ハプスブルグ帝国内の国家は、民族の坩堝だったので、どこに行っても楽しいものだと思っていた。メインの国家であるオーストリアは良いとして、その周りの国家もたぶん楽しいところがたくさんあるものだと考えると、ハプスブルグが絡んだ国家を片っ端から行ってみたいと思った。そんな中でもバルカン半島の国家というのは、ハプスブルグ帝国とは別にして、民族の火薬庫と呼ばれるくらい、いろいろな民族が絡み合っているために、常に戦争が起こる可能性があったところ。それだけ複雑な文化と民族が絡んでいるというところであれば、なにがあっての楽しいだろうと思うし、いろいろな面が観ることができるということだ。
前からバルカン半島は気になっていたが、それでもあまり歴史的なことを知らないことと、ニュースとして身近に感じないこと、それとヨーロッパの中でも西ヨーロッパと異なりどうしても二流国と勝手に思ってしまっているところがあるので、もう他に行くところがないのであれば、そのときに選択するべきところかなというくらいしか思っていなかった。
そこへサッカー・ワールドカップで日本がクロアチアと対戦するというのが昔あり、それまでユーゴスラビアの構成国の1つとしては地理で習ってはいたが、1つの独立国として世界に出てきて、それもスポーツの祭典で出場し、それも我が日本チームと対決するということになると、一気に親しみがわいてくるというものである。
しかし、クロアチアは日本国内ではまだまだ身近ではない。だいたい地図上のどこにあって、どんな国で、何語を話をしているのかということ自体も知らないひとたちのほうが多いのである。確かにそう。いったいクロアチアになにがあるのだろう?しかし、たまにBS放送の旅番組に、ここ数年でなぜか繰り返しクロアチアの旅情報が報道されていた。それを観ると、想像したような国ではなく、全く穏やかな場所だし、気候も食べ物もよさそうなところだし、勝手にバルカン半島の人は野蛮で粗悪な人とおもっていたのだが、ぜんぜんそういう人たちではないということを知る。もしかして、クロアチアってとてもいいところなのではないかというのが沸々と沸いてきた。
残念ながらクロアチアへは日本から直行便が出ていない。だからクロアチアに行くにはヨーロッパのどこかのハブ空港を経由していかなければならないのが、ここで難しいのは、クロアチアのどこの都市に行くかということである。クロアチア国内の都市間移動は本当に面倒くさい。空路の場合はすべて首都ザグレブを経由しないといけない。電車もそんなに発達しているわけじゃないので、本数も少ないし、新幹線のような高速特急電車が走っているわけでもない。時間が腐るほどあるようなバックパッカーの場合にはバスで移動すればいいのだろうが、それでも移動時間に最低でも5時間はかかったりするから、それはもったいない。となると、最初からどこの都市からクロアチアに入って、どこの都市からクロアチアを出国するかというのはとても重要なことになる。クロアチアはザグレブだけが国際空港になっているわけではないところもまた重要なことなのだ。
今回の場合は、クロアチアの都市で行くところは本当に最後まで悩んだ。首都ザグレブは行くとしても、町全体が世界遺産になっているドブロブニクは外せない。ローマ皇帝が引退後に住居として栄えたスプリットもおもしろそうだし、半島のほうにあるハプスブルグの色が色濃く残っている小さな都市のほうもいくのも良かろう。しかし、前述の通り都市間移動がとても面倒くさいので、ここは日程と、あまり多くの場所に移動するのは嫌いだということから、最終的にはクロアチアとしていく場所をドブロブニクとザグレブの2都市に絞った。このおかげで、今回の滞在はかなりのんびりすることができたのは、結果的に良かったと思う。
上記の都市を先にザグレブにいくかドブロブニクに行くかを考えるときに、今度は航空会社の時間帯によるかと思った。今回のクロアチア行きには、あんまり回り道をしていくのも時間がかかるだけでもったいないと思ったので、一番クロアチアに近いハブ空港を持っているオーストリア航空で行くことにした。しかし、オーストリア航空はクロアチアに対して、ザグレブにもドブロブニクにも就航しているのだが、ザグレブを先に行くかあとに行くかに関わらず、行きか帰りのどちらかで経由地のウィーンに1泊しなければならないというのがあった。どちらでも良かったのだが、今回は先にウィーンで1泊するような選択にしてみた。あとは、ドブロブニクとザグレブの間をいつ移動するかということになる。
あとにザグレブに行くことにしたが、ここでも最後まで迷った。ザグレブへの移動はクロアチアの航空会社であるクロアチア航空を利用するのだが、ザグレブで何日間いたいかというのが問題だ。ザグレブは調べれば調べるほど何もないところだというのがわかる。しかし、ザグレブから電車で2時間くらいで隣の国のスロベニアに行くことができる。だから、あまりにもザグレブがつまらないというのがわかったら、スロベニアに日帰りで行けばいいかなというくらいで思っていた。そう考えると、ドブロブニクとザグレブの滞在日数を同じくらいにしておけば良いかなと単純に思っていたが、なんと最初に考えていた日程ではザグレブへの国内線の予約ができないことが判明。仕方なくドブロブニクを延泊した上でザグレブに行くことにした。
結果的に航空券は下記の日程になった。
2011/4/29 (Fri) OS #52 NRT 11:10 → VIE 16:00
2011/4/30 (Sat) OS #731 VIE 12:50 → DBV 14:10
2011/5/4 (Wed) OU #667 DBV 18:00 → ZAG 19:05
2011/5/7 (Sat) OS #7052 ZAG 08:05 → VIE 09:05
OS #51 VIE 13:30 → NRT 07:35 (+1day)
※ OS : オーストリア航空
OU : クロアチア航空
NRT : 成田
VIE : ウィーン
DBV : ドブロブニク
ZAG : ザグレブ
航空券の予約は2月から旅行会社にすでに申し込みを行っていて、いつもなら4月に入るくらいに確定するのだが、今年はなぜか3月上旬にこの航空券の確定ができた。今年のゴールデンウィークは2日休めば結構長く休みが取れるスケジュールになっていたので、今年は絶対早めに予約しておいたほうがいいだろうと判断していたのが成功したのかなと思った。
ところが自体は変わる。あの3月11日の東日本大震災が発生するのである。大震災は東京へ被害はあまりなかったのだが、停電という二次災害はしばらく発生していた。それでも生活するにはちょっと我慢すればいいという程度だったのだが、地震によって発生した福島原発事故が三次災害として出現するのである。そう、放射能漏れである。これを記載している時点でも、ぜんぜん復興する目処が経っていないし、放射能漏れが全く収まっている気配がないのだが、日本政府と東京電力はひたすら隠していたが、ヨーロッパではすでに東京も含めた広範囲にチェルノブイリなみの放射能被害が発生しているというのを発表していたし、知っていた。そこで航空会社が起こした処置としては、ほとんどの欧州航空会社は、通常東京をベースにクルーの入れ替えをするところを、急遽、ソウルか北京をクルーの交換地として設置したのである。そこで当初のスケジュールとは違って、しばらくの間、成田発の時間が30分早まり、オーストリア航空の場合は最初は北京経由であとからソウル経由になったが、ウィーン到着は2時間半遅れになり、帰国便も同じくらいの時間の遅れにスケジュール変更になった。しかし、事情は毎日変わるみたいで、便によっては予定されていた便をキャンセルするような自体がでてきた。自分たちの便は飛ぶのか飛ばないのかも寸前までわからないし、途中に寄っても全く意味がない北京やソウルなんか止まって貰っても嬉しくもないと思っていた。原発の放射能漏れ情報が全く聞こえなくなってきたときに(実際には漏れまくっていたのだが、東京電力と政府が必死に隠蔽していたことがあとから判明)、航空会社が北京やソウルを経由するのではなく直行便で運行するということを表明。スケジュールを元のとおりに運行すると発表されたので、安心した。
しかし、安心したところに別の問題が発生。クロアチア航空から「あなたが予約していた便は運行停止になりました。手続きを行うためにはこちらへ」とリンクがついたメールが入る。何事か?とおもったら、本当に予約していた便が欠航になってしまい、そのあとの便に振り替えられるような案内が予約番号を入力したところ表記された。その便はザグレブに飛ぶ最終便だったので、それを逃すと次の日の便になる。仕方なく、その便で行くことに了承するような手続きをする。最初の予約時には座席まで指定できたのだが、振り替えられた便ではすでに座席が決められていて、友達とは全くばらばらの席に無理やり配置されていた。そんなのは嫌である。だから、実際に乗る前には空港のカウンターで「いやだー」と文句を言ってやろうと思った。
振り替えられた便は下記の通り。
2011/5/4 (Wed) OU #385 DBV 19:50 → ZAG 20:45
もうザグレブに到着すると夜なのである。この日はもうザグレブでは何もできないということなのだろう。予定が狂ってしまった・・・。
泊まるホテルも各都市にそれぞれいろいろあるが、すべてにおいて条件として「遠くない」「高くない」「ネットが使える」という条件だけはつけて探してみた。
ウィーンの場合は、結局次の日にドブロブニクに行くために、また空港へ移動しなくてはいけないことを考えると、空港から市内に移動して到着するウィーン中央駅に近いところで泊まるのが一番いいだろうと考えた。しかし、駅の近くは高いところばかり。そこで、1駅だけ移動することにした。別にどこでも良いと思っていたのだが、Stadtpark駅目の前にあるホテル「インターコンチネンタル ウィーン」にすることにした。でも、インターコンチネンタルホテルなので高いだろう・・・と思っていたのだが、このときは4月いっぱいまでの特別キャンペーンで1泊1部屋1万円程度だったので、即効で決めた。
ドブロブニクのホテルは、多くがラパッド地区かバビン・クック地区という旧市街からちょっと離れたところに大型のホテルがたくさん存在する。しかし、そこに行くには旧市街から路線バスで移動しなければならないため、それが面倒くさい。となるとできるだけ旧市街に近いところのホテルに泊まれれば良いだろうと。それも空港からバスで旧市街に移動するわけだから、そのバス停から近いところが良いだろうというのも選択の1つ。そう考えたときに、旧市街の中のホテルにするか傍のホテルにするかの選択になる。選んだのは、ドブロブニクの中でも名門ホテルである「ヒルトン・インペリアル・ドブロブニク・ホテル」にした。詳しくは別途記載する。
ザグレブについても選択はあまり難しくなかった。ザグレブで絶対に行くべきホテルの1つであるのはなんといっても、ザグレブ中央駅の目の前にあり、かつてザグレブにオリエント急行が泊まっていたときには乗客が使っていたことで有名な「リージェント・エスプラナーデ」である。値段は最初の想像ではめちゃくちゃ高いのかと思っていたのだが、目の玉飛び出すほどでもないので選択してみた。
今回のホテルの選択は全体的に良かったと思われる。クロアチア全体の印象については別途記載したいと思うのだが、渡航寸前まで仕事の問題が片付かず、結局他人に任せていったことだけが悔しい。が、時差はあるとはいえ、なにかあったら電話がかかる状態にはしていたので、特に問題はなかったのだが、日本が早朝のときにこちらは夜中で寝ている時間なので、そのときの応対だけが結構面倒くさかった。
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