どこでも寄生虫のように固まって生活している中国人は、当然ロンドンにも存在する。むしろ、ロンドンは昔から中華系の人たちが結構固まって住んでいるところでも有名。なにしろ、香港がアヘン戦争後にイギリス領土になったことによって、まずは広東省のひとたちがイギリス人になったことによって、香港からイギリス本土に行き来が可能になったことから、ロンドンにもチャイナタウンの基礎が出来る。だいたい、もともとは中国人がイギリスの植民地政策により、東南アジア一帯でイギリスの植民地ビジネスの片棒を担ぐために、現地の人たちとイギリス人との間を取り持つ役割として、船乗りとして乗り込んでイギリス人の手伝いをしていたのだろう。それがそのままイギリスまで渡った船乗りが、ロンドンでの一次滞在地として、中国人コロニーを作り、そこでまずは、船乗りからコックに代わって、他の船乗り用のための食事を作ることで、徐々にロンドンの地に中華街が出来たんだろうと思う。
なにしろ、あの孫文が革命を起こすためにロンドンで資金を調達するなどの活動拠点としても、ここロンドンのチャイナタウンは重要な役割をする。ロンドンで逮捕されて、そこから脱出するときの事件もこのチャイナタウンが重要な地点になったのは有名。
広東系の人たちが香港からやってきたことによって徐々に膨らんでいった街なのであれば、香港人が勢力を一番大きくしているものかと勝手に思っていた。それだと広東語または北京語の中国語がわーわー騒いでいるものかと思うのだが、チャイナタウンの街の様子を見ると、看板が繁体字ではなく簡体字で表記されているのがほとんどであって、ちょっと拍子抜け。以前は繁体字だったとおもうのだが、中国大陸からたくさんの人たちがイギリスに観光に来るようになったこともあるし、東南アジアのエリアが早い段階で繁体字をやめて簡体字を採用することによって、中国よりも中華系がいるほかの地域の人たちがイギリスに先にやってくるようになり、そして、昨今の中国バブルのせいで中国本土からたくさん人がくるようになったので、簡体字が定着したのではないかと睨んだ。じゃ、もともと香港の人や早くから海外渡航をしていた台湾人はあんまりここには根付かなかったのだろうか?
それにしても、なんでこんなソーホー地区に中華街ができたのだろうか?ソーホーというと、本当にロンドンでも繁華街のど真ん中というところだ。おそらく歌舞伎町あたりが大きくなっていったのと同じ経緯なんだろうとは思う。人がいないところには街が出来上がらない。それなりに人が集まって、その人目当てに商売をするようなことで成功し始めると、そのひとを頼りに、地縁・血縁など薄っぺらい縁を頼って人がより集まってくるのだろう。どこの国のチャイナタウンの形成の仕方も同じだとは思う。ただ、ロンドンの場合は、イギリスという背景があったために、イギリス植民地との関係は切っても切れない。
ご飯のマズいと言われているイギリスにおいては、料理として食べられるものの中に中華料理があるのは当然だろう。トルコ料理とカレーと中華料理というイギリスが占領したところの料理がイギリスに根付いているのは当然だと思うし、根付いたのはそれらの料理が美味しいからだ。そういえば、以前、シンガポール人にイギリスに行くと、どこでご飯を食べるのか?と聞いたときに、イギリスは高いだけでまずいので、いつもチャイナタウンに行っていると聞いたことがある。イギリス渡航前にそれを聞いてしまったのでは、本当にイギリスはご飯が不味いところなんだろうと想像しちゃうじゃないか。確かに、中華系の人は美味くて、お腹が一杯になって、安いものだったらなんでもいいとおもっている。でも、それが開けてみたら中華料理だったというのであれば、そんなのイギリスに行かなくてもどこでも食えるじゃないかというオチになるのに気づいていないし、たぶんそれはあまり気にしていないことで、渡航地を本人が楽しめて、ご飯はいつもの通りでも良いというようなことを思っているからなんだろうと思っている。
しかしまぁ、どこのチャイナタウンに言っても、一目瞭然で中華系だとわかる門とランタンと、縦書きの漢字で道路にはみ出すくらい出ている看板を見たら、そこはチャイナタウンだというのはよくわかる。
2013/09/26
2013/07/27
謎解き「張作霖爆殺事件」(書籍)
日中戦争中といおうか、満州事件前後といおうか、そのあたりの中国大陸の歴史というのは、一番中国が面白い時代だったのではないだろうかと思う。孫文が出てきて、ほとんど詐欺まがいに世界中から金を集めて民主国家を作ろうとするが徒労に終わったり、蒋介石が出てきたり、毛沢東が出てきたりで、中国が一枚岩ではなくなったあたりのころだ。個性溢れる中国人キャラクターがたくさん出てきている時代だからこそ、たぶん面白いとおもうのだろうし、キャラクターだけじゃなく、一寸先が闇ともいうべき、何が将来起こるのかわからないような時代だったから、当時をタイムリに住んでいる人たちにとってもハラハラドキドキの時代だったことだろう。
強烈なキャラクター勢ぞろいの中で、決して中心人物にはなれなかったが、脇役としては絶対に外せない人物が張作霖。東北・旧満州地帯の豪族として収めていて、清朝が倒れたあとは、自ら満州王として地域を治めていたのだが、清朝が倒れたあとの中国は、誰もが次の中国を治める新王として君臨することを願っていたわけであり、そのなかの1人が張作霖であったことは否めない。時には連携、時には敵対ということをして、常に自分を優位に立たせようとした。時に張作霖は中国の軍隊の中の総司令官を意味する大元帥を名乗っていたのは有名だ。しかし、実際に張作霖の息がかかっていたのは、北京から北のエリアばかりで南部のほうにはその威力は至っていない。しかし、張作霖の軍隊は強力であったため、成り上がり軍隊や匪賊の人たちは張作霖を仲間にいれようとすることはまず最初に行わざるを得なかったこと。
張作霖は国内にも敵がたくさんいたのだが、国外に対しても敵がいたことも有名だ。だから、誰に暗殺されるか分からないという緊張の状態で過ごしていたことは当然だろうが、起こるべきにして起こったのが有名な張作霖爆殺事件である。北京から自分たちの本拠地である奉天に自らの御用列車で戻るときに、列車ごと爆発し、そのために殺された。
さて、この書物の表題である「謎解き・張作霖爆殺事件」の真相を色々な角度から検証をしているものである。最近までの通説では、その後の満州事変と満州国建設のために邪魔者であった張作霖を抹消させることで事を進めようとしていた関東軍によるもの、それも関東軍の参謀・河本大作大佐による爆殺というものだが、筆者は検証の中で参謀・河本大作による爆殺が決定的なものではなく、あらゆる人間や組織が張作霖を殺そうとしていたし、殺し方と事件現場の惨事の様子から違う組織が行ったものではないかと言うのを検証している。もちろん、その検証を進めていく上では、張作霖の人物像と張作霖が中国の政治的、軍事的な位置づけを事前に知っておく必要があることと、中国を搾取する欧米列強と日本の当時の動きを知っておく必要がある。その予備知識が無いと、この書を読むのは実は読み取れない部分があるからだ。補完情報として巻末に説明があるような本であればいいのだが、スペースの関係上それは無いためである。
張作霖自身も自分が暗殺されるかもしれないという危機感は常に持っていたわけで、張作霖が乗る列車の運行情報というのは、絶対に他には漏らさないようにしていたし、張作霖の移動とともに、偽装の列車を数列走らせて、どの列車に張作霖が乗っているかを断定させないという手段を取っていたわけだが、長い連結列車には必ず豪華客車が存在しておりそこに張作霖本人が乗っている可能性があるというのは当然だろう。しかし、客車をピンポイントで爆発させるには、それも走っている列車の客車をとなると、それは相当な技術と道具がないと無理なのに、河本大作が行った昔ながらの誘導線と爆薬で実施した方法では、線路が爆発によって壊れることもないし、列車の底が壊れているということもないし、爆発による致命度を上げるためには密室性で実施するのが一番効果があるというものだが、河本大作のやりかたではその威力は発揮できていないと指摘している。
爆殺された場所は駅構内というような誰もがいけるような簡単な場所ではなく、その後の南満州鉄道の路線と交差する場所で起った。その場所は普通のひとでは行くのが面倒くさいところなのに、爆殺されたあと、すぐに新聞記者が飛んできて、事件の結果を生々しくそして時間経過がなく報道されたと言うのも怪しいと思われているひとつである。そして、張作霖は国民党と組んで成り上がっていったわけだが、もともとは孫文の下で一緒に活躍していた共産党軍は、国民党と張作霖が組こと自体が邪魔だった。中国共産党軍にとっては、力もあるし、武器もある強そうな張作霖を排除するためには、それまで援助されていたソ連と連絡を取り、張作霖をやっつけて欲しいと願っても居るだろうということだろう。その結果、なんの問題も関係ないソ連のコミンテルンが張作霖を爆死させたというとも考えられるとし、その証拠として、名著「マオ」のなかでも張作霖は関東軍に爆発されたというわけじゃなく、コミンテルンの仕業だということをのべていることである。これは「マオ」を読んだ人であれば、誰もが「え!?」と読んでいる途中で詰まったことがあるだろう箇所である。
あとは個人的には知らなかっただけなのだが、張作霖の実の息子である張学良による父親殺しという点も逃さず論じていることである。張学良はその後の西安事件や、蒋介石と一緒に台湾に拠点を移すなか、父親が殺されたのは日本軍のせいだという理由から、日本をぶっつぶすために蒋介石の力を借りようとしていたくらいだから、ん名わけないじゃんとおもっていたが、父親があまりにもでかすぎたために、その鬱陶しさから消したくなったという優秀な一代目に継ぐ代の劣等感の表現というのもわからなくもない。たぶん、張学良による暗殺はないだろうが、噂になっているという点の信憑性についても検証をしているところが素晴らしい。
歴史の教科書の中では単なる爆殺で終わっている事実を、いろいろな敵によってその実行の可能性を示している点ではとても勉強になった書物だと思う。また、定説になっている内容を「それはうそだろう?」という疑問点を歴史には常に持っているべきだということはよくわかった。そこから新しい事実がどんどん数珠繋ぎのように出てくるわけだし、なぜ定説といわれていた案が広まっていったのかという検証にも役に立つからである。
謎解き「張作霖爆殺事件」
著者:加藤 康男
出版社: PHP研究所
発売日: 2011/5/18
強烈なキャラクター勢ぞろいの中で、決して中心人物にはなれなかったが、脇役としては絶対に外せない人物が張作霖。東北・旧満州地帯の豪族として収めていて、清朝が倒れたあとは、自ら満州王として地域を治めていたのだが、清朝が倒れたあとの中国は、誰もが次の中国を治める新王として君臨することを願っていたわけであり、そのなかの1人が張作霖であったことは否めない。時には連携、時には敵対ということをして、常に自分を優位に立たせようとした。時に張作霖は中国の軍隊の中の総司令官を意味する大元帥を名乗っていたのは有名だ。しかし、実際に張作霖の息がかかっていたのは、北京から北のエリアばかりで南部のほうにはその威力は至っていない。しかし、張作霖の軍隊は強力であったため、成り上がり軍隊や匪賊の人たちは張作霖を仲間にいれようとすることはまず最初に行わざるを得なかったこと。
張作霖は国内にも敵がたくさんいたのだが、国外に対しても敵がいたことも有名だ。だから、誰に暗殺されるか分からないという緊張の状態で過ごしていたことは当然だろうが、起こるべきにして起こったのが有名な張作霖爆殺事件である。北京から自分たちの本拠地である奉天に自らの御用列車で戻るときに、列車ごと爆発し、そのために殺された。
さて、この書物の表題である「謎解き・張作霖爆殺事件」の真相を色々な角度から検証をしているものである。最近までの通説では、その後の満州事変と満州国建設のために邪魔者であった張作霖を抹消させることで事を進めようとしていた関東軍によるもの、それも関東軍の参謀・河本大作大佐による爆殺というものだが、筆者は検証の中で参謀・河本大作による爆殺が決定的なものではなく、あらゆる人間や組織が張作霖を殺そうとしていたし、殺し方と事件現場の惨事の様子から違う組織が行ったものではないかと言うのを検証している。もちろん、その検証を進めていく上では、張作霖の人物像と張作霖が中国の政治的、軍事的な位置づけを事前に知っておく必要があることと、中国を搾取する欧米列強と日本の当時の動きを知っておく必要がある。その予備知識が無いと、この書を読むのは実は読み取れない部分があるからだ。補完情報として巻末に説明があるような本であればいいのだが、スペースの関係上それは無いためである。
張作霖自身も自分が暗殺されるかもしれないという危機感は常に持っていたわけで、張作霖が乗る列車の運行情報というのは、絶対に他には漏らさないようにしていたし、張作霖の移動とともに、偽装の列車を数列走らせて、どの列車に張作霖が乗っているかを断定させないという手段を取っていたわけだが、長い連結列車には必ず豪華客車が存在しておりそこに張作霖本人が乗っている可能性があるというのは当然だろう。しかし、客車をピンポイントで爆発させるには、それも走っている列車の客車をとなると、それは相当な技術と道具がないと無理なのに、河本大作が行った昔ながらの誘導線と爆薬で実施した方法では、線路が爆発によって壊れることもないし、列車の底が壊れているということもないし、爆発による致命度を上げるためには密室性で実施するのが一番効果があるというものだが、河本大作のやりかたではその威力は発揮できていないと指摘している。
爆殺された場所は駅構内というような誰もがいけるような簡単な場所ではなく、その後の南満州鉄道の路線と交差する場所で起った。その場所は普通のひとでは行くのが面倒くさいところなのに、爆殺されたあと、すぐに新聞記者が飛んできて、事件の結果を生々しくそして時間経過がなく報道されたと言うのも怪しいと思われているひとつである。そして、張作霖は国民党と組んで成り上がっていったわけだが、もともとは孫文の下で一緒に活躍していた共産党軍は、国民党と張作霖が組こと自体が邪魔だった。中国共産党軍にとっては、力もあるし、武器もある強そうな張作霖を排除するためには、それまで援助されていたソ連と連絡を取り、張作霖をやっつけて欲しいと願っても居るだろうということだろう。その結果、なんの問題も関係ないソ連のコミンテルンが張作霖を爆死させたというとも考えられるとし、その証拠として、名著「マオ」のなかでも張作霖は関東軍に爆発されたというわけじゃなく、コミンテルンの仕業だということをのべていることである。これは「マオ」を読んだ人であれば、誰もが「え!?」と読んでいる途中で詰まったことがあるだろう箇所である。
あとは個人的には知らなかっただけなのだが、張作霖の実の息子である張学良による父親殺しという点も逃さず論じていることである。張学良はその後の西安事件や、蒋介石と一緒に台湾に拠点を移すなか、父親が殺されたのは日本軍のせいだという理由から、日本をぶっつぶすために蒋介石の力を借りようとしていたくらいだから、ん名わけないじゃんとおもっていたが、父親があまりにもでかすぎたために、その鬱陶しさから消したくなったという優秀な一代目に継ぐ代の劣等感の表現というのもわからなくもない。たぶん、張学良による暗殺はないだろうが、噂になっているという点の信憑性についても検証をしているところが素晴らしい。
歴史の教科書の中では単なる爆殺で終わっている事実を、いろいろな敵によってその実行の可能性を示している点ではとても勉強になった書物だと思う。また、定説になっている内容を「それはうそだろう?」という疑問点を歴史には常に持っているべきだということはよくわかった。そこから新しい事実がどんどん数珠繋ぎのように出てくるわけだし、なぜ定説といわれていた案が広まっていったのかという検証にも役に立つからである。
謎解き「張作霖爆殺事件」
著者:加藤 康男
出版社: PHP研究所
発売日: 2011/5/18
2013/05/14
蒋介石が愛した日本(書籍)
しかし、本書を読み進める上で、次第に蒋介石が本当に、そして実は日本が大好きであったということと、それを中国民衆に悟れないように、特に身内の人間にはその思いを悟られないようにしていたのはビックリだった。なにしろ、清朝崩壊後の中国では、どこもかしこも中国がめちゃくちゃになっていており、そんな時代では日本はロシアの勝ち、規律が正しく統制よく戦い、そして近代的な国家になっていたことはアジアのなかではぬきんで居てわけで、そんな日本に憧れを持っていたアジア諸国の人たちは多かったが、蒋介石もそのうちの1人であったようだ。
当時の日本への留学は各人の思いと何を修得していくのかということ自体で変わるとおもうのだが、蒋介石は中国を国家として強国にするため、日本から学べるものは何かと考えたときに、中国人には成し得ていない軍の規律を学ぶために日本に留学してきた。ここはいろいろな本で記載されていることなのだが、その留学地、新潟の高田の駐屯地での生活というのはほとんどの本では記載されていない。短い期間でしか高田には居なかったようだが、この中でよい上官に出会い、日本人の心からの良さを知ったことは蒋介石に衝撃的だったことだろう。
その後にも何度も日本にきて、中華革命・国家統一のために日本の要人ともあっていたということは知らなかったので、なぜ日本や蒋介石の研究をしている人たちはこれまでこの事実を言わなかったのだろうということが不思議であるということと、日本の要人と話をしていたときには日本語で話をしていたというのもビックリした。英語が話せないために、ヤルタ会議では英語で会話されていたイギリス、アメリカ、ソ連の指導者と会話ができず、奥さんの宋美齢が通訳をしていたというのは有名な話だったが、日本人との会話では日本語で話し、通訳が要らなかったこともビックリだ。そして、のちに結婚する宋美齢が日本嫌いであったため、奥さんの家からの資金を充てにしていた蒋介石にとっては、日本語を話し、日本が好きで、日本人を良いと思っていること自体は隠すべき事項であったことは悲しいことだったろう。
日中戦争が始まり、日本軍が中国の土地を侵食していくのは蒋介石にとっては苦々しいことだったのは当然だろう。だが、そのような状態になっても、蒋介石は日本の軍隊を憎んでいたとしても、日本人の良さを肌身で知っていることと、日本の皇室・日本人・日本の国家を愚弄するようなことは絶対なく、中華民国人に対しても決して日本を愚弄するようなことは許さなかったというのは素晴らしい姿勢である。軍人の思想が悪く、日本が悪いということではないというのは、台湾にもそのまま残る思想であり、中国大陸の中でも多くの人は頭では理解している思想である。ただ、残念ながら中国大陸の場合、共産党というどうしようもない独裁組織が民衆を押さえつけているため、民衆からの反感を共産党がモロに受けるのが怖いためか、思想教育として日本はすべてが悪いと教えていることは、本当に信じている中国人にとってはかわいそうなことだ。本当なら戦時中もこれと同じことが中国で教育とされてもよかったはずだが、それを蒋介石は絶対許さなかったし、たぶん周りにいる宋美齢や部下にとっては、蒋介石はなんで日本に対してそんなに甘いんだ?というようなことを本気で思っていたことだろう。
それが決定的に露呈されたのが、西安事件として起こったことだろう。ぜんぜん日本軍に対して戦おうとしない姿勢にいらだった、日本人に父親がぶっ殺されたことを非常に恨んでいた張学良は蒋介石を軟禁し、共産党本部に連れて行き日本人と戦えと脅すのは、蒋介石にとっては苛立ったことだろう。なぜ日本人のことを知らないやつに、日本のことをとやかく言うのだ?そして、何も知らないし、思想的にも破壊しかしない共産党の言うことを聞くのだ?と思ったことだろう。
戦時中には蒋介石はチャーチルやルーズベルトのような聡明さを露わなさなかったと一般的には思われているのだが、実は世界情勢に対してはすこぶる敏感で、当時そんなに情報が発達していなかったわりには、日本国内で起こっている事象や欧米の動きについてもよく知っていた。ところが、共産党によるめちゃくちゃな動きに対してだけは、ゴキブリが勝手に家のなかを駆けずり回っているかのような存在だと思っていたようで、それがどうしても許せなかった。最後の最後まで蒋介石の手を焼いたのは、この共産党。しかし、蒋介石のこの情報力はどこから出てきたのだろうか?それは宋美齢を中心とする英語を理解する人たちの活躍なんだと思う。
書籍「蒋介石が愛した日本」というよりは「日本を愛した蒋介石」という風に名前を換えたほうが良かったんじゃないかと思う内容が散りばめられている。蒋介石の目から見た日本の様子だったら、この本のタイトルの通りでいいと思うのだが、日本のことは大好きであったために蒋介石が何をしたのかという紹介に終始した内容になっているので、やっぱり後者のほうがしっくり来る。従って、日本LOVEと思っていた蒋介石がどんだけ日本に対して庇っていたのかというのを中心に読み取ればいいだろうと思った。
蒋介石が愛した日本
著者:関 榮次
新書: 253ページ
出版社: PHP研究所
発売日: 2011/3/16
2013/02/02
PM2.5とは?
中国からの大気汚染が話題沸騰中だ。PM2.5と呼ばれる微粒子が風に乗って日本にもこれから普通にやってくるというのが問題になっている。そもそもPM2.5っていうのは、粒子の大きさが2.5マイクロメートル以下の微粒子のことで、花粉症対策のマスクでは全然効果が無く、PM2.5は花粉よりも数千分の1しか大きさがないので、あんなマスクなんかささーっと通り抜けてしまうというためである。
なぜ中国からこんな物質がやってくるということになったかというと、中国のこれまでの急激な経済成長による環境破壊が原因であるのは言うまでも無い。でも、これは日本が経済成長する際に公害問題という絶対避けて通れないところを経験した時と同じように、いまの中国がまさしく日本の1960年から1970年代で経験した状態を短期間で行っているだけのことだ。しかし、あまりにもその成長が急激すぎるために、中国政府としては、公害を抑えて経済成長が止まると、今度は経済成長のストップによる国民の不満が政府に跳ね返ってくることをただ恐れているから、公害は出ても経済成長のストップは絶対に止められないという、もうほとんど病的な縛りに勝手に陥っている状態であるのが現状だ。
PM2.5の原因は石炭などの燃焼で生じる細かいちりのことであり、これは肺に入るとそのまま肺に張り付いて喘息になるきっかけである。中国の場合は、工場の煙突から有害物質は出ているのは当然なのだが、実は一般家庭からもバンバン排出しているのも原因である。なぜかというと、石油ストーブだけじゃなく、まだまだ石炭による暖房をとっているところが多いわけで、人口が集中している上海・北京はもちろんのこと、内陸部も含めて全面的にPM2.5の発生はどこから出てもおかしくない状態なのである。そして、中国政府はこのPM2.5の発生する原因を押さえ込むようなことは全くしていない。これをすると、中国国民の生活に支障が出てくるのは当然分かっているからである。だからといって、急激に原発をバンバン作って、全部電気でまかなえるかというと、そこまでの投資はどうやら中国ではやらないらしい。さすが、公共に関しては全く金にならないために、金にならないことには働きもしないという考えがある国だ。日本の場合は公害問題を期に「公を守ることが重要」という風潮が整っている環境がある。中国はまだそれが無い。
PM2.5の重大な発生源になっている中国だが、今後はPM2.5だけじゃなく黄沙も一緒にやってくる。黄沙とPM2.5が一緒にやってきたら、もう日本人は手の施しようが無い。少しは分散されて、日本に不時着するときには少しは拡散していると思われるが、それでも無しになるということはない。PM2.5が黄沙にくっ付いて、風に乗って日本にやってくるというのがこれからの季節に行われる。しかし、PM2.5のことは今年になって始まったことではなく、こんなのはもっと前から飛んできていたことだと思う。だから、今年になって中国からPM2.5の飛来に対して恐怖があるというのは、ちょっと不思議な話だ。ただ、去年よりは確実に北京の空は酷いことになっているのは事実である。青天の日でもほとんど真っ暗な状態になっている空になっているのが北京。昼間でも車のライトを点灯しないと全く前が見えない状態は、もうほとんど火山灰が降ってきたのと同じときだ。これでは昼間に外を歩いていると、いきなり車がやってきて車に轢かれるということになりそうだ。さらにいうと、こんなに真っ暗になるくらいの空気の中を歩こうなんていうのは思いたくも無いのだろう。
花粉症の時期になると世の中はマスクをしている人たちが結構いっぱい見かけることになるのだが、テレビで映る北京の街中では、普段使用しているマスクではPM2.5は全く役に立たない。なぜなら花粉よりも全然小さい大きさのPM2.5の物質はあの程度のマスクじゃ普通にマスクを透過して口の中に入る。それじゃ、日本では対応の方法がないのか?というと実はある。医療用のマスクとして使われているもので、N95規格マスクというものがあり、これだと対応可能だ。N95という規格は、アメリカで作られたものではあるが、フィルタの細かさを表す指標のこと。空力学的質量径でおおよそ0.3μmの粒子が95%以上捕集できるという意味のことである。PM2.5はこの粒子よりは大きな粒子であるために、マスクとしては対応可能であるというのは、この規格で対応可能だからだという意味である。
ただし、N95規格マスクは結構高い。それに一般の薬局ではなかなか日本では見つからないのだが、香港あたりだと実は前から騒がれているために、結構お手軽に手に入る。というのも、やはり鳥インフルエンザの発生と拡大にその起因があるのだと思われる。日本でも大々的に鳥インフルエンザのことが流行ったときもそうだが、福島原発がぶっ壊れたあとの空気上に放射能が一気に漏れたときにも、騒がれ始めたときに香港から「マスク送ってあげようか?」という連絡が結構あった。なので、N95マスクの存在は前から知っていたのだが、原発爆発による放射能拡散の時には眼に見えないものであるからということもあるのだが、半分諦めていた。特に呼吸が困難になるわけじゃなく、徐々に放射能に犯されるということは分かっていたからである。ところがPM2.5の場合は、肺の中に付着すると息苦しくなることは分かっているので、だったら先にN95マスクを買って、これを口の中に入ってくるのを防ぎたいと思ったのである。
薬局やドラッグストアに行ったら全然商品が置いてなかったので、仕方なく楽天のサイトにアクセスしてみて、商品検索をしてみる。もともと楽天ポイントは結構持っていたのだが、これは溜まるだけ溜まって、まったく使っていなかったので、このときに使うのも良いだろうとおもって調べてみたこともある。しかし、調べてみて分かったのだが、3M社製のN95マスク 9010N95(1箱50枚入)の値段が1箱あたり6,825 円。結構高いじゃないか!でも、ポイントを使うにはこういうときにしか使うことが無いので使ってみた。そして、どういうものかフィット感もわからないし、効果もよくわからないので、1箱だけ買ってみることにした。まだ楽天は在庫があったのだが、そのうち楽天でさえも在庫がなくなる可能性がある。それは世の中にN95マスクが知れ渡って、ドラッグストアにも存在しないからネットで買おうとするひとが増えるだろうということが考えられるからだ。
N95マスクはカップ型のマスクであり、普通の綿のマスクに比べると、本当になにか空気を塞いでいるというのがよくわかるものだった。しかし、このマスク、ちょっと難点があった。普通のマスクは耳に紐をかけるような形で口を塞ぐのだが、このマスクは上下に分かれたゴムを頭の後ろに回してつけるものだ。ちょうど、感覚としては、ふた股に分かれている水中眼鏡の紐が頭蓋骨で固定するようになるのと同じである。だから、一度マスクをつけると、しばらく外すのはいやになるくらいだし、第一髪の毛をセットしている人は、マスクをつけるときに、一度髪の毛がめちゃくちゃになるという欠点があるのだ。ただ、これをガマンすれば、マスクによってどんな汚い空気も全部防いでくれるという安心感は絶対ある。
マスクのほかに、家でやるべきことは、花粉症の家には絶対存在する家電製品として、空気洗浄器があるのだが、これを買うことだ。中国では、シャープのプラズマクラスタ機能がある空気洗浄器が爆発的に売れているということが知られている。1台だけじゃなく、同じ部屋に数台の空気洗浄器を使って良い空気にしているという中国人家庭が多いようだ。日本でも空気洗浄器はいまや必須になったものだと感じられる。うちでもエアコン兼空気洗浄器があるので、今の家では空気洗浄器に特化した家電は自分の部屋だけにおいているが、リビングではエアコン兼の空気洗浄器で稼動している。しかし、この空気洗浄器でどれだけ空気を綺麗にしているのかというのは本当のところ微妙だ。
日本でもPM2.5の空気については話題になっているのだが、どれだけ地元の空気が汚れているのか、良い状態なのかというのは環境省のサイトからみることが可能だ。ニュースで「今日はヒドイ」ということが流れると、すぐにこのサイトが重くなって、ほとんどリプライが出てこないというくらいの盛況になる。しかし、PM2.5の濃度がどの程度になっているのかは注目していたほうが良い。それよりも、一般的に、光化学スモッグが発令された場合には、地域の防災アナウンスで「発生しました」というのが流れるが、PM2.5の濃度があがったというときには、まだどの地方自治体も「発生しました」というアナウンスを流すルールが作られていないように思われる。となると、住民自体が自主的に調べて、外出しないとか、家の空気の状態を努力して良いものに保つということをしなければならないわけだ。行政の対応が遅いといわれればそのままだが、なかなか行政側も年間費用というのが最初に決められているので、その範疇外の目的で金を使うのはなかなか難しいのだろう。
微小粒子状物質(PM2.5)に関する情報
URL : http://www.env.go.jp/air/osen/pm/info.html
東京都の大気汚染地図情報
URL : http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/cgi-bin/bunpu1/p101.cgi
なぜ中国からこんな物質がやってくるということになったかというと、中国のこれまでの急激な経済成長による環境破壊が原因であるのは言うまでも無い。でも、これは日本が経済成長する際に公害問題という絶対避けて通れないところを経験した時と同じように、いまの中国がまさしく日本の1960年から1970年代で経験した状態を短期間で行っているだけのことだ。しかし、あまりにもその成長が急激すぎるために、中国政府としては、公害を抑えて経済成長が止まると、今度は経済成長のストップによる国民の不満が政府に跳ね返ってくることをただ恐れているから、公害は出ても経済成長のストップは絶対に止められないという、もうほとんど病的な縛りに勝手に陥っている状態であるのが現状だ。
PM2.5の原因は石炭などの燃焼で生じる細かいちりのことであり、これは肺に入るとそのまま肺に張り付いて喘息になるきっかけである。中国の場合は、工場の煙突から有害物質は出ているのは当然なのだが、実は一般家庭からもバンバン排出しているのも原因である。なぜかというと、石油ストーブだけじゃなく、まだまだ石炭による暖房をとっているところが多いわけで、人口が集中している上海・北京はもちろんのこと、内陸部も含めて全面的にPM2.5の発生はどこから出てもおかしくない状態なのである。そして、中国政府はこのPM2.5の発生する原因を押さえ込むようなことは全くしていない。これをすると、中国国民の生活に支障が出てくるのは当然分かっているからである。だからといって、急激に原発をバンバン作って、全部電気でまかなえるかというと、そこまでの投資はどうやら中国ではやらないらしい。さすが、公共に関しては全く金にならないために、金にならないことには働きもしないという考えがある国だ。日本の場合は公害問題を期に「公を守ることが重要」という風潮が整っている環境がある。中国はまだそれが無い。
PM2.5の重大な発生源になっている中国だが、今後はPM2.5だけじゃなく黄沙も一緒にやってくる。黄沙とPM2.5が一緒にやってきたら、もう日本人は手の施しようが無い。少しは分散されて、日本に不時着するときには少しは拡散していると思われるが、それでも無しになるということはない。PM2.5が黄沙にくっ付いて、風に乗って日本にやってくるというのがこれからの季節に行われる。しかし、PM2.5のことは今年になって始まったことではなく、こんなのはもっと前から飛んできていたことだと思う。だから、今年になって中国からPM2.5の飛来に対して恐怖があるというのは、ちょっと不思議な話だ。ただ、去年よりは確実に北京の空は酷いことになっているのは事実である。青天の日でもほとんど真っ暗な状態になっている空になっているのが北京。昼間でも車のライトを点灯しないと全く前が見えない状態は、もうほとんど火山灰が降ってきたのと同じときだ。これでは昼間に外を歩いていると、いきなり車がやってきて車に轢かれるということになりそうだ。さらにいうと、こんなに真っ暗になるくらいの空気の中を歩こうなんていうのは思いたくも無いのだろう。
花粉症の時期になると世の中はマスクをしている人たちが結構いっぱい見かけることになるのだが、テレビで映る北京の街中では、普段使用しているマスクではPM2.5は全く役に立たない。なぜなら花粉よりも全然小さい大きさのPM2.5の物質はあの程度のマスクじゃ普通にマスクを透過して口の中に入る。それじゃ、日本では対応の方法がないのか?というと実はある。医療用のマスクとして使われているもので、N95規格マスクというものがあり、これだと対応可能だ。N95という規格は、アメリカで作られたものではあるが、フィルタの細かさを表す指標のこと。空力学的質量径でおおよそ0.3μmの粒子が95%以上捕集できるという意味のことである。PM2.5はこの粒子よりは大きな粒子であるために、マスクとしては対応可能であるというのは、この規格で対応可能だからだという意味である。
ただし、N95規格マスクは結構高い。それに一般の薬局ではなかなか日本では見つからないのだが、香港あたりだと実は前から騒がれているために、結構お手軽に手に入る。というのも、やはり鳥インフルエンザの発生と拡大にその起因があるのだと思われる。日本でも大々的に鳥インフルエンザのことが流行ったときもそうだが、福島原発がぶっ壊れたあとの空気上に放射能が一気に漏れたときにも、騒がれ始めたときに香港から「マスク送ってあげようか?」という連絡が結構あった。なので、N95マスクの存在は前から知っていたのだが、原発爆発による放射能拡散の時には眼に見えないものであるからということもあるのだが、半分諦めていた。特に呼吸が困難になるわけじゃなく、徐々に放射能に犯されるということは分かっていたからである。ところがPM2.5の場合は、肺の中に付着すると息苦しくなることは分かっているので、だったら先にN95マスクを買って、これを口の中に入ってくるのを防ぎたいと思ったのである。
薬局やドラッグストアに行ったら全然商品が置いてなかったので、仕方なく楽天のサイトにアクセスしてみて、商品検索をしてみる。もともと楽天ポイントは結構持っていたのだが、これは溜まるだけ溜まって、まったく使っていなかったので、このときに使うのも良いだろうとおもって調べてみたこともある。しかし、調べてみて分かったのだが、3M社製のN95マスク 9010N95(1箱50枚入)の値段が1箱あたり6,825 円。結構高いじゃないか!でも、ポイントを使うにはこういうときにしか使うことが無いので使ってみた。そして、どういうものかフィット感もわからないし、効果もよくわからないので、1箱だけ買ってみることにした。まだ楽天は在庫があったのだが、そのうち楽天でさえも在庫がなくなる可能性がある。それは世の中にN95マスクが知れ渡って、ドラッグストアにも存在しないからネットで買おうとするひとが増えるだろうということが考えられるからだ。
N95マスクはカップ型のマスクであり、普通の綿のマスクに比べると、本当になにか空気を塞いでいるというのがよくわかるものだった。しかし、このマスク、ちょっと難点があった。普通のマスクは耳に紐をかけるような形で口を塞ぐのだが、このマスクは上下に分かれたゴムを頭の後ろに回してつけるものだ。ちょうど、感覚としては、ふた股に分かれている水中眼鏡の紐が頭蓋骨で固定するようになるのと同じである。だから、一度マスクをつけると、しばらく外すのはいやになるくらいだし、第一髪の毛をセットしている人は、マスクをつけるときに、一度髪の毛がめちゃくちゃになるという欠点があるのだ。ただ、これをガマンすれば、マスクによってどんな汚い空気も全部防いでくれるという安心感は絶対ある。
マスクのほかに、家でやるべきことは、花粉症の家には絶対存在する家電製品として、空気洗浄器があるのだが、これを買うことだ。中国では、シャープのプラズマクラスタ機能がある空気洗浄器が爆発的に売れているということが知られている。1台だけじゃなく、同じ部屋に数台の空気洗浄器を使って良い空気にしているという中国人家庭が多いようだ。日本でも空気洗浄器はいまや必須になったものだと感じられる。うちでもエアコン兼空気洗浄器があるので、今の家では空気洗浄器に特化した家電は自分の部屋だけにおいているが、リビングではエアコン兼の空気洗浄器で稼動している。しかし、この空気洗浄器でどれだけ空気を綺麗にしているのかというのは本当のところ微妙だ。
日本でもPM2.5の空気については話題になっているのだが、どれだけ地元の空気が汚れているのか、良い状態なのかというのは環境省のサイトからみることが可能だ。ニュースで「今日はヒドイ」ということが流れると、すぐにこのサイトが重くなって、ほとんどリプライが出てこないというくらいの盛況になる。しかし、PM2.5の濃度がどの程度になっているのかは注目していたほうが良い。それよりも、一般的に、光化学スモッグが発令された場合には、地域の防災アナウンスで「発生しました」というのが流れるが、PM2.5の濃度があがったというときには、まだどの地方自治体も「発生しました」というアナウンスを流すルールが作られていないように思われる。となると、住民自体が自主的に調べて、外出しないとか、家の空気の状態を努力して良いものに保つということをしなければならないわけだ。行政の対応が遅いといわれればそのままだが、なかなか行政側も年間費用というのが最初に決められているので、その範疇外の目的で金を使うのはなかなか難しいのだろう。
微小粒子状物質(PM2.5)に関する情報
URL : http://www.env.go.jp/air/osen/pm/info.html
東京都の大気汚染地図情報
URL : http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/cgi-bin/bunpu1/p101.cgi
2013/01/06
日中韓 新・東洋三国事情(書籍)
著者は中国生まれの韓国人三世で、日本に帰化した人に。その人が日本・韓国・中国に住んでいるそれぞれの国民性の比較論を記載しているというから、どんな内容なのかというのが気になっていた。しかし読んでみて非常に不快極まりない内容だったし、日本人をこんなにバカにした内容だったとは吃驚した。
当の本人は、中国のことも、韓国のことも、日本のこともよく知っているという知ったかぶりな言い方をして、さも3者の違いがわかるのは私だけみたいなニュアンスで記載されているが、単なる日本人を陥れ、中国人が一番素晴らしいというようなことを記載しているし、韓国人なんか世界中で嫌われているクソ犬なのにも係らず、そこには全く触れないで韓国人は日本人より優れている調の記載で書かれていることばかりだったから、内容を読み進むにつれて、一体この本は何が言いたいのか、そして何を目的としたものなのかというのを改めて問いただしたいところである。
社会性、性的志向、他国に対する思想、自国民に対する考え方などなど、多方面における日中韓の三国の違いを述べているのだが、これがことごとく、日本が一番劣っている、または日本が一番人間性が形成されていないといわんばかりのことを結果論として述べているところが腹立たしい。そして、なによりも動く暴走族のような中国人および遅れてきた中華思想の持ち主の韓国人のほうが世界的には素晴らしいし認められていることだといわんばかりのことも書いているのも気に食わない。それでいて、よくも三ヶ国のことをよくわかっていると言えた者だと思う。
論述としての切り込み方の面は素晴らしいと思われるが、せっかくその切り口でいったのに、なぜ結果的に日本人が一番ダメみたいになっちゃうわけ?と読み進めるうちに、だんだん読むのがイヤになってきた。ただし、一般的な考え方ではなく、この著者の考え方を表現化しているので、こういうことを考えるひともいるんだなという参考資料として読むのであれば、なんの問題もない。ただ、その考え方が「私が標準的な考え方です」と表現するような言い方は止めて欲しい。私が中国的であり、韓国的であり、日本的な考えを持っている臨機応変に対応できる人物だということをアピールしたいのだろうか、それはわからない。
なんだか久しぶりに後味の悪い本に出くわしたという気がした。が、何度かこの本はあとで読むべき内容だとは思う。この著者が考えたというのであれば、おそらく類似思想を持った韓国・中国の両国民にいるんだと参考になるからである。
日中韓 新・東洋三国事情
著者:金 文学
文庫: 296ページ
出版社: 祥伝社
発売日: 2011/2/5
当の本人は、中国のことも、韓国のことも、日本のこともよく知っているという知ったかぶりな言い方をして、さも3者の違いがわかるのは私だけみたいなニュアンスで記載されているが、単なる日本人を陥れ、中国人が一番素晴らしいというようなことを記載しているし、韓国人なんか世界中で嫌われているクソ犬なのにも係らず、そこには全く触れないで韓国人は日本人より優れている調の記載で書かれていることばかりだったから、内容を読み進むにつれて、一体この本は何が言いたいのか、そして何を目的としたものなのかというのを改めて問いただしたいところである。
社会性、性的志向、他国に対する思想、自国民に対する考え方などなど、多方面における日中韓の三国の違いを述べているのだが、これがことごとく、日本が一番劣っている、または日本が一番人間性が形成されていないといわんばかりのことを結果論として述べているところが腹立たしい。そして、なによりも動く暴走族のような中国人および遅れてきた中華思想の持ち主の韓国人のほうが世界的には素晴らしいし認められていることだといわんばかりのことも書いているのも気に食わない。それでいて、よくも三ヶ国のことをよくわかっていると言えた者だと思う。
論述としての切り込み方の面は素晴らしいと思われるが、せっかくその切り口でいったのに、なぜ結果的に日本人が一番ダメみたいになっちゃうわけ?と読み進めるうちに、だんだん読むのがイヤになってきた。ただし、一般的な考え方ではなく、この著者の考え方を表現化しているので、こういうことを考えるひともいるんだなという参考資料として読むのであれば、なんの問題もない。ただ、その考え方が「私が標準的な考え方です」と表現するような言い方は止めて欲しい。私が中国的であり、韓国的であり、日本的な考えを持っている臨機応変に対応できる人物だということをアピールしたいのだろうか、それはわからない。
なんだか久しぶりに後味の悪い本に出くわしたという気がした。が、何度かこの本はあとで読むべき内容だとは思う。この著者が考えたというのであれば、おそらく類似思想を持った韓国・中国の両国民にいるんだと参考になるからである。
日中韓 新・東洋三国事情
著者:金 文学
文庫: 296ページ
出版社: 祥伝社
発売日: 2011/2/5
2012/12/01
愛と欲望の中国四〇〇〇年史
日本ではAVがたくさん売られているので、日本人は変態だという話を、特に中国系のひとたちから聞くのだが、同じ人間なのだから、変態の世界、性の世界というのはどこの世界でも似たように欲望はあるし、それをどう実現するかは文化の問題であって、なんらかの表現があるものだと思っていた。日本のAVが流行っているのは、世界的に見てロリ系が受けているだけであり、ゲイの世界だと、ゲイビデオの多さは群を抜いて多いのはわかりやすい。海外から見ると、日本の25歳から35歳くらいのAVモデルは全然モテる要素がなく、それにひっかかるのは同じアジア系の視聴者だけであるというのはわかる。演技をしているモデルの実年齢は30歳くらいだとしても、見た目が20歳くらいとして演出しているほうがやっぱり海外ではウケている。と、これまでは日本でのエロの表現だけのことは分かりやすいほどに資料が豊富に揃っているが、そういえば、中国のエロって今も昔もどうなっているんだろうというのを良く知らない。一方的に中国系のひとたちに日本人全体が変態扱いされているのも納得いかないので、なんらかの情報はないのか?と探していたところに良い教材があった。
中国生まれの在日韓国人3世の著者が書いた「愛と欲望の中国四〇〇〇年史」という本は、自分が中国でのエロ系の潜在的な欲望やその表現方法や思想についてどうなっているんだろうと考えていたことのほとんどすべてが掲載されていて、すごい本だと思ったものである。ここに書かれている内容を知っていれば、中国、台湾、シンガポールのような地域に行ったときに、エロ系の話題で日本人がバカにされるような言いっぷりを主張されたときには、反論するための材料が豊富に揃っているので、是非参考にしたい本だ。
中国史は異民族との戦闘と内紛しかないものかと思っていたのだが、その内紛の原因には結構性欲による闘争によって、政治や国がめちゃくちゃになるということも多かったことを知る。三国志や大航海時代や国共内戦なんていうのが持て囃されているよりも、実は裏で行われている性欲による政治混乱のほうがよっぽど実は中国史のなかで重要なんじゃないのかというようなことが分かってきた。俗に「女によって国が滅ぶ」というのは、よく言われたことなのだが、中国史はまさしくこれに当たる。その例を著者はたくさん示しているために、もう納得することばかりだ。
漢字が好きなひとにとっては、その漢字がどうして作られたかということに興味が出ることだろう。「色」は後背位のポーズから、「吊」という字は、男のチンコをそのまま象形文字化したというのも面白い。
それよりも実際にエロに対してどう接してきたかということが一番興味があるところだ。有名なところだと、女性の纏足だが、これは纏足のエロチシズムへ探求というのがすごい。纏足なんて見るだけのものかと思っていたのだが、そうではなく、纏足を使って遊ぶという「玩蓮」には、聴覚的に1種類、視覚的に4種類、嗅覚的に1種類、触覚的には46種類もの遊び方があるらしい。触覚的なもののなかには、口を使うものが6種類、手を使うものが28種類、足を使うものが4種類、肩を使うものが3種類、体を使うものが4種類とあり、それぞれの玩蓮の遊び方として名前がついているのが面白い。詳しくは本書の中に記載しているので、この纏足をつかっての遊び方に対する変態的行為の具体的な内容はそこで確認してほしいのだが、これだけ読んだだけでも、変態趣味もここまで来ると滑稽に感じる。
それから一夫多妻制が実は中国でも普通のことであり、妾制度は中国ではごく当たり前のことで、これは現代でも実は繋がっている話である。そして、驚いたことに、寝室というものは日本だと密室になっているのが普通と考えるところなのだが、中世までの中国では、特に仕切りを設けることはなく、誰もがその様子を垣間見ることができるくらいの開放的な性生活だったようである。ほとんど露出趣味というのと同じだ。それを横から見ている他人というのも、結構中国の絵画にも出てくるくらいのものだというのはおもしろい。
また、今でも中国では行われていることが人肉が精力剤になると考えているということ。三国志でも水滸伝でも西遊記でも、普通に話の中に人を食うという場面は出てくるし、中国の正史にも人肉を重用したという記録はたくさん出てくるので、人肉を食べていたということは普通のことだった。そして現代でも、たまに話題になるが、稚児の肉が若返りになるという理由でブラックマーケットで売られているとか、あとは生まれてすぐの子供の最初の尿が健康に良いと言われて高値で取引されているというのもニュースになるのだが、これもすべて人肉にまつわる風習が太古から中国には存在していることの伝統でしかない。なかなか人肉を食するというエピソードをいろいろ本書では説明しているのだが、これがすごいおもしろいから一読をお勧めしたい。
中国人がよく日本のアダルトビデオを観て、日本人はビデオに出てくるようなセックスを全員がしていると本当に信じていたりしてびっくりするのだが、それはTVドラマ「あぶない刑事」を見て、刑事はしょっちゅうピストルでバンバン撃っているんだというのを本当に思っているのとほとんど同じであり、おもしろい思想だなと何度も思ったことがある。あくまでもビデオの世界はフィクションであり、エンターテイメントであるのだが、なぜか身近に思えるような人が画面でやっていることは「本当の事」と信じてしまう幼稚な頭の中国人にどうやったら「あれはウソの世界だから」と説明するのが苦労することかと毎回思う。ところが、中国文化だって負けてないくらいポルノに対しては歴史的にたくさん作品を残している。有名なところでいえば「金瓶梅」や「肉蒲団」があるが、それだけじゃなく、もっと卑猥な小説は中国にはたくさん存在している。特に明の時代の作品は、ボーイズラブや官能小説なんかよりもエロだらけで、これが映像化していないだけというだけのものが多い。「如意君伝」「痴婆子伝」「繍榻野史」などなど、数え切れない作品が存在する。そして、ほとんどがベッドの上での場面を描写したところばっかりだというから、ほとんど文章によるエロとしか思えない。
そして極めつけは、なんといっても「房中術」だろう。皇帝から一般庶民まで中国人は多かれ少なかれ、「辟穀」「服飾」「導引」「房中」という4つの流派をたくみに利用して長寿を目指している。その中でも「房中」というのが、セックスをうまくコントロールすることで精力を補充し、長寿仙人になれるというもの。簡単に言うと「1日に10人の女とセックスをしても、絶対に射精をしないこと」というのが核心の部分である。男が陽気を抜かれることは禁物であり、射精は男の生気を失うことという考えを持っている。それが「還精補脳説」という考えに繋がってくるのだが、このばかげた幻想が実は中国人には秘術だと思われていたようである。
それと同時に、男女の性器を評する「五好五不好」という基準があったのが面白い。女性の場合は「緊」「暖」「香」「乾」「浅」なのだが、これは字を見ただけで分かりやすい。男性の場合は「大」「硬」「堅」「渾」「久」である。このなかで「渾」は長居ということ、「硬」と「堅」の違いは、「硬」は文字通り硬いということ、「堅」は丈夫だということ。しかし、男性の場合は一物だけではなく、「潘」「驢」「鄧」「小」「閑」というのも必要だという。「潘」は美男子という意味、「驢」は性器がロバみたいに巨大じゃないといけないという意味、「鄧」は金があること、「小」は細心に繊細にウカツに行動するよりも前後を良く推し量って行動するということ、「閑」は時間的に余裕があるということである。これは現代でも同じことが言えるのではないのだろうか?
そして毛沢東の自体には性風俗自体が低俗なものとしてタブー視されてしまった。この時代に生まれてきた人、そしてその時代に教育を受けたひとを親に持つ人は、エロ系のことを話題にすると、「それは低俗のことだ」と拒否反応を起こす。実際に自分たちはセックスをしているのに、変に曲がった情報しか耳に入ってこないように仕向けてしまったため、性に対して当然のことと先端的に接している日本のアダルトビデオの世界をみて「これは日本人はこういうことをしているんだろう」と単刀直入に思ってしまっている結果を生んでいる。すべてはまともに性教育を受けていないために出てきた弊害なのだが、これは南京大虐殺に関する間違った事実がいかにも正史だと教えてきた中国の政府の考え方を本気で信じ込んできてしまっている中国人が多いことと同じなのである。
だから、この本を読んで、中国人から「日本人って変態だよねー」といわれたら、すかさず、「お前らだって、マンコやケツに挿れているんだから、同じだ」と返答しておけばいいし、もっと理論的に対決するんであれば、この本に記載されている実例を全部あげて、相手をグウの音も出ないようにすれば良いだけである。良書だとおもう。
愛と欲望の中国四〇〇〇年史
著者:金 文学文庫: 288ページ
出版社: 祥伝社 (2010/2/5)
文庫: 288ページ
発売日: 2010/2/5
中国生まれの在日韓国人3世の著者が書いた「愛と欲望の中国四〇〇〇年史」という本は、自分が中国でのエロ系の潜在的な欲望やその表現方法や思想についてどうなっているんだろうと考えていたことのほとんどすべてが掲載されていて、すごい本だと思ったものである。ここに書かれている内容を知っていれば、中国、台湾、シンガポールのような地域に行ったときに、エロ系の話題で日本人がバカにされるような言いっぷりを主張されたときには、反論するための材料が豊富に揃っているので、是非参考にしたい本だ。
中国史は異民族との戦闘と内紛しかないものかと思っていたのだが、その内紛の原因には結構性欲による闘争によって、政治や国がめちゃくちゃになるということも多かったことを知る。三国志や大航海時代や国共内戦なんていうのが持て囃されているよりも、実は裏で行われている性欲による政治混乱のほうがよっぽど実は中国史のなかで重要なんじゃないのかというようなことが分かってきた。俗に「女によって国が滅ぶ」というのは、よく言われたことなのだが、中国史はまさしくこれに当たる。その例を著者はたくさん示しているために、もう納得することばかりだ。
漢字が好きなひとにとっては、その漢字がどうして作られたかということに興味が出ることだろう。「色」は後背位のポーズから、「吊」という字は、男のチンコをそのまま象形文字化したというのも面白い。
それよりも実際にエロに対してどう接してきたかということが一番興味があるところだ。有名なところだと、女性の纏足だが、これは纏足のエロチシズムへ探求というのがすごい。纏足なんて見るだけのものかと思っていたのだが、そうではなく、纏足を使って遊ぶという「玩蓮」には、聴覚的に1種類、視覚的に4種類、嗅覚的に1種類、触覚的には46種類もの遊び方があるらしい。触覚的なもののなかには、口を使うものが6種類、手を使うものが28種類、足を使うものが4種類、肩を使うものが3種類、体を使うものが4種類とあり、それぞれの玩蓮の遊び方として名前がついているのが面白い。詳しくは本書の中に記載しているので、この纏足をつかっての遊び方に対する変態的行為の具体的な内容はそこで確認してほしいのだが、これだけ読んだだけでも、変態趣味もここまで来ると滑稽に感じる。
それから一夫多妻制が実は中国でも普通のことであり、妾制度は中国ではごく当たり前のことで、これは現代でも実は繋がっている話である。そして、驚いたことに、寝室というものは日本だと密室になっているのが普通と考えるところなのだが、中世までの中国では、特に仕切りを設けることはなく、誰もがその様子を垣間見ることができるくらいの開放的な性生活だったようである。ほとんど露出趣味というのと同じだ。それを横から見ている他人というのも、結構中国の絵画にも出てくるくらいのものだというのはおもしろい。
また、今でも中国では行われていることが人肉が精力剤になると考えているということ。三国志でも水滸伝でも西遊記でも、普通に話の中に人を食うという場面は出てくるし、中国の正史にも人肉を重用したという記録はたくさん出てくるので、人肉を食べていたということは普通のことだった。そして現代でも、たまに話題になるが、稚児の肉が若返りになるという理由でブラックマーケットで売られているとか、あとは生まれてすぐの子供の最初の尿が健康に良いと言われて高値で取引されているというのもニュースになるのだが、これもすべて人肉にまつわる風習が太古から中国には存在していることの伝統でしかない。なかなか人肉を食するというエピソードをいろいろ本書では説明しているのだが、これがすごいおもしろいから一読をお勧めしたい。
中国人がよく日本のアダルトビデオを観て、日本人はビデオに出てくるようなセックスを全員がしていると本当に信じていたりしてびっくりするのだが、それはTVドラマ「あぶない刑事」を見て、刑事はしょっちゅうピストルでバンバン撃っているんだというのを本当に思っているのとほとんど同じであり、おもしろい思想だなと何度も思ったことがある。あくまでもビデオの世界はフィクションであり、エンターテイメントであるのだが、なぜか身近に思えるような人が画面でやっていることは「本当の事」と信じてしまう幼稚な頭の中国人にどうやったら「あれはウソの世界だから」と説明するのが苦労することかと毎回思う。ところが、中国文化だって負けてないくらいポルノに対しては歴史的にたくさん作品を残している。有名なところでいえば「金瓶梅」や「肉蒲団」があるが、それだけじゃなく、もっと卑猥な小説は中国にはたくさん存在している。特に明の時代の作品は、ボーイズラブや官能小説なんかよりもエロだらけで、これが映像化していないだけというだけのものが多い。「如意君伝」「痴婆子伝」「繍榻野史」などなど、数え切れない作品が存在する。そして、ほとんどがベッドの上での場面を描写したところばっかりだというから、ほとんど文章によるエロとしか思えない。
そして極めつけは、なんといっても「房中術」だろう。皇帝から一般庶民まで中国人は多かれ少なかれ、「辟穀」「服飾」「導引」「房中」という4つの流派をたくみに利用して長寿を目指している。その中でも「房中」というのが、セックスをうまくコントロールすることで精力を補充し、長寿仙人になれるというもの。簡単に言うと「1日に10人の女とセックスをしても、絶対に射精をしないこと」というのが核心の部分である。男が陽気を抜かれることは禁物であり、射精は男の生気を失うことという考えを持っている。それが「還精補脳説」という考えに繋がってくるのだが、このばかげた幻想が実は中国人には秘術だと思われていたようである。
それと同時に、男女の性器を評する「五好五不好」という基準があったのが面白い。女性の場合は「緊」「暖」「香」「乾」「浅」なのだが、これは字を見ただけで分かりやすい。男性の場合は「大」「硬」「堅」「渾」「久」である。このなかで「渾」は長居ということ、「硬」と「堅」の違いは、「硬」は文字通り硬いということ、「堅」は丈夫だということ。しかし、男性の場合は一物だけではなく、「潘」「驢」「鄧」「小」「閑」というのも必要だという。「潘」は美男子という意味、「驢」は性器がロバみたいに巨大じゃないといけないという意味、「鄧」は金があること、「小」は細心に繊細にウカツに行動するよりも前後を良く推し量って行動するということ、「閑」は時間的に余裕があるということである。これは現代でも同じことが言えるのではないのだろうか?
そして毛沢東の自体には性風俗自体が低俗なものとしてタブー視されてしまった。この時代に生まれてきた人、そしてその時代に教育を受けたひとを親に持つ人は、エロ系のことを話題にすると、「それは低俗のことだ」と拒否反応を起こす。実際に自分たちはセックスをしているのに、変に曲がった情報しか耳に入ってこないように仕向けてしまったため、性に対して当然のことと先端的に接している日本のアダルトビデオの世界をみて「これは日本人はこういうことをしているんだろう」と単刀直入に思ってしまっている結果を生んでいる。すべてはまともに性教育を受けていないために出てきた弊害なのだが、これは南京大虐殺に関する間違った事実がいかにも正史だと教えてきた中国の政府の考え方を本気で信じ込んできてしまっている中国人が多いことと同じなのである。
だから、この本を読んで、中国人から「日本人って変態だよねー」といわれたら、すかさず、「お前らだって、マンコやケツに挿れているんだから、同じだ」と返答しておけばいいし、もっと理論的に対決するんであれば、この本に記載されている実例を全部あげて、相手をグウの音も出ないようにすれば良いだけである。良書だとおもう。
愛と欲望の中国四〇〇〇年史
著者:金 文学文庫: 288ページ
出版社: 祥伝社 (2010/2/5)
文庫: 288ページ
発売日: 2010/2/5
2012/08/19
香港ヤクザが尖閣諸島へ上陸
日本は領土に対してあまり重く考えたことがなかった国家なのかもしれない。古くからは北方領土のことでロシアと対決しているが、最近のところだと竹島だろう。そして、南西では沖縄の尖閣諸島の問題と、どれもこれも国境に関して、海に囲まれているから、ちょっと領土が減ったといってもそれはたいしたことが無いというような考えが前からあるに違いない。陸続きのような国家の場合は、どこが自国領であるかということは非常に重要だと考えている。そこまで土地があるということは、それだけその土地を自分たちの好きにできるからである。農業として使っても良いし、工業地帯としても使っても良いわけだ。日本の場合の国境というのは海であり、国境は他国から攻められてきたときの防御線でしか考えておらず、それを自然にやってくれる海はありがたいし、金をかけなくても勝手に国防ができるものとおもっているところがあるのが甘かった。海の重要性は漁業だけには関係するとしてしか思わなかったので、住民が住める・住めないに関わらず沖合いにある島の存在意義について今まで深く考えたことがなかったのだろうと思う。
石原都知事の生涯の政治目的である尖閣諸島の問題排除は、東京都が尖閣諸島を購入するという宣言まで飛び出すことになった。国家がなにもしないなら尖閣諸島は東京都が買い取るという政治意図は素晴らしい。飛び地に東京都ができるのがだめなんじゃないのか?と意味不明なことを言うのだが、飛び地のことをいうんだったら、全国あちこちにある飛び地の問題のことを先に解決してから文句を言えと言いたいところだ。
さて、そんな状況に飛び出してきたのが香港人活動家による尖閣諸島への強制的上陸だろう。日本政府がいくら主張したとしても「行く」と聞かなかった活動家の行動は、どこまで本気なのかというよりも、これで香港政府は本当のところはどうなっているんだろう?ということだろう。日本政府は、彼らの上陸と同時に逮捕した。これは最初から警告をしていたとおりであるし、それを日本政府は実行しただけである。それはテレビ中継されていたし、日本および香港のテレビ局が双方ですべての事実を報道していた。
だが、報道の仕方と後処理が酷かった。まず、日本政府は上陸したメンバーを逮捕し、そのあと事情聴取をして、そのあとどうしたかと言うと、そのまま帰国させた。沖縄から帰国させたのは良いのだが、これは前回の尖閣諸島領域に侵入してきた漁船に対するビデオを「なかったことにした」処理で海上保安庁職員を懲戒免職にした問題があるために、今回は全部見せたことになるのだが、日本政府は「帰した」とだけ主張した。が、実際には香港政府によるチャーター便により、特別帰国をさせ、さらに彼らはビジネスクラスに搭乗して帰国したというのが本当のところだ。事実、彼らは帰国時に、大々的な大歓迎を受けて「よくやった」と国家をあげての大宣伝に使われたからだ。おまけに、同行取材をしていた香港のテレビ局が香港で流したテレビ放送の内容が早速Youtubeにも流れていたが、香港側の主張だけを一方的にレポートしていた。香港の漁船が日本の海上保安庁の船に暴力的なことをしたことは一切報道ではカット。しかし、それを今度は日本側がリークした。事実は香港側の船からレンガ等々の物が投げ込まれてきたという主張だ。香港は「無抵抗の自分たちに放水で妨害した」と言っているが、これが大間違いなのである。
そこまでしてまで中国になってしまった香港が尖閣を欲しいと思う理由は、全く分からない。実際に香港政府は「出航したら逮捕する」とまで主張していたのだが、あっさりとそれを掻い潜って海上に出してしまった。おまけに香港に戻ってきたときの大歓迎をさせたという事実を作ったこと自体を形式化させた罪は大きい。それだけもう香港政府は独自の政府ということではなく、中国政府の言いなりになってしまっていることの現われだ。中国に返還された後は、香港の独立性は失われるだろうという大方の見方はここでも正解だったということが改めて明白化されたことになる。香港政府がNOでも、中国がYESと言えば、それはYESが正当性のある主張であるということがこれで証明されてしまったことになる。
香港政府としては尖閣があってもなくてもどっちでもいい。なぜなら尖閣があったことで儲けになることがないからだ。香港に住んでいるひとの大半が漁民で、尖閣諸島のあたりを漁場としていて生計に関わってくるというのであれば、それは香港は金儲けができなくなるので必死になって略奪に来るだろう。しかし、いまの香港はそんな第一次産業に従事している人の数を探すほうが皆無に近いということと、金儲けにならないことに命をかけることは全く意味が分からないという根本的な血があるから、尖閣の上陸に対して強い主張をする必要がないのだ。金儲けできるかできないかが、香港の人の判断基準であるのだ。これに該当しないのだから、尖閣に突っ込む必要が無い。しかし、香港は既に中国政府に牛耳られている独立地域なのである。中国がその主張を替えない限り、香港は中国の言いなりである。これが今の香港の経済的な地位の低下にもリンクしてくることになる。中華世界の経済界および芸能界は、香港がその中心地だったのだが、いまではすっかり荒廃化してしまった。芸能界は台湾を中心に移ってしまったし、経済界はシンガポールと上海だ。香港は単なる中国国内の金を世界に出すための洗浄地帯になっているだけである。まだまだ香港に対する世界の信用度は高いからで、中国の金をそのまま世界に出したのであれば、信用度が低いところを香港を通すことで価値あるものにするためにしか使われていないのだ。
そんな香港のところで、金儲けになるのであれば何でもするということと、金儲けのために金づるになってくれるひとに尻尾を振るというのは香港人の悪いくせだが、金がすべての香港人に、主張が一番大事とか宗教が一番大事と言っても「それで飯が食えるのか?」といわれたらそれでグウの根も出なくなる。そこで今回、一番笑える現象は、今回の上陸に参加したメンツを見ればそれはすぐに分かる。今回の上陸メンバおよびそのほか追随してきた人たちは以下の通り。
■上陸したひと
・楊匡(団長):香港の政治団体「人民力量」メンバ
・曾健成:前香港特別行政区立法会議員であり、社民連常委、民主救港力量召集人、保釣行動委員會召集人及で民間ラジオの社長
・伍錫堯:マカオ五邑郷親同盟会会長
・古思堯:香港の街頭示威活動家
・盧鬆昌:專科學校教師
・方暁松:河南人,深圳個體戶
・羅堪就:船主、民間電台及世界華人保釣聯盟成員
■そのほかの人たち
・王化民:香港公民党新界西支部執行委員
・張金満:香港長州地方の漁民
・郭容明:漁民
・張偉民:香港長州地方の漁民
・張偉強:香港長州地方の漁民
・梁培錦:香港フェニックステレビのカメラマン
・蒋暁峰:香港フェニックステレビの記者
この中で上陸した「古思堯」という髭面のオッサンが一番笑える。ここまで特徴のある顔を見れば、一度みたら忘れないと言う人が多く居てもおかしくないのだが、このオヤジ、香港では有名なデモ主宰者の1人であり、デモするためなら標的はなんでもいいというような主張の人。過去には天安門事件に対して中国の国旗は燃やすわ、批難ごうごうな主張はするわで、てっきり中国に対して敵対心むき出しのオッサンと思われていたのだが、今回、中国の言いなりになって率先して船に乗り、さらに上陸もしやがったというおっさん。つまり、デモをするにもバックからの資金が無いとこれは実現できないのだが、今回もバックに中国政府という金づるができたことによって、デモをもっと派手にして、中国のためならなんでもしてやるという宣伝家特有の活動をしたのだろう。金のためならなんでもするという中国人気質そのままである。このおっさんが上陸したことにとって、当の香港人も「なんかおかしい」という風潮があっという間にネット上を駆け巡ったのは当然だ。
尖閣諸島の領有権は、中国が絶対的に分が悪い。分が悪いが、いつものように声をデカくして言ったほうが勝ちだという戦略で来るだろう。NGのものをOKに無理やり使用とするのが昔ながらの中国の戦法。このあたりのやくざ的やり方には、日本をはじめとする東南アジアの国々もへきへきしている。台湾はそう考えると、よくもあの小さい体で巨体と立ち向かったと本当に感心する。中国が何を言ってきても、正統性をいろいろな角度で世界的に日本もアピールする必要があるのは必須なのだが、そこは外務省のチャイナロビーを中心として「事なかれ主義」を貫いているようで、波風が立たないように仕向けていることなのだろうが、いまさら日本が無口になったところで、世界中には情報が配信されているわけなのだが、黙っているほうが悪いという世界的風潮からすると、黙っていることが得策と考える日本はおかしなことをしていると思われる。
また個人的な意見だが、日本はもっと台湾を見方につければ良いと思う。台湾は台湾としてあの島が欲しいといっているわけじゃない。宜蘭から基隆の漁民が魚場としてあのあたりにもいけたほうが彼らの生活が向上するからという理由で主張をしている。尖閣が日本のものであることは百も承知であるのが台湾。敢えて主張しているのは魚場を開放して欲しいからだけのこと。だから、台湾籍の漁船だけがあのあたりで漁業をやることを許可するようにすればいい。しかし、日本は1972年に台湾とは国交断絶しており、さらに台湾は中国の一部という主張にしてしまったから、台湾と仲良くすること自体がなかなか表向きできないと言うことなのだろう。しかし、そうは言っても、台湾を見方にしておいたほうが良い。台湾はあの巨体の中国と対等に渡り合える唯一の国家だからだ。台湾を表に出してしまえば、日本は真っ向勝負しても勝てるはずである。向こうはヤクザでくるわけなのだから、中台の昔の闘争に仕向ければ、必然と日本は尖閣領土は自分たちのもののままになるし、争いに全面的に立つ必要がなくなるのだ。経済的にもまともに日本の企業が中国に工場やら現地事務所を作って、片っ端からだめになっていっているが、これもそれも台湾を仲介しなかったのが悪い。台湾人は中国人の扱い方をよく知っている。台湾人を見方にしたほうが絶対得策だ。
さて、尖閣諸島に対する中国の出方は、今後行われる中国共産党大会における総書記の入れ替わりの時期にもあるために、権力闘争に使われているのは目に見て分かる。それに日本が巻き込まれるほど馬鹿馬鹿しいものは無い。中国の内乱は中国で勝手に揉めればいいわけで、自滅してしまえば良いくらいだと思えば良いのだが、日本は尖閣に対しては、中国内部の鬱憤の発散材料として使われるのは重々分かっているはずである。国民のガス抜きに尖閣を切り札に使ってきたのは明白だ。それに付き合っている必要は無い。
今後は尖閣領有権を、総書記の権力闘争に国民の関心を向けさせないようにするための材料に使ってくるのは必死だと思う。デモは全面的に禁止だとしている中国において、2005年の反日運動の煽動を今回も絶対やってくると思われる。その煽動にたいして乗ってしまう中国人も馬鹿だと思うのだが、日頃の鬱憤を祭りが少ない中国で行われるかのようにデモを祭りのようにわーわーさせるように仕向けてくるだろう。
中国当局が「急進派利用」 香港実業家、資金面で支援か(産経)
URL : http://sankei.jp.msn.com/world/news/120816/chn12081607070002-n1.htm
尖閣諸島上陸の中国人活動家が中国国旗を燃やしていたことが判明 / 中国人「えっ?」
URL : http://rocketnews24.com/2012/08/20/241750/
石原都知事の生涯の政治目的である尖閣諸島の問題排除は、東京都が尖閣諸島を購入するという宣言まで飛び出すことになった。国家がなにもしないなら尖閣諸島は東京都が買い取るという政治意図は素晴らしい。飛び地に東京都ができるのがだめなんじゃないのか?と意味不明なことを言うのだが、飛び地のことをいうんだったら、全国あちこちにある飛び地の問題のことを先に解決してから文句を言えと言いたいところだ。
さて、そんな状況に飛び出してきたのが香港人活動家による尖閣諸島への強制的上陸だろう。日本政府がいくら主張したとしても「行く」と聞かなかった活動家の行動は、どこまで本気なのかというよりも、これで香港政府は本当のところはどうなっているんだろう?ということだろう。日本政府は、彼らの上陸と同時に逮捕した。これは最初から警告をしていたとおりであるし、それを日本政府は実行しただけである。それはテレビ中継されていたし、日本および香港のテレビ局が双方ですべての事実を報道していた。
だが、報道の仕方と後処理が酷かった。まず、日本政府は上陸したメンバーを逮捕し、そのあと事情聴取をして、そのあとどうしたかと言うと、そのまま帰国させた。沖縄から帰国させたのは良いのだが、これは前回の尖閣諸島領域に侵入してきた漁船に対するビデオを「なかったことにした」処理で海上保安庁職員を懲戒免職にした問題があるために、今回は全部見せたことになるのだが、日本政府は「帰した」とだけ主張した。が、実際には香港政府によるチャーター便により、特別帰国をさせ、さらに彼らはビジネスクラスに搭乗して帰国したというのが本当のところだ。事実、彼らは帰国時に、大々的な大歓迎を受けて「よくやった」と国家をあげての大宣伝に使われたからだ。おまけに、同行取材をしていた香港のテレビ局が香港で流したテレビ放送の内容が早速Youtubeにも流れていたが、香港側の主張だけを一方的にレポートしていた。香港の漁船が日本の海上保安庁の船に暴力的なことをしたことは一切報道ではカット。しかし、それを今度は日本側がリークした。事実は香港側の船からレンガ等々の物が投げ込まれてきたという主張だ。香港は「無抵抗の自分たちに放水で妨害した」と言っているが、これが大間違いなのである。
そこまでしてまで中国になってしまった香港が尖閣を欲しいと思う理由は、全く分からない。実際に香港政府は「出航したら逮捕する」とまで主張していたのだが、あっさりとそれを掻い潜って海上に出してしまった。おまけに香港に戻ってきたときの大歓迎をさせたという事実を作ったこと自体を形式化させた罪は大きい。それだけもう香港政府は独自の政府ということではなく、中国政府の言いなりになってしまっていることの現われだ。中国に返還された後は、香港の独立性は失われるだろうという大方の見方はここでも正解だったということが改めて明白化されたことになる。香港政府がNOでも、中国がYESと言えば、それはYESが正当性のある主張であるということがこれで証明されてしまったことになる。
香港政府としては尖閣があってもなくてもどっちでもいい。なぜなら尖閣があったことで儲けになることがないからだ。香港に住んでいるひとの大半が漁民で、尖閣諸島のあたりを漁場としていて生計に関わってくるというのであれば、それは香港は金儲けができなくなるので必死になって略奪に来るだろう。しかし、いまの香港はそんな第一次産業に従事している人の数を探すほうが皆無に近いということと、金儲けにならないことに命をかけることは全く意味が分からないという根本的な血があるから、尖閣の上陸に対して強い主張をする必要がないのだ。金儲けできるかできないかが、香港の人の判断基準であるのだ。これに該当しないのだから、尖閣に突っ込む必要が無い。しかし、香港は既に中国政府に牛耳られている独立地域なのである。中国がその主張を替えない限り、香港は中国の言いなりである。これが今の香港の経済的な地位の低下にもリンクしてくることになる。中華世界の経済界および芸能界は、香港がその中心地だったのだが、いまではすっかり荒廃化してしまった。芸能界は台湾を中心に移ってしまったし、経済界はシンガポールと上海だ。香港は単なる中国国内の金を世界に出すための洗浄地帯になっているだけである。まだまだ香港に対する世界の信用度は高いからで、中国の金をそのまま世界に出したのであれば、信用度が低いところを香港を通すことで価値あるものにするためにしか使われていないのだ。
そんな香港のところで、金儲けになるのであれば何でもするということと、金儲けのために金づるになってくれるひとに尻尾を振るというのは香港人の悪いくせだが、金がすべての香港人に、主張が一番大事とか宗教が一番大事と言っても「それで飯が食えるのか?」といわれたらそれでグウの根も出なくなる。そこで今回、一番笑える現象は、今回の上陸に参加したメンツを見ればそれはすぐに分かる。今回の上陸メンバおよびそのほか追随してきた人たちは以下の通り。
■上陸したひと
・楊匡(団長):香港の政治団体「人民力量」メンバ
・曾健成:前香港特別行政区立法会議員であり、社民連常委、民主救港力量召集人、保釣行動委員會召集人及で民間ラジオの社長
・伍錫堯:マカオ五邑郷親同盟会会長
・古思堯:香港の街頭示威活動家
・盧鬆昌:專科學校教師
・方暁松:河南人,深圳個體戶
・羅堪就:船主、民間電台及世界華人保釣聯盟成員
■そのほかの人たち
・王化民:香港公民党新界西支部執行委員
・張金満:香港長州地方の漁民
・郭容明:漁民
・張偉民:香港長州地方の漁民
・張偉強:香港長州地方の漁民
・梁培錦:香港フェニックステレビのカメラマン
・蒋暁峰:香港フェニックステレビの記者
この中で上陸した「古思堯」という髭面のオッサンが一番笑える。ここまで特徴のある顔を見れば、一度みたら忘れないと言う人が多く居てもおかしくないのだが、このオヤジ、香港では有名なデモ主宰者の1人であり、デモするためなら標的はなんでもいいというような主張の人。過去には天安門事件に対して中国の国旗は燃やすわ、批難ごうごうな主張はするわで、てっきり中国に対して敵対心むき出しのオッサンと思われていたのだが、今回、中国の言いなりになって率先して船に乗り、さらに上陸もしやがったというおっさん。つまり、デモをするにもバックからの資金が無いとこれは実現できないのだが、今回もバックに中国政府という金づるができたことによって、デモをもっと派手にして、中国のためならなんでもしてやるという宣伝家特有の活動をしたのだろう。金のためならなんでもするという中国人気質そのままである。このおっさんが上陸したことにとって、当の香港人も「なんかおかしい」という風潮があっという間にネット上を駆け巡ったのは当然だ。
尖閣諸島の領有権は、中国が絶対的に分が悪い。分が悪いが、いつものように声をデカくして言ったほうが勝ちだという戦略で来るだろう。NGのものをOKに無理やり使用とするのが昔ながらの中国の戦法。このあたりのやくざ的やり方には、日本をはじめとする東南アジアの国々もへきへきしている。台湾はそう考えると、よくもあの小さい体で巨体と立ち向かったと本当に感心する。中国が何を言ってきても、正統性をいろいろな角度で世界的に日本もアピールする必要があるのは必須なのだが、そこは外務省のチャイナロビーを中心として「事なかれ主義」を貫いているようで、波風が立たないように仕向けていることなのだろうが、いまさら日本が無口になったところで、世界中には情報が配信されているわけなのだが、黙っているほうが悪いという世界的風潮からすると、黙っていることが得策と考える日本はおかしなことをしていると思われる。
また個人的な意見だが、日本はもっと台湾を見方につければ良いと思う。台湾は台湾としてあの島が欲しいといっているわけじゃない。宜蘭から基隆の漁民が魚場としてあのあたりにもいけたほうが彼らの生活が向上するからという理由で主張をしている。尖閣が日本のものであることは百も承知であるのが台湾。敢えて主張しているのは魚場を開放して欲しいからだけのこと。だから、台湾籍の漁船だけがあのあたりで漁業をやることを許可するようにすればいい。しかし、日本は1972年に台湾とは国交断絶しており、さらに台湾は中国の一部という主張にしてしまったから、台湾と仲良くすること自体がなかなか表向きできないと言うことなのだろう。しかし、そうは言っても、台湾を見方にしておいたほうが良い。台湾はあの巨体の中国と対等に渡り合える唯一の国家だからだ。台湾を表に出してしまえば、日本は真っ向勝負しても勝てるはずである。向こうはヤクザでくるわけなのだから、中台の昔の闘争に仕向ければ、必然と日本は尖閣領土は自分たちのもののままになるし、争いに全面的に立つ必要がなくなるのだ。経済的にもまともに日本の企業が中国に工場やら現地事務所を作って、片っ端からだめになっていっているが、これもそれも台湾を仲介しなかったのが悪い。台湾人は中国人の扱い方をよく知っている。台湾人を見方にしたほうが絶対得策だ。
さて、尖閣諸島に対する中国の出方は、今後行われる中国共産党大会における総書記の入れ替わりの時期にもあるために、権力闘争に使われているのは目に見て分かる。それに日本が巻き込まれるほど馬鹿馬鹿しいものは無い。中国の内乱は中国で勝手に揉めればいいわけで、自滅してしまえば良いくらいだと思えば良いのだが、日本は尖閣に対しては、中国内部の鬱憤の発散材料として使われるのは重々分かっているはずである。国民のガス抜きに尖閣を切り札に使ってきたのは明白だ。それに付き合っている必要は無い。
今後は尖閣領有権を、総書記の権力闘争に国民の関心を向けさせないようにするための材料に使ってくるのは必死だと思う。デモは全面的に禁止だとしている中国において、2005年の反日運動の煽動を今回も絶対やってくると思われる。その煽動にたいして乗ってしまう中国人も馬鹿だと思うのだが、日頃の鬱憤を祭りが少ない中国で行われるかのようにデモを祭りのようにわーわーさせるように仕向けてくるだろう。
中国当局が「急進派利用」 香港実業家、資金面で支援か(産経)
URL : http://sankei.jp.msn.com/world/news/120816/chn12081607070002-n1.htm
尖閣諸島上陸の中国人活動家が中国国旗を燃やしていたことが判明 / 中国人「えっ?」
URL : http://rocketnews24.com/2012/08/20/241750/
2012/04/03
中国なんて二度と行くか!ボケ!!(書籍)
さくら剛さんの「インドなんて二度と行くか!ボケ!!」に引き続いて、「中国なんて二度と行くか!ボケ!!」を読んでみた。タイトルに惹かれたというわけじゃなく、「インド・・・」と「感じる科学」の2冊を通して、どういう書風の文章を書くかというのが分かったので、きっと「中国なんて・・・」の本も面白いのだろうと期待してみたのがきっかけだ。期待通り、この本も一気に読めるスタイルになっているし、内容が腹を抱えて笑える!というものばっかりである。そして、臨場感と嫌悪感が文章を通して本当に漂ってきそうなものだった。インドのほうは、観光客に擦り寄ってくるインド人は全員悪人であるというのが主張の柱になっているのだが、中国の場合は初めから終わりまで「中国のトイレは絶対変である」を中心に物語が書かれており、スカトロマニアだったらよだれモノの文章だろう。不幸にも自分はスカトロマニアではないので、実際の体験記で書かれている中国のトイレなんか、絶対行きたいとは思わないと断言したいと思った。
一度も中国に行った事がない人だったら、想像にもできないのだが、中国は、これだけ経済的に発展したというのに、なぜかトイレ文化だけは全く発展しない不思議な国である。いわゆる「ニーハオトイレ」というのが存在することで有名だが、北京オリンピックを期に、北京市内のあらゆるトイレ(公衆トイレや共同トイレを含む)は、ニーハオトイレではなく、個室トイレもしくは西洋式便座タイプのトイレに一新された。さすがに中国政府もニーハオトイレが世界で馬鹿にされることには我慢ならなかったのだろう。見栄だけで生きている中国人および中国にとっては、「中国っていつまで経っても汚いところだよね」と世界中に言われること自体を非常に嫌う結果である。面子をつぶされることが、死よりも恐れている民族ゆえんなのだ。
とは言いつつも、まだまだ大量の観光客がやってこないような場所では、このニーハオトイレが存在する。本書は北京オリンピック前のことなので、北京や上海のような大きな都市でもいまだにこのニーハオトイレのことが通用するとは思えないが、地方都市のようなところに行った時には、おそらくさくら剛さんと同じようなビックリドッキリ体験をすることが出来るだろう。
だいたい、人の脱糞行為が丸見え状態になっているのをよくも数千年の中国の歴史の中でOKにしていた中国人の感覚は本当に理解できない。脱糞行為を持って、どこのどいつがどんな良いものを食っていたかというのを実は相互監視していたんじゃないのか?という気もするし、脱糞行為は特に恥ずかしいこととは思わず、誰もがすることだから、別に平気とおもっていた民族性なのかもしれないが、その辺はよくわからない。さくら剛さんも、旅行を通してこの中国人のトイレに関する習慣だけはどうしても理解できず、帰国後でもポッドキャストを通して毎回「トイレだけは絶対イヤだ」とおっしゃっているくらいのものだ。1つの個室に隣のひとの脱糞行為が丸見え状態でもOKという感覚なんて、清潔第一の日本人には到底考えられないものだろう。
あと、やっぱり中国では公共の場はゴミ捨て場と同じだと認識しているようで、道路での痰や唾をペッ、ペッ!と捨てる行為だけはどうやらいまだに治っていないようだ。あれは習慣というより習性なのだろう。さくらさんもこの行為にはほとほと困っているようで、床に荷物を置くこと自体がもうばい菌の塊に荷物を置いているようなものだから、絶対やりたくないと思っていたようだ。金にならないものは全く金をかけるつもりがないというのが中国の政府や金持ちのやりかたなので仕方ないのだが、いつまで経っても公共的なところに金をかけて整備をすると言うこと自体をしない中国の根底はここにあるのだろうと思う。
旅行先で偶然一緒に渡航することになる外国人の遭遇は旅の醍醐味だとは思うのだが、さくらさんが出会ったイスラエル人の話はすごい面白い。どこに行っても現地の人が生活しているようなスタイルを体験したり食べるのが鉄則だと思うのだが、それをまるっきり無視して、今までの生活スタイルを保有しながら旅行するという愚かさ。こういう面倒くさいひとがよくもまぁ中国の奥地へ行こうと思ったことが感心するのだが、だいたいこういう馬鹿は帰国後「俺って、こういう凄いところを旅行したちょっとした旅人における常連なんだ」と自慢しているひとに違いない。中国に行ってまでピザとコーラしか飲まないような人って、ホント死ねばいいのにとおもう。まぁ、これは人のことが笑えず、どこに行っても現地のご飯を食べずにマックで済ませているようなバックパッカーがたまにいるようなのだが、こういう連中も死んじゃえば良いのにと思う。
まだ制度として存在しているのか分からないが、さくらさんも中国の宿探しには苦労したようだ。外国人が泊まれない宿というのは前には存在していたという話を聞いたことがあるが、本の中でもそれは紹介されている。中国語のカタカナ発音のままで記載しているので、現場でのやりとりの怒号については、この文脈からかなり想像できるのだが、やっぱり中国語はカタカナ標記しちゃうと、全く訳のわからない言語になってしまうようだ。おばさんとさくらさんのやりとりが、互いに理解不能のまま会話をしているところなんか面白くて仕方ないが、中国語を知らない人にとっては意味不明な文章が連続して記載されている様に見えるだろう。
本書では随所で中国人のいい加減さを知ることが出来る。これは今も変わらないと思う。たぶんこのいい加減さのまま、世界各地に今度は旅行者として旅行し始めた中国人が多く増えてきたので、さらに世界中から中国人は嫌われることになるだろう。間違いやダメだと指摘されないと、自分の思ったとおりのことが正しいと思っている民族が中国人である。サービス提供者も享受者も考えは同じだ。これが本当に面倒くさい。そして、中国人同士でもその注意や文句の言い合いについては、大声で怒鳴りあっているので、他民族からみるとやつらはいつも喧嘩しているように見えるのは当然だろう。そういう細かい描写についても筆者の体験を通して垣間見ることが出来る。
中国国内を旅行する人、または中国旅行をしたことがある人は是非一読を。納得することばかりだと思う。
中国なんて二度と行くかボケ!! ・・でもまた行きたいかも。
著者:さくら剛
出版社: 幻冬舎
発売日: 2011/7/7
2012/03/21
新浪微博を使ってみた
一般的なツイッターを中国国内からはアクセスできないようになっているため、中国大陸では、新浪微博という名前の同じような機能を持ったツイッターを利用するのが一般的だ。中国政府が、政府転覆を狙っている情報が飛び交うのを阻止するために、中国のネットワークに外と繋がる境界に大防火壁(Great Firewall)を設置して、外から中国政府を非難したり打倒するような情報が中国国内に入り込まないようにするために、日々数万人という規模で情報管理を行っている。そのため中国国外にあるツイッターでは情報統制が取れにくいということもあるが、中国国内の人も馬鹿じゃないので、外部のツイッターの存在は既に知っていた。それと同じような機能を中国国内でも作れーという希望があったようで、結果、中国政府支配下のネットワークサービス企業がサービス開始をしたのがこの新浪微博である。通称「ウェイボ(微博)」と呼ばれるこのサービスは、全部中国語であるというだけで、基本的にはインタフェースもやれる機能も全部、本家ツイッターと全く同じである。飛び交う言語が中国語であるので、中国語を解せるひとであれば、その情報の波に乗ることができるであろう。なにしろ、ウェイボのユーザ数は、2012年3月8日に易現国際が発表した情報によると、2011年第4四半期現在では2.49億人が登録されており、四半期ごとに18%増、2010年の同時期に比べて146.5%増というくらいの伸びでいまでも増えているくらいのユーザがいる。しかしながら、2012年3月16日以降は、一番最初に北京市から発表された『北京市微博客発展管理若干規定』により、新奇ユーザ登録時に、本名での登録と住民番号の登録、そして携帯電話の登録も必要になってきており、どこのどいつがどんなことを微博でつぶやいているのかを政府が監視しやすいように仕向けているということになっている。微博のサービス自体、北京市にサーバが存在するために、北京市の規定に従わねばならないということになっているのだが、この動きは広州市や上海市でも同じ条例が発布されたことにより、微博ユーザにとっては使いにくいものになったのではないかと思われるが、そんなことではネットユーザはへこたれない。
なぜなら海外からも当然この微博にはアクセスすることができるようになっており、海外在住の人はこの掟に縛られないからである。新奇ユーザ登録時に「何省に住んでいるか?」なんていうのは「海外」というのを選択すれば良い。携帯電話の番号も適当にかいておけばいいのである。ただ、ミクシィみたいにガチガチに正しい携帯電話の番号を入れないとユーザのアクティベーションができなくなるというような仕組みになるのかどうかは不明だが、これをしだすと、微博自体のサービスがミクシィみたいに衰退することが目に見えている。
デフォルトでは、中国大陸の人たちが記載しているものだから、標記も簡体字標記になっている。しかし、台湾や香港からの書き込みも当然行われており、その人たちは当然のように繁体字を使っているので、その人達用にサービス内の標記を繁体字に変更することも可能だ。ただし、これはメニュだけで、各ユーザが記載した中身までは変更できないみたいであるが、もしかしたらできるかも。自分でまだ設定していないので。
ユーザが約2.5億人もいると、それなりに情報が飛び交うことが多く、人気のある人なんかは、数千万単位のフォローがついていたりするのを見つけることが出来るだろう。日本で10万単位ですごいー!と言っているのが馬鹿馬鹿しくなる。中華圏で活躍しているエンターテイメント系統のひとたちは、ほとんどこの微博を使っており、ファン獲得やマーケットとして利用している模様だ。てっきり大陸のアーティストくらいしか使っていないのだろうと思っていたのだが、台湾や香港、シンガポールやマレーシアの華人たちが、Facebookと微博を駆使して、ファンへの情報展開をしているのをよく確認できる。もちろん本家Twitterのほうにも書き込みがある人も居るのだが、華人のユーザの多くはFacebookもTwitterも同じような使い方をしている人が多く、それは写真と動画と文字を同一アプリ上で掲載できるということもあるのだが、140文字という制約でやり取りすること自体が面倒くさいと思っている人が多いらしく、とにかくFacebookを利用しているひとが多く、そこでのメッセージやコメントの量はハンパない。しかし、中国国内ではFacebookが普通の人は使えないので、中国国内用に微博で情報提供しているということなのだろうと思う。
ところが微博では1つ困ったことがある。なにもかも本家ツイッターと同じなのだが、サーバとクライアントの間では、twitterもfacebookもgmailもいまではSSLで通信するのが当たり前になっている。SSLで通信するということは、途中で傍聴することができないような仕組みになっているということだ。これをまともに微博で行った場合、中国政府としては情報が書き込みされる前に情報発信元を探り当てて、その通信を傍受したいと思っているらしいから、SSL通信はさせないようにしている模様。そのあたりの注意事項を念頭に微博に対してはツイートしなければならない。
最近の動きとしては、微博で情報があっという間に拡散してしまうことの恐ろしさを中国政府はたびたび経験することになった。特に顕著なのは、日本から技術をパクった中国の新幹線の脱線事故が起こったとき、中国政府は情報隠蔽することに努めていたが、微博ユーザが独自で事故現場の写真や列車を埋めようとしている動画をバンバン載せたことによって、中国政府がふざけたことをしているということに猛烈に反抗したことを経験した。テレビで放映を規制しても、ネットでの情報拡散までは頭が廻っていなかったみたいで、ネットユーザ恐るべしとそのときに思ったことなのだろう。最近も、北京市内でフェラーリを乗り回していた中国共産党幹部の息子が事故って死んでしまったことを、微博であっという間に情報が広がったのだが、検索キーワードとしてフェラーリの中国語である「法拉利」を入力しても、この言葉を使ったツイートが全く結果なしという結果で表示されるようになったのもある。ただし、アルファベットのFerrariや日本語のフェラーリで検索しても全然規制には引っかからないのだ。つまり、情報のコントロールを中国政府がここではめちゃくちゃしているということである。
ユーザのほうも馬鹿じゃないので、露骨に本当の語句を使って情報を掲載しているわけではない。特に中国共産党を冒涜するようなことは基本的には中国の憲法で死刑にも値することなのだが、それに引っかからないように、同じ発音をする違う語句に変換して記載したりとか、隠語のようなものを使って記載したりとか、漢字の国ならではの工夫が見られる。だから、中国語を習いたてのひとが微博にアクセスしてきたときに、その言葉の意味はいったいなんなのだ?という語句に出くわすことはめちゃくちゃある。日本でもコギャル文字の仲間に入るかもしれないが、漢字を部首ごとにばらばらにして1つの漢字を複数の漢字にして表記するような方法も、ここ微博でもよく使われている。だいたいこういう言葉を使っている場合には、中国政府にとって好ましくないような内容が出ているときばかりである。
基本的に規制対象は中国政府および共産党を脅かす記事を記載した場合である。決して、真っ裸の写真だったり、暈し無しのセックス写真だったり、脳みそ砕けてスプラッターになっている写真だったり、ロリータ系の写真だったりとかのようなものは、全然規制になっていない。素っ裸の写真に、「中国共産党死ね!」と書かれていた場合には規制対象になる。規制対象になった場合には、さきほどの検索からアクセスは出来ないようになるのが面倒くさい。写真も動画もツイッターと同じように別アプリと連携してアクセスできるようになっているので、リンクを切られない限りにおいては、一度アップロードされた記事はずっと保存することが出来る。
1つ使いにくいなーと思ったのは、リツイートの機能である。本家ツイッターの場合、公式リツイートをすると、リツイートした人をフォローしているひと全員にその内容がいくが、既にフォローしている他のひとが同一内容をリツイートしている場合には、タイムラインが同一ツイートで埋められないようにうまく制御されている。しかし、微博のほうはそれが全く効いているわけじゃないみたいで、常にリツイートもツイートも表示されるようになる。だから、「またこの記事か」と思うことは何度もある。
新浪微博
URL : http://www.weibo.com
2012/01/11
笑う中国人
中国語学習者だったら、誰もが知っている相原先生の著書「笑う中国人ー毒入り中国ジョーク集」は、中国語を知らなくても、中国人の笑いのセンスや中国人の性格というのはこういうものかというのをよく知ることができる本だと思う。ここで書かれているのは中国人が普段の生活で、自分たちを自虐的に表現するためのジョークを集めたものであり、決して他国の人が中国人のことを表現したものではない。更に言うと、中国語話者と言っても、この本の中の出来事は全部中国大陸の人たちのことであり、台湾や香港、そして華僑としてマレーシアやシンガポールなどに渡ったひとたちが表現しているものは一切入って居ない。むしろ、中国大陸の人たちから見て、外中国に住んでいるひとたちのことについて皮肉を言っているものは結構あったりする。
中国人が自分たちのことを表現しているジョークであるため、日本人の感覚からすると、いまいちよくわかんないというところもあるし、なぜそう考えちゃうのかなーというところもあるのだが、多くのところは日本人がもっている中国人のイメージは、中国人自身も実は理解していて、単に他国の人たちから言われることには腹をたつのだが、身内に対象者が居た場合には笑って済ませるしかないという、なにかちょっと半分諦めた感じのするジョークも混ざっていたりする。こういう、他国の人が考えている自国民の性格や普段の生活のやりとりを大げさに笑えるように脚色して、それをみんなが認めるようなものにしているというところもおもしろい。
本の中身は、政治に関すること、職に関すること、生活一般、そして性に関することに分かれる。職に関することはとてもわかりやすい。なんといっても、あの国は賄賂の国だ。撲滅しようとしても、数千年の文化が生活の中に組み込まれているひとたちに賄賂なしで何かをスムーズにやっていこうというのは無理だということ。賄賂かコネしかあの国では這い上がれない。それはもう他国に居る人でもわかること。こういうのが自国民の眼から観たときにはどう見えているのかというのもおもしろい。「あはは、やっぱりね!」と手を叩いてしまうような納得感があるのはわかりやすいジョークだからなのかもしれない。
それとやっぱり面白いのは、下ネタだろう。どこの国でもやっぱり下ネタには共通の笑いがある。しかし、中国らしいなとおもったのは、中国が文字の文化だからということもあるのだが、文字を使ってうまく韻を踏んだ表現を作っているところだろうと思う。個人的に秀逸だと思ったのは次の句。
【男人】
男人二十歳叫奔騰
男人三十歳叫日立
男人四十歳叫正大
男人五十歳叫松下
男人六十歳叫微軟
男人七十歳叫聯想
ここで各句の最後の2文字はメーカの名前になっている。「奔騰」は Pentium。「日立」「松下」は日本のメーカー。「正大」は中国の企業名で「正大集団」という企業。「微軟」は Microsoftで、「聯想」は IBM から ThinkPad を買収したレノボのことだ。ただ、この文章、メーカの名前をそのままの意味だとおもってもらったら、全く意味がわからないし、面白みも無い。そこで今度は漢字の世界になる。「奔」は「勢いよく走る」で日本語でも奔走するという言葉で使うあの意味だ。「騰」は「高く昇る」という意味で、価格が高騰するというときに使う。つまりこの二字をあわせると「勢いがあり、高くそそり立つ」である。さぁ、もう何を意味しているのか解ったことだろう。要はアレである。そう、チンポのことだ。
「日立」も会社名と考えるからいけないのであって、漢字の元の意味で考えてみると笑える。「毎日、立つ」である。だから、日立の社員が自己紹介するときに「我是日立的(私は日立のものです)」というと、大抵の中国人は笑うはずだ。ここで「我已経六十歳(もう60歳なんですけどー)」という言葉を付け加えたら、すぐに中国人と仲良しになれると思う。そのほかの言葉も調べてみるとこうだ。「正大」は文字通り「正に、大きい」である。「松下」はちょっと難しい。「松」は元の漢字は「鬆」である。これは「ゆるい、すかすかしている」」という意味である。つまり「松下」は「ふにゃふにゃして垂れ下がっている」という意味なる。「微軟」は英語の会社名からもわかるように、「小さくて柔らかい」だ。「聯想」は日本語の「連想する」である。だから「過去のことを思い起こす」という意味にとればいいだろう。ここまで男の変遷を巧く会社名で並べるというところが中国語らしい文化だと思った。
こういうような洒落の聞いた言葉がたくさん載っているので、中国語に興味があるひとはもちろんだとおもうが、中国語学習者ではなく、中国人の脳みその思考ってどうなっているんだろう?というのをちょっと見てみたいというようなひとにはお勧めだとおもう。
ただ、これはこの本に限ったことじゃないのだが、すべて大陸式の簡体字で中国語は表現されているので、簡体字の漢字が知らない場合にはちょっといやだろうなーとおもう。まぁ、日本人にあわせて無理やり日本語の漢字にあわせる必要は無いだろうとはおもうが。
笑う中国人―毒入り中国ジョーク集
著者:相原 茂
出版社: 文藝春秋
発売日: 2008/01
2011/10/09
拝金社会主義・中国
中国人はもともと商人の気質がとても強い民族である。それは常に戦乱の世の中であったために、金のみが信じられるものであり、国家に対してなにか期待するということは全くなかったからである。これはもう中国大陸に人間が住み始めたときからずっと繋がってきた彼らのDNAである。商人という言葉の「商」は日本では「殷」と呼ばれている国家のこと。殷の人たちは他国への商いによって国家形成していたということからのゆえんである。大半は農民である中国大陸の人たちにとって生活の糧になるのは米作りであった。しかし、福建省は海岸付近まで1000メートル級の山が連なっており、領土は広いが耕作できる面積が少なかった。したがって、生活の糧を得るために福建省のひとたちは古くから東南アジア各地に散らばって華僑として金儲けに走っていたのはわかりやすい歴史だ。
そんな中国も1949年に共産党が中国大陸の主になった途端に「儲けることは汚らわしいことだ」ということと「プロレタリアートこそが国家の中心になければならない」というふざけた毛沢東思想による国家統制が始まる。金持ちと有識者をことごとくユダヤゲットーに入れるようにぶったたき、脳みそがサル状態になった国民を束ねることで、共産党は素晴らしいということと、この国家を率いるのは毛沢東様様しかないという神格化を作った。まさにいまの北朝鮮が行っていることのお手本である。唯一の金儲けを許されていたのは毛沢東。国民の誰もが保有していた「毛沢東思想」を売る権利は毛沢東にあり、これは国民全員がもっていたことによりその儲けはすべて毛沢東の懐に入った。共産党の資産ではない。共産革命こそが国民が進むべきものだという「向前看」の号令しか許されなかった。
そんな金儲け否定状態のときに天安門事件が発覚。国民の爆発はこのとき最高潮になったのは記憶に新しい。民主化要求の動きは、打倒共産党に動きが流れる。共産党の崩壊は、これまでの自分たちの存在および思想が根本的に間違っているという非を認めることになる。非を認めることほど中国人に対して死の宣告に値するようなものである。共産党政権は慌てた。そこで賢い鄧小平は考えた。そうだ「国民に政治を語らせるな。金儲けをさせていれば彼らの不満は払拭できる」と。そこで、数十年ぶりに「金儲け」が解禁されることになった。
ところが、これまでの共産党政権がまともに公約を守ったことは一度もない。常に国民の期待を裏切る結果になるし、まともに死んでいるほうがバカだという結果にもなった。だから、このときの共産党トップである鄧小平の言うことが「本当に金儲けしてもいいのだろうか?」とほとんどの国民が疑惑に思ったようである。過去には文化無き文化大革命が存在して、ありもしない罪を着せられたという経験をした中国人である。ダメだと何十年も言ってきたことを突然良いと言われて、誰が信じるだろうか?しかし、結果としては中国人は持ち前の金儲け主義に従って、日本の戦後復興のスピードよりも確実の高スピードで躍進し、いまでは世界の経済を引っ張ってしまい、しまいにはコントロールするくらいの実力になったのは誰もが知ることだ。
鄧小平による「向銭看」路線を進めていくことによって生まれてきた中国内部のいろいろな事情や弊害について、とてもよくまとめられているのが、この本「拝金社会主義・中国」である。簡単に言うと、中国の躍進に対して、これまで、これってどうなってるんだろうな?と個人的に思っていたことがこの1冊で全部まとまっていて、それも綺麗に整理されていたので、とても参考になった本である。
政治に無関心になるために金儲けを推奨した政治手法は、徐々に国民に再度民主主義の熱を再燃させてしまい、この収拾に苦労しているのは、ツイッターやニュース記事を見ればよくわかる。各地で収まらない暴動に対する武力による収束がそれだ。そして、国民も閉鎖的なネットワークをGreat Fire wallによって形成されていたとしても、内部から壁越えして外のネットワークと接続している人たちももちろんたくさんいる。つまり喰うに困らなくなった後は、精神文化の形成が生まれて、そしてその延長には真の精神文化である民主を求める力に発展するのだ。これを中国政府は恐怖だと思っている。国民はさらに外から文化の水を求めるために規制をかいくぐろうとする。外からの情報を得られないようにするために政府は防火壁を重厚にしようとするいたちごっこ。
結婚できない都市の「デキる女」と結婚できない農村の男という種別が生まれ、都市の女性は、親が勝手に公園で親同士で嫁の貰い手を捜して、親同士が本人不在のまま見合いをしているという珍現象とそれをサポートするビジネスが生まれているという滑稽も本の中では紹介している。さらに、大量の大学生、いまでは毎年560万人もの大学卒業生を生んでいる中国だが、これが就職先が全く無くプー太郎になっているのが大量いるという。でも、親が中国躍進のために金持ちになっているから、子供がプー太郎になったところで生活に困ることがないという、ちょっと前の日本と同じような現象も紹介しているところもわかりやすい。
一番わかりやすいのは、日本での報道では、中国国民は「反日の愛国主義者だ」と言われているのだが、これは大間違いであること。反日を唱えるのは中国共産党が自分たちに国民の批難の集中砲火がこないように、かつて中国を苛め抜いた記憶に新しいところの日本がめちゃくちゃにしたから生活が悪くなったのだということを教え、それをバカなりに信じている田舎の無教養のひとたちと、共産党幹部と甘い汁がすえなくなるのを恐れている人たちという一部の中国人だけが「反日愛国主義者」であり、その他の人たち、特に若い人たちは日本大好きが実情。親の世代がなぜ日本大嫌いだといっていることが理解不能だという世代なのである。
さらにおもしろいのは、中国共産党規約で「中国共産党とは中国の労働者階級の先鋒隊である」と謳われているのだが、ここに労働者階級ではない「資本家階級」を新しい労働者にすることが必要に迫られたことだ。資本家階級が自由に金儲けできるようなことをしないと中国の発展がない。発展がないとまた国民の不満が共産党に向いてしまうということなのだ。党内規約もめちゃくちゃ変えてしまうところが、中国政府として一番守りたいのは共産党であるということの表れだろう。誰がではない党なのである。
各種の矛盾と大きくなる歪はどこまで発展していくのか、その基礎となるデータと過去の歴史についても克明に情報を載せている。中国内部のシンクタンクにいることによって、余計中国政府の情報を知っている著者の長所を克明に盛り込んだものだろうと思う。中国の動きについては半年も過ぎれば情況はだいぶ変わる。だから、半年後にもまた新しい本を発表して貰って、最新の中国情報を随時出していただきたいという希望はある。
拝金社会主義・中国
著者:遠藤 誉
新書: 248ページ
出版社: 筑摩書房 (2010/2/10)
2011/04/13
客家の鉄則 - 人生の成功を約束する「仲」「業」「血」「財」「生」の奥義
漢民族の中のユダヤ人と揶揄されるのが客家の人たち。名前から考えても、常にお客さんみたいなイメージがある客家の人たちこそ、中華系の経済を牛耳っている中心人物たちの集まりである。客家語では、「ハッカ」と言うこの人たちは、世界中に散らばってはいるが、約5000万人は住んでいる。しかし、いちおう漢民族ではある。が、文化、習俗、言語は独自のものをもち、価値観も独自のものを持っているために、何処に言っても、自分たちと違う人たちというレッテルを張られて異質なものとして扱われてきた過去がある。しかし、中国の偉大なる指導者鄧小平も、台湾の李登輝も、シンガポールのリー・クワン・ユーも客家の人たちである。まだ鄧小平が生きていたときには、「三大中華国家」として客家人が国家と経済の運命を握っていたことになる。また華僑の世界でいうと、華僑は、広東系、福建系、潮州系、海南系と客家系にわけられ、全華僑のうち客家人のしめる割合は8%程度なのに、経済は30%以上にもなる。このように経済的に客家華僑が強いのは、経済活動、福祉、教育、寄付金集めを相互扶助組織を形成してそこで行っているからなのである。客家としての国家を持っていない彼らにとっては、互いに仲間を作って助けあうことが重要と考えている。この団結力の中に入り込むことができたときには、強力な組織を背景に持つことができ、大きな活躍ができることが約束される。タイガーバームの胡文虎も、香港の不動産王の李嘉誠も、インドネシアのサリムグループの林紹良も、万国銀行グループの陳有漢も、台湾の海運王の張永発も、全部客家華僑財閥のひとたちである。そういう蒼蒼たる人たちの名前が列挙されると、「おぉ、客家ってやっぱりすごいな」と感心してしまう。
客家の住居というと、広東省にある円楼の建物が代表的だろうと思う。こういう家が出来たのは、外部は全部敵という場所で生活しなければならないための工夫が生んだ住居スタイルである。言い換えると、その住居に住んでいる人たちは全員客家で仲間である。その仲間を統率することこそ、強い団結力を生む環境を作りだすことになる。したがって、客家の人たちは生まれたときから強烈なリーダーシップを発揮するひとが多い環境にさらされるし、また訓練されるようなので、飛び切り強い指導者を輩出ことがよくあった。だから、孫文も出てきたし、洪秀全も出てきたのだろう。
乏しい畑にしか住むことが出来なかった客家は、次男以下の人間が食べていくには、教育しかないと最初から考えており、そのために中国の中でも早い段階から字を学ぶ環境をつくっていた民族であるようだ。だから科挙試験にも大量の人が採用されているし、商店の番頭をやったり、軍隊の書記の役割を担当することが客家のひとは大昔から多かった。教育熱心な環境は現代でも続いており、李登輝は京大に行っているし、リー・クワン・ユーはケンブリッジ大学を首席で卒業しているし、鄧小平もフランスに留学している。
友達の中に客家のひとが何人かいる。その人たちの活躍を見ていると、本当にすごいと思うし、真面目だし、賢いし、礼儀は正しいし、決して韓国人みたいに怒るということはないし、広い心を持った人たちだと、本当に尊敬したくなる。どうしてこういう人たちが同じ漢民族なのに存在するのだろうというのが、最初に客家の人たちに対する興味を持った理由のひとつである。知り合いの客家のひとたちは全員台湾出身なのだが、活動拠点は台湾だとしても、台湾から飛び出して各国に出ることが良くあり、そこでそれなりに名を馳せ始めている。その道程を良く観ているので、毎度毎度活躍の様子が耳に入ってくる度に、すごいなーと本当に思う。このバイタリティはいったい何なんだろう?
本書は、そんな客家のひとたちが小さいころから家庭で教育されている格言のようなものをまとめたものである。書かれている内容は客家のことだが、実はこれは民族や地域を越えて、どこでも通用するものだというものが本当に分かるものだ。こういう一子相伝、その民族にいないと分からないようなものが書として他民族に知られるというのは本当にありがたい。
人間関係、仕事に対する考え方、家族・健康に対する教え、金銭に対する考え、人生についての教えという5本柱で紹介している。これはとにかく必読。生き残るための術が全部詰まっているといっていいと思う。常に迫害と邪魔者扱いされていた客家の人たちは、仲間を大切にし、目利きをしっかりもち、金銭感覚について絶妙なバランスをもち、健康を保つためにやるべきことを守っていけば、人生はうまくいき、長い人生に対しての人生観をどのように持つかを常に持っていれば素晴らしい世界が開けてくるというものだ。ちょっと宗教掛かってしまうような言葉がいっぱい出てくるかが、神様を信じろというようなことは全くここでは出てこない。客家の人たちは人間が好きなのである。生身の人間が好きなのだ。
そんなたくさんの教えのなかで、あーっ、なるほどーというのがいくつかあったので、それだけは紹介しておこう。
まずは「交わるは易く、選ぶはさらに難し」。常に周りが敵だった客家のひとは、最初から客家人以外の人を信用しないことにしている。だが、「商いをよくする者は必ずや愛嬌を要す」という教えから、常に笑顔で他人と接し、相手を気持ちよくさせてくれる。しかし、腹の底では単なる知り合いとしてしか付き合わない。しかし、一旦、客家の人に友達として認知されると、彼らは絶大な信頼を与えてくれ、客家の口頭での約束は契約書を結んだのと同じ効果が出てくる。だから、めったやたらに信用するようなことはしないくらい堅実なのである。だから、友達と認められたときには、こちらも相手が望むものがあったときにはそれに応えたくなるし、相手も常にこちらのことを気遣ってくれて、多大なる助けをしてくれるところも有る経験があるから、とてもよくわかることだ。
「話は広げるなかれ、傘はすべて開くなかれ」だ。余計なことはべらべらしゃべるなということである。客家人にとっては価値観を共有にしている一族であればいいが、周りが常に敵みたいな環境にいたこともあり、ちょっとしたミスでもそれが命取りになることもある。ましてや、発言に関してもちょっとした悪口をいったことが廻りまわって本人を滅ぼすことになりかねない場合もあるので、彼らは言動にとても注意する。
「ひとは名の出るを恐れ、豚は太るるを恐れよ」という言葉は、結構華僑の世界を知ると良く分かる言葉だ。シンガポールやマレーシアの華僑を見ていればよくわかる。金持ちの華僑に限って、すごい汚い服装をして、どこの浮浪者だというような格好を平気でしているのを見つけるときが有るのだ。これは名の上げたものであれば、知らない間に見知らぬ相手から妬みやそねみを買い、誹謗中傷されるのはあたりまえだし、誘拐される場合もありうる。さらに金持ちだとすると人目に引くような格好をしていると、しっぺ返しを食らう可能性があるから地味に暮らせということを意味する。そして、素性が分からないようにし、あくまでも群衆の中に埋没しろということを意味する。目立ちたがりの漢族の人も多いのだが、客家の人は全く違うのである。
他にもたくさんの格言があるが、全部紹介していると書ききれないので、このあたりにしておく。戦乱の世の中ではないのだが、商売の世界では常に荒波の中を渡っていかねばならない世の中ではある。ましてや日本経済がめちゃくちゃになっているときなのであるから、どのような生き方をしなければいけないのかというのは模索する必要があるだろう。これはどんな年齢になっても必要なことだろうと思う。人生の参考書のひとつとしてこの本を読んでみるというのはいかがだろうか?かなり参考になることが多いのではないだろうか?特に迷走しているような人生観を持っている人にとっては読むべきだし、成功者にとっても、経験上は知っていることだろうとは思うのだが、参考にまでに読むのも良いだろうと思う。
客家(ハッカ)の鉄則―人生の成功を約束する「仲」「業」「血」「財」「生」の奥義 (ゴマブックス)
著者: 高木 桂蔵
出版社: ごま書房
出版日:1995年4月30日
ページ数:186ページ
2011/03/19
乾隆帝
清王朝の時代で一番華やかな時代は、康煕・雍正・乾隆の3皇帝の時代であろう。この時代に満州族の皇帝ができるだけ中国大陸の高度な文化を受け入れ、自らのアイデンティティを残しつつ、高度な文化・技術・思想を取り入れて、それを吸収していった時代である。康煕帝の時代に、中国大陸での満州族による支配の基盤を確固たるものに作り上げ、雍正帝のときに質素倹約と密偵組織を作り上げたところに、最終的に文化増長の手助けをしたのが、乾隆帝である。
台北の故宮博物院に行くと、定期的に乾隆帝に関わる特別展示会を行われているときに良く出くわすのだが、この展示物を見ているだけでもため息がつくようなすばらしい作品をたくさん見ることができる。そのときの多くは、満州らしい作品ではなく中国エリアの文化を自分たちのものにして、独特の綺麗な作品に仕上げられているようなものがたくさんある。これを後ろからパトロンとして作らせたのが乾隆帝なのである。
満州民族の生まれながらにして漢民族よりも漢民族でありたいと思い続けた乾隆帝について述べられているのは、文藝春秋から出版されている中野美代子著の「乾隆帝」が詳しい。
芸術の分野で特に乾隆帝は清王朝のなかで一番輝いた歴史を作った。絵画を見ただけでそれまでの画風と乾隆帝のころの作品では断然違ってくる。これは、イタリア人でイエズス会の宣教師だったジュゼッペ・カスティリオーネの影響はかなりある。カスティリオーネを特別に宮廷画家として重用し、カスティリオーネから西洋の画風を中国に持ち込むことに成功した。ルネッサンス以降の人物や風景に対する技法が圧倒的に鮮やかにそしてはっきりと描いているところがその特徴だろう。それまでは水墨画や色彩画でも、顔の描き方や背景の構図は適当に描いていたように見える。ハブスブルグの宮廷画家の作品にも見られるような細かい描写のところを丁寧に描いているのは、カスティリオーネが持ち込んだ技法の特徴だと思う。カスティリオーネが関わったものは絵画だけじゃない。建築物に関しても大いに影響を与えた。北京の郊外にある円明園は、いまでも観光スポットだが、ほとんど廃墟同然の状態に現在はなっている。しかし、この円明園で現在ではぶっ壊れた形のままに残っている大理石で作られていた数々の建築物は、実はカスティリオーネが監修し、西洋風の建物を作ったものがここでは豪華に立ち並んでいたものである。どういう建物形式だったのかは、少しカスティリオーネとその弟子が関わった絵画に残っているところなのだが、イギリスとフランスがめちゃくちゃにぶっ壊し、高価な貴重品は全部イギリスとフランスに持っていかれたので、残念でならない。また、中華をこよなく愛していたにも関わらず、良いと思った文化や制度を積極的に取り入れて許可した乾隆帝は本当にすばらしいと思う。
乾隆帝は歩く詩人とでも言われているくらい、膨大な詩を漢詩として作成している。満州文字ではない、漢字だ。生きている間の作品数は4万点とも5万点ともいわれており、それはすべてが「高宗純皇帝聖製詩」という5集に収められているのだが、ここに収められている詩の文学的価値は、その辺のおっさんが作った適当な詩と同じくらいの価値しかない。しかし、歴史書としてみた場合には、当時の正式な文書の中では見て取れない事実を詩を通して見出すことができるという意味では、貴重な個人による日記みたいなものだろうといえる。そう、漢詩は彼にとっては日記みたいなもの、今で言うところのツイッターみたいなものだったに違いない。
乾隆帝といえば、絶対外せないのは「十全武功」だ。十回の武力による成功というものを、彼は後世に自慢しておきたい事項として自らの詩の中にこれも記した。カザフスタンに居たジュンガルを平らげたこと2回、ウィグルを1回、金川(四川省北部の苗族の住んでいるエリア)を2回、台湾の平定を1回、ビルマとベトナムを降したことがそれぞれ1回、それとネパールを2回平定したということ。本人が勝手に「やったこと」になっているのだが、実際にはベトナムには侵攻したが負けているし、台湾の平定は、台湾に秘密結社ができて明を復興しようとする動きを封じ込めたということを意味するものだからだ。まぁ、本人が自分の手柄として後世に残したいのは良くわかる。そういえば、台湾では2代目総統の蒋経国の時代にも似たような政治的スローガン「十大建設」を行った。これはどちらかというと、台湾のインフラを整備するための政策なのだが、きっと乾隆帝の「十全武功」を参考に言葉を選んだのではないかと勝手に解釈している。
乾隆帝の時代に一番領土を広げた清の時代。いまの中国人の「中国」の概念はこのときの領土を基本知識として植えつけているため、現在の領土問題のときに、ウィグルやチベットのような、全然中国じゃない場所も「中国だ」と絶対的な主張をする。だけど、本気で「中国じゃないかもしれない」と思っているのか、内モンゴルも含めて、それらの地域は「自治区」になっている。だけど、一度手に入れて認めた領土を「返します」ということは、中国人にとって末代までの恥とおもうことと同意なので、なかなかこれらの自治区が独立国家になることはないだろう。
乾隆帝のときに構築された芸術や思想というのは現在の中国人にも深く植え付けられているという。一度植えつけられた思想を変えるには、相当強い衝撃がない限りに無理だ。しかし、良い思想であれば永久に持ち続けることは良いことだ。ひん曲がって、嘘で塗り固めた思想を持ち続けるのは危険だ。乾隆帝時代の良い部分だけを持っていてほしい。
乾隆帝ーその政治の図像学
著者:中野美代子
出版社:文藝春秋
新書: 260ページ
発売日: 2007/04
台北の故宮博物院に行くと、定期的に乾隆帝に関わる特別展示会を行われているときに良く出くわすのだが、この展示物を見ているだけでもため息がつくようなすばらしい作品をたくさん見ることができる。そのときの多くは、満州らしい作品ではなく中国エリアの文化を自分たちのものにして、独特の綺麗な作品に仕上げられているようなものがたくさんある。これを後ろからパトロンとして作らせたのが乾隆帝なのである。
満州民族の生まれながらにして漢民族よりも漢民族でありたいと思い続けた乾隆帝について述べられているのは、文藝春秋から出版されている中野美代子著の「乾隆帝」が詳しい。
芸術の分野で特に乾隆帝は清王朝のなかで一番輝いた歴史を作った。絵画を見ただけでそれまでの画風と乾隆帝のころの作品では断然違ってくる。これは、イタリア人でイエズス会の宣教師だったジュゼッペ・カスティリオーネの影響はかなりある。カスティリオーネを特別に宮廷画家として重用し、カスティリオーネから西洋の画風を中国に持ち込むことに成功した。ルネッサンス以降の人物や風景に対する技法が圧倒的に鮮やかにそしてはっきりと描いているところがその特徴だろう。それまでは水墨画や色彩画でも、顔の描き方や背景の構図は適当に描いていたように見える。ハブスブルグの宮廷画家の作品にも見られるような細かい描写のところを丁寧に描いているのは、カスティリオーネが持ち込んだ技法の特徴だと思う。カスティリオーネが関わったものは絵画だけじゃない。建築物に関しても大いに影響を与えた。北京の郊外にある円明園は、いまでも観光スポットだが、ほとんど廃墟同然の状態に現在はなっている。しかし、この円明園で現在ではぶっ壊れた形のままに残っている大理石で作られていた数々の建築物は、実はカスティリオーネが監修し、西洋風の建物を作ったものがここでは豪華に立ち並んでいたものである。どういう建物形式だったのかは、少しカスティリオーネとその弟子が関わった絵画に残っているところなのだが、イギリスとフランスがめちゃくちゃにぶっ壊し、高価な貴重品は全部イギリスとフランスに持っていかれたので、残念でならない。また、中華をこよなく愛していたにも関わらず、良いと思った文化や制度を積極的に取り入れて許可した乾隆帝は本当にすばらしいと思う。乾隆帝は歩く詩人とでも言われているくらい、膨大な詩を漢詩として作成している。満州文字ではない、漢字だ。生きている間の作品数は4万点とも5万点ともいわれており、それはすべてが「高宗純皇帝聖製詩」という5集に収められているのだが、ここに収められている詩の文学的価値は、その辺のおっさんが作った適当な詩と同じくらいの価値しかない。しかし、歴史書としてみた場合には、当時の正式な文書の中では見て取れない事実を詩を通して見出すことができるという意味では、貴重な個人による日記みたいなものだろうといえる。そう、漢詩は彼にとっては日記みたいなもの、今で言うところのツイッターみたいなものだったに違いない。
乾隆帝といえば、絶対外せないのは「十全武功」だ。十回の武力による成功というものを、彼は後世に自慢しておきたい事項として自らの詩の中にこれも記した。カザフスタンに居たジュンガルを平らげたこと2回、ウィグルを1回、金川(四川省北部の苗族の住んでいるエリア)を2回、台湾の平定を1回、ビルマとベトナムを降したことがそれぞれ1回、それとネパールを2回平定したということ。本人が勝手に「やったこと」になっているのだが、実際にはベトナムには侵攻したが負けているし、台湾の平定は、台湾に秘密結社ができて明を復興しようとする動きを封じ込めたということを意味するものだからだ。まぁ、本人が自分の手柄として後世に残したいのは良くわかる。そういえば、台湾では2代目総統の蒋経国の時代にも似たような政治的スローガン「十大建設」を行った。これはどちらかというと、台湾のインフラを整備するための政策なのだが、きっと乾隆帝の「十全武功」を参考に言葉を選んだのではないかと勝手に解釈している。
乾隆帝の時代に一番領土を広げた清の時代。いまの中国人の「中国」の概念はこのときの領土を基本知識として植えつけているため、現在の領土問題のときに、ウィグルやチベットのような、全然中国じゃない場所も「中国だ」と絶対的な主張をする。だけど、本気で「中国じゃないかもしれない」と思っているのか、内モンゴルも含めて、それらの地域は「自治区」になっている。だけど、一度手に入れて認めた領土を「返します」ということは、中国人にとって末代までの恥とおもうことと同意なので、なかなかこれらの自治区が独立国家になることはないだろう。
乾隆帝のときに構築された芸術や思想というのは現在の中国人にも深く植え付けられているという。一度植えつけられた思想を変えるには、相当強い衝撃がない限りに無理だ。しかし、良い思想であれば永久に持ち続けることは良いことだ。ひん曲がって、嘘で塗り固めた思想を持ち続けるのは危険だ。乾隆帝時代の良い部分だけを持っていてほしい。
乾隆帝ーその政治の図像学
著者:中野美代子
出版社:文藝春秋
新書: 260ページ
発売日: 2007/04
紫禁城の栄光
北京は昔から交通と交易の要所であった。戦国時代に燕という国が支配したことにより、北京あたりの呼称をそれ以降「燕」と呼ばれ、その地域を治めることになった王は代々「燕王」となる。時には皇帝より封ぜられる場合もあるし、自ら王と名乗る場合もそうだ。交易の要所というのは、満州エリアで取れる毛皮などと、黄河流域で取れる小麦との交換である。その北京を首都とした王朝は、大きなところでは、元以降の王朝である。しかし、元の場合は、本当の首都はモンゴル地区であり、北京を首都としたのは漢人を封じ込めるために戦略的につくり、1年の半分はそこに滞在していたというときに使われた。本格的に北京を首都にしたのは、明朝以降である。本書は、その明朝以降の北京を中心とした東アジアから中央アジアにかけての歴史を駆け巡る書物である。中国の歴史だけではなく、満州エリアやモンゴルエリア、そして時にはカザフスタンあたりの中央アジアやチベットや雲南地域まで含めての攻防を述べているので、視野を中華世界だけではなく、もっと広い地域として理解しなければならない。もちろん、その歴史の中には日本や朝鮮が当然入ってくるのは言うまでもない。講談社学術文庫らしく、この書物については、明朝以降の本当の歴史について、これまで曖昧だなとおもっていたようなことをきれいに整理してくれる書物だと思われるので、題名の「紫禁城」に惑わされず、是非東アジアの歴史を知りたい場合には読むべき良書だと思う。
明朝の初期は南京を首都とする国家つくりをしていたが、第三代皇帝の永楽帝のときに北京が首都になる。それは永楽帝が父親の初代皇帝により、最初に封ぜられていたのが北京を中心とする燕地域であり、前王朝のモンゴルの生き残りが常に中華平原にちょっかいをしかけてやってきたのを武力で抑えていたことが始まりである。住み慣れており、部下の人間も北京を中心とした地域に住んでいたものを使っていたわけだから、いきなり皇帝になるために南京の穀倉地帯に移動するということになると、故郷を寂しがる部下も多くなるわけだし、住み勝手がわからない南京よりも慣れている北京で南の華人地域に対してにらみをきかしたほうがいいというところで北京が発展し始める。そして元が北京を首都にして使っていたときの跡を永楽帝がどのように使っていったか、または官僚機構をどのように形成したかというのがここでは結構詳しく書かれているのでわかりやすい。
明朝の滅亡は倭寇の駆逐や東北からの他民族の攻撃、そして日本から朝鮮へ秀吉による出兵によって、朝鮮から「ヘルプ!」と言われたことによる手助けをしたことによって、徐々に疲弊していったことが原因だというのがわかるが、最終的に満州族である清に滅ぼされたとばかり思っていたのだが、実はまったくそれは嘘で、本当は南京あたりから出てきた匪賊である李自成が明朝に対して最後の止めを刺したことが今回の書物を読んで初めて知った。
もし、本当に清が明を滅亡させたのであれば、いまでも北京郊外に存在する「明の十三稜」と呼ばれる明朝歴代皇帝の墓は、確実に暴かれて、めちゃくちゃに壊されたことだろう。しかし、実際には現在でも観光地としてとても有名なところであるということは壊されていないということである。むしろ、清は明の皇帝たちを敬っていたとのこと。なぜなら清がまだ東北地方にいたときに、満州族にとっては明は自分たちの生産物を買ってくれる大きなお客様であったし、自分たちも穀物を購入するために供給してくえっる大供給拠点であったため、持ちつ持たれつの関係だったからである。交易の関係から実は敵対していたわけではないということを知るのも歴史の面白さのひとつだろうと思う。
特にこの書籍がすばらしいと思うのは、あのユーラシア大陸をほぼ全域に渡って牛耳っていたモンゴル族を中心とした元があっさり滅亡したかのように歴史では思われているのだが、実際にはそうではなく、中華の世界からはいなくなったけど、実際にはモンゴル高原を中心に規模は縮小されても生きながらえていたということの事実だろう。ハーンは代々新しく立てられて、そのハーンを選ばれるために内部抗争も続けられていたことを結構詳しく書かれていることだ。こういうのは、まず学校の歴史の時間では教えられるところではない。
さらに言うと、清は最終的にチベット仏教を丁重に扱っており、いまでも北京各地にチベット仏教を基礎とした寺が建てられている。この理由についても書物に書かれているのだが、ここで大事なのは、ダライ・ラマとパンチェン・ラマの存在だろうと思う。この2つの役職は、大昔から存在されているわけじゃない。何もない貧相な土地のチベットがそれなりの生活物資を得るためには、仏教という手段を世界各地に普及して、その信者をたくさん作り、お布施を巻き上げることで金銭的に豊かにし、それで物資を裕福な土地から購入するという手段をとっていたということ。精神的なものが実は経済的なものに大きく絡んでいて、それを清が紫禁城にいる皇帝によって保護していた事実を知っただけでも面白いと思う。
よって、題名からみると、紫禁城で起こった何がしかの浮き沈みを期待して読んでもらうと、書かれている内容が大きすぎるので、消化不良になる。題名には気にせず、広い視野を持ってアジアを知るために読むと思わないと、この書物はとてもじゃないが読めないと思う。が、内容は確かに濃い。だから頭の整理のために明朝から清朝にかけての歴史を知るために読むべきである。
紫禁城の栄光―明・清全史
著者:岡田 英弘/神田 信夫/松村 潤
文庫: 352ページ
出版社: 講談社(講談社学術文庫)
出版日:2006/10/11
2010/09/28
未来警察
香港映画の醍醐味はなんといっても武器を使わない武道を使ったアクションムービーだ。格闘技なしの香港映画は、香港映画じゃない。これは香港映画のスタッフがハリウッドのスタッフになっても変わらないスタンスだとおもう。いつから「香港映画=アクションムービー」の図式を作られたのかわからないが、そこは、ブルース・リーとジャッキー・チェンの2人の功績は大きいと思う。人間と人間が本当に手足を使って戦うのは、ローマ時代のコロッセオで奴隷の剣闘士たちが戦うところを観る興奮と合い通じるものがある。武器フェチであれば、アメリカの戦争映画のように、ドンパチ激しいものが好みだろうとおもうが、個人的には肉弾戦になる香港映画のほうが好きだ。言い換えれば、香港映画のくせに、武器ばかりを使ってしまう映画だったら、見る気がしない。さて、そんな前振りをしてしまっているが、シンガポール航空の機内でみた香港映画「秘密警察」について考察したい。確か、同名のアメリカ映画がかつてあったような気がするが、そのリバイバルなのだろうか?と一瞬思った。基本的なコンセプトは未来の警察を舞台にするドラマだということは変わらないが、話の内容は全然違うと思う。
今回主役に抜擢されているのは、香港映画の雄であるアンディ・ラウ。いかにも香港人臭い顔をしている男で、日本でも人気がある俳優の1人だろう。アンディ・ラウが出演する映画だから、もちろん手足を使った生の格闘が観られると期待するではないか。そして、共演者は台湾の女優のバービー・スー。いわゆる大Sと呼ばれている人である。この二人の競演が中華圏ではどの程度期待度の高い映画として認知されているのかよくわからない。そして、台湾のイケメン俳優・賀軍翔も出演している。どちらかというと、アンディ・ラウよりマイク・ハーのほうを観てしまいそうだ。
と書いたものの、実際、これを書くまでマイク・ハーが出演していたということに全く気づかなかった。実際には、アンディ・ラウとバービー・スーが所属する警察署の署長役として出演している。映画中では、飛び降り自殺を敢行しようとする女性を屋上から救出するとともに、「もう誰も私を好きになってくれない」と嘆いている女性に「僕が好きだ」と意味不明な喜劇というかコントを繰り広げて、なんじゃこれ?と言いたくなる様な役を演じていたあのボケ署長だったとは気づかなかった。マイク・ハーは、かっこいいイメージしかなかったのに、あのボケ署長の役は、確かに見た目は色男ではあるが、なんだか間抜けな人にしか映らない。マイク・ハーをそんな変な役に使った監督を恨むと勝手に憤慨してしまった。あと、昔のかっこいいマイク・ハーのイメージしか持っていなかったが、それから比べてオッサン化したから、映画を観ているときには全然気づかなかったのかもしれない。大丈夫か、マイク・ハー!
映画の内容は、近未来の香港を舞台にしている。当然このときには、香港ではなく中国バリバリになっていることだろうが、そんなことは一切無視である。警察が悪と戦うのは何も未来だから起こるわけではなく、警察システムが出来上がったときから、こんなのは続いている。ただ違うところは扱っている武器と、悪人の犯罪の目的だろう。未来なので何でもありの設定ができるという意味では、ストーリーは好き勝手に作れる。香港で行われた歴史展に改造人間化した悪党たちが地下からやってきて、香港市長をさらおうとするところから始まる。警察は、全員出動でこの改造人間化した4人組から市長を守ろうとするのだが、4人組が、まるでX-Menみたいに人間とは思えないような動きをしているために、生身の人間では歯向かえない。なんとかショベルカーにたくさん烏賊のようなアームを付けた車で対決するが2人までしかやっつけられなかったところから、アンディ・ラウ自体が人造人間に改造されて「スーパーマン」として活躍するという、なんだこりゃという映画だ。
話としては、ドタバタコメディに近いというべきなのか、それとも恋愛ものといっていいのか、なんだかわからなくなってしまうのだが、はっきりいってB級映画であることは間違いない。こんなものがヒットすること自体がおかしい。そして、冒頭で書いたが、香港映画だから格闘のシーンが気になるのだが、生身の体ではなく、決して飛び道具は使わないが、人造化した半武器で戦うので、戦うシーンが出てきてもあきれる。その動きがスムーズでなく、初期のアニメかーというくらいぎこちない動きをするために、観ていてもっとイライラした。
未来の警察官で改造されたアンディ・ラウが扮するロボ警官が現代にタイムマシンで移動してきて、これまたタイムマシンで過去に戻ってきた悪党と戦う際に、携帯カメラの動画を使って子供が撮影をして「すげぇスーパーマンを見たよー」と話題沸騰になる。それが同級生の女の子のお父さんがなっていたという想定なので、話がいっきに広がってしまうのだ。そして、悪党の弱点が心臓の部分をぶったたくと、機能停止で死んでしまうということを知るまでの長いこと、長いこと。殴る・踏みつける・ぶった切る、なにをしても死なない悪党にたいしてなすすべがないと半分諦めているところ、偶然、空飛ぶパトカーを使って悪党の1人を建物の壁との間に挟まって殺すというシーンで、心臓部分に当たったことから偶然知るという、これまためちゃくちゃなストーリー。
今回わかったのは香港映画でも、こんなくだらない映画があるだなということ。もっとまともな映画かと思って期待してみた自分がバカだった。これだったら、眠い目をこすって2時間くらいの長さの映画を観ているより、さっさと機内で寝てしまったほうがよかったかもしれない。
それにしても、マイク・ハー、もっといい映画を選んで出演してほしい。このままだとコメディ俳優になってしまうぞー。顔がカッコいいんだから。
2010/08/22
食は広州に在り
中華文化の書物を読んでいると、どうしてもやっぱり食べ物と金のこと以外で物事を考えられないということにとても気づく。金のほうはどうしても拝金主義的なところが、少しいまだに馴れない気がするが、食べ物に関しては、食わなきゃ死んでしまうという意味では国籍に関係ないため、食に関する書物を見ると、妙に納得したり、へーそうなんだーというような驚きがあったり、んなわけないだろうというようなツッコミをしたくなるのは、容易にできる。有名経済作家であり、かつ料理にも造詣が深い邱永漢氏による「食は広州に在り」という本は、食通による薀蓄の総決算というべき書物だと思う。この本では、長く華南地方に生んでいた関係上、広東料理を中心としたいろいろな料理のことが背景と一緒に紹介されている。ご本人は台湾生まれで日本で学位を取得しているから、食の宝庫である台湾料理でもいいと思うのだが、やはり見た目豪華な広東料理が中華料理の醍醐味でもあるために、あえて広東料理を紹介している。
さすが作家であるだけで、そのへんにごまんと居る料理評論家よりは、ずっと造詣の深い批評と好評を述べているところが、読者側が料理を知らなくても想像力を掻きたててくれて、絵や写真が一切出てこないのだが、文章だけでもよだれが出てきそうなものだ。
さらにいうと、この本では、どこどこの店のどの料理が美味いというようなことは一切ない。一般的な広東料理を紹介し、その広東料理にまつわる背景を紹介するとともに、中国人がその背景を保持するようになった歴史的なつながりについても説明してくれるので、料理を通じて中華文化の歴史も知ることができる。だから、料理の本なのか歴史の本なのか読んでいてて、途中でわからなくなるところも出てくるが、知識と教養が身に付くという意味では名著だろうと思う。そして、料理といっても、特定の料理が出てくるわけではなく、「麺全般」とか「あわびにまつわる話」とか、「宴席とは」とか、広東料理を食する上での必ず通ることになる各種のしきたりについても述べているところが、異文化を知る上ではとても重要な資料だと感じた。
ぜひ、香港にまたいく場合には、再読して広東料理を堪能し、地元の香港人に「これって、こういう意味だと知ってた?」と知ったかぶりをするのもいいかもしれない。嫌がられるかどうかはその人の個性しだいだが。
食は広州に在り
著者:邱 永漢
出版社: 中央公論社
文庫: 229ページ
発売日:1996年9月18日
2010/08/01
<相原式>最大効果の中国語勉強法
自分の中国語のレベルがなかなか上がらないなーと最近思っていた。Podcast の中国語の番組やら、台湾人とのチャットを通してしか中国語の学習をしていないことにもよるのだろうとおもう。ちゃんとした中国語教育を受けたことがないことが、有る程度までのレベルしかあがらなかったものなのだろうと思って悩んでいた。NHKの中国語講座でもされていた相原先生の書物は数多くあれど、中国語学習者のツボを付くような書物を結構書かれているなと本当に思う。今回も ebookoff で100円で購入したのだが、あまり内容の概要を読まずに、題名だけで即効購入してしまった書物がある。それは「<相原式>最大効果の中国語勉強法」である。
この本の中で、相原先生が中国語を学習していく上で苦手を克服して専門家になっていったまでの経緯のなかで、必要だとおもっていたことを羅列している内容である。いまではすっかり中国語を教える先生の地位を確立したこの先生が、実は中国語は苦手だったというのは、本気のコメントなのかそれとも読者の興味を付くためのおべっかなのかはよくわからないが、ちょっと衝撃的だった。
この本を読んでいるときは、「そうだよねー」と共感するところが多々あったのだが、それって別にこの本を読まなくても実は普通に考えればわかるようなことばかりが書かれている。よく、言語を習得する上で一番必要なものは、興味だといわれるが、全くその通りであるとおもうし、そのことをこの本の中では要約すると述べていることなのだと思う。ただ、その興味をどうやったら持続できるかが一番重要なことであり、それが持続できれば、必然的に言語能力は上がるとのこと。確かに興味専攻で言語能力は上がると思う。あとは、企業に勤めている場合には、必要に迫られているという緊迫感も言語能力を揚げることになるだろうと思う。
どちらにしても、いまの自分は有る程度以上能力が上がらないとおもっているのは、興味がなくなったことと、必須条件として中国語をマスターしなければならないという環境がないということがあるのかもしれない。そのことをこの本を読んで改めて認識したと思う。
ただ、二度読むかなーとおもうと、ちょっと疑問だ。ほとんどカウンセリングに近いような内容なので、二度読んで心を落ち着かせるというなものではないとおもうので、不要である。誰か欲しい人がいたらさっそく差し上げたい。
<相原式>最大効果の中国語勉強法
著者 : 相原 茂
出版社: PHP研究所
出版日: 2010/3/13
2010/04/29
上海万博
中国はオリンピックと万博という2つの国際的イベントを成功するために、ここ数年の経済発展を必死になって続けてきたという感がある。2008年の北京オリンピックは、世界中を敵に廻しながら、中国=世界一という印象を世界にアピールさせるために、聖火リレーのときから前代未聞の軍警と一緒に世界中に遠征し、各地では、共産党政権の指令により、現地在住中国人を総動員して、どこの国を聖火リレーが通過しても、中国の国旗と警備員以上の頑丈なガードをリレー走者に対して行って居たりしたのが、連日連夜報道されていた。特に長野での聖火リレー通過は酷すぎた。日本中から中国人留学生を中心とした中国人を万単位で集め、さも、長野が中国の都市のようにあるかのように、あちこちで中国の旗がひしめいていたし、フリーチベットを掲げていた世界からやってきた人たちと大喧嘩を路上で行っていた。開会式からダメダメさが世界中から報道されると、中国の何よりも大切にしていた面子が潰されたとして、意味不明な反撃報道をしたりしたのは、ほとんどガキが大人に対して、意味不明な反抗をしているようにしか見えなかった。さて、北京ではいちおう成功したあとに、昔から経済的に発展していた上海が、これまた世界にアピールするためのイベントである世界万博がいよいよ5月1日から始まろうとしている。2005年と2006年の2回、上海に行ったことがあるのだが、そのときから2010年の開催に向けて、国際的に「まともな人たちが住んでいる」ことをアピールするために「七不運動」を行うため、地下鉄の車両内のテロップやら壁広告などのでかでかと宣伝がされていた。そのときの「七不運動」は次の通り。
1. その辺に痰を吐かない(痰はティッシュに吐き、ハンカチに吐いた場合は後で洗うこと)
2. ゴミのポイ捨てをしない(ゴミはゴミ箱に捨てる、またはビニール袋に入れ指定の場所に捨てること)
3. 公共物を大切に(公共物を大切にし、落書きなどの行為は阻止し、批判し、共に協力しあうこと)
4. 緑を大切に(積極的に緑化運動に賛同し、一人一人の自然保護意識を高めること)
5. 交通ルールを守る(歩行者は歩道を歩き、道路を横断する時は歩道橋または横断歩道を渡ること)
6. 公共の場でタバコを吸わない(公共の場でタバコを吸わないとは大いに禁煙を推奨し、喫煙者は指定された場所で吸うこと)
7. 汚い言葉を発しない(話をするときは文明、適切、礼儀を心がけること)
すごく当然のことを長い時間かけて、野蛮人も同然だった中国人の性質・性格・生活態度を西洋なみにしようと努力した結果、2010年の万博の年にどうなったのかなーと、経済発展が激しい上海の様子をテレビでみつつ、開幕直前の上海万博の事前展覧会の様子が報道された。
やっぱり5000年の野蛮人的生活スタイルというのは、数年で改めるということは中国人には無理なのだということがよくわかった。
まず、開門前の長蛇の列で、割り込みはする。「いつまで待たせるんだ」と開門時間が決まっているのに、自分の思い通りに行かないとすぐにぎゃーぎゃー騒ぐ。万博を政治的に利用したいという思惑から、入門時には、荷物検査をさせる気持ちはわかるが、その締め付けがきつくて、余計暴動化するくらいの長蛇の列をつくる結果になった警備の馬鹿さ加減。トイレが我慢できずに、そこらじゅうで用を足している野蛮人。道路は公共のものという考え方が、「全員が気持ちよく使うためのもの」という理解ではなく「自分のものじゃないから、好き勝手に使ってもいい」という考え方を持っているので、ゴミ箱の存在は関係なく、適当な場所に大量のごみを捨てているし。各パビリオンで長蛇の列ができるから、待たなくても入れる、ディズニーランドの「ファーストパス制度」を取り入れたのはいいのだが、そのパス発行に不手際があり、券売機の前で大乱闘や奪い合いを行ったりしているし。
どこが「文明人」になろうとしていた中国人なのだ?とテレビ画面を見ながら思った。世界中で中国人=野蛮人なみの生活様式を断行しているということが報道されてしまった。特にBBCなんかは、「大丈夫か、上海万博?」という題名で報道されていたし。
日本の夏休みを挟んで半年くらい開催されているとのことなので、日本からもたくさんの観光客が見に行くんだろうと思う。が、あそこは中国であって、まともな国ではない。台湾のような秩序と文化的で民意的なところとは、まるっきり違うのだ。それでも見に行くのは勝手だが、あの国に行って「また行きたい」という人が意外に少ないとおもう。
上海万博の始まる前に、テーマ曲のパクリが発覚し、中国政府もろとも珍しく謝罪をしたが、当の作曲家は「インスピレーションを得た」と意味不明な弁明をしていて、絶対に謝らなかった。中国人は絶対に人に謝らない。特に公の前で馬鹿にされたりしたら、余計謝らない。こんな縮図の中に中国の本質をいろいろな面で見た気がする。
あと、上海万博委員会が、開催中の日本人来場者数の予想数を300万人と言っていたが、こんなに日本経済が不景気もいいところになっているのに、だれがそんな上海ごときにいく余裕のあるひとがいるんだろうか?と疑問に思う。もし、本当に委員会発表で「300万人」という数字が出たら、絶対ウソだ。だいたい、この「3」という数字を出すこと自体が、またでたらめな数字をだすのが好きな中国のやることだなと、すぐに感じた。あの南京大虐殺の数も、最終的には30万人と言うようになったし、殺された数が当時の人口よりも多いってどういうこと?という質問に対して、まともな答えをいまだにしていない中国はでたらめの王国である。
上海万博公式サイト(日本語)
URL : http://jp.expo2010.cn/
2010/04/18
鄭和
明の大航海時代を作った鄭和は宦官として有名であったのだが、なぜ宦官である鄭和が航海に出ることができたのかとか、鄭和はいったいどうして宦官になったのかという基本的な情報というのが全く無かったので、なにか良い書物はないのかなとおもって手にしたのが、この本だ。だが、買って失敗した。そう思ったのが、これが小説だからということもあるのだが、話が飛びすぎて、わけがわからなくなってしまうからである。そんな事実はみんなもともと知っているよねというのを前提で書かれているようにしか思えないからだ。せっかく鄭和について書かれているので、永楽帝の庇護の下に大航海が開催されたいきさつが知りたかったのだが、これではぜんぜんわからない。読み進むうちに勝手に、永楽帝が好んで重用したというのが書かれるようになっているのだが、じゃ、なぜ重用したのかというのが全くわからない。ちなみに、鄭和は、イスラム教徒であり、漢民族出身者ではない。さらにいうと、前王朝の元朝の高官の息子だったということだったというのがわかったのだが、そんな鬼の子をとったように、天敵に関係するようなガキんちょを自分の部下にするといういきさつが不明だ。宦官にされたのはわかる。先述の通り、前王朝に関する子供だからであるからだろう。が、どうやら通常の宦官たちとは違い、宦官になるための儀式として、完璧に性器と陰嚢を取られたということではなく、単に性器だけとられたらしい。だから、完璧な女性的な性格にはならなかったということだ。女性的な要素が出なかったから、中途半端に男性的な要素が残っているために、あんなタフな人間じゃないと達成することができなかったという大航海のチャレンジについてはできなかっただろうと思う。
ちなみに、大航海は第3代永楽帝のときに行われたのであるが、その永楽帝は皇帝になるまでは北京を中心とした、常に元の襲撃を受ける場所に駐屯していた。その永楽帝と鄭和の関係についてもよくわからない。そういうのを全部すっ飛ばして、鄭和が航海に乗り出すところだけをメインで書かれているので、中途半端に鄭和のことを知ってしまうという危険は有る。だから、船の旅が好きな人ならば、結構楽しいかもしれない。海の上でなにが起こったとか、滞在地でなにが起こったかというのが書かれているからである。冒険モノが好きな人はぜひどうぞ。歴史を勉強したい人にとっては物足らないものだろう。
ただ、この本、書かれている文字が結構大きい。本の厚さはちょっと有るので、読むのに時間が掛かるだろうなと思っていたのだが、ぜんぜん時間が掛からなかった。ただし、最初の内容を理解するのに、すこし時間が掛かるかもしれない。
ただ、鄭和は魅力的な人物だ。ヨーロッパの大航海時代よりも100年も前にすでに中国からアフリカまで政府の資金によって航海をしたのは、記録として鄭和が世界で初めてである。民間レベルでは、すでにイスラム商人がインドや東南アジアとの交易をしていたから、海を伝って航海をしていたのは当然だろう。だが、これはあくまでも民間人が商売をもとめて海を渡ったもので、歴史的に名を残すために実績を残したというものではないというものだ。陸路だと砂漠地帯をとおらねばならないし、海だと遭難してしまう危険もある。どちらも危険であるのだが、商売のためとはいえ、いずれかの方法で遠い世界と接続するような出来事を実施したのは恐れ多い。いまだと、飛行機でひとっ飛びのところだ。
鄭和 - 中国の大航海時代を築いた伝説の英雄 -
太佐 順 (著)
文庫: 437ページ
出版社: PHP研究所
発売日: 2007/11/1
2010/03/31
中国鉄道チケット実名購入制度開始
なにかと管理と統制がうるさい中国では、さらにひどい施策が今年から施行することになった。それは鉄道に乗る際の購入する切符には、身分証明書を提示して購入するというもので、購入した切符には購入者の身分証明書番号が記載されることになる。これによって、外国人も中国の鉄道の切符を買う際には、普通に買える状態ではなく、持っているパスポートを提示し、切符に本人の身分証明を示すパスポート番号が記載されることになる。
この施策を導入した「表向き」の理由は、切符の転売を防ぐためのものだと中国鉄道省は説明をしている。導入は今年の春節前の1月21日から導入された。春節時期には、日本の盆や暮れと同じように、民族大移動のように大量の人たちが鉄道で故郷へ移動することが風物詩になっている。これに便乗して、春節のころに運行する電車の切符を買い占めて、それを転売するような悪質業者がたくさん現れたことにより、そんな転売システムができないようにしたというのが施行の理由だ。日本でも切符がなかなか買えなくて、暮れに帰れなくなっているという人は多いという話をよく聞くが、その切符購入の競争力としては、中国に敵うわけが無い。
乗車時には、飛行機の搭乗時の切符保有者と本人の確認性をチェックされるのと同じように、改札口のところで、切符と本人の確認が必要になる。もともと中国の鉄道は、好き勝手にホームに入れる方式になっているのではなく、その切符を持っている人は、決まった時間にならないとホームに入れないような仕組みになっている。もちろん、北京の地下鉄で手荷物検査を受けたのと同じように、中国の鉄道では、改札後には、手荷物検査とX線検査を受けることになるという厳重ぶりであるのは、変わらない。基本的には住民に対して信用をしていないというスタンスを政府が行っていることによる政府の防御策で行っていることなので、住民および旅行者はこれを理解したうえで中国旅行をしなければならない。改札で切符のチェックをされるから、必要以上に出発前には余裕を持って中国の鉄道駅に行くべきだとおもう。
それでも偽装切符というのは中国では存在することは、さすがコピー天国の中国だと思う。さすがに現在の大きな駅では自動改札を導入しているのであるが、その際に偽装切符は判別できる仕組みになっているため、そこで偽装切符は発覚するのだが、最近発覚したのは、ちゃんと購入者の身分証明番号が記載されているものであり、業者の手の込んだ犯罪が目立っている。こういう場合、購入者は下手をすると身分証明証を不正に利用したという意味で重罰になるときもあるので注意である。
さて、ここで冒頭に、記名式の切符を導入した理由が「表向き」と記載したのは、中国の場合、政府がやることは絶対表と裏があるとおもっているからだ。表向きはダフ屋の一掃というのが名目にしているのだろうが、実際には、誰がどこにいつ移動しようとしているのかを明確に把握したいという意図が政府に有るのではないかと思っている。情報網が発達しているので、中国政府がサイバースパイを大量に使って、問題有る人や他国の情報を抜き取って、先制的に相手にダメージを与えるようなことをしているのは世界中では報道されている。ただ、情報網でいくら監視をしても、人間の動きを把握するのはなかなか難しい。それを手っ取り早く行ったのは、移動手段を使う際に、誰がどこにいつ移動しようとしている情報をあらかじめ知っておくことである。
たとえば、標的の人物がいくらネット上で会話やメールをしていたとしても、それが本当かどうかの判断はできない。しかし政府管理下の移動手段を利用しているということがわかれば、その標的が移動先で何をしようとしているのかというのを事前に把握でき、豚箱にぶち込みやすくできるというものである。またはチベットやウイグルのように独立心が高いところの人間が、ある一定の場所に集まってきて、暴動でも起こした場合には、政府としては憎き相手として、この世の終わりで、相手が絶対悪いという論調で世界中に発信するが、その暴動が起こる前に先手を打って、世界に「中国は安全で素晴らしい国」とウソばかりの報道を先手を打って活動することができるというメリットがある。
以前は、住民がほかの街に移動する際に、その土地から逃げ出さないように管理当局に事前に報告をして、いつどんな目的でどこに行くのか報告しなければならないという施策は中国ではあった。いまでも北朝鮮はそれを継承している。ただ、これだけ金のなる木が都会に、それも沿岸部に集まってきているというであれば、農村部にいる人間が沿岸部へ移動しようと大量に集まってきているのを制御するのは難しい。そこで金儲けをするために移動するのはOKにしようというのが、改革・開放運動の結果起こってしまった。が、ここに来て、チベットやウィグル、および外国人が中国国内に大量にやってきて、そんな外国人が中国政府の関与できないところで余計な宣伝をして、中国を分裂させるようなことをさせるのは絶対に許せないと、漢民族優位性および全世界は中国のモノという中華思想を徹底している限りにおいては、世界の動きと全く違う考えが中国に固まってしまっているのは否めない。通行証というと、中国はやっぱり野蛮だとか北朝鮮と同じだと劣等的な扱われ方をされるのは、面子第一の国としては許されない。そこで苦肉の策として、鉄道移動については記名制にするというのを打って出たのだと思う。すでに飛行機は記名制であり、中国では国内線でもパスポートや身分証明書の提示は必須である。
やっぱり中国って恐ろしい。
レコードチャイナのニュース
URL : http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=39752
MSN ニュース
URL : http://sankei.jp.msn.com/world/china/100113/chn1001131000001-n1.htm
中国国際放送局
URL : http://japanese.cri.cn/881/2010/01/21/147s153514.htm
この施策を導入した「表向き」の理由は、切符の転売を防ぐためのものだと中国鉄道省は説明をしている。導入は今年の春節前の1月21日から導入された。春節時期には、日本の盆や暮れと同じように、民族大移動のように大量の人たちが鉄道で故郷へ移動することが風物詩になっている。これに便乗して、春節のころに運行する電車の切符を買い占めて、それを転売するような悪質業者がたくさん現れたことにより、そんな転売システムができないようにしたというのが施行の理由だ。日本でも切符がなかなか買えなくて、暮れに帰れなくなっているという人は多いという話をよく聞くが、その切符購入の競争力としては、中国に敵うわけが無い。
乗車時には、飛行機の搭乗時の切符保有者と本人の確認性をチェックされるのと同じように、改札口のところで、切符と本人の確認が必要になる。もともと中国の鉄道は、好き勝手にホームに入れる方式になっているのではなく、その切符を持っている人は、決まった時間にならないとホームに入れないような仕組みになっている。もちろん、北京の地下鉄で手荷物検査を受けたのと同じように、中国の鉄道では、改札後には、手荷物検査とX線検査を受けることになるという厳重ぶりであるのは、変わらない。基本的には住民に対して信用をしていないというスタンスを政府が行っていることによる政府の防御策で行っていることなので、住民および旅行者はこれを理解したうえで中国旅行をしなければならない。改札で切符のチェックをされるから、必要以上に出発前には余裕を持って中国の鉄道駅に行くべきだとおもう。
それでも偽装切符というのは中国では存在することは、さすがコピー天国の中国だと思う。さすがに現在の大きな駅では自動改札を導入しているのであるが、その際に偽装切符は判別できる仕組みになっているため、そこで偽装切符は発覚するのだが、最近発覚したのは、ちゃんと購入者の身分証明番号が記載されているものであり、業者の手の込んだ犯罪が目立っている。こういう場合、購入者は下手をすると身分証明証を不正に利用したという意味で重罰になるときもあるので注意である。
さて、ここで冒頭に、記名式の切符を導入した理由が「表向き」と記載したのは、中国の場合、政府がやることは絶対表と裏があるとおもっているからだ。表向きはダフ屋の一掃というのが名目にしているのだろうが、実際には、誰がどこにいつ移動しようとしているのかを明確に把握したいという意図が政府に有るのではないかと思っている。情報網が発達しているので、中国政府がサイバースパイを大量に使って、問題有る人や他国の情報を抜き取って、先制的に相手にダメージを与えるようなことをしているのは世界中では報道されている。ただ、情報網でいくら監視をしても、人間の動きを把握するのはなかなか難しい。それを手っ取り早く行ったのは、移動手段を使う際に、誰がどこにいつ移動しようとしている情報をあらかじめ知っておくことである。
たとえば、標的の人物がいくらネット上で会話やメールをしていたとしても、それが本当かどうかの判断はできない。しかし政府管理下の移動手段を利用しているということがわかれば、その標的が移動先で何をしようとしているのかというのを事前に把握でき、豚箱にぶち込みやすくできるというものである。またはチベットやウイグルのように独立心が高いところの人間が、ある一定の場所に集まってきて、暴動でも起こした場合には、政府としては憎き相手として、この世の終わりで、相手が絶対悪いという論調で世界中に発信するが、その暴動が起こる前に先手を打って、世界に「中国は安全で素晴らしい国」とウソばかりの報道を先手を打って活動することができるというメリットがある。
以前は、住民がほかの街に移動する際に、その土地から逃げ出さないように管理当局に事前に報告をして、いつどんな目的でどこに行くのか報告しなければならないという施策は中国ではあった。いまでも北朝鮮はそれを継承している。ただ、これだけ金のなる木が都会に、それも沿岸部に集まってきているというであれば、農村部にいる人間が沿岸部へ移動しようと大量に集まってきているのを制御するのは難しい。そこで金儲けをするために移動するのはOKにしようというのが、改革・開放運動の結果起こってしまった。が、ここに来て、チベットやウィグル、および外国人が中国国内に大量にやってきて、そんな外国人が中国政府の関与できないところで余計な宣伝をして、中国を分裂させるようなことをさせるのは絶対に許せないと、漢民族優位性および全世界は中国のモノという中華思想を徹底している限りにおいては、世界の動きと全く違う考えが中国に固まってしまっているのは否めない。通行証というと、中国はやっぱり野蛮だとか北朝鮮と同じだと劣等的な扱われ方をされるのは、面子第一の国としては許されない。そこで苦肉の策として、鉄道移動については記名制にするというのを打って出たのだと思う。すでに飛行機は記名制であり、中国では国内線でもパスポートや身分証明書の提示は必須である。
やっぱり中国って恐ろしい。
レコードチャイナのニュース
URL : http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=39752
MSN ニュース
URL : http://sankei.jp.msn.com/world/china/100113/chn1001131000001-n1.htm
中国国際放送局
URL : http://japanese.cri.cn/881/2010/01/21/147s153514.htm
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