
統一会堂は、時代とともにその呼び名が変わっている。フランス統治時代にこの土地に建物が作られた1873年からカンボジア王にちなんでノロドム宮殿(Norodom Palace)と呼ばれ、コーチシナ政府の政務ビルとして使われ、フランス領インドシナが形成された1887年からは政府宮殿(Governor's Palace)として使われた。第2次世界大戦を挟んで、1955年にゴー・ディン・ディエムがベトナム共和国を建国したときには、独立宮殿(Independent Palace)と呼ばれるようになった。1975年に北ベトナムによるベトナム統一を機に、ここは統一会堂(Unification Hall)と名前を変える。
この建物が世界的に有名な建物にしたのは、北ベトナムの戦車群が、宮殿の壁をぶち壊して、宮殿前の広場になだれ込んできたときの映像が世界中に配信されたことによるだろう。生でこの映像は見たことが無いのだが、ベトナム戦争の終結に伴ない流されたこの映像として、常にベトナム戦争の記録映画には出てくる場面である。それだけベトナム戦争は世界中の人たちに衝撃をあたえ、さらに1つの国が戦争の勝ち負けによって消滅してしまうという現場に立ち会うことが出来たという意味では、強烈的な映像だったことだと思われる。
統一会堂の敷地に入る前には、荷物検査を行わされる。ただし、中国とは異なり、荷物検査のほかに身分証明書を見せるということはまず無い。重要な建物であるために、破壊されないようにするためというのが目的である。中国共産党のように、住民および観光客をもともと信用していないという考え方とは全く異なる。







・内閣会議室(Phong Hop Dong Noi Cac)








































娯楽室はサロンのような使い方をされた場所のように思われる。ここで音楽と酒があれば完璧だ。ただ、びっくりしたのは、ベトナムでも麻雀で遊ぶ文化があったということだろう。雀卓とパイが一緒に置かれているのをみたときに、ここはいったいどこなんだ?とおもってしまった。現在のベトナム人が麻雀を楽しむのかどうかは不明だ。今後ベトナム人に聞いてみたいところである。







最上階のこの場所は、展望台にもなっているところなのだが、なんといっても見所は2箇所ある。1つは、北ベトナム軍がこの官邸になだれ込んできて、官邸を陥落させたときに北ベトナムの旗が振られた場所でもあること。それと北ベトナム軍の空軍中尉であるNguyen Thanh Trungが1975年4月8日8時半に、最初にこの建物を爆撃しようとして爆弾を落としたという場所が、当時アメリカの援助で戦っていた南ベトナム軍が使っていたヘリコプターが並んで置かれているというのを観ると、生々しい。



















ただ、ベトナムのこう言う場所はだいたい昼休み時間帯というのが存在する。それも2時間みっちり取る。だから、昼ご飯時間帯に行こうとすると閉鎖中になっているので、時間帯を考えて行動したいところだ。この日も、のんびりと地下の作戦本部内を歩いていたところ「そろそろ閉館だから、さっさと出てねー」と係員の人に言われてしまった。なんでかなー?とおもって時計を見たら11時だったからである。その代りに、朝は7時半から開園しているので、早起きして訪問するのもいいだろう。
統一会堂(Dinh Thong Nhat)
Open : 7:30am~11:00am, 13:00~16:00
Holiday : 特に無し(ただし、国賓を迎える日は閉鎖)
Admission Fee : 15,000 VND
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