2012/02/28

美しい国ブータン(書籍)

東日本大震災の復興祈願のためと、ご自身の新婚旅行先として日本を選択し来日したブーダン国王夫妻のニュースは、滞在中ずっと報道されていたし、これによってヒマラヤの王国であるブータンについて、一般日本人にもその存在を知ることができるようになったのは記憶に新しい。そして、報道の際に一緒に「国民総幸福感」というのを高く掲げている国であるということも報道され、物質主義で金満国家になっている日本人にとっては、有る意味衝撃的な情報がたくさん入ってきたことだろうと思う。ものが無くても幸せであるという考え方を全国民が持っていることの衝撃は、田舎モノの集まりで、商売のことしか考えていない日本人にとっては、なぜものが無くて、金が無くても幸せでいるという考えが生まれてくるのか、たぶん国王夫妻滞在中のこの熱狂的な報道に付いて多くの馬鹿は理解に苦しむ状態で、国王夫妻が日本を離れることを願っていたことだろうと思う。それだけいまの日本においては、「モノがあることが幸せ」という物質論が植えつけられてしまったことが原因だろう。田舎モノは田舎モノのまま生活して要ればよかったのに、一度都心の良い生活を味わったことによって、田舎にいたときには普通だと思っていたことが、時間が経過することによって苦痛に感じてしまい、中国人のように拝金主義および物質主義の考えが当たり前に変わってきたことによるものだろう。これほど今の日本人は精神的に貧しい状態になっており、さらに追い討ちをかけるように、日本経済が全くうまくいかない混沌とした状態になってしまったことと、「ものが無くても別に構わない」という考え方が全く生まれてこないために「自分が生きていること自体が全く意味が無い」と意味不明な短絡思考が出てきて、自殺する人がたくさんいるのも日本であるが、ブータンではそんなことはほとんどない。物質主義の人たちがたまに「ブータンは何も無くても困っていないというが、実際には不満はたくさんある」と主張する人が居るが、だいたいはこれはブータンに居るネパール人の思考を引用しているものである。ブータンに居るネパール人は在日韓国人と同じで、いつまで経ってもブータンの民俗と溶け込もうとせず、自分たち独自の文化を貫こうとしており、常にブータンを占領しようと躍起になっているのだが、なかなかその占領ができないというジレンマがあり、国王がブータン人はブータン的生活が鉄則と法令化してしまったことに対する不満がふつふつあるというのを横から聴いているだけの伝書鳩のようなひとたちが日本で代弁しているだけである。

そんな背景が日本社会とブータンのなかにあるということを認識しつつ「美しい国ブータン」を読むと、普段何気に過ごしている際に不満だったり、苛立ちだったり、うまくいかなくて神頼みしたくなるような気持ちになったりすることが、馬鹿馬鹿しくなるのである。題名には「美しい」と書いているのだが、これはブータンには自然が一杯あって、眼に見るものすべてが昔の日本のように牧歌的で良いというような意味ではない。これは精神的に美しい考え方・思考をブータンの人たちは持っているという意味を記している。ブータン人と記載したが、決してブータンにいるネパール人のことを代弁しているわけではない。このひとたちは単なる外部の人たちなので、有る意味邪魔者であるから、この本を読む際にはネパール系の住民のことは削除して考えなければならない。

チベット仏教を国教としており、その宗教観が僧侶だけじゃなく一般住民にも深く浸透していることは、生活スタイルにもそのまま反映されているものだろう。日本人から見たときに、ブータン人はなぜそう思うのか?なぜそういう行動を取るのか?なぜそう気持ちにゆとりがあるのか等々のことを筆者が感じた内容と通して知ることができる。そして、経済的に豊かであることが、人間の心情的に決して満足するもののファクタの1つであるということがいかに馬鹿馬鹿しいかということが理解できるものだ。たぶん、国教を接している中国に住んでいる人間たちにとっては、ブータンのこの考え方は死んでも絶対に理解できないと思う。あの人たちは基本物質主義・拝金主義であり、金があれば何でもできる、金があることが幸せの条件であるということしか考えたことが無い人たちなのである。だから、同じチベット仏教を信仰しているチベット自治区の人たちに対して、中国共産党たちは「危険な思想だ」と考え、「分離独立をするのは許さない」という理由をあとからくっつけて、毎日のように迫害を繰り返しているというものである。また、中国にモノを売って経済を潤っている諸外国たちも、本当は中国に対して迫害を徹底的に阻止するような運動をしたいところだが、中国を怒らせて貿易ができなくなって商売上がったり担ったときに、自国の企業民たちから突き上げられることが怖いので、いまだに「人権無視だ」と高々にいっている国はほとんどない。

話がぶっ飛びすぎたが、これだけ情報社会になって、インドから物資が来たりして、ブータン以外の外の世界の情報が来ているのにも関わらず、ブータンの人たちが昔ながらの服装と生活スタイルを変えないで生活しているということは、中国人のような物質主義・拝金主義的な考えがあまり浸透していないことを意味する。しかし、仲にはネパール人や商売で入り込んでいる中国人から、本来持っていない邪悪な欲望を地元のブータン人に洗脳して、ブータンでも金が重要だ!とほざくのもそのうち出てくるだろう。でも、まだ出てこない。それはやっぱり大きなところではチベット仏教の教えをどの人も深く持っているからなのだろうと思う。この訓えによる信仰は深い。

本書では、ブータン人の宗教観からみる生活スタイルをいろいろな角度で紹介しているので、どちらかというと、なんだかちょっと宗教本のような、洗脳本のような気がしなくも無い。ただ、読んでいると、なぜか元気になる。それは経済的に発展している日本に住んでいる自分が、経済的には遅れていて、牧歌的な生活をしているブータン人を見下していて、貧しい人はまだまだ他にもいるからという安心を本を通して得られるという意味を示しているのでは全く無い。昔の日本はほとんどが農民であり、生活スタイルはいまのブータンと同じようなものだと思う。それを改めて素晴らしいことだということを書物を通して知ることで、せかせかして突っ走っている自分が馬鹿馬鹿しいと思うことに元気が出てくる要素を見出すことができるというものだ。

東京に住んでいる人が北海道に行って、なんだかホッとするという感じを得る人も多いと思う。あの大草原や全くなにもないような景色を見たときに、「つまらん」と思う人は、この本を読んでも全く感銘を受けないだろうし、読む必要は無いと思うし、ブータンのぞない自体も知らなくていい。知ったとしても、「どうビジネスにつなげられるか」という汚い考えしか出てこないことだろう。そうじゃない、大半の人は北海道の農村や寒村にいったときに感じるような、自然と人間との融合について改めて知ることができるという感覚を、文字を通して知ることができるものだ。心にゆとりが無くなった人は、是非、行き帰りの通勤時間を使って読むことをお勧めする。

文字がそんなに多くなく、そして小さくないので、ささーっと1日もあれば読むことができるような分量だ。挿絵はそんなに多くないので、視覚的にはなかなか理解できないかもしれないが、いろいろな想像をもってブータンにいる人を感じてみてはいかがだろうか

美しい国ブータン (かに心書)
著者:平山 修一
出版社: リヨン社
出版日:2007/09

2012/02/27

台湾鉄路と日本人(書籍)

台湾を旅行するとあちこちで日本統治時代の残り香というのを感じることができるのだが、こと、鉄道に関しては、本当に日本統治時代の名残をそのまま踏襲しているし、現在の台湾繁栄の基礎はこの鉄道の敷設による物流の高速移動の賜物だというのを理解することができる。そこを台湾在住で鉄道オタクの片倉佳史さんが、日本統治時代に先人が台湾反映のためにいかに鉄道敷設を考え、そして先見の明で戦略的に鉄道の重要性と敷設に伴う悪戦奮闘があったかを1冊の書物にまとめた大作だと思うのが「台湾鉄路と日本人―線路に刻まれた日本の軌跡」である。

日本統治以前の清の時代にも短距離ながら鉄道が敷設されていたが、その重要性については全く当てにならず、そして高価な運賃だったためにほとんど利用者が居なかったというものを根本的に見限って、最初から鉄道建設に対してどこを重要拠点にし、なんのためにその鉄道を敷設するかという明確な理由付けを持って建設に紛争していたのかがこの本を読んでよくわかった。まさに児玉源太郎・後藤新平の黄金コンビによる台湾統治に対する強い思いだったといえよう。ヨーロッパ諸国の植民地政策は、現地から労働力と物資の搾取をすることしか考えてないのだが、日本統治をした統治者は、物資は台湾が独立しても産業化できるように育てたし、統治者による労働力の不足は原住民に委ねたのは仕方ないとしても、鉄道建設の際に世話になった原住民たちは、実は無料で鉄道を利用できたという話を知って、それはびっくりした。ゴミ捨てのように労働力だけ使って、使ったあとは捨てるだけというのが統治者のやり口が一般的なのだが日本人はここが違ったのを、証拠資料と存命している原住民の方たちに取材してそれを文章化したところは、論文に値する内容だと思う。

日本統治自体には台湾縦断鉄道の建設は絶対的に必要だった。なぜなら、基隆と高雄の2つの港を重要港とすることにし、それを結ぶ両端をつなげることが、台湾経済の発展に絶対必要だと考えた先人はすごい。また、すべての路線について、その路線の重要性についても理由をもって考えていたこともすごいのだが、台湾の西部の縦貫線を乗ると、台中あたりが海線と山線に分かれている理由というのがこの本を読めば解るのも面白い。ただ、当時の日本では作った後に「やっぱりこっちのほうがいい」と即効で諦めて、当初からあった山線をやめて海線にしたという決断の早さは、いまの政治家は見習って貰いたいところだ。

書物の中には、現在の台鉄の路線だけではなく、材木搬送用の路線やサトウキビ搬送用路線という特殊路線や、人力で押してタクシーのように使ったという台車軌道という、現代人ではあまり馴染みのないような路線まですべて網羅しているところが面白い。台車軌道は、台北郊外の烏來に観光用として電動化された路線が残っているのだが、ここがかつては人力で押していたと考えると、かなり苦労していたんだと感じることができるが、こういう路線は台湾全土にいたるところにあったことを本から知って、改めてびっくりした。一番びっくりしたのは、台湾南部は一大サトウキビの産地であったため、その産地から製糖工場へ運び、その先輸出のための港へ運ぶための鉄道が縦横無尽に敷かれていたのを知ったのはびっくりした。確かに、台湾中部から南部に行くと、「車站跡」というのを見ることがある。これは全部製糖路線のための駅跡なのであるのだが、こういう歴史のことは誰も教えてくれないので、頭の整理になってとても勉強になった。路線についても、言葉の説明だけではなく、筆者が鉄道オタクならではの、書店で売られている時刻表のように巻頭に路線図を掲載しているところが見た目でわかりやすい。

若干、途中でSL機関車の技術的な能力や鉄道の軌道幅に関する情報が記載されるが、これは補足資料であるだけで、鉄道の基礎知識なんか無くても十分に楽しめる本だと思う。インフラ設備を建設する際に必要な事前情報はどういうことが必要かとか、建設にはどういうポリシーが必要かとか、計画した内容を実行して完成するためにはどういうことが必要かという面でこの本を読むと面白い。経営者のひとはとても参考になると思う。決して、なにかを犠牲にするということはない。しかし、時には諦めも肝心だし、何が何でも敢行するという徹底性も必要だということ、そして、なんといっても、頭をフル回転にして短期間で決断をするという潔さが必要だということを知る。鉄道というものは単なる乗り物ではなく、100年先を見た総合プランナーの力がないと達成できない偉業だということを知ることができよう。

面白いのは、台湾の鉄道唱歌というのを巻末に載せていることだ。基隆から始まり、台湾一周をすべての駅を使って、その駅にちなんだ歌があるということ。現在の駅名とは異なる場合もあるのだが、元の駅名で作られている歌は味があって良い。そして、すべての歌には当時の地域の風景や周りの状況というのも盛り込まれているので、とても面白いから是非最後まで読破していただきたいところだ。

台湾に生きている「日本」の書評でも記載したのだが、同じ著者による作品なので、できれば、先に「台湾に生きている「日本」」のほうを読んだあとに、今回紹介している本を読んだほうが頭の整理になると思う。

それにしても、片倉さんの鉄道好きという趣味の部分と台湾の歴史や文化を探求するという研究心が融合すると、大学教授による論文なみの作品ができるもんだなというのはとても感服してしまう。

台湾鉄路と日本人―線路に刻まれた日本の軌跡
著者:片倉 佳史
出版社: 交通新聞社
発売日: 2010/02/15

2012/02/26

ようこそポルトガル食堂へ(書籍)

ポルトガルの料理ってどういうものだろう?という単純な興味から買ってみたのが、「ようこそポルトガル食堂へ」というA5版の書籍。小さい国土のポルトガル全土を廻って、家庭料理からその土地の有名料理まで幅広く紹介していることと、その紹介では、ほとんど写真付きだし、作り方まで掲載されているというものであるから、読んでいて、その光景をみるだけで涎が出てくる感じがする。

まず、本の表紙では、本の中にエピソードで登場するおばさんが料理を作っている途中、スープの味見をする写真が掲載されているのだが、これが本当にいまにも動きそうな様子で「うん、よくできた」と次のコメントが出てきそうな良いショット写真なのが、心をワクワクしてくれる。

各街を訪問して、そこの美味しいと評判のレストランに行ったり、地元の家に泊まって家庭料理を紹介したりしているのだが、ポルトガルを旅行する人にとっては、どれもこれも少し紹介されている店には時間の関係上辿り着けないのだろうと思う。なぜなら、旅行者にとっては、旅行の中身と時間の制約とはトレードオフなのだが、ここではほとんどポルトガルで生活している筆者が評判の場所に行ってみて、堪能できるだけ堪能してくるという形式で料理を紹介しているために、ふらっといくには行きにくいところばかりなのだ。実際にそのレストランやおうちに時間が制約されている旅行者が行くことはできなくても、似たような料理というのは当然ポルトガルには存在するわけで、メニュを見たときに「なんじゃ、こりゃ?」と戸惑うよりは、この本で記載されている内容を事前に予習をしていくのもいいんじゃないのだろうか?

紹介されている内容が、女性特有の目線で書かれているために、御飯大好き、作り方にはすごい興味があるというような読者にとっては、これほど詳細に書かれて、是非自分でも行ってみたいというような気持ちにさせるようなことは無いだろう。取材をしている視点というのがすごい狭い範囲で見ているために、これはこうなってというのが詳細にわかるところがたぶん楽しくなる要素なんだろう。男目線であれば、料理の手順を説明する場合には、一通り説明するのはいいとしても、切っている最中や仕込をしている最中の心情までは取材や記載は全くしないだろうと思うからだ。本の中で随所に出てくるので、それは文章を読みながら感じていただきたいと思う。

また、取材している筆者が女性だからということもあるのだろうが、ローカルの人でその店に来ている人、レストランのシェフ、あとは訪問先のホストが快くウェルカム体勢で接してくれているのは特権だなとおもう。男が取材をすると、相手が悪い人ではないのはわかっていたとしても少し警戒感を持って最初は接してこられるときもあるのだろうが、そこは女性の武器を使っているところも素晴らしい。ご本人はその意識は無いと思うのだが、やっぱりラテンの血が流れているポルトガルの人たちにとっては、男性なら女性に対して優しくなるのは当然であるという土壌があるようだ。

ポルトガルの歴史や文化については、この本では一切出てこない。そういうのは抜きにして、純粋に食べ物のことについて楽しめる本に仕上がっている。もちろん、この中には料理だけではなく、ワインのことについても詳細に述べられている。あまり日本ではメジャーにはなっていないのだが、ポルトガルも有名なワインの産地である。その中でもポルトは、その場所名がひとつのブランドになるくらいの一大ワイン算出地であるのだが、そこにもちゃんと取材をして、ワインの種類もわかりやすく記載している。がぶ飲み用と楽しむ用のワインをどの醸造者も誇らしげに語っているところが頼もしい。ワインを飲む際には、こういう作っている人たちの自信も堪能したいところだ。

挿絵のようにポルトガル各所で見つけたお土産用になる小物も紹介されているので、女性にはさらに楽しい本だろうと思う。が、まったくポルトガルとは何ぞや?というような根本的なポルトガルの知識は全く身に付かない。

ようこそポルトガル食堂へ (私のとっておき)
著者:馬田 草織
出版社: 産業編集センター
発売日: 2008/04/11