やっぱりヨーロッパの裏道はどこに行っても絵になると思う。
特にドブロブニクの山側は坂道の階段状になっているので、これを題材に写真を撮っている人たちも結構たくさんいた。単なる坂道ではなく、坂道が階段状になっているほうが好きだ。



















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そもそもセルビア正教の教会を見に行くのは実は生まれて初めてだったかもしれない。これまでは、中欧もあるが主に西ヨーロッパばかりを旅行していたこともあるので、カトリックかプロテスタント教会には行ったことがある。セルビア正教は旧東ローマ帝国配下で保護されてきた宗教であるため、日本ではあまり馴染みがない。東西のローマ帝国が分裂したあとの歴史において、日本の歴史授業ではあまりビザンチンのほうの歴史も重要視しなかったことが馴染みの薄さを深めていたんだろうと思う。西ローマ帝国が東西分裂後100年もしないうちに滅亡してしまったのに、ビザンチンのほうはその後1000年以上も続いたくらいの帝国だ。ということは、ローマ帝国がキリスト教を国教と認定したときの純粋キリスト教は、東西分裂時には同じキリスト教だったのに、西ローマ帝国配下のほうのキリスト教はその後、徐々に変革していまのカトリックやプロテスタントとして生まれ変わったのに、ビザンチンのほうは昔のまま残っていたということになる。トルコが進出してきて、キリスト教が一掃されたことにより旧ビザンチン配下のキリスト教影響地域は、それぞれベースはキリスト教ではあるが、ちょっとずつ地域ごとに違うキリスト教として形成されたために、セルビア正教だったりロシア正教だったりギリシャ正教だったりして生き残ることになった。だいたいまだ名前に「正教(Orthodox)」という名前を残していることでもわかるように、東ローマ帝国配下のほうのキリスト教が昔からのキリスト教として残っていることを意味する。


そして祭壇もないが教徒が座るような椅子も特別に用意されていたりしないのが不思議だ。教会の中心に司教が聖書を使ってミサを行う際の台座が用意されているのだが、これが教徒のほうを向いているわけではなく、あくまでもイコンで埋め尽くされた屏風みたいな正面に向いているところが面白い。使っていないときには刺繍がきれいな布を被せて埃がかからないようにしていたりする。また寄付金も置いて貰うためのお皿も用意されている。
周りを見渡すと、実は妙に親近感が持つ温かみを教会全体で感じる。だいたい大理石で作ったり、無機質な雰囲気を教会全体から出すことにより、特別な異空間を演出しているのがカトリック教会なのだが、この教会の場合は周りを木でできた椅子や肖像画も低い場所に掲げたりしているところが違う。また、肖像画に描かれた絵画技法が、カトリック教会の場合は途中でルネサンスの文化により飛躍的に現実の人間に近いような顔つきや服装になって描かれているのだが、セルビア正教の絵画は全くそれがない。ドミニコ修道院にもあった肖像画もそうなのだが、実に平面的な図法だし、顔もいかにも描きましたーというような顔つきであり、悪い意味で漫画っぽい顔つきなのである。眼がギョロっとしてデカいのだ。



あと、セルビア正教の場合は書かれている文字がラテン文字ではなくロシアで使われているキリル文字である。これはスラブ系だからという意味もある。クロアチアはその後キリル文字ではなくラテン文字を普通に使う文字に正式に採用することになったのだが、宗教的にはずっとキリル文字。だから、聖書も全部キリル文字で書かれている。正面の最後の晩餐の下に書かれている文字についてもキリル文字。残念ながらキリル文字は知らないので、それが何とかかれているのか読み取りさえもわからない。モナーの顔文字に口の代わりにキリル文字のDに相当する文字を書いたりするくらいしかわからない。
プロチェ門近くにあるドミニコ会修道院(Dominikanski Samostan)はとても立派なつくりの建物なので、なんだか入りにくいなと思うかもしれない。それに、なぜかこのあたりまで観光客があまり来ることはないようで、時間を忘れてぽかーんとするには絶対良い場所だと思う。
だいたい修道院というところは、修行僧が勉強をするようなところなので、一般開放するような入口のつくりになっていないことは多い。ここの修道院でも例によって入口が裏口みたいなところを入っていく。その入口のドアらしきところを通る際に、足元を良く見ると、実は1つ1つがそこそこ大きな石になっているのだが、それが最初は単なるフローリングを構成している一部だと思っていたところ、実際には石の棺おけだったことに吃驚。よく王様や西洋の墓地に行くと似たように石の棺おけをそのまま床にしているところに出くわすのだが、それと同じだった。たぶん、ここに置いている持ち主(要は死人)は修道院で亡くなった僧侶に違いないのだが、特に僧侶のような人たちは政治家になるようなことはないので、名前があっても東洋人にはなんのことだかちっともわからない。
そんな入口なのだが、そこは単なる入口「その1」くらいのところである。本当の入口はもうちょっと先にある。
その入口のところにいくと、内覧費を払うところが出てくる(値段は20HRK)。さて、この内覧費が高いと思うか安いと思うか、それは訪問者の気持ちしだいだとは思うのだが、修復費用や維持管理費用を考えると、この内覧費を一種のお布施と考えれば安いものだろうと思う。




それで、一般の見学者はこの回廊の部分しか見ることができないのだが、実は内部には宗教美術館が存在する。入口を入ってすぐのところに別の入口があるのだが、そこがこの宗教美術館である。この美術館では一切カメラ撮影は禁止。狭い空間なのにあらゆる場所に監視カメラが設置しており、中に人が居ようといないと関わらず、入口にいる係員が、監視カメラのモニタに眼を凝らして観ているのである。これだけ監視カメラに見られているところで隠し撮りをするようなことはさすがにできないなと感じた。この美術館に展示されているものは、15世紀から16世紀にかけての宗教画である。題材はよくあるキリスト教に関するものばかりなのだが、まだルネッサンスではない描き方のものが多いため、肖像画に描かれている人物像の顔が結構間抜けな漫画家が描いたような顔ばかりになっている。精悍な顔つきになるのはどうしてもルネサンス以降の作品になるので、それでも作品の時代の違いがわかる。あとは、顔だけではなく絵全体で奥行きを感じるかどうかだ。年代の古い絵画の場合、どうしても二次元的にモノを観る傾向から抜けないらしく、絵画の背景や奥行きは全く粗末なものになるが、ルネサンス以降は奥行きがまるっきり三次元にみえてしまうような描き方をするからだ。
ドミニコ会修道院 Dominikanski Samostan
ドブロブニクの旧港 (Stara Luka)はもっとも歴史を誇る場所で、旧市街を訪問する人は絶対1度はこの港に来ることになるだろうと思うところだ。ドブロブニクがラグーザ王国として地中海を君臨したり、またドブロブニクの商業拠点として他の都市との交易にはこの港から出て行った船、入ってくる船でドブロブニクに繁栄をもたらせたものだと思う。それを良く知るためには、海洋博物館(Pomorski Musej)に行くべきだが、それは別途報告することにしよう。
たぶんそういうことをしていると、たくさんのひとが港から小船に乗ってドブロブニク周辺のクルーズに出かける光景を見かけると思う。天気がいいときには絶対に体験してみて、海からドブロブニクを眺めるというのもいいのではないだろうか?




そして、次は城壁からである。城壁めぐりをすると、ちょうど旧港の真上を歩くことになるので、この壁から港を見るのもいいだろう。特に、聖イヴァン要塞(Tvrdava Ivana)のあたりを歩いていると、旧港をどどーんと目の前に観ることができるので、ここからの風景は最高だ。たぶんいろいろなガイドに「ここから撮影しろ」というようなお勧めポイントになっていることだろう。



それから、南のプロチェ門(Vrata od Ploca)から旧市街を出て、すぐのところに見晴台がある。そう、ドブロブニクの猫のところでも記載したのだが、そこから見える旧港の姿もなかなか良いと思う。

どこから見ても港町の玄関の姿は素晴らしい。旧港なので大きな船はここに停泊することはできないのだが、漁船や観光客船はここには停泊しているのでいろいろな船を見る機会はあると思う。なお、豪華客船の場合は停泊する場所がないので、沖合いのところに止まって、そこから小さい船に乗り換えて上陸することになるようである。