2014/03/23

司馬遼太郎の街道(書籍)

司馬遼太郎の名作「街道をゆく」は、日本全国も当然ながら、世界各地で司馬遼太郎がウンチクを語りたいところに出かけて、実際のその地域に特化したものにフォーカスをして、あらゆる分野から紹介しているもので、小説ながら紀行文であり、さらにエッセイでもありながら歴史文学作品とも言えるような内容になっている。だから、実際にその地域に行く場合には、事前に「街道をゆく」シリーズを読んでおくと、なお一層楽しい旅行が出来るんじゃないのだろうかと思うのだ。

その「街道をゆく」は文章だけの書物であるが、これをビジュアル化し、文庫本にする前に編集作業や実際に司馬遼太郎が取材当日どうだったのかということを紹介している雑誌が刊行された。それが「司馬遼太郎の街道」というもの。「街道をゆく」をそのまま全部写真と取材時の様子を載せているわけじゃなく、ダイジェストではあるのだが、これがまぁなかなか面白い。

取材時はおそらく1980年代がメインだと思うが、それから30年も経過しているというものでも、当時司馬遼太郎が出会った人がまだ生きていたり、現地のコーディネーターがまだご健在だったりする場合が多く、彼らによる司馬遼太郎というのがどう映っていたのかというのを紹介しているスタイルを取っているので、取材時の司馬遼太郎の人間性が垣間見ることができるというものだ。

もちろん、単行本の中で文章としている内容や風景の紹介を写真で紹介しているところもたくさんある。同じ景色を見て、司馬遼太郎と同じような感想が出てくるかどうかは、その土地に対する幅広い知識を持っていないと先ずそれは無理だろうが、少しでも司馬遼太郎が実際にみた風景はどういうところだったんだろうというのを知りたい人にとっては楽しい雑誌だろうと思う。

この雑誌、1つ欠点があるとすれば、それは刊行の頻度があまりにも遅すぎるということだろう。だいたいこれを記載している時点で、まだ2冊しか刊行されておらず、次に刊行するのが今年の秋から冬ごろっていうから、次が出てくるときには忘れちゃうというくらいの遅さだ。1ヶ月に1度刊行されるというものだと、雑誌も作るのが大変だからだろうということもあるのだろう。そして、1冊の「司馬遼太郎の街道」には、3つの「街道をゆく」シリーズの土地が紹介されるというものだ。

第1巻は個人的にはどうでも良いとおもっていた「奈良/近江/仙台・石巻/白河・会津」というものだった。だから、この時には購入しなかったのだが、第二巻は、「アイルランド/横浜・神戸/オホーツク」という「街道をゆく」シリーズでも大好きなところばっかりで印象的なところを特集していたから、即効で購入することにした。しかし、実はアイルランド編の「街道をゆく」というのはまだ読んでいないのである。ヨーロッパの辺境であり、島国であるアイルランドに、なにを探しに司馬遼太郎は出かけたのだろうかというのは、題名だけでは全く想像できなかったのだが、本編である「街道をゆく」を読む前に、今回購入した「司馬遼太郎の街道」を読んでしまったので、実はほぼ内容が分かってしまったと言っても良いだろう。アメリカへ移民として出発したヨーロッパ人が多く、その多くはアイルランド人だったというものであり、アイルランド人の宗教観、風習、思想というのを司馬遼太郎は追っていたようなのである。最初は、アイルランドとは全く関係なさそうなビートルズを特集するところから始まるのだが、実際にビートルズのメンバはアイルランドからの移民から構成される人たちであるというのがアイルランドにフォーカスがあたるきっかけとして書き出しているところも面白い。だから、これを司馬遼太郎の言葉でどのように記載しているのかは、別途「街道をゆく」で読んでみたいと思っている。反対に、「オホーツク編」については、実際に「街道をゆく」を読んで感銘と「へぇー」と感じたところがたくさんあり、そこから個人的にはアイヌとアイヌ文化に非常に興味深くなったきっかけになった本であったので、それを写真と映像でどのように表現しているのかはとても楽しみで購入したのである。

「街道をゆくシリーズはかなりの巻数になるのだが、それを小出しにして「司馬遼太郎の街道」として刊行するのであれば、どのように、そしてどの巻とどの巻をカップリングとして発行するのかは楽しみだ。それも日本と海外のミックスをどう選択するのかは出版社の力量にかけるところだろうと思う。

司馬遼太郎の街道2
「愛蘭土紀行、横浜散歩・神戸散歩、オホーツク街道」
ムック: 200ページ
出版社: 朝日新聞出版
言語: 日本語
発売日: 2014/3/18

台湾が大混乱

台湾が揉めている。台湾国内で政治的な運動を市民が中心に熱いシュプレッヒコールやデモをするのは多いことなのだが、今回の台湾全土を巻き込んだ大きな動きには久々に興奮した。これだけ揉め始めたのは、もしかしたら、228事件が起こったとき以来の騒動なのではないかと思うのだが、実際にはもっと台湾の歴史の中では近代でも似たような騒動はあったことだろうと思う。

この市民による政治運動は、2014年3月20日ごろから起こっているものだ。台湾が中国化してしまう、中国に飲み込まれてしまうというのを市民が恐れて騒ぎ始めたことによるものだ。だいぶ前から、中国との間は「三通」という言葉を合言葉に、台湾海峡を挟んだ両岸の国が徐々に人的・金銭的交流をしていこうと言うのは知られているし、現に、台湾には日々中国大陸からの卑しく、品が無く、うるさい、そして金をばら撒いてくれる中国人が大量に台湾にやってきている。中国から見れば、台湾は自国領土であるとおもっているが、台湾から見ると台湾は台湾であり、中国とは一線で隔てられた異国であると思っているが、金をばら撒いてくれるので、心では来るなと思っていても、表向きはニコニコして金を貰っているというのが現状だ。それはいいのだが、じゃ、いまさら中国化という言葉が出てきたことと、なぜ揉めているかというと、立法院(国会にあたるところ)が国民の知らせずに、勝手に「両岸(台湾と中国)サービス業貿易協議」の法案を強引に通そうとしていたことによる。

この「両岸(台湾と中国)サービス業貿易協議」(中国語で「両岸服務貿易協議」)というのはどういうものかというと、両国間での貿易制限を解除し、相互で市場開放と貿易自由化を図るとしているもの。「サービス貿易」とは財の取引による貿易ではなく、運輸・通信・保険・金融などのサービスを自由に利用できるということである。こうなると、大きな中国が小さな台湾にやってくることになり、これはまさしく、国民党が中国大陸から台湾に逃げてきて、台湾をめちゃくちゃ中国化したことの二の舞に近い。弱小な台湾側の中小企業の集まりみたいな台湾では、大企業の集まりである中国企業が台湾に来た場合はひとたまりも無く、人材も大陸へ流出し、中国のような言論と情報の統制が台湾にも及び、台湾の一般市民から国家の情報まで情報流出する危険性を孕んでいる。

中国、台湾のそれぞれで、互いに対して市場を開放しようというのが狙いなのだが、それぞれの国で開放する内容というのが実はちょっと違う。中国側の要求は80項目で、台湾側の要求は63項目という意味では、中国側の方の要望をより多く台湾側が受け入れているということになる。具体的にどんな内容が開放内容なのかというのを表にまとめたところがあったので、それは下記の表画像のとおりである。
この表を見ると、どうしても中国側のほうに有利になっているように見える。特に企業設立に対していうと、台湾に中国企業が進出する場合にはあまり制約がないのだが、台湾企業が中国で設立する場合には、その資本の占有率を制限されている。いちおう、対日本企業に比べれば、絶対に中国側のほうが資本率が高くなるようにしていることはないので、まだマシだが、100%台湾資本の会社が設立できないというのは、結構好き勝手に出来ないということを意味している。こういうところが台湾側から見たときに、台湾企業が潰れると騒いでいる根本の原因にあたるのだろう。

しかし、この協定がいきなり決まったということではなく、実は昨年の6月に上海で協定を結んでいて、その延長で今回のサービス貿易協議を推進していくということを決めようとしていたのは、国民党が国民の意思とは関係ないところで進めてきたという風に取られてもおかしくないことだ。国民党が中国と勝手に取引して、中国と1国になることを下準備するために進めていると取られても間違いではない。台湾国民にとっては、寝耳に水的な情報がいきなり表に出てきたような形になったわけで、実際に協議の内容が新聞等で報告されると、国民の80%以上が大反対をするという結果になった。これだけ多くのひとたちが反対を表明することになったということは、228事件後の暴動の発生に発展し、最終的には30数年に及ぶ戒厳令に繋がってしまった過去の歴史をまた経験することになるのかと思うと、台湾人じゃなくても悲しくなってくる。

そこで台湾人が暴動として始めた最初のきっかけは、立法院に学生が300人ほどの団体が乱入し、国会審議ができないように立法院を占拠したことから始まる。この時点で、日本のメディアは全く報道しなかったのだが、既にツイッター上では、台湾祭りが始まっていて、台湾ですごいことが起こっていると、Ustreamを含めて生中継が行われるようにもなった。また占拠した中から学生たちが、20ヶ国語以上に翻訳した内容で、「台湾はいま不平等条約のせいで中国に飲み込まれようとしている、助けてくれー」という類似の内容の表現を文字や画像やYoutube等の動画で配信し始めた。

台湾の経済部では、台湾人が勝手な妄想で協議について抱いている懸念事項についてを「実は思っているようなものじゃないし、中国と一体化するという意味でもなんでもない」というような内容の釈明説明をウェブ等で掲載し始めたのだが、これが全く効力が無いくらい役に立たなかった。なにしろ、国民が怒っているのは、協議の内容に関してではなく、密室でこれらの重要の事項が決められたことで、それを国民の同意を求めずに勝手に中国と締結しようとしていたことに対するものだ。だから、内容に関して「心配しない」とか「問題があるようであれば交渉する」なんていうことを発表したところ、そんなものを信じる台湾人はまずいないし、問題のすり替えでしかないために、全く釈明にもなっていないのである。

政府は収拾を図ろうとしたが、全く騒動は収まらず、むしろ日々立法院に集まる数が多くなってくるのである。学生が中心としたはいるが、そのヒートアップはとうとう台湾全土に広がってしまった。終いには、立法院に人が集まるように、公共のバスが協力する形で各地方都市から立法院近くまで無料のバスが運行することにまで発展した。毎日ずっと占拠しているのも、同じ人では大変だから、代わる代わる人を入れ替えて占領してしまおうという台湾全国民が一丸になって国会議論を全くさせないということにしたわけである。
通常、こういう政府機関に一般人が占拠した場合、強制的に排除されると思うのだが、今回の台湾の騒動では、これだけたくさんの人が占拠しているのにも関わらず、警察とは一切直接衝突が起こってないし、強制排除されるような光景にもなっていない。警察も乱暴なことは全くせず、ただ立法院の周りを囲うようなことをしているだけだ。中で占拠しているひともお腹を空くだろうが、その場合でも差し入れする人が外部からやってきたとしても、特に警察は止めないし、むしろ誘導をしている。それから異様な光景としては、警察隊の交代時間になると、立法院に入れず、周りの道路で座って抗議をしているひとたちが、拍手で交代要員の警官たちを迎えて「おつかれさま~」とまでいう始末である。公考えると、一体この抗議はなんなのか?政府も公認の抗議なのか?そしたら、敵は誰なのか?と意味が分からなくなる。

馬英九総統は強引に「台湾にはこのサービス貿易協議は必要な処置である」と散々声明を発表をすることになるのだが、これがまた一段と民衆の怒りに輪をかけてしまった。さらに「立法院を占拠して国会議論を停止させることは違法行為だ」とまで言ってしまった。正統な理論ではあるのだが、台湾民衆が何に対して怒っているのかという本質を分かっていない上での発言であることは民衆はわかっているので、民衆による暴動は全く収まる気配は無い。総統のアホの一つ覚えのように言う、「台湾には必要」と「占拠は違法」の2つのフレーズしか言わないことにも段々と民衆はエスカレーションを高めてしまうわけである。台湾人は、協議を決めていく途中のプロセスを開示しなかったことに一番の怒りを覚えているのだが、これに気づいていないわけである。

とはいっても、馬英九総統は、台湾では台湾民衆によって選ばれた総統であり、中国の習近平のように民衆の選挙による選出というわけじゃない点では全然中国とは異なる。ここまでアホのひとつ覚えのようにお題目を唱える馬総統を選んだのも自分たち台湾人であるわけだし、前から馬総統は中国寄りの考えを持っている人であることは有名だったので、いまさら中国寄りの施策を進めることに対して反対と騒ぐ台湾人もアホだなとは同時に思った。台湾が台湾として常に独立していることが一番重要であるということを考えている人が総統であるべきなのに、それを選らばなかった台湾人は自業自得なのではないかとおもうのだ。

それにしても、中国との関係がうまくいっていない日本政府は、どうやら台湾よりも中国の顔色を伺っているためなのか、どこのメディアも台湾で揉めていることをほとんど報道しなかった。そして、1日や2日で終わるものだろうとおもっていたのだろうが、結局いつまで経っても収束しないので、とうとう日本のメディアでも仕方なく報道した感がある。どこまで中国に媚びないといけないのだろうか、いまの日本政府は?と思ったのはこの時である。

台湾の経済部:「両岸サービス貿易協議」に関する説明
URL : http://www.roc-taiwan.org/content.asp?mp=202&CuItem=489252