ミンマン帝(明命帝)は阮朝の第二代皇帝であり、父親のザーロン帝(嘉隆帝)の後をついで国家の基盤つくりに躍起になった人である。
死ぬ寸前に建設を着手し、約3年間かかって作られたこの廟は、カンディン帝廟とはまったく異なり純中国風の作りになっているというのは、ミンマン帝が中国を宗主国と見なし、朝鮮と同様に自らの国家を「小中華」の位置付けにしようとした結果の現われなのだろうと思う。20年間の統治の中で、ミンマン帝がやったことは、清国と同じ政策として鎖国である。17世紀以降東南アジアにじゃんじゃんやってきたヨーロッパ人も、当時は当然ながらやってきたが、断固として拒否したことがあとでフランスの怒りを買ってベトナムが植民地化されてしまう結果を作った張本人である。
そんな帝廟は、入口がなんだか寂しいくらい寂れている。それも車が止まる簡易駐車場みたいなところから廟の入口まで、民家の裏庭みたいなところをしばらく歩いて行かねばならないのである。途中、その民家から「バナナ食べない?」としきりに庭の柵越しに営業活動をしてくる。これがうるさいのだ。また可愛らしいことに、飼われている鶏が、本当に放し飼いになって育てているため、元気の良さそうな卵も一緒に売っているのである。鶏の放し飼いなんて、よほどの田舎に行かないと日本では滅多に見られなくなった風景なのだが、ここではこんな有名な廟の前では普通に行なわれているのが面白い。







まず最初に見えてくるのが、ミンマン帝が生前に行なわれた業績を記した石碑のある建物である。真っ赤な柱が印象的な石碑の建物は、十数段の階段を上って石碑のところにいくことができる。これまた細かい字でたくさんのことが書かれているようなので、じっくり時間をかけて解読したい人はどうか解読してほしい。



















0 件のコメント:
コメントを投稿