2009/02/21

孔子廟(長崎)

関帝廟はいたるところにあっても、孔子廟というのがあるのは日本でも長崎だけである。それも中国政府の協力で作ったというのであれば、なおさら長崎と中国のつながりの深さを示すものだ。長崎の孔子廟は1893年に造られたもので、当時の中国はまだ清王朝も末期。西太后がまだその権力をばんばんだしまくっていた時期で、翌年が日清戦争の開始なので、歴史的に考えるとなかなか面白い時期の建設だ。
入り口はなんだか貧相な造りの孔子廟だという印象であったが、それは単なる入り口であって、中に入ると立派も立派。金はたいそうかかっただろうと思うくらいの立派なつくりだ。
第1の入り口を入ったあとに、ようやく孔子廟と書かれた門が出てくる。そのあとには、正面に正殿である大成殿を中心に、前庭に孔子の弟子を模した72人の賢人像が左右に並んでいる。ランタン祭りの時期かもしれないけど、こんなところにまでランタンが飾っているのは、孔子廟だと様になっているとおもうが、普段にもランタンが飾っているのかどうかは不明だ。
正殿の中にはいると、祭りに使われるであろう御輿や楽器がある。また象牙でできた彫り物や中国ならではの細かい彫刻も何気なく飾っているのは見ものだ。

オランダ坂


開港後のあとの長崎は、たくさんの西洋人とその子女がやってきて生活していた。そのために彼らの住居や生活の中心地というのが高台に作られたのであるが、その高台にほうに歩く西洋人をなぜか長崎の人たちは「オランダさん」と呼んでいたようだ。出島という閉鎖的な空間でしか行動が許されていなかったが、開港前から日本にやってきた西洋人はオランダ人だけであったためなのだそうだ。その「オランダさん」たちが使っていた坂だからと言う意味で「オランダ坂」というの名前がついた。

オランダ坂は噂で聞いていてのではあるが、これはとても急な坂である。上るのも降りるのもかなり難儀な坂だった。これを毎日歩いていたのだという当時外国人は足腰が強かったのだろうと予想される。まさか、ここを人力車で動いていたということは考えられない。いや、函館のロシア領事館も坂の上にあったが、そこにも人力車で通っていたというから、もしかしたら長崎でも怪力な人力車の労働者がいたのかもしれない。
足腰の強い人は、ここを駆け足で上って欲しい

長崎中華街

長崎は中国人が作った街というのがわかるくらい、中華街が中心にある。これは横浜と似ているようで少し違うようだ。中国大陸から一番近い開港されたところだからだろうが、とにかく中華街抜きの長崎はありえない。

今回長崎に行ったときは、なんと長崎きっての祭りである「ランタン祭り」の開催中だった。この祭りを見るために日程を調整したというわけではなく、実は日程を組んだあとに、ランタン祭りがあることを知ったのであった。ランタン祭りというのが長崎にあるのは知っていたが、それはもっと後の時期だろうとおもっていたからである。ここ数年は、旧正月の時期がちょうど建国記念日あたりになるような時期だったものなので、今回の旧正月についても同じ時期だと思っていたからである。西洋化してしまった日本では旧暦の正月を祝うという習慣が無いために、いつが旧暦正月か全く気にしない。ところが中国・韓国の人たちは旧暦正月が彼らの正月なのである。ランタン祭りは、旧暦1月15日に尾こなれる祭りなのであるが、その1月15日が新暦の2月8日だったのである。だから、街じゅうどこにいっても、赤いデカい提灯がブル下がっていたのである。1個や2個の程度であれば笑えるのだが、ここまでめちゃくちゃ提灯があると圧倒される。

長崎中華街は、路面電車の「築町」から歩いて2分以内でいける。長崎中華街の正式名は「長崎新地中華街」という。通称は「新地」というのだそうだ。空港へ向かうバスもこの新地エリアにある「ターミナルホテル」と言うところの前から出ている。

ごちゃごちゃさは、横浜中華街とたいしてかわらない。横浜中華街の場合は最近色気を出してしまってごちゃごちゃさを整理整頓してしまった感があるが、まだ長崎中華街のほうは残っていると思う。ただ、長崎中華街のほうが多少規模が小さいために整理整頓する必要が無いというためなのかもしれない。雑貨から食べもの屋までなんでもかんでもあるが、21時ごろには店が全面的に閉まってしまうので、ご飯を食べるのであれば早めのほうがいいかもしれない。

ランタン祭りについては別途記載したい。

グラバー園


修学旅行にも行ったことがあるが、全然記憶がない場所であるグラバー邸に、天主堂のあと行ってみた。グラバー邸って、こんなに坂の上にあるとは思わなかったが、なぜこんな丘の上にあることすらも忘れていたのかが不思議だ。

当時に比べて(いつだよ、当時って!)、いまでは階段のほかにエスカレータもあるので、足が不自由な人も大丈夫だ。(今までの階段)

(新しいエスカレータ)

グラバー邸というから、グラバーという名前の人の家の庭を、なんでそんなに観に行かなくてはいけないのだろうか?と前には思っていたのだが、実際に行ってみて全然違うじゃんというのが分かった。このグラバー邸は真面目にみて歩くと3時間くらいは必要なので、時間が無い人は必要最低限だけを見てちゃっちゃか歩こう。それくらい広いし、高低さがあるので歩くのが大変だ。

長いエスカレータを上っていくと、最初には、旧三菱重工長崎造船のドックハウスというところに出てくる。ここはグラバー邸の庭園の中でも一番高い場所にあるので、ここから長崎港が見える風景は最高だ。中はサロンはあるがたいしたことがないので、パス。続いてウォーカー邸と旧長崎地方裁判所長官舎があるが、それはつまらないので、パス。

次にあるのが「リンガー邸」だ。フードチェーン店である「リンガーハット」の名前の元になった人の住まいだ。リンガーという人は、建物が残っているし、店の名前にもつかわれているくらいだから、それなりの有名人か偉人なのかと想像できるが、建物の前にかかれていた説明文を見てびっくりした。世界の商人イギリス人らしいといえばそれまでなのだが、茶の製造輸出から始まり製粉・ガス・発電などの事業にも幅広く手がけ、長崎市の上水道敷設にも尽力することで貢献したようだ。そのリンガーの家というのがまた珍しい。すべてが石造りの洋風館であるからだ。これはどうやら当時の西洋館ではめずらしいことだったらしい。日本では木造中心の建物ばかりだからだろう。その後ろにあるのがイギリス人ウィリアム・オルトの邸宅だったオルト邸である。この建物の特徴はベランダに面しているところだろう。石造り円柱が並ぶポーチ型の屋根だろう。内部はいかにも西洋の家というつくりになっており、優雅な感じがする。こんな家に住んでいて、下界のサルたちの生活を見て、実際にどうおもっていたのだろう。ここ長崎はオペラ「蝶々夫人」の舞台でもあり、日本初のオペラ歌手で世界的に名声を残した三浦環が引退後住んでいたところでもある。リンガー邸では、その三浦環が舞台で使っていた衣装が展示されていたりするのであるが、グラバー邸と蝶々夫人という組み合わせが全然思いつかなかったので、思いがけないところで日本がまた出てきたと感じた。三浦環の銅像がこのグラバー邸にある。
最後が有名なグラバー邸だ。イギリス商人であり「グラバー商会」で財をなしたグラバーの家である。ここでは、実際にグラバーたちが食べていた食事がテーブルに並んでいるので、それを眺めてみよう。イギリス人のくせに、意外にも美味そうな料理を食べている。たぶん世界各地で美味いものを食べてきて、それぞれの良い所を吸収したのだろうと思われる。実際に食べていないので美味いのかどうかは不明だ。想像の世界である。

大浦天主堂

長崎は隠れキリシタンがたくさん居たところでも有名だし、キリスト教徒にとって暗黒の江戸時代を乗り越えて、キリスト教の世界では「解放」と呼ばれているようなのだが、その後に建てられた教会がたくさん長崎にはある。

大浦天主堂はその中でも有名なキリスト教会のうちの1つであるため、いまでは長崎の中の観光地の1つになっている。

路面電車の大浦天主堂下から、右に気持ち悪い四海楼の建物をみつつ、左側にある全日空ホテルの先に、天主堂へ上る坂道が広がっている。坂道の両側にはお土産屋がたくさん軒を連ねており、天主堂とその先にあるグラバー邸にいく観光客を捕まえようと、店の人たちは客引きに大わらわだ。たぶんここだけだとおもうが、お土産屋のくせに名物のカステラを売っているのはともかくとして、そのカステラを「好きなだけ試食してもいいよー、なんだったらお茶も飲んでいきなさい―」と叫んでいるのは笑えた。それに漬け込んで,客のほうも店に入っていくのも、相思相愛で観光地らしい雰囲気だ。
坂道の下、全日空ホテルの敷地内に、意外な石碑が立っていることに気付いた。次の3つである。

・国際電信発祥の地
・長崎電信創立の地
・南山手居留地跡
山手居留地というのは、横浜の山手のように外人がたくさんいたところだから分かるとしても、電信関係の発祥の地であるのは全然想像がつかなかったので吃驚した。商売人のイギリス人がたくさんいたころから、本国のイギリスへ連絡するために手紙じゃない方法で連絡をしようとしていたことから始まったのだろうと勝手に想像した。

さて、坂道を上る。噂に聞く、長崎独特の坂道である。かなり難儀だ。これは年寄りが歩くのは結構大変だ。グラバー邸のところでも書くが、坂道を歩いて上らなくてもいけるように、なんと裏側にエスカレータがあるので、足が不自由な人はそれを利用すればいい。しかし、まだまだ元気だというひとは、是非この急坂を上りたい。正面には天主堂が聳え立つ。日本の教会だけだと思うが「天主堂」と建物に書いているのも少し滑稽に思う。教会の手前には階段になっていて、そう簡単には教会に入ることはdけいない。入り口手前のところで、入館料を払わないと入れないのも、ヨーロッパの教会のように、普段から使われている教会とは違い観光客目当てに商売道具として使われている証拠なのだと思う。それを考えただけでもちょっとガッカリだ。本来ならば、信者の寄付により成り立つのが宗教関係の建物のメンテナンスだとおもうのだが、必要以上に儲かった金はどこで何に使っているのだろう。某蛙オヤジの宗教のように成金宗教を営業しているのであれば別だが、そんなのが長崎にあるとは考えたくない。

残念ながら教会の中は一切の撮影禁止と書かれていたので、まったく中の様子を撮ることはできなかった。中央にはキリスト像が掲げられているのは当然で、中はそれほど広くは無い。西洋の教会と同じように、三式回廊になっており、窓はステンドグラスになっている。壁には、キリストが十字架にかけられるまでの物語が絵にして、わかりやすくしているのは西洋と同じだ。ただ、日本の場合、識字率が高いので、文盲の信者を騙くらせるためには、絵は不要だったのだろう。西洋ほど奇抜な絵や彫刻が無いところが、なんとなく日本の教会の特徴になっているのだと思う。

四海楼(長崎)

長崎の食べ物は数多くあれど、やはり外せないのは「ちゃんぽん」だろう。

長崎にはちゃんぽんの店がたくさんあるが、元祖の店に外して長崎でちゃんぽんを食べたなんて、口が裂けても言ってはいけない。

その元祖の店というのが、幸いにも泊まったホテルから近いところにある「四海楼」だ。この四海楼は、そのへんにある中華料理の建物と同じだと思ったら大間違い。なんで食い物屋ごときにこんな建物を建てているのだというくらいの、巨大で馬鹿馬鹿しい建物である。レストランはその最上階にある。

しかし、気軽に入って食べられるとおもったら大間違いだ。まず、長時間並ぶことを覚悟しなければならない。朝の11時半に開店と書いてあったので、開店前の時間にいちおう行ってみたところ、そんなのは大嘘で、すでに店は開店していたし、お客さんは食べていたし、並んでいる人もたくさんいたし、びっくりした。それよりも、開店前の時間に1階のエレベータ前のところに「只今のお待ち時間は60分」と書いてあったのが吃驚させたのだ。

5階にあるレストランへエレベータであがると、順番待ちの人達がたくさん待っていた。予約ができるのかどうかわからないが、団体客の場合には予約が可能なのだろう。数人のような客の場合には、順番待ちにしか受け付けないようだ。数人で来ている人は、待ち時間の間に、他人のご飯を見ているのがつまらないのであれば、1階にあるお土産屋で時間を潰すのがいいかもしれないが、さすがに1時間も待つ場合には、暇を持て余すだけなのだろう。気長に名前を呼ばれるのを待つしかないと思う。(写真の奥のほうにいるのが順番待ちの人たち)

できれば窓際の席でありたい。というのも、ここからは長崎港や夜景のポイントである稲生山が見えるからである。それを見ながら食べるのは、眼からも満足できるというものだ。

さて、お目当てのちゃんぽんを注文してみた。
正直、普通盛りでも結構なボリュームがある。ちゃんぽんの麺は唐灰汁が入っているので、黄色というよりも少し灰色がかった色をしている。これが独特の味を生んでいるように思える。スープは鶏がらスープなのだろうが、中に入っている野菜と相まって旨みを引き出しているようだ。チェーン店のリンガーハットなんかで食べるのとは全然違うじゃんとおもった。これぞちゃんぽんかーっと舌鼓を打つ。気分的にはちゃんぽんのほかに餃子でも頼みたいとは思っていたのだが,そんなものを頼まなくても大満足だし、もう腹に入らない。

でも、なぜちゃんぽんと言うのかは、所説あるようだが、元祖の店曰く、中国ではよく挨拶のように使われている「ご飯食べた?」の意味を表す「吃飯了嗎」から来たらしい。中国からの船は福建省からの船が多く、長崎には福建人が多く住んでいたようだ。その福建方言である「しゃんぽん」がそのまま「ちゃんぽん」となったらしい。日本人が福建人の会話を聞いて、そのまま言葉として残したのだろう。江戸時代の人が外国人の言葉を聞いたときの不正確さは、他のヨーロッパ言語からの引用と同じようにかなりいい加減なものだ。

中華料理 四海樓
http://www.shikairou.com/
〒850-0921 長崎県長崎市松が枝町4-5
TEL095-822-1296 FAX095-826-7353

ホテルモントレ長崎

長崎に2泊3日で泊まろうとしたときに、出発寸前に予約したこともあり、2泊とも同じところを取るのは難しかったのだ。したがって、長崎では1泊ずつ違うホテルに泊まることにした。1日ずつ移動するのは非常に面倒くさいのであるが、気分転換としてはいい。

最初に泊まったホテルは、「ホテルモントレ長崎」だ。

路面電車の「大浦海岸通り」で降りて、歩いて2分以内にある。路面電車を降りたあと、海を背中にしてメイン通りと垂直に山側の方に歩く、路面電車の駅の傍にコンビニがあるので,コンビニの横の道を歩いていこう。最初の曲がり角に立っているのもうホテルだ。最寄の駅が大浦海岸通りと書いたが、実は「大浦天主堂下」にも比較的近い。というのも、路面電車が曲がっているからである。

ホテルは西洋の古いホテルをイメージした作りになっており、謳い文句は、すべての家具はポルトガルから仕入れたということらしい。どこまで本当か不明だが、ちょっとしたヨーロッパ感覚が味わえられるのはいい。

フロントは、教会の中にいるような薄暗い感じがする。これからミサでも始まるような雰囲気がある。というのも、なぜかこのホテルは教会も併設されているので、結婚式にでも使われているようだ。滞在中にも、1組のカップルがちょうど結婚式をあげるところだったところに出くわしてしまった。
エレベータに乗ると、このエレベータの雰囲気がまた良い。何階を示しているかの表示が、昔ながらの矢印方式になっているところが味がある。部屋の様子は下記のとおりだ。今回は1人でツイン部屋を使えるものだったので、広く部屋が使えたのは嬉しい。必要なアメニティも部屋からネットへの接続も可能だし、ポットもあるのでティーパックを持っているひとは便利だ。

一つ難点をいうと、お湯の出方が本当に悪い。本当に悪い。これだけは何とかして欲しかった。

ナイトウェアもビジネスホテルのような浴衣ではなく、ガウンほど厚めではないが、長いタイプの服なので,特に寝巻きをもっていかなくてもいいのは、旅行者にとって荷物が減るので便利だ。

ホテルモントレ長崎
http://www.hotelmonterey.co.jp/nagasaki/
〒850-0918 長崎市大浦町1番22号
TEL 095-827-7111(代表)
FAX 095-820-7017