ、最初にテレビ中継をみたときに、てっきりポルトガルリーグの試合中継でもやっているのかと思っていたので、それだったら、アムステルダムなんて関係ないじゃんと思ったからだ。ヨーロッパもそうだが、サッカーの試合はいろいろなリーグが併行して行われているので、なんの試合で盛り上がっているのか実はよく理解していない、無知な状態で見ているというところに問題があるのだろうと思う。あとで調べたら、上述の通りの状況だということであり、その決勝戦がアムステルダムで行われるということを知ったので、あの横断幕の理由が後で分かったということに気づくのだ。
ちなみに試合が行われたスタジアムは、地下鉄青線のコレジオ・ミリタール・ルス(Colégio Militar / Luz)駅の目の前にある。この駅はスタジアムの隣りに巨大ショッピングモールのコロンボ・ショッピングセンタ(Centro Comercial Colombo)が存在しているので、このあたりはそれだけでひとつの巨大な街が形成されているところだ。ポンバル侯爵広場は、同じ青線で乗ってくれば、そのままやってこれる場所なので、スタジアムの興奮のまま地下鉄に乗ってきている人も多かったのだろう。なにしろ、ここは乗り換え駅でもあるわけだから。なお、スタジアムは正式の名称以外に、いろいろな名称を持っている。地下鉄の駅にも使われている通り「光のスタジアム」と言われていたり、SLベネフィカの選手・ファンにとっては、「カテドラル」と呼ばれていたりするのだ。それだけ、ファンにとっては聖地であることは間違いない。
しかし、2013年5月15日にアムステルダム・アレーナで行われた決勝戦では、イングランドの強豪チェルシーに2対1で負けてしまって、残念ながらこの年のリーグではSLベンフィカは準優勝で終わった。1983年以来の準優勝である。
SLベンフィカ(Sport Lisboa e Benfica)
URL : http://www.slbenfica.pt/
本拠地:">エスタディオ・ダ・ルス(Estádio da Luz)
UEFAヨーロッパリーグ
URL : http://jp.uefa.com/uefaeuropaleague/index.html
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