ルジャ広場のどん詰まりのところには、これまたちょっと趣向が異なる建物が左側にあるのが見える。これ、何風っていうんだろうか?フィレンツェあたりの建物っぽく見えるが、それとも違うし、ウィーン風とも違うし、なんだろうな。やっぱり一時期ヴェネチアに支配されていたという歴史があるので、そのときの名残の建物かもしれないと思われるのが、スポンザ宮殿(Palača Sponza)である。
スポンザ宮殿は中に入る前にまずは絶対に外観を見て欲しいところだ。1階のアーチ型になっているアーケード形式の枠自体が、なんとなくイスラム文化的な感じもするし、かと言って、ここは一度もイスラムの支配下になったことはないところなので、どうしてこんな建物になったのか不思議。そして、2階の窓枠も不思議だ。幾何学的にも見えるし、なにかのマークを暗示しているかのような窓。こういうデザインになったいきさつを頭の中で妄想すると、建築学的には楽しい時代旅行ができることだろう。実際に中に入ったときには、なにかこの宮殿に関する展示物でもあるのかと期待していたのだが、そうではなく、誰か聞いたこともないひとの写真展示会が開催されていた。※あとで調べたら、Stijepo Brbora という写真家だったことがわかった。そんな写真展覧会は気にしないで、中の建物の様子を見ていると、アーチ型になった柱のところに次の文言が記載されているのを発見。
Fallere nostra venant et falli pondera; meque pondero cum merces ponderat ipse deus.(ラテン語なので実際には「U」は存在せず、全部「V」で記載)
この意味は「商品の荷を量る時には神に量られていると思わなければならない」という。商取引を公正に実施しなければならないというドブロブニクの人たちの商人としての気持ちがこの文字に刻まれていると言えよう。
ガイドを見ているとここにはドブロブニクの公文書館となっていると書いていたのに、どこにいけばそんなものがあるのか全くわからなかったのが残念だった。
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