2013/05/11

SLベンフィカ(リスボン)

ホテルから歩いていける下町っぽいところにあるレストランに行ったときに、地元のおっさんたちが、店内で放映されていたテレビのサッカー中継を齧りつく様に見ていたので、やっぱりポルトガルはサッカーが盛んなところなんだなーくらいしか思っていなかったのだが、実はこの日のサッカーの試合中継は、普通のサッカーの試合とは異なるものだったことが帰国したあとに判明してびっくりした。

リスボンには2つのクラブチームが存在しており、どちらもポルトガルのリーグの中では強豪であり、さいたまに浦和レッズと大宮アルディージャがあって、浦和ダービーと言われるくらい地元同士の試合だったら、すごい盛り上がりがあるのは有名だが、それと同じように、地元リスボンのチーム同士の試合のときは、町が二分するくらい盛り上がるものになっている。そのチームは、SLベンフィカ(Sport Lisboa e Benfica)スポルティング・リスボン(Sporting Clube de Portugal)というチーム。SLベンフィカは赤白、スポルティング・リスボンは緑白のユニフォームだから、両者の対決のときにはスタジアムに両者を象徴する色が華やかに揃うため、それは見事な状態になるだろうと思う。

それで2013年5月2日はこの両チームの試合があったかというとそうではなく、ポルトガルのサッカーリーグの試合ではなく、ヨーロッパのクラブチームが欧州チャンピオンを決めるための試合、UEFAヨーロッパリーグの決勝を進出するかどうかを決める、地元SLベンフィカと、トルコのクラブチーム・フェネルバフチェSK(Fenerbahçe Spor Kulübü)の試合が、SLベンフィカの本拠地スタジアムであるエスタディオ・ダ・ルス(Estádio da Luz)で行われたのである。そして、その試合に地元チームが勝利をし、決勝戦へ進むことができたという祭りになってしまった日なのである。地元チームがもしかしたらヨーロッパ1位になるかもしれないという期待があれば、普段おとなしいポルトガル人も熱狂するのは当然だろう。

対戦チームのトルコのチームは、一時期ジーコが監督するということになったことで日本でもちょっと知られたチームである。が、あんまりこれ以上のことはヨーロッパのクラブチームのこと、トルコのチームに付いてはよくわからないので述べられないし、詳しい人にこのあたりの説明は受け継ぎたいところだ。

ご飯を食べたあとにホテルに戻ったら、どこのテレビチャンネルを捻っても、もちろんポルトガルのテレビ局ばかりだが、サッカーの試合で勝利したことばっかりしか放映されておらず、なにか解説があるかというと、そうでもなく、試合会場からのライブ映像が延々と流れていて、アナウンサーや解説者のコメントなし。現場の興奮を視聴者のみんなで共有しようという雰囲気が伝わってきた。サッカーファンであれば、UEFAヨーロッパリーグでの決勝進出というのがどれほど凄いものかと言うのは分かるのだろうが、個人的にはよくわからない。なにしろ日本のサッカーリーグでさえもよくわかってないんだから。ただ、ご贔屓のサッカーチームがポルトガル国内ではなく、ヨーロッパ全体の中で優勝できるかもしれないということへの期待については、経済的に下降し停滞しているようなリスボンの人にとっては、ちょっとした悦びであろうというのは容易に想像できる。

なにしろ、テレビ中継で「勝った」ということが報道されはじめると、街中も知らない間に騒々しくなっていた。自分たちが泊まっていたホテルは、ポンバル侯爵広場の傍ではなかったのだが、この広場を中心にサポータたちが通りに繰り出して、勝利を祝う祭りが始まってしまったのである。その騒ぎが自分たちのホテルまで聞えてきたからビックリした。ポンバル侯爵広場のところはロータリーになっており、かなり広い広場になっているからたくさんのひとがやってきたとしても全く収容できるほどの広さはある。さらに、サポーターたちは、道路を走る車の行き来なんか無視して、通る車の運転手に「一緒に勝利を楽しもう」とわざわざ車をとめて同意を求めているというすごさだ。それをテレビ中継し、警官も出てきて「やめなさいっ!」というようなことを一切やることはないところが、リスボンのひと、ポルトガル人のサッカーに対する情熱を示していると思われる。日本だとすぐにDJポリスなんか出てきて、秩序ある行動を歩行者や集まってきたひとたちに求めるのだが、そんな幼稚な要求を市民にしないところがリスボンのひと、ヨーロッパ人の人間性が出来ているところだろう。
だいたい、テレビ中継のときに、スタジアム全体に横断幕として「Go To Amsterdam」というのが出ていたので、なんのこっちゃ?と思っていたのだ。なにしろ、最初にテレビ中継をみたときに、てっきりポルトガルリーグの試合中継でもやっているのかと思っていたので、それだったら、アムステルダムなんて関係ないじゃんと思ったからだ。ヨーロッパもそうだが、サッカーの試合はいろいろなリーグが併行して行われているので、なんの試合で盛り上がっているのか実はよく理解していない、無知な状態で見ているというところに問題があるのだろうと思う。あとで調べたら、上述の通りの状況だということであり、その決勝戦がアムステルダムで行われるということを知ったので、あの横断幕の理由が後で分かったということに気づくのだ。

ちなみに試合が行われたスタジアムは、地下鉄青線のコレジオ・ミリタール・ルス(Colégio Militar / Luz)駅の目の前にある。この駅はスタジアムの隣りに巨大ショッピングモールのコロンボ・ショッピングセンタ(Centro Comercial Colombo)が存在しているので、このあたりはそれだけでひとつの巨大な街が形成されているところだ。ポンバル侯爵広場は、同じ青線で乗ってくれば、そのままやってこれる場所なので、スタジアムの興奮のまま地下鉄に乗ってきている人も多かったのだろう。なにしろ、ここは乗り換え駅でもあるわけだから。なお、スタジアムは正式の名称以外に、いろいろな名称を持っている。地下鉄の駅にも使われている通り「光のスタジアム」と言われていたり、SLベネフィカの選手・ファンにとっては、「カテドラル」と呼ばれていたりするのだ。それだけ、ファンにとっては聖地であることは間違いない。
しかし、2013年5月15日にアムステルダム・アレーナで行われた決勝戦では、イングランドの強豪チェルシーに2対1で負けてしまって、残念ながらこの年のリーグではSLベンフィカは準優勝で終わった。1983年以来の準優勝である。

SLベンフィカ(Sport Lisboa e Benfica)
URL : http://www.slbenfica.pt/
本拠地:">エスタディオ・ダ・ルス(Estádio da Luz)

UEFAヨーロッパリーグ
URL : http://jp.uefa.com/uefaeuropaleague/index.html

Restaurante Andaluz (リスボン)

ガイドに載っているようなレストランも良いのだが、リスボンはどこでもご飯が上手いところだろうという勝手な想像はしていた。海と山の幸がわんさかあり、さらに酒も美味いものがあれば、ご飯が不味くなるわけが無い。これまでいくつかのレストランに入ってみて、それは確証したので、それならホテルからあまり遠くなく歩いていける範囲で、地元のひとくらいしか行かないような場所にも行ってみたいと思って探してみた。ところが、普通のガイドではそんなものは載っていない。そういうときに力強いのはトリップアドバイザーだった。

トリップアドバイザーの検索内容を狭い地域に限定して調べてみたところ、即効で見つけたのがRestaurante Andaluzというところ。場所がら絶対観光客は来ないだろうというような下町雰囲気タップリのところだし、だいたい高台の下になっているところなので、表通りからは全く存在自体が分からない場所に存在する。

実はこの店、5/1にも来ていたのだが、メーデーのときにはこの店も休みだったらしい。その事実を知ったときの愕然さといったら、きっと想像できないだろうとおもう。なにしろ、店自体があまりよくハッキリしない場所に存在しており、その場所がやっと分かったとおもったら、実際に休みだったわけなんだから。しかし、休み明けのこの日は、地元の常連客ももちろんたくさんやってきており、観光客なんて誰も来やしないという感じだった。なにしろ、レストランといえ、街のご飯屋さんという感じのところだから、店のなかには客用にテレビが観られるようになっており、そこにはポルトガル人なら誰もが大好きなサッカーの中継をしているからである。ご飯を食べにきているひとは、結構1人で来ている人も多く、そういう人たちは、料理が出てくるまでの時間をテレビをみて待っているという感じだ。まさしく、それは日本でも昼ごはんの時にご飯屋さんに1人で入ってくるサラリーマンが、料理が出てくるまで、笑っていいともの番組を観ているような感覚と同じだ。
店はそんなに大きいわけじゃないのだが、それでも20人くらいは座れる位の大きさであり、結構内部はシャレているつくりだ。というのも、壁は綺麗なアズレージョで飾られており、いかにもポルトガルの食堂という感じそのものだからだ。こういう店ばっかりポルトガルにいくのも楽しいだろうと思う。が、もちろん、店は英語すら通じない。スペイン語ならなんとか通じるようだが、店のおっさんもチャキチャキのリスボンっ子のようだから、すべての言葉がポルトガル語。こっちはポルトガル語なんか分からないので、分からないもの同士で、それぞれの言語で話をするのだが、なぜか結構通じたりする。これが面白い。
 
さて、ここで食べた料理は下記のとおり。全部で二人分で49ユーロ。

・イカのにんにく油いため
・えびのにんにく油いため
・たらの焼き物
・えびとパンを混ぜたもの
・ワイン
・水

海産物のイカ・エビのニンニク油炒めは、見た目、本当に脂の中に具が入っているというくらい、もうギトギト状態。浅い銀メッキ皿の中に、こぼれそうな位のにんにく油が浸っており、健康志向のひととか、油料理を控えているような人だったら、泣いて避けたくなるような料理なのだが、これが、イカとエビの海産物に非常にマッチしており、そして、全然脂っぽいという感じがしないのが面白い。そして、めちゃくちゃ美味い。やっぱりにんにく味だからなのかもしれないのだが、これが食欲をそそるため、パクパク口に入る。ところが、やっぱり油なので、服に飛び散ると後が悲惨なことになるので注意である。だから、フォークで巧く具を掬わないといけないのだが、これが結果的に上品な食べ方じゃないと巧く掬えないというから面白い。
 
ただ、食べ終わったあと、皿に残っている油の海をみたときに、これらが全部腹の中に納まると、きっと次の日はお腹が壊れることだろうと想像できるから、食べ終わったあとは、さっさと皿を下げてもらったほうがいいだろう。
ポルトガルの名産であるタラの焼き物は、安定した美味さを堪能できる1品。塩気と魚の白身の甘さが絶妙なマッチングのため、ほかになにも味付けなんか要らないわーと言いたくなるようなもの。そして、タラなので、身を解すのがとても簡単だし、さくっとナイフが入るのもありがたい。今回はオリーブオイルと玉ねぎのトッピングで焼かれているのだが、玉ねぎが邪魔すぎて、このときほど不要だと思ったことはない。
パン粉にエビを混ぜた食べ物なのだが、これは鍋に入ったままテーブルに運ばれてくる。そして、テーブルのところで混ぜてくれるのだが、リゾット風に仕上がるのがおいしそうだ。見た目は確かにすこしグロテスクなのだが、それもリゾットだと思うと特に気にしない。そして、見た目以上にこれはお腹が膨れる。それもこれも炭水化物が混ざっているからであるためだ。味付けはやっぱり塩気を少し入れたものなのだが、これも美味し。絶対食べてみてほしいものの1つである。
 

すべてが満足のうちに終わったこのレストラン、もっと海外からの観光客がやってきてもいいと思うのだが、それだと店で処理するほどのキャパシティがないから、隠れ家的名店としてこのままで居て欲しいところだ。それに地元の常連客くらいしか来ないというひっそり感も嬉しいではないか。それも気取った感じでいくようなレストランではなく、フラット「今日はなにか美味いものある?」という感覚で店にこれるのもいいんじゃないのだろうか?

すべての料理が美味かったので、デザートも美味いんじゃないのか?と調子をこいて注文してみた。プリンとアップルパイなのだが、これも自家製でうまい!なんでこんなに美味いんだ!ちょっと、本当はどこかで買ってきたんじゃないのか?と思ったのだが、「自家製だよー」と自慢げに言っていたおっさんの顔は忘れられない。
 
Ristorante Andaluz
Address : Rua de Santa Marta, 84-A, Lisbon
Phone : +351 21 354 8627
Trip Advisor : http://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g189158-d1774071-Reviews-Andaluz-Lisbon_Estremadura.html

ファドとは

ファドはポルトガルにおける日本の演歌に相当するとよく言われているのだが、個人的にはちょっと違うと思う。社会の底辺の人が自分の立場を表現したり思いを、詩や曲に乗せて鬱憤を晴らしているというものに近いような気がするし、それを聞いた似たような境遇の人が、苦しいのは自分たちだけじゃないんだと同情や同調をするための曲なんじゃないのかな?という気がする。日本の演歌がどのような経路で一般大衆化したいのかもしれないのだが、ファドについても、徐々に飲み屋で歌われていたのが広がって行ったんじゃないのかなという気がする。

勝手な想像なのだが、映画「銀河鉄道999」のトレーダー分岐点というところで、鉄郎が機械伯爵を殺すために意気込んだのはいいが、途中にあった酒場で、ギターを弾きながら歌っている女の人の曲に、その場にいた勇ましい男たちが泣いて静香に聞いているという場面がある。そんな曲としてファドというのが一番似合っているじゃないのかなという気がするものだ。

ポルトガル語に「サウダージ」という言葉がある。これは日本語にすると哀愁や郷愁のような言葉に訳されるようだが、実際にはもっとポルトガル語話者にとっては奥が深いものがあるらしく、適切な日本語には訳せないという話も聴いたことがある。その言葉に表せないものを曲という形で表現されたのがファドというわけのようだ。

リスボン市内であれば東部にる古い町並みが残っているアルファマ(Alfama)あたりにたくさんのファドを聞かせてくれる酒場がある。だいたい開店時間が夜の10時ごろからというから、ご飯を食べて、そのあとのみに行くというときに行くと丁度いいだろう。そしてファドの歌声は夜中の12時ごろに始まるというから、良い子や早寝のひとにとっては全く場違いのところに違いない。だいたい観光客もこのファドを目当てに寄るんも町に出くわすということが多いので、ぷらっと行けばどこか入れるだろうとおもっていたら、結構「満員だから無理」と追い返されてしまう場合も多い。特にリスボンは観光地だ。予約をしていたほうが無難なことは確かだが、ただ、どこの店に行けば良いのかというのは、歌舞伎町の飲み屋のどこに行けば良いのかと聞かれると皆さんはどう答えるかというくらい難しいものだ。有名な人が出演するというところを抑える必要があるかもしれない。

ファドの歌手として有名なのは、日本でも結構知られているアマリア・ロドリゲス(Amalia Rodrigeus)という女性歌手。伝説的歌姫として称されており、ポルトガルでは英雄にされているひとりだ。サン・ヴィンセンテ・デ・フォーラ教会にも彼女の慰霊が一部納められているところであるので、たぶん一度は誰かということに遭遇することもあるだろう。アマリアの歌はいまでは普通にYoutubeでも観て聞けることができるので、ファドってどういうものだろうというものを聴くには良い練習台かもしれない。

でもやっぱりファドは男が歌うともっと涙が出てくるような思いにふけられるらしい。序性が歌うと、「男に棄てられてぇ~、あたしは1人で生きていくのよー」みたいな石川さゆりの世界になってしまいそうなのだが、男が歌うと、女や仕事や海のことをテーマに歌うので幅が広がるようだ。ファドの店に行くことは無かったのだが、たまたま昼間に歩いていたら、レスタウローデスひろばのところに、ファドの喉自慢大会が開催されていて、素人のひとたちが歌っているのに出くわした。それもマイク最大ボリュームで歌っているから、遠くのほうまで聞えるというもの。これがファドかーというのはそれを聴いてよくわかった。

コインブラはファドの発祥地の1つだとされている。しかし、ここの特徴は、歌手は男しかいないことと、歌手は全員コインブラ大学出身の人で、黒いマントを着て歌うというのが正装のようである。そして歌う内容は、生きていることが辛いんだーというような労働者階級の悲惨さを歌ったものではなく、単純に好きな女がいるんだと捧げるような明るい歌しか歌わないというのが特徴のようである。日本で仕事に疲れた人が聞くのであればリスボンの酒場で、もっと明るい歌を聴きたいならコインブラのほうがいいかもしれない。

新カテドラル(コインブラ)

コインブラには2つのカテドラルが存在する。旧カテドラルと新カテドラル(Se Nova)だ。旧カテドラルのほうは、大学にいくまでの通り道になっているので、多少訪問客があるのだが、新カテドラルのほうは、全くといっていいほど人が居ない。でも、綺麗な内装は旧カテドラルよりは断然豪華になっている。やはり後から建設されただけあって、その豪華さは見事だ。おそらく、施工主が違うからだろうと思う。どちらも国王によって立てられたというのではなく、時の宗教宣伝部門が立てたものだ。後者のほうは、のちに日本にキリスト教を持ち込んできたイエズス会によるものなので、金と妄想的な宗教概念の力というのを形づくってしまったのが新カテドラルだろうと思う。
 
 
 

旧大学(コインブラ)

コインブラに来たのであれば、絶対訪れたいのはコインブラ大学。実質は旧大学(Velha Universidade)と呼ばれるところがメインで見所がたくさんある。大学自体は1290年にポルトガル王ディニス1世によって設立された。神聖ローマ帝国の時代にローマ教皇からストゥディウム・ゲネラーレ (Studium generale) の称号を与えられた9大学のうちの1つ。歴史もあるし、講義の奥深さは他のストゥディウム・ゲネラーレに認定されている大学と同じくらい高度なものが教えられている。

見学できるところは決まっていて、旧大学の部分のラテン回廊(Via Latina)と呼ばれるところ、ジョアニア図書館(Biblioteca Joania)、そして礼拝堂(Capela)である。もちろん、これらが同じ敷地内にあるため、屋外に存在する時計台は当然見ることができる。チケットは共通券になっており、1人9ユーロ。チケットは鉄の門(Porta Ferrea)と呼ばれる見学建物の敷地入口を背中にすると、右側にある総合図書館の1階に売り場が存在する。一見すると全くどこに売り場があるのかわからんという感じなのだが、係員のほうが丁寧に教えてくれるので、困ったちゃん顔をしていればきっと声をかけてくれるだろう。
 
ジョアニア図書館だけは時間指定制で入館することになっており、切符を買うと、その切符に時間がおばさんによる手書きで記載される。時間がかかれた回に参加しなかった場合には、入館ができなくなるから注意である。だいたい5分前くらいに図書館前に集合していればいい。図書館はその指定時間以外は扉が開かないようになっている。中にいる係員がドアを開けてくれるまでひたすら待つことになるのだが、時間は書かれていても、結構いい加減なところがあるポルトガル人なので、1時と書かれていたなら1時ぴったりにドアが開くかというとそうでもない。イライラしてはいけない。ここはポルトガルだ。その他の建物については、好きな時間に好き勝手なルートで廻っていいことになっている。

ただし、ほぼすべての建物は内部での写真撮影は禁止。これは厳格に守らないといけない。図書館もそうだし、礼拝堂のところでも最初に注意事項として係員から「写真は禁止。フラッシュ炊かなければ良いっていう問題ではない」ということらしい。だったら、コインブラ大学の記念になるようなお土産売り場があって、そこに内部の公開写真集みたいなのを売ったら良いのに、そういうのも無いから、ポルトガル人の商売っ気のなさにはビックリする。ところが、こういう注意をするのだが、自分も含めて写真の隠し撮りをする人は結構いるようで、フラッシュを焚いたり、いかにも写真を撮っていますというようなポーズをしなければ結構わからないとおもうし、係員も注意が散漫になっているので厳重で無い感じだ。ただ、こっそりと写真を撮るという行為に「申し訳ない」という気持ちは必要である。
それにしても、図書館の内部は蔵書30万冊がずらーっとならび、豪華な金泥細工による内部装飾と調度品が目に入るので、思わず「うわぁー」と溜息が出るのは当然だろう。天井から全面の壁まですべてが藝術の集合体になっており、そこの真ん中に立たされると、自分の無知さと汚さがいかにこの図書館の中で異様なものかというのがわかってくるから不思議だ。図書館は、主にラテン語の本がずらっと並んでいる。しかし、中にはイタリア語、フランス語、英語、ポルトガル語の本もあるのだが、大学自体がラテン語を公用語とするしきたりになっているので、多くの書物がラテン語で記載されている。地下のほうにもいくところがあるのだが、そちらに行くと、各国語で記載された書物も多少観ることができる。びっくりなのはなぜかドイツ語で記載された書物が少ないこと。神聖ローマ帝国の時代に記載されたのであれば、なんとなくドイツ語圏のほうが中心になると思ったのだが、やっぱり学術分野はラテン系統が中心になって発達していたものであり、政治はアングロサクソン、哲学・藝術・文学・思想というのはラテンという棲み分けだったのだろうとおもう。だから、大学としてもドイツ語圏にストゥディウム・ゲネラーレがないのは納得できる。
 
 
図書館のビックリするところはまだある。なんとこの建物には牢屋が存在する。地下の一番深いところに行くと、かつて牢屋として使われていた窓の無い部屋と鉄格子で囲われている部屋が存在する。ここの牢屋は大学とどういう関係があったのだろうか?なんの説明も実は無いので気になっているところだ。ただ、あまりこんな陰部なところまで行く観光客は居ないようなので、他の外国人観光客も来ることは無いようだ。

礼拝堂は普段は閉まっている。ところが、ここは外からドアを叩けば、中から開けてくれるいう方式になっていて、図書館のように指定時間に入館できるという仕組みではない。こちらも撮影禁止であり、団体として入館しないから、隠し撮りをするのは非常に難しいところだ。だが、礼拝堂の祭壇部分に行こうするときに、シャッタースピードを速めて密かに激写するという方法でやれば、係員にばれることは無いと思う。実際にやってみた。ここの礼拝堂は、内部はそれほど大きいわけじゃないのだが、それでも街中にある礼拝堂に引けをとらないくらい立派なものになっている。天井から前方祭壇のところにかけては、比較的細かい装飾画で被われており、ところどころ金の布をモチーフとしたつくりになっているのが面白い。意外にも内部は明るくなっているため、礼拝堂にありがちな重々しさは全く感じない。ローマ教皇からストゥディウム・ゲネラーレの称号を貰うということは、宗教的儀式の活動も遠隔地で実施しろという命令でもあるわけなので、このような建物が大学内に存在しているのだろうと思うし、いまでも日曜日には礼拝が行われているようだ。
 
 時計台と並んでラテン回廊がある建物に入っていく。ここでは、ラテン語を話すことが義務付けられていて、それ以外の言葉はどこの出身の学生であろうとも多言語は禁止だったようである。回廊からは1階から吹き抜けになっている「帽子の間(Sala dos Capelos)」というのを是非みていただきたい。床と壁が真紅色になっており、天井はモザイク系になっている板を張り合わせたようなつくりになっている。そして、側面には歴代のポルトガル国王の肖像画がかかっているので、ポルトガル王の勉強をするには一番いいだろう。ただし、この広間には直接入ることが出来ない。あくまでも回廊の部分から覗き込むだけである。こちらも基本的には写真撮影が禁止なのだが、ほとんど係員が居ないので、他人に混ざって写真を撮ってもばれないだろう。この広間は、学位授与のような重要な儀式のときに使われる大学の中でも特別な場所であることは間違いない。
 
 
 
構内には卒業生なのかどうかわかんないのだが、館内をボランティアで案内してくれるという人が、黒いマントを着て炎天下のなかに立っているのが見受けられた。おそらく細かい説明をしてくれるんだとおもうのだが、個人的には頼んでみることがなかった。

コインブラ旧大学(Velha Universidade)
URL : http://www.uc.pt"
Open : 9:00 - 17:30/19:30
Admission Fare : EUR9.00

旧カテドラル(コインブラ)

コインブラの街全体が世界遺産みたいなもんだから、街のどこを歩いても絵になる。そしてコインブラ全体は大学を中心に周りをいろいろな建物があるのだが、この大学自体が高台の上にあるために、なんだか街中から行くと山登りに近い感覚で探索することになる。

最初に出くわしたのは、コインブラの旧カテドラル(Se Velha)であるのだが、ここに到着したときに、カテドラルの前に黒装束のひとたちが大量に屯していて、なにかワイワイとしていた。実はこれ、コインブラの学生たちのようで、コインブラの学生の制服がこの黒いマントみたいなもの。太陽の日差しがめちゃくちゃキツいコインブラで、この黒いマントを制服で着ているのはかなり暑いだろうと思ったらそうでもないらしい。アラブ世界の人たちが、頭から足まですっぽり隠れる服を来ているのと同じで、実はポルトガルは乾燥が激しいところなので、日陰にしたほうが涼しく感じるのだ。アジアの蒸している地域で同じことをしたら、動くサウナになるだけに適さないのだが、乾燥地帯での過ごしやすさを追求したものだろうと思う。
旧カテドラルは正面ではなく横から入ることが出来る。中に入ると、12世紀中期に作られたというだけあって、ロマネスク様式バリバリの建物だから、いかにも昔風の教会だから、派手さは無いが厳かさは相当なものだった。
中でも壁に埋め込まれているタイルが地味なのだが、かなり細かいモザイクを使っており、このときからポルトガルのアズレージョのセンスが高いことを証明しているかのようだ。ただ、教会内は自然光でしかないため、タイルがイマイチはっきり見えないところが悔しい。
正面祭壇のところは奥まったところに天井高く1つの部屋になっているような形になっており、それを天窓と横の窓からの自然光で常に内部を照らすようになっているのだが、内部はすべて彫刻で出来ているという凄さ。彫刻のモデルは12使徒とキリストになっているのでわかりやすい。後年に出てくる、金銀ギラギラした装飾とは全く異なり、なんだかギリシャ彫刻ばかりが展示してある博物館に来ているような趣がある。
内部の側面にある教会の装飾についても、なかなか奥が深い。が、全くといっていいほど人が居ないためのんびり眺められるというのもいいし、装飾されているキリスト関係の像がまた細かいデザインのため、職人の丁寧さが感じられる。しかし、暗いから見難いのが難点。

 
旧カテドラル(Se Velha)
Open: 10:00 - 17:30
Admission Fare : EUR2.00

コインブラへ

ポルトガル全体には世界遺産の場所はたくさんあるのだが、その1つが、ポルトガル中部にあるコインブラ。こちらは街全体が世界遺産みたいなものだが、特に権威があり古いコインブラ大学があるから、是非ポルトガル滞在中には行きたいところである。コインブラに行くには電車で行くのが一番便利だ。なにしろ、コインブラまではポルト行きなどの電車に乗れば、2時間くらいで到着する。電車に乗るときには、特に北部方面に行くには、サンタ・アポローニア駅から行くことになる。
サンタ・アポローニア駅から特急列車に乗り、コインブラB駅というところまでこの電車に乗るといい。途中にほとんど停車しないので、乗っていると、あっという間にコインブラB駅に到着するような感じになる。しかし、目的のコインブラ市街地と言うのはこのコインブラB駅ではない。コインブラB駅から、実際のコインブラ駅は盲腸のようになっている支線に乗っていかないといけない。しかし、実はこの支線、約15分おきくらいに運行している電車なので、そんなに待つことは無い。どちらかというと、特急列車の運行を事前に調べて、それにあわせて行動したほうがいいだろうと思う。そして、サンタ・アポローニア駅では単純に「コインブラまで」と言うと、コインブラBまでの特急券+乗車券をくれるのだが、コインブラB駅までの切符だったとしても、コインブラ駅までは乗れる。コインブラB駅までの切符を持っている人は、必然的にコインブラ駅までいくことが出来るようなのである。
コインブラまでは特急電車に乗っていけば楽勝といっても、毎時1本は運行しているけど、毎時同じ分に運行しているとは限らないので、事前にポルトガル国鉄の鉄道時刻表で、自分が乗ろうとする列車の発車時刻くらいは調べておいたほうがいい。東京の鉄道みたいに頻繁に電車が来る環境に慣れていると、自分の行動はあまり鉄道の時間に依存しなくてもいいということになりがちだが、鉄道の本数が少ない地方のひとのほうが、自分たちの行動を公共の交通網にあわせて行動するっていうのには慣れていると思う。
切符は普通に駅構内にある切符売り場で買えばよく、コインブラに行く特急列車はすべて指定席であるため、指定席券を持っていない人はこの電車には乗れない。これは、都市間急行のインテルシダーデ(Intercidade, IC)も長距離特急のアルファ・ベンドゥラール(Alfa Pendular, AP)も両方のタイプの列車にいえることだが、かならず指定席券が必要になっているため、切符さえ確保できれば、快適に座っていくことができる。しかし、切符を買うと、切符に座席番号が記載されているのだが、並びで2人分買ったとしても、その番号を最初に見たときに「これは並んだ席じゃない!」と駅員に怒ってはいけない。日本の感覚では、左右の座席がアルファベット順に並んでいて、縦の列は数字が昇順・降順で並んでいるというのが一般的。ヨーロッパの列車の多くの場合は、この法則には全く合致しない。ポルトガルの列車の場合も実は同じであり、縦の列は、確かに数字の昇順・降順にはなっているのだが、実はちょっと複雑な方式になっており、座席の番号が2桁または3桁になっているとき、2桁の場合は最初の1桁、3桁の場合は最初の2桁が縦の列を示す。縦の列といえども、前後で奇数と偶数が交互になっている。もう少し言うと、最初の1桁または2桁の数字は横2列分の束だと思ったら良いのである。その束をもう少し分解すると、それは最後の1桁を意味することになる。前後で奇数・偶数になると述べたが、左右も左から若番号が並んでくるという方式ではない。つまり、1-3-5-7/2-4-6-8 という数字で並んでいるのではない。窓側が若い番号、通路側が老番号となっている。そして、もっと解らないのが、左が若いほう、右が老番号ということになっているのであればいいのだが、そうじゃない並びになっていること。つまり、横の列の並びというのは、1-7-5-3/2-8-6-4 という数字の並びになっているのである。これは日本人の感覚では、すんなり理解できない。でも、列車の席には番号がついているので、それを見ればわかる。

 72-78 通 76-74
 71-77 路 75-73
 62-68 通 66-64
 61-67 路 65-63
 52-58 通 56-54
 51-57 路 55-53
さて、全席指定席車両だというのにも関わらず、結構「券さえ持っていれば好きなところを座ってもいいんだろう?」的なおきらくごくらくな考えを持っているバカ観光客も結構いるから注意である。この時も、「空いている~」と乗り込んできたアメリカ人馬鹿っプルが好き勝手に、両向かいになる席を確保。ところが、そこへ子供2人を連れてきた地元のお母さんが乗り込んできた。実家から移動するためなのか、ホームには親戚一同がお別れにやってきており、本来自分が持っている席であれば、自席から窓を開けて、ホームの親戚一同と談笑しながら電車は動くという、絵に描いたような光景を体験できるところだったが、このバカアメリカ人が席を占領しており、おとなしいポルトガル人は「そこはあたしたちの席」とアメリカ人に英語で言えるわけもなく、電車が駅を離れるまでは、通路のところに3人が立って「バイバイ~」とやっていた。バカカップルは、両向かいになっている4席の窓側2席を占領しているから、子供を向かい合わせにそのバカっプルの横におかあさんは座らせる。なぜならそこは自分たちの席だからだ。お母さんは、終始子供にお菓子食べるかとか、いろいろ話をかけているので、バカっプルも「なんかおかしい・・・」と思ったのあろう。そういうところに車掌がやってきて切符のチェックをし始めた。子連れのお母さんはアメリカ人に文句を言いたいが英語が話せないので文句を言えないようで車掌に席のことを説明する。代わりに車掌がアメリカ人に「どけ」と説明する。バツが悪そうにいそいそとアメリカ人たちは移動した。あのひとたち、たぶん切符に記載されている文字の意味が解らないんだろう。たぶんアラビア数字さえ読めないんじゃないのか?

このときにはアメリカ人は文句を言ってこなかったのだが、フランス人はもっとタチが悪くて、「他に席がいくらでもあるでしょー?あたしがこの席を先に取ったんだから、他にいどうしなさいよー。ぐちゃぐちゃうるさいわねー」と文句を言っている黒人の「あたしはパリで活躍しているのよ~」と田舎生まれか移民のくせに高飛車になっている女が旅行客が予約した席を勝手に座って、めちゃくちゃなことを言っていたのを目撃していたことがある。そのときに車掌がやってきて、旅行者が席の説明をしたときに「だからなにが悪いのよ。他にいけばいいじゃない~」と黒人のねえちゃんが車掌に言ったら、「強制的に車両から引っ張り出されて、次の駅で強制降車させた」というのを見たことがある。
コインブラB駅からは、ホーム反対側のところにコインブラA駅行きの電車が走っているので、それに乗ってコインブラへ。だいたい5分くらいで到着だ。コインブラA駅は盲腸路線の終着駅になっているので、寝ていればそのまま到着できる。

リストランテ・ヴァレンチーノ(リスボン)


ヨーロッパの多くの国は5月1日はメーデーのため祝日。この日は他の国家的祝日より、かなり重要の休日とみなされ、12月24日のクリスマスの日と同様くらい重要な日になっているが、それは政治的、歴史的に労働者ありきで民衆国家は成り立っているということを位置づけているだけの感謝認識日なんだろうとおもう。勝手に政治的に配慮された祝日にしたことにより、国民生活にもガラッと影響が出てくる事象は、実は観光客にはもっと影響が出てくる。なにしろ、あらゆる店・博物館等の公共施設・交通機関が営業停止になってしまうからである。土日関係なく営業しているのに、5月1日だけは休業という店は、めちゃくちゃたくさんある。だから、事前に店のチェックをしていて、5月1日の晩はここに行こうと決めていた場合には、もっと入念に営業日のことをチェックしていたほうが良い。

自分たちも実は5月1日のことをすっかり忘れて、この日はこの店に行こうと事前チェックをしていたのだが、実際にその店にいくと「今日は休業」という看板が出ているものばっかりだった。仕方なく、その代わり近くの店にとおもってその店に行ってみると、またしても「休業」。トリップアドバイザーで調べていたそのあたりの店れすらうを片っ端から歩いて調べてみると、悉く「本日休業」だったときのショックはデカい。中には、休業ではなく「閉店」というところもあり、歩き回ってヘトヘトになっているところに追い討ちをかけるかのようなガックリ感。裏道にあるレストランであればあるほど、本日休業なんていうのがほとんど。

最初はポンバル伯爵広場あたりとおもっていたのに、結局はレスタウローデス広場までやってきてしまった。ここまで来ると、さすがに休日だろうが関係なく、観光客目当てに商売をしている、ガメつい商売根性丸出しの店がかなりたくさんある。しかし、これらの店はその観光客の心理をついて、この日、特別にいつもより高いメニュしか出さないというところも結構あったりする。なにしろ、高いメニュであろうと、周りのレストランが軒並み休業となっているのであれば、ご飯を食べたい人たちはめちゃくちゃいるのに、それを裁く店がないので、結果的に、営業をしている店にだけ人が寄ってくるということになるのだ。

もうそろそろ店の選択もなくなってきたときに、適当に入ったのがレスタウローデスの近くにあるイタリアレストラン「リストランテ・ヴァレンチーノ(Restaurante Valentino )」だ。ポルトガルに来て、なんでイタリア料理か?という質問をされると閉口してしまうのだが、お目当ての店が片っ端から休業と言われてしまっては、適当に入った店が美味いかどうかはともかくとして、マズイとれす、やっぱり店が悪いし、なんで今日は5月1日なんだという意味不明な怒りが出てくるため、それならなんとなく味がわかるイタリア料理にしたほうが無難かなと選択に踏み切った。

適当に入ったレストランであったが、そこそこ全席にお客さんが存在し、店員の対応もかなりよく、お料理についても安心できる範囲内の味だったので、選択してよかったとは思う。しかしながら、特徴的なものはひとつもここのレストランには存在しないため、優等生的になにも引っ掛かるところが無いという、旅行者の記憶にとっては一番悲しいレストランとなってしまった。
こちらで食べたものは以下の通り。

・きのこピザ
・タリオテイリ・クリーム
・エビのスパゲッティ

ここのイタリア料理屋は「イタリア料理」と称しているが、特に肉料理も無いし、魚料理も無いし、鶏料理も存在しない。パスタとピザを中心として展開する、いわゆる「ピザっテリア」だった。だから、上記の料理についても、名前から想像する料理の味を想像してもらえれば、特に料理の特徴は存在しないので、食べた感じがどうだったのかというのはここでは述べないようにしたいと思う。

衝撃的なのはこのあと。このレストランで食べたものが原因なのかどうかは不明なのだが、帰宅途中に、猛烈にトイレに行きたくなった。それも祝日ダイヤで運行している地下鉄では、なかなか平日の夜のように電車がやってくるわけじゃない。だから早くホテルには帰れない。なおかつ、リスボンの地下鉄駅はどこもかしこも、日本の地下鉄みたいにトイレが存在するわけが無い。だから、ホテルに戻るまではトイレに行くことが出来ない。最悪なのは、レストランを出たあとに「トイレに行きたい」と思ったことだ。まだ店に居る間であれば、店のトイレに行けば良いのだが、店の外では「トイレを貸して」ということはできない。早く帰りたいのに、電車は来ない。電車は来ないと、そのイライラのために、余計トイレに行きたくなる。そして、レスタウローデスからホテルに戻るためには、1度ボンパル侯爵広場駅で乗換えをしないといけない。乗換えをするためには次の電車が車で時間がある。この待ち時間がとても長く感じた。最終的にはホテルの部屋に戻るまで、トイレはガマンできることできたが、部屋に入った途端に、すごい勢いの下痢になってしまい、すべての胃と腸にあったものを水溶性物質として出し切った感があった。あんなに出たのは、初めてタイに行ったときにお腹を壊した以来の凄さだった。あの店のせいで下痢になったとは思いたくないのだが、たぶんあの店のせいだとおもう。時間的に下痢はすぐに来るからである。

リストランテ・ヴァレンチーノ(Restaurante Valentino )
Address :  R. do Jardim do Regedor 1-49, Lisbon 01150, Portugal
Phone : 21 346 17 27