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ドブロブニクの旧市街へいくための入口は、全部で4つある。西部にあるピレ門(Grandska vrata Pile)、北部にあるブジャ門(vrata od Buza)、北東部のプロチェ門(vrata od Ploca)、そして海沿いにあるポンテ門(vrata od Ponta)である。この中でもドブロブニクを訪れるほとんどの観光客が絶対通るところであり、一番大きな門であり、一番にぎやかな場所がピレ門である。
ピレ門の前はバスのロータリにもなっているので、大きな観光客や路線バスがわんさか通っているし、ピレ門に通じる通りはロータリの割には道がとても細いので、つねに渋滞している状態だ。
ピレ門に入る前に、ちょっとした石の橋を通る。道路があるところは、実は海岸線からちょっと高いところにあるために、直接市街地に入るための門との間は、海岸に下りることができる場所を通り抜けるための橋があるのである。椅子らしいものが全くといっていいほどないために、この橋の欄干のところで休憩している人たちが昼間になるとたくさんいるが、別に寄りかかるものが無いので注意だ。ちなみに、自分もこの橋から写真撮影しているときに、カメラのカバーを落としてしまい、橋の下に行ってしまったことがある。
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ちなみに、橋の下におりて、市街地に一番近い場所の波打ち際の様子をみると、結構荒々しい冬の日本海のような波を見ることができるのだが、こういう場所に下りてまで実に来る人があまり居ないので、ボーっとしたりするのはいいかも。ただし、がけの上にあるレストランからは丸見えなので、「あいつらなにをしているんだろう?」と食べている人から怪しまれることはここでは行ってはいけない。
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橋もそうだが、門も全面石でできている。そして後ほど記載するが、門といっても単純に1つのゲートがあるわけではないところが、日本の城みたいな感じだ。最初の入口のところに入ろうするところには、ドブロブニクの守り神である聖ヴラホの石像が門の上に掲げられている。町全体が聖人に守られているという証拠でもあるわけだ。聖ヴラホのことについては、別に「聖ヴラホ教会」のところで記載したいと思う。
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聖ヴラホが掲げられている門を潜り抜けると、ちょっとした広場みたいなところに出てくるが、広場といっても何かここで催しものでも開催できるようなものではなく、階段状とスロープの二つの道が形成するためにできた場所である。観光客用に街を改造したものなのかどうかはわからないが、最初からスロープと階段になっているところが面白い。おそらく物資を運ぶための通路がスロープ状のほうで普通の人の出入りは階段のほうなのだろう。
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その広場を越えて、もう1度門のようなところを潜ると、ようやく目の前にこれまで画像でしか観たことが無いようなドブロブニクの町並みが見えてくる。
しかし、このもう1つの門のほうは人の出入りが激しいために、常に混んでいる感じがした。午前中の早い時間に行くと、この門に対して、出る人と入る人が揉め事にならないように、一方通行のロープが張られているときがある。急いで移動するひともいないだろうから、全員が全員並んで門を潜っているところが素晴らしい。
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また、この門を市街地のほうから見ると、単なる石が詰まれたつまらない景色のように思われるかもしれないが、街は石壁によって守られているものであるというのがとてもよくわかるものだと感じられよう。日本の場合、壁というと家を守るものであり、城のある場所も町を守るというのではなく城を守るために存在しているものである。中国のような場合はヨーロッパと同じように、街を守るのが城壁という考えがあるので、中国系の人にとっては特に違和感がなく壁に対して受け入れられることだろうと思う。中国語で「街」のことを「城市」というのは、語源がここにある。
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ちなみにドブロブニクのどの門も、その昔は、時間になったら全部の門は閉まっていた模様で、その門の鍵は総督が管理することになっていた。だから、ドブロブニク旧市街にある総督邸(Knezev Dvor)に行くと、総督のテーブルの展示の隣に、ゴツい門の鍵(本物)を観ることができるので、是非確認して欲しいと思う。
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