2009/02/21

グラバー園


修学旅行にも行ったことがあるが、全然記憶がない場所であるグラバー邸に、天主堂のあと行ってみた。グラバー邸って、こんなに坂の上にあるとは思わなかったが、なぜこんな丘の上にあることすらも忘れていたのかが不思議だ。

当時に比べて(いつだよ、当時って!)、いまでは階段のほかにエスカレータもあるので、足が不自由な人も大丈夫だ。(今までの階段)

(新しいエスカレータ)

グラバー邸というから、グラバーという名前の人の家の庭を、なんでそんなに観に行かなくてはいけないのだろうか?と前には思っていたのだが、実際に行ってみて全然違うじゃんというのが分かった。このグラバー邸は真面目にみて歩くと3時間くらいは必要なので、時間が無い人は必要最低限だけを見てちゃっちゃか歩こう。それくらい広いし、高低さがあるので歩くのが大変だ。

長いエスカレータを上っていくと、最初には、旧三菱重工長崎造船のドックハウスというところに出てくる。ここはグラバー邸の庭園の中でも一番高い場所にあるので、ここから長崎港が見える風景は最高だ。中はサロンはあるがたいしたことがないので、パス。続いてウォーカー邸と旧長崎地方裁判所長官舎があるが、それはつまらないので、パス。

次にあるのが「リンガー邸」だ。フードチェーン店である「リンガーハット」の名前の元になった人の住まいだ。リンガーという人は、建物が残っているし、店の名前にもつかわれているくらいだから、それなりの有名人か偉人なのかと想像できるが、建物の前にかかれていた説明文を見てびっくりした。世界の商人イギリス人らしいといえばそれまでなのだが、茶の製造輸出から始まり製粉・ガス・発電などの事業にも幅広く手がけ、長崎市の上水道敷設にも尽力することで貢献したようだ。そのリンガーの家というのがまた珍しい。すべてが石造りの洋風館であるからだ。これはどうやら当時の西洋館ではめずらしいことだったらしい。日本では木造中心の建物ばかりだからだろう。その後ろにあるのがイギリス人ウィリアム・オルトの邸宅だったオルト邸である。この建物の特徴はベランダに面しているところだろう。石造り円柱が並ぶポーチ型の屋根だろう。内部はいかにも西洋の家というつくりになっており、優雅な感じがする。こんな家に住んでいて、下界のサルたちの生活を見て、実際にどうおもっていたのだろう。ここ長崎はオペラ「蝶々夫人」の舞台でもあり、日本初のオペラ歌手で世界的に名声を残した三浦環が引退後住んでいたところでもある。リンガー邸では、その三浦環が舞台で使っていた衣装が展示されていたりするのであるが、グラバー邸と蝶々夫人という組み合わせが全然思いつかなかったので、思いがけないところで日本がまた出てきたと感じた。三浦環の銅像がこのグラバー邸にある。
最後が有名なグラバー邸だ。イギリス商人であり「グラバー商会」で財をなしたグラバーの家である。ここでは、実際にグラバーたちが食べていた食事がテーブルに並んでいるので、それを眺めてみよう。イギリス人のくせに、意外にも美味そうな料理を食べている。たぶん世界各地で美味いものを食べてきて、それぞれの良い所を吸収したのだろうと思われる。実際に食べていないので美味いのかどうかは不明だ。想像の世界である。

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