2010/02/05

爆笑問題のカーボーイ(Podcast)


TBSラジオの深夜枠「JUNK」の火曜レギュラー番組として「爆笑問題のカーボーイ」というのがある。そのポッドキャスト版は、短い番組ながらもかなり笑えるものが揃っていて、朝の眠たい状態でそれを聞いていると、口元が勝手にニヤニヤと緩んでしまうから恐ろしい。冬ならマスクをしていれば隠せるのだが、夏になったらマスクなんてしないので、恥ずかしさ満点で聞いていることになるのだろうと、いまから心配している。

さて、その番組の内容としては、大きく2つのテーマについて聞ける。1つは、稲川淳二の語り口を使ってはいるが、まったく怖い話ではなく、単に目の前の事象を勘違いして理解しているひとの話を紹介した「妙に変だな~」のコーナーと、めちゃくちゃな名前の大臣名を出して、それに該当する有名人の名前を総理大臣からの指名のようにアナウンスする「担当大臣」のコーナーというのがある。

「妙に変だなぁ~」のコーナーは、稲川淳二が「妙に」とか「変だなぁ~」は語り口のなかではつかったことがあると思うが「妙に変だな~」というフレーズを使ったことは一度もない。だが、さも一度使ったことがあるかのように、言葉だけが独り歩きしている気がするが、それはご愛嬌。勘違いした人の、おもいっきり勘違いしたときの言葉のフレーズとして、「あれぇ~?みょ~にへんだな~」という稲川風の語り口になるのは面白い。虫取りにいったら草っぱらの中にアンジェラ・アキを発見して、こんな草のなかで作曲活動をしているのかと思ったり、なぜか背中に羽根が生えていることに驚き、たくさんのアンジェラ・アキが羽ばたいているのを観て、クローンか兄弟がたくさんいるのか!?と思ったりと、他人から観たら、「それはどう考えても『とんぼ』だろう!」とツッコミを入れたくなるような内容が満載だ。視聴者からのお便りの投稿を読む形になっているので、それを太田が読むのだが、横で聞いている田中が、絶妙なツッコミを随時入れているのもすばらしい。そして、あの独特の笑い声で、釣られ笑いをしてしまうのも、リスナーとして情けないと思いつつ、彼の技術なんだろうということを理解する。たいていの投稿として、「だっておかしいじゃない」「そしたらアタシ、気づいちゃったの」というのはお決まりのフレーズとして入っている。

「担当大臣」のコーナーは、もうめちゃくちゃだ。だいたいそんな肩書きの大臣なんて、実際にはないぞーっというのを作るところから始まる。たとえば、「えくぼ大臣・名倉潤君」というのとか、特定の特命担当大臣役職を与えるならどんな人かというのが趣旨のコーナーだ。こちらは、大臣名と該当する有名人をかけばいいので、作品数がとても多く紹介される。あーっ、なるほどーというものから、そのまんまじゃねーかー!と言いたくなるようなものまで千差万別だ。

ポッドキャストの番組としては、25分から30分くらいあるので、脳みそ使わずにポカーンと聞くのであれば、とてもおもしろい番組だと思われる。一度聞いたら止められないので、毎週水曜日に新しいものがアップロードされるのが楽しみになる。

爆笑問題カーボーイ(Podcast)
http://www.tbs.co.jp/radio/format/bakusho.html

怪獣記

高野秀行のアグレッシブさにはいつもながら惚れ惚れする。どうして、こうも男は刺激を求めて、時はからみると「バカだなぁ~」ということに対して熱中するんだろうか。だからいつまでたっても、男は少年とか子供だといわれるゆえんだと思われる。それも熱中する対象物がUMAということになったら、ほとんどキチガイの世界にどっぷり嵌っているとしか思えない。

元々冒険好きだったことと、海外に行って怪しい人たちと交流することが大好きな特異体質の持ち主であるために、怪しさ満点の未知の物体を探しに行くという話しが舞い込んでくると、すぐに乗り込んでしまうバイタリティは脱帽だ。嫁もいるのに、この無鉄砲な行動は、よほど生活に余裕がないと道楽はできないと思われるのだが、他人事ながら、一体そんなにも収入を気にせずとも生活ができるのだろうかと気になる。作家としての本人の収入もどの程度のものかわからないが、彼の書く書物は、かなりマニアックであるため、冒険好きな人しか読まないだろうと思う。小説といえども、フィクションではなく事実に基づくどたばた劇を描写しているものであるから、通常の小説みたいに、脳みその中で妄想指数をバンバン高くして読みふけるというものではない。ましてや、通常の旅行記のような読み物でもないので、まず、どこどこの店ではどんな良いものがあったというような紹介など皆無だ。

今回の「怪獣記」についても、一連の冒険・探検シリーズの一巻であり、場所はトルコである。トルコで宿探しをしているときから、彼らは地元民の注目の的になってしまうのである。なにしろ「何しに来たのか?」と聞かれたら「UMAを探しに」と返答するので、当然地元民は「そんなもんいるわけねぇよ」という言いながら、遠く日本から頭のおかしい奴らがやってきたとバカにする。旅館の店主も、毎日旅館に戻ってくるときに「今日は見つかったか?」と半分バカにして聞いているところも、容易に想像ができる光景だ。

また、たまたま今回の探検が、前回トルコを訪問した際に、現地コーディネート兼ガイドをしてもらった人と、運よく再度再会してしまい、それを機会に現地での幅広い活動ができたというのは偶然が必然となったとしか思えないような話だと思った。そして、人のつながりとは怖いもので、そのコーディネータの中の1人が、現地の新聞社の人だったというから笑える。となると、日本からわざわざUMAを探しにやってきた奇特な日本人が、いまこの土地で調査をしているというニュースが、トルコの全国新聞に載ってしまうという快挙を得てしまう。そうなると、新聞の力というのは大きく、今度は、著者がどこにいっても、「新聞で見た人だ」というのを皮切りに話がどんどん膨らんでいって、スムーズにかつ、たまにはバカバカしく思うようなものまで情報が転がり込んでくる面白さは、天性の素質としか思えないほど豊かな条件が舞い込んでくる性格の持ち主らしい。

だいたい、日本から一緒にトルコに渡った人が、たまたまトルコ語を勉強しようとしている学生を捕まえて、トルコ語を習得するのと、資料探しをさせるという一石二鳥的な依頼をすることで、トルコ語がわからなくても現地の情報がその人を通して入ってくることになるなりそめもおもしろい。また、キーワードとなる人が書いた著書が、こんな日本になんかあるわけがないとおもって探していたところ、意外なところに存在していたことと、その本の中に書いていることが、UMA目撃者の一覧と、どういう状況で観て、どんなものだったかという感想を、すべての個人情報を全部記載して載せているという本だったことが、彼らの現地での行動のバイタリティを引導したとしか思えない。つまり、参考資料かつ現地での行動指針として、そこに書かれていた人たちにインタビューすることで、実態を徐々につかんでいこうとすることになる。そして、そこに記載されていた個人情報が、驚くほど正確なものだったということもわかって、二度驚愕するということがわかるのも面白い。日本だと絶対そんな本は存在しないことだろうし、該当の人の存在さえ、フィクションなのではないか?と思うようなことも出来てしまうようにも思える。

結局のところ問題のUMAは見つかることはなく、クルド人問題で揺れるトルコの歴史的な事情を隠すために、UMAという良くわからないものを持ち出すことで、話題を分散させてしまおうということの政治的な駆け引きのためにUMAは使われていたのではないかということがわかったようだ。確かに、よくわからないものを緩衝材として、2つの重たい事象を和らげるというのはよくある仕組みだ。よくわかんないものだからこそ、その輪郭と詳細の情報を探求してはいけないタブーなのであり、詳細をさぐると、2つの事象のどちらかの核心部分に触れてしまうというものの典型的な例なのだろうと思われる。

単なる冒険物の記録作品というわけではなく、もちろん記録も含まれるのだが、それ以外にもトルコに起こっている深層的な事件を現地の人たちがどのように感じているのかという民俗的な視点からも考察ができる作品になっている。

文章ばかりではなく、彼らが現地で撮影した実際の写真をフル活用にして、文章ではなかなか伝わりにくい内容(たとえば、現地の人の顔の特徴など)を補う形でたくさん掲載されているのも面白い。トルコの現地に行かなくても、こういうところで活動していたのだなという想像を少し現実的な映像にすることができるのも、写真のひとつの特徴だろうと思われる。

怪獣記 (単行本)
高野 秀行 (著)
単行本: 281ページ
出版社: 講談社
発売日: 2007/7/18

2010/02/02

永楽帝

明朝第3皇帝である永楽帝は、明朝のなかでも優れた統治者として有名な皇帝であるが、その皇帝の成り方が、通常の先代の皇帝からの引継ぎで成り立ったのではなく、簒奪という形で皇帝になったため、本人も含めて、あまり良い皇帝だったという評判は無い。ただ、明朝拡大と安定化のために、この皇帝が行った業績というのはとてもすばらしいものがあったのは事実である。

本著「永楽帝」というのは、タイトル通りに、永楽帝が永楽帝になるまでの過程と、永楽帝として君臨してからの事業についてを説明している文庫本である。永楽帝の人生はとても激しかったために、1冊の本にしただけでもかなり端折らなければ収まることができないほど波乱に満ちているのだ。それをコンパクトにまとめたという点では、著者はその研究の一人者であるためにすばらしい業績と知識を持っている方なのかなというのが理解できる。

中国の皇帝は創設者くらいは知っていたとしても、そのあとの皇帝は誰がいるのか実はあまりよくわからない。清朝の乾隆帝くらい超有名皇帝になれば、日本でも名は知ることになるのだが、永楽帝もそこそこ有名なのに、個人的にはあまり知らなかった。情けない。ただ、永楽帝が明朝で君臨していたときは、日本では金閣寺を作った足利義満の時代と合致するため、日本でも室町幕府のなかでは有名な将軍と、中国でも歴史上キーとなる皇帝が繋がっていたというのを、この書物を通して知ったことで、なんとなく世界はやっぱり繋がっているんだなーというが改めて解った。足利義満が推奨した勘合貿易の受け側がまさしく明朝の永楽帝であったのである。特に日本は中国の隷属国になったわけではないのだが、中国王朝の立場上、中国本土と交易を行う場合には、朝貢という形でしか面目上行うことができないという、本当に面倒くさい面子のために成り立っており、そのため、足利義満は日本では一番の権力者ではあったのだが、形式上、明王朝から日本統治王という名前をもらうことで、明との交易に大成功を収めた。そこまでして足利義満が明との交易を重視したのは、中国の立場を理解した上での策士であることがあとでわかる。というのも、中国は対面上、朝貢としてやってきた相手の国に対して、もってきた「贈り物」よりも高価な、そして大量の「お返し」を渡すからである。極端なことを言うと、日本から見れば、1円玉を中国に渡したら100万円になってお返しが返ってきたということになるのだ。相手がそんなに太っ腹なのであれば、自分の体裁はともかくとして、相手と交易をするのが先決と考えるのが普通だろう。足利義満はそのシステムを利用して、中国から高価なものをがっぽりもらってきて、それを町人を経由して売りさばき、幕府として大儲けをした張本人なのだ。

永楽帝は、皇帝になるまえ、初代明朝皇帝の子供として、いまの北京あたりを支配する燕王として封じられていた。前王朝の元の生き残りを徹底的にぶっ潰すために送り込まれた精鋭部隊を統括するリーダーの立場として君臨していたのである。だから、ちょこまかと万里の長城を越えて攻めてくるモンゴル軍に対して、全くひるまずに対応していたところから戦争の天才とも言われている。しかし、永楽帝自体が、初代皇帝の長男ではないため、皇太子としての資格はなかった。また初代皇帝の取り巻きが、率先して役立たずの長男を皇太子に推すような企てを露骨にやっていたことで、初代皇帝も「それではそうしよう」とあっさり決めてしまったところに、人生の歯車が狂ってくるのである。十分な実力と知性の持ち主が反旗を翻すのも無理は無い。また、永楽帝の取り巻きも「こんな立派なかたが皇帝にならないのはおかしい」と煽てたのも一理あったのだろう。

しかし、歴史とはおもしろいもので、皇太子として立てた初代皇帝の長男が早々と死んでしまったことで、また状況が怪しくなる。皇太子が死んだ場合、必然的にその子供がさらなる皇太子になることが決まっているのだ。残念ながら死んだ皇太子には子供が居た。よって、初代皇帝がまだ生きている間に、皇太子の権利は、死んだ皇太子の子供に移ってしまうことになる。これで、さらに永楽帝には皇帝になるチャンスがなくなってしまった。初代皇帝の長男に皇太子の権利があった場合には、「長男だし、仕方ないよね」くらいで済んだことなのだろうが、その子供に権利が移ったとなると、奪還したくなるのは無理も無い。そういうところを旨く著者は表現して、わかりやすく解説を入れているので、まるで小説を読むような迫力とスリリングが伝わってくる。

永楽帝の時代には、有名な宦官である鄭和による大航海の始まりでもあった。永楽帝による野望なのだろうが、解説によると、奪還した第2皇帝の取り巻きの残党を探して抹殺させるために遠出までしていかせたのがきっかけだというのを書かれていたのが面白かった。鄭和による大航海は、ヨーロッパ人による大航海時代の突入より前の時代の話である。これはこれで興味がある話だ。それを行ったのが永楽帝であったというのは、この本を読んで初めて解ったことである。

明の時代は文化的にも漢民族の栄光が反映された時代でもあったといえよう。景徳鎮を中心とする陶器として発達した時代でもあったが、これも永楽帝による保護がきっかけになって発達したというのもわかって、すばらしいと感じた。景徳鎮の白磁といったら、故宮博物館では名作品のひとつとして数えられ、その白さと完璧なる形からみて、惚れ惚れするものである。明の時代は、宦官がのさばってどうしようもなかったときだとは言われているが、文化的には極限まで発達した時代だったのではないだろうか。その土台を永楽帝が作ったとなると、永楽帝の業績を改めて確認したくなってくるものだ。

いろいろある永楽帝の業績に関してわかりやすく、そして、次はどんなことがあったのかというのを次から次へとおもちゃ箱をひっくり返したようにだして説明してくれている著者の文章力はすばらしい。是非、名著として残しておきたい1冊だと思う。

永楽帝
著者:寺田隆信
出版社:中央公論社
文庫:285ページ
発売日:1997年2月

お台場寄席(Podcast)

音声ファイルを持ち歩くというときに、一番良く使われるのは、音楽のファイルだろう。その次が語学系のためのファイルだと思われる。その他に持ち歩くとしたら、意外に何があるのかとあまり考えたことが無かった。実は考えてみると、いろいろなコンテンツが存在していることが最近になって気づいて、その中でも、落語の分野というのは一番その典型的なコンテンツなのだろうと思われる。もちろん、前から記載しているラジオ番組というのもその1つのコンテンツなのだろうが、ラジオ番組が、現代版のおしゃべりであると仮定すると、落語というのは、昔から伝統として伝えられているおしゃべりの娯楽であるといえよう。だから、広義のおしゃべりコンテンツに属しているのではないかと感じている。

落語といえども、古典落語から現代落語まで話のネタはいろいろあるし、また演者によって同じ内容の話だとしても、伝わる雰囲気と言い回しは全く違うところが面白い。クラシック音楽においても、指揮者や演奏しているオーケストラが異なると、同じ曲目でも全く違うように聞こえているのと同じだ。落語もクラシックも、どちらも「既に解っている内容について、知っている知識と比較して、その違いを楽しむ」分野なのではないかなと思う。つまりオチが解っている話を、いかに面白く、そしてさも初めて聞くかのような話に思わせるかというところが、演者の力量というものなのだろうと思う。

フジテレビ系列が行っている落語のポッドキャスト番組のなかで、落語番組が存在しているのは、演舞場などの寄席にいかなくても、身近に落語を聴くことができる最適な番組だと思う。テレビの落語だと、どうしても映像から入ってしまうために、音で楽しむということは無い。だから、派手な演技をするような演者であれば、視覚的にインパクトを客席に植えつけることができるが、テレビのブラウン管を通してみると、これが陳腐なものに見えてしまう。その点、音声だけだと、声による実力で表現するから、聞いているほうも集中できるし、演者の良さをさらに研ぎ澄まされた音声として受け入れることができるといえよう。また、テレビやラジオだと、その番組が済んでしまえば、聞いたり観ることができない。録画というものだと、わざわざ時間を割いてみるほど重要だとは思っていないところだろう。

いろいろな演者がいろいろな題名で落語を行っているのは面白い。従って、たくさんいる落語家がどのような演目を行うかは見所でもあるし、普段テレビでは見たことがないような知らない落語家もたくさん見られると思うので、ポッドキャストなどのようなものを使ってどんどん落語を聴くのも楽しそうである。

お台場寄席(Podcast)
http://blog.fujitv.co.jp/yose/index.html

こちカブ(Podcast)

カブドットコム証券が提供しているラジオNIKKEIの投資情報番組である「こちカブ」は、株式の投資を中心とした情報提供番組であるのと同時に、アメリカの簡易な経済動向も聞けるので、いま市場でどのようなことが起こっているのかを解説してくれるという意味ではおもしろい番組だと思う。

しかし、所詮、株式に関する投資予想の番組であるため、競馬の予想屋となんら変わらない。いちおう「今日の日経平均はこのくらいの金額を見込んでいる」なんていうような表現がたまに出てくるのだが、これって競馬の「今日は5番の馬が来ると思う」という言い方と全くかわらない。当たるも当たらないも、基本的には投資をする人間が決めることなので、こういう野次馬的なやりとりを参考にしてもいいだろうし、外野が単に騒いでいるだけで、その外野が騒ぎたいネタというのがいまどういうのがあるのかというのを知る程度としても、この番組を聴いているのはいいだろうと思う。

毎朝更新しているため、本当なら、株式市場が始まる寸前にデータをダウンロードしてきて聞けばいいのだが、出勤前にそんなダウンロードができるほどの余裕は無いので、その晩にデータをダウンロードして、翌朝の通勤時に聞いているというのが多い。だから、結果としてどういう市場の動きになったのかが後出しながらも知った上で聞いているので、このときに予想屋は何と言っていたのだろうというのを笑いながら聞いてみるのもいいだろう。まじめにデイトレーダとして市場に参加しているのであれば、そんな聞き方では情報が遅すぎるのは当然だろう。あくまでも、株式を持っているが寝かしている株ばかり持っている人は、いま自分でいったやり方で十分だと思う。

毎日、カブドットコム証券の専門家による、投資のポイントや今日の市場の動きの予想などをしてくれるので、飽きが来ない。語り口に関しても、積極的に投資をするような言い方をしているので、乗せられると、ついつい自分も参加してもいいかもしれないという錯覚がおこってしまうのが否めない。あと、アシスタントの女性に関しても、株式市場のことについて良く知っているので、証券会社のひとたちによる難しい言葉に対しても、噛み砕いて調整してくれるところは素人参加者にとってはうれしい限りだ。

ただ、この番組では「この株を買いなさい」とか「この株はいまヤバイから避けたほうがいい」というような具体的な銘柄を使って説明することは無い。証券会社が市場に関与したということになりかねないからだろう。だから、市場にどのような企業があって、どことどこがどう絡んでいるのかを知らない人にとっては、話の内容がいまいちわかりにくいかもしれない。逆に言うと、ヘビー株式取引者で、株価チャートや株式売買に関するテクニカルな面について興味がある人にとっては、たまにアドバイスを放送していたりするので、聴いて損は無いと思われる。

こちカブ(Podcast)
http://market.radionikkei.jp/kochikabu/

2010/02/01

Vocal Trance Session(Podcast)

SonnydeejayがDJを努める約1時間もののトランスミュージックばかりを演奏しているpodcastである。DJのプレイをそのままmp3としているのは、結構DJのCDとしては売られているのだが、こういうのは一度聞くとだいたい飽きてくるのが普通だ。ところが、このPodcastはほぼ毎日新しいものを提供してくれているので、毎日が楽しくなってくる。特に長時間の通勤時間に聞く場合には、とても有効なものだ。ただ、1時間ものなので、mp3ファイルにした場合でも数メガになるため、iPodにずっと貯めていくと、だいぶディスクを圧迫していくのは間違いない。そういうときには、定期的にドックになっているPCのほうから該当のmp3だけをDVDなどに保存しておくのがいいというのがわかってきた。

さて、かかっている曲としては、本人も宣伝に使っている通りに、トランス系ばかりである。まるで本当にクラブにいっているような感じだ。朝から調子が乗れないなというときに聞いていると元気が出てくる。歌ものも一部出てきたりするのだが、いわゆるおねえハウスみたいなものでは全然ないので、聞き苦しいと思うことは無い。

1時間もののなかでは曲がだいたい11曲位入っている。しかし、つなぎ目が上手に行われているために、どこまでがどの曲なのかさっぱりわからない。これがDJの醍醐味だとは思うのだが、できれば、いまどこの曲を流しているのかというのがわかるようになっているとうれしい。全体を通して、似たような曲を流しているから、どこまでが該当の曲なのかがわからないということもあろう。

トランス系のDJに関するpodcastは、他にもたくさん存在する。検索すれば一番沢山出てくるのではないかと思われる。podcastのようなものとしては、一番作りやすいからだ。ただ、この番組がすばらしいと思うのは、毎日必ず1組のコンビネーションが出てくるところだろう。他のサイトは出し惜しみのように1週間に1度とか、2週間に1度とかの割合でしか出てこない。そう考えると、いろいろな組み合わせで対応しているとはいえ、毎日のリリースというのは難しいのに、よく毎日リリースしているなーと感心する。だから、毎日アクセスして、更新しているかなと気になってしまうのだ。

Vocal Trance Session(Podcast)
http://sonnydeejay.blogspot.com/

世界一周旅々ニュース(Podcast)

Podcastの旅系の番組を探していたところ、映像は存在しないのだが、毎週更新されて、最新の情報を、それも長時間放送しているというのを探していていたのだが、なかなかそういう番組に出くわすことは無かった。しかし、存在した。いつまで続くのか良くわからないが、別にスポンサーが付いているわけでもなんでもないのに、妙に番組が面白い。それは「世界一周旅々ニュース」という番組である。

番組は、博学の知識で色々な場所に実際にバッグパッカーとして行った事がある「やすやす」さんと、その取り巻きである京都出身の女性「よっち」さん、それと渋い声の持ち主である「ダイスケ」さんである。声から判断した勝手な印象としては、「やすやす」さんは、比較的小さく、豆タンクみたいな体をしている人なのだと思っていた。だけど、旅々ニュースのサイトを見たところ、サムネイル程度でしか載ってはいなかったのだが、実際の顔はもっと現代的な顔をして人であることがわかった。「よっち」さんにしても、イメージはオセロの結婚したほうのような印象をおもっていたのだが、突っ込みの仕方はまるっきり関西人と同じで、「それって、なになになんとちゃうん?」という、鋭いツッコミはすばらしいと思っている。「ダイスケ」さんにいたっては、勝手にメガネをかけている人いう印象しかない。それも背が高い感じの人。これも実際にはどういう人なのかまだわからない。「やすやす」に対して、密かに対抗心を持っているのではないかと勘ぐりを入れてしまう。

番組の内容は、ほとんど三人の雑談として1時間みっちりしゃべくりまくるという内容になっている。ただ、いちおう前もって何をテーマにして話すかというのは決めているらしく、それにできるだけ近づくように番組の構成はしているようだ。だが、やっぱり話が盛り上がってくるとそんなのはお構いなしに、話が分散していくというところが、いかにも作り上げた内容というわけじゃないところが面白い。

ただ、内容としては、バッグパッカーとして旅をしている人たちばかりが集まってわいわいやっているという感じがしたので、どうしても、辺境とかメジャーなところだとしても、貧乏人が触りだけその都市を感じてみましたというような内容になっているところが、ちょっと惜しいと思った。確かに旅をする人は、いろいろなスタンスで旅をするために、一概にこれというのを紹介するのは難しいのだろうと思うのだが、本人たちも自分で番組のことを「広く浅く」と言っているだけあって、マイナーなところをめちゃくちゃ深く掘り下げて話題を提供しているわけでもないから、聞いている側からすると「あぁ、世の中こういうところもあるんだね」というのを認識できれば良いのではないかと思う。ただ、行った事がある場所の話題になった場合には、「それって、もうちょっと話を掘ったほうが面白いことはいっぱいあるのに」と憤慨してしまうこともある。

ただ、podcastの色々な番組を探してみたのだが、これほど幅広く旅行に関してのみを放送しているのは聴いたことが無い。海外の番組だと、映像を交えて「こういう都市があります」と紹介VTRのようになっているところもあるのだが、それはあくまでも半分宣伝みたいなものだと思い、生の声が聞こえてこない。多少フィルタリングは掛かっているとしても、実際に行った事がある3人が、本人の体験を通してその場所のことを紹介してくれるというのは楽しいだろう。

これからも面白そうな内容をどんどん提供してほしいところだ。

世界一周たびたびニュース(Podcast)
http://www.voiceblog.jp/tabitabi/

聞くスペイン語(Podcast)

iPod Touchを入手したことによって、ちょっと楽しみが増えたことがある。テレビでガンガンに宣伝されているから使ってみたいと思っていたが、やっぱり面白い。でも、iPhoneを持つつもりは無い。iPot touchで十分だ。無線さえ繋がれば、ネット環境を使ったものは何でも使えるので便利である。

そんなiPod touchで遊べることといえば、iPod アプリを使った遊びができるのは当然なのだが、iPod じゃなくても使えるものとして、Podcast による音源の取得だろう。普通のmp3プレイヤであれば、何でも聞けるのはありがたいが、iPodを使っていると同期が取れるので、常に最新版の番組の内容をゲットできるのは便利だ。

普段の音楽ものとしては、別のmp3プレイヤがあるので、それを聞くとしても、iPod touchのほうは、そのPodcastで取ってきた番組の内容ばかりを取ってきている。行き帰りの電車の中で聞くにはとても便利なツールだ。

話が長くなってしまったが、要はPodcastの番組になぜかはまっているというのを言いたかっただけである。その中でも最近特にお気に入りの番組について、紹介したいと思う。まず最初に語学系で探してきた番組としては英語なんていうのはたくさんあるのは知っているが、諸言語となると、これが愕然と少なくなる。その中でもいちおしなのは、スペイン語系のPodcastである「聞くスペイン語 (Escucha espanol)」である。これは音だけではなく映像も付いた番組だ。だが、一切合切、字幕が出てくるわけじゃない。だけど聞き入ってしまう。

内容は、初期スペイン語のフレーズを教えるというものなので、スペイン語に興味が無いひと、スペイン語を全く知らない人でも、すんなり入れるものだとおもう。面白いと思ったのは、スペイン人が2人やってきて、まるでラジオのブースのようなところで録画している映像が流れていること。2人の男がマイクを持って、ヘッドフォンをつけながら、スペイン語の基本フレーズを教えるというものだ。よく使われる会話を日本語とスペイン語を混ぜて説明しているので覚えやすい。だが、なぜこんなむさいくなおっさん2人の顔をずっと見ながらスペイン語を見なければいけないのかというところに面白さが残るのである。一度観てしまうと、そのインパクトの強さに「次の番組はいつ!?」と思いたくなるのである。さらに言うと、毎回始まるときには「Escucha espanol」というのを歌にして2人で陽気に歌っているところが笑える。最後にも「意見や質問があったらブログに書き込みをしていねー」というのを言っているのだが、だれがそんな書き込みをするのかどうかが疑問である。

やっぱり音だけ聞いているのだと、集中して聞けるので実はいいのではないかと最近は思ってしまった。映像があると、どうしてもそちらのほうに目が行ってしまって、発音が頭に入ってこない。

聞くスペイン語(Podcast)
http://escuchaespanol.com/

スピリチュアル紀行 台湾

台湾に関係する書物を探していたら、昨今の自分探しのたびやら、運気上昇を願った関係の本が見つかって、日本人もかなり病んできたものだなと実感してしまった。特にこの手の本は女性には人気があるものと見えて、占いとダイエットを絡んでいたら、絶対に書物としては売れるという定番の図式になっている気がする。

さて、台湾と運気をどのように結び付けているのかなと書籍を確認してみると、台湾にはたくさんの寺院があることを中心に、台湾人が信じているパワースポットなるものをいろいろと紹介しているという具合である。かといって、本当に台湾人全体がそれを死んでいるのかどうかといわれると、かなり疑問視してしまうところではあるのだが、なにしろ原住民を含めて、たくさんの民族が小さな島のなかで生活していることもあるので、それなりにスピリチュアルな世界がたくさんあるのは否めない。

が、反対に、だいたいこういう本には運気が下がるようなところを全く紹介していなかったり、昔は運気があがると信じられていたところだろうが、戦後の国民党の悪政のために、ことごとく破壊されたところなんかもあるに違いないのだが、なぜ、そういうところを紹介しないのかが不思議だ。一例を挙げると、現在の圓山大飯店はかつて台湾神社があったところであり、日本人が勝手に神社として作ったとはいえ、それなりに祈祷などをして霊的な要素を埋め込んだ地ではある。ところが、戦後、日本的なものはすべて破壊という宋美麗の命令の元、台湾神社もぶっ壊され、現在のあの気持ち悪いホテルが出来上がってしまった。そうなると、このホテルは運気がいいのか悪いのか、よくわからない位置づけになる。神社をぶっ壊してそこにホテルを建てたことに「罰当たり」と感じるのか、それとも日本の神様なんて、所詮、異民族のものだから無視するべきとするのかは大きく分かれるところだろう。

しかしながら、台湾中、色々な場所のところで霊的な場所を探して、そこで実際に体験しているというのは面白い。そういう旅を台湾で行うのもいいなと思った。

手始めは、占い横丁。ここでずばり過去・現在とそして未来を当ててしまうおばさんに出会って、涙してしまうというのはなんとも女性らしい表現だ。占いを信じるのか信じないのかは本人次第である。特に過去のことは、占い師の話術と非常に絡んでくるところがあるので、どのようにでもとれる表現を占い師がコメントすることで、勝手に聞き手がそれを都合のいいように、つまり、本人の思いと合致した!と勝手に妄想してしまい、それですべてを吐き出してしまうということはよくある話だ。キリスト教の世界でいうところの、「懺悔」の世界に似ていると思う。それをもって「あの占い師は、ずばり当たる」なんていうのを勝手に批評しているから、占いの世界はかなり面白いと思う。当たるも八卦、当たらずも八卦とは、こういうことだろう。

ただ、今まで何度も台湾には行ったことはあっても、台湾を知り、色々な場所に出掛ける際に「スピリチュアル」という点で探ったというのは、改めて勉強をさせられた気がする。まだまだ自分でも行った事が無い場所は台湾にはたくさんあることは事実だが、普通のガイドには書いていない視点で、その場所を見るというのは面白い評価ができるに違いない。たとえば、花蓮の太魯峡なんていうのは、風光明媚な場所であり、観光名所であることは言うまでもないのだが、そこでもパワーを感じるという意味で紹介しているのは面白い。確かに、なにか地球全体から何かをもらえたような気分になる場所ではあるに違いない。

スピリチュアル紀行 台湾―魂をゆさぶる麗しの島
光瀬 憲子 (著)
155ページ
出版社: 東洋経済新報社
発売日: 2007/11

蔡旻佑

久しく台湾の音楽シーンについて記載していなかったので、ここで久しぶりに書いてみたいと思う。ここしばらくの間で「うん、これは良い」と思ったのは、シンガーソングライターの蔡旻佑(Evan Yo)だろう。顔よし、曲よしとくれば人気が必然と出てくるものである。だが、まだまだ本国台湾でも、王力宏ほどの人気はない。これからたくさんの作品を余に出すことによって、台湾をはじめとする、各国中国系の人たちの間では人気度が増えていくことだろうと想像できる。
はじめて蔡旻佑の曲を聞いたのは、セカンドアルバムの「搜尋蔡旻佑」だった。これを聞いたときに、ラフだけどなかなかアグレッシブなやつが出てきたなというのが第一印象だった。いつもながら、アルバムのジャケットを見ただけで購入したので、どういう曲を歌う人なのか全く事前情報をいれずに聞いていただけあって、その衝撃的なことは、半端じゃなかった気がする。そのあと、調べてみると、現在まだ学生ながらも、ピアノとバイオリンとギターは大得意であり、ライブ映像をみていると、いろいろな楽器を奏でながら歌っているのを観る機会が増えた。特に「搜尋蔡旻佑」のなかの、「阿姆斯壯」なんていうのは、まさしく怖いものなしで、俺様の才能はすばらしい!というのを全面的に出しているような曲だと感じられたし、それだけパワフルな曲であるというのはわかった。そんな力強い曲もあれば、「The Love I Know」のような繊細的な曲もあったりして、その極端な曲作りが見えたために、一体この人の頭の中はどうなっているのだろうか?と興味深くなったのは言うまでもない。だから、このアルバムを買ったあとは、しばらく通勤時に聴く音楽としては定番にしていた。目指すところは、同じ台湾人の王力宏のような人だと、自身のウェブサイトやFacebookにも記載しているところが面白い。でも、曲のジャンルとしては、なんとなく相容れないような気がする。と思っていたところ、3枚目のアルバムを、ちょうど2009年の11月に台湾に行くときに発売されていたことに気づいて思わず買ってみた。全作品と同じようにぶっとんだものになっているものかとおもって期待したところ、一転してすべてバラードになっていた。大人になったというべきなのか、それとも心境の変化があったのかはよくわからない。怖いもの無しと曲で表現していた前作とは違って、なんてすべてがさびしいのだろうというのを醸し出していているような内容になっている。その名も題名が、「寂寞,好了」。特に「小乖乖」なんていう曲を聴くと、その曲の中で出てくる相手は一体だれなのだ?と気になってしまう。きっと他のファンの人たちにとってもおなじなのだろう。そうこうしていると、年末から年始にかけて、蔡旻佑が入隊しなければならないために近々音楽活動をやめて軍に入隊するというニュースが入った。台湾の場合は徴兵制なので、すべての台湾人は身体に異常が無い限り、兵役の義務がある。若いときにしばらくの間、入隊しなければならないのはそれだけ人生の中で無駄とか成長する期間とか言われるとはいえ、それまでの活動とは一線を化さなければならないというのは辛いところだろう。社会奉仕をすることで入隊をしないという選択もあるようだが、彼は兵役のほうを採ったようだ。いつ入隊しなければならないのかはわからないが、近いことは確からしい。芸能ニュースをみても、女友達によく電話をしているようで、入隊しなければならないことに対する不安を言っているようだ。が、所詮、芸能ニュースなので、どこまでが本当のことなのか不明である。

ただ、彼自身がいろいろなメディアを使って、自身の現在の心境やイベントに参加したときの最新映像を出してくれているので、これを観るととても楽しそうにやっているように見受けられる。特に、facebookでの彼自身による投稿は、本人じゃないひとがやっているのじゃないのだろうか?といわんばかりに、ほとんど中毒のように更新しているのがすごい。有名になってまでもネットで情報を配信しているというのはとてもすごいとおもう。ブログ程度であれば、適当な時間にちゃちゃっと書けばいいのだろうが、写真の編集や選択までもしているところをみると、結構時間をかけているように見受けられる。もしかしたら、マネージャか取り巻きがつくっているのかもしれない。が、いずれにしても最新情報がfacebookを経由してみられるのはすごいと思った。

いずれにしても、久々に注目するべき台湾人男性歌手が出てきたなという感じだ。隊伍の音楽活動について飛躍することを期待したい。

Facebookの蔡旻佑

しくじった皇帝たち

中国の中でも愚帝と呼ばれているのが2人居る。隋の皇帝・煬帝と、明の皇帝・建文帝である。隋の煬帝のほうは、運河を作ったというのを歴史で習っているだけあって、最初は「なんで愚帝と呼ばれているのだろうか?運河なんていう大事業を行ったのだから、偉帝といわれてもいいんじゃないの?」と思ったりしたのだが、本を読んでいくうちに愚帝と呼ばれている理由がわかってきた。もう1人の建文帝については、別の書籍である「永楽帝」という本を(別途紹介したい)読んだこともあるので、それまでは存在さえしなかったが、つまんない皇帝だったというのは知っていた。

さて、そんな皇帝たちがなぜ「しくじった」と言われているのかを書物に記載されているのだが、その前に、この著者の書き方が気に食わない。中途半端な書き方をしているからだ。内容が中途半端というのではない、読者は誰なのかというのを明確化していないからである。最初のほうのページでは、「中国の歴史に興味がある高校生を相手」にするために書いたような文章の書き方だったので、「そりゃぁ、理解しやすい」と思っていた。各所で前置きと称して、「おじさんは・・・だから」という書き方をしているために、本当なら難しい言葉を使って説明するところを、君たち若い人にはぴんと来ないだろうから解りやすく言い換えるとこういう言い方をするというような書き方をしていたのだ。ところが、あとになって、筆のスピードが変わったのか、代理の人間の書き方が変わったのか、かなり文調が異なってくるのにとても違和感が沸いてくる。これを気にしなければ、内容としては面白い書物だと感じた。

煬帝の場合も建文帝の場合も、どちらも2代目の皇帝であるため、王朝を起こした初代に比べると、絶対に実力も器量も考え方もまったく劣るのは当然だろうし、どうしても比べられてしまう。とりわけ、この2人の場合は、前王朝からの転換期にとても活躍した初代の偉業を引き継ぐ形になっていたために、それなりの実力のある持ち主であれば、さらなる隆盛が期待できたのに、初代が作り出した盛り上がりを、全部食い尽くしてしまったという点が共通としていえる。特に煬帝のほうは、自分が皇帝になるために親族を陥れてのし上がってきたという点においては、やっていることが金正日に似ている。それにくっついてこようとする高級官僚も悪いのだが、素行の悪さが甚だ目立つ煬帝は、ほとんど暴君ネロと同じようにやりたい放題にやっていったから、部下たちの不満が爆発する結果を生んだことになる。特に唐王朝を建国した李淵と李世民の親子は、立場上煬帝の部下であったのだが、みんなの不満を結集させて王朝を新たに作ったようなものなので、異民族が新たに王朝を建国したというのとは異なる。どちらかというと、日本の幕府のようなものと似ているかもしれない。しかし、日本の幕府と異なるのは、日本の場合は、絶対君主である天皇はそのままで、統治する人間が幕府の名のもとに統治していたという点だが、中国王朝の場合は、例え、同民族であったとしても、君主は王朝を建国した人が絶対だというところが違うのである。

建文帝の場合は、単なる弱い子ちゃんだったからというのが理由であり、偉大なる初代皇帝の息子である叔父のほうが、孫よりも強かったというのも、もう1つのダメ皇帝といわれるゆえんだろうとおもう。叔父というのが、先述した第3代皇帝の永楽帝である。この人は本当に戦闘能力が高かった人のようで、それと人望が厚かったようである。ただし、難点としては、第2代皇帝を武力で蹴落として自分が皇帝になったことだけが終始気にかけていた汚点だと自分でも言い聞かせていたことだろう。それにくらべると建文帝は、まわりの官僚たちに何かと振り回され、最終的に叔父と戦う羽目になって「戦うつもりじゃなかったんだけど、戦えって回りがぎゃーぎゃー騒ぐから戦った」という子供のような結果になって、最後には逃走している。

その逃走の話として、幸田露伴の『運命』として日本では有名である。だが、これはまるっきりのでたらめ。正規歴史書である「明史」の記載ではなく、派生して生まれた俗話を文章「明史紀事本末」にしたものを元に、単に和文に記載しただけのでたらめ書なのである。ただし、当の幸田露伴は、この「明史紀事本末」に記載されていた内容はすべて本当の事実であると本気で信じていたので、彼にとっては後の評価は悲しいものだったに違いない。現に、運命を発表した17年後に「あとがき」を記載しているのだが、そこでは「内容は史実ではない」とはっきり謝罪しているわけではなく、自分の間違いを否定していが面子のために絶対屈しないというようなことを記載しているのが笑える点だと、この本の著者は指摘している。あとは、幸田露伴は各分野に関してとても幅広い知識をもっていたために、結果的に文章が散漫化しているところが、読み手のことを全く考えていないで、単に自慢ばかりしている愚作だと批判しているのも面白い。

本著者は2人の皇帝のみにフォーカスを当てているのだが、日本の将軍にもスポットライトを当てると、似たような人が絶対いるに違いないので、別の機会に日本の将軍版を探して呼んでみたいところである。

しかし、著者の書き方は、嫌いである。

しくじった皇帝たち
高島 俊男 (著)
文庫: 215ページ
出版社: 筑摩書房
発売日: 2008/1/9

アイヌの歴史―海と宝のノマド

アイヌというと、どうしても蝦夷地の未開な人たちであり、例え、その子孫であったとしても現在では「アイヌ出身です」というのを公に口にするのは、なんとなく自分をバカにしているように思う人が多いためか、決してアイヌであることを表立って言わないひとは多い。日本人が大好きな選民主義のためなのか、単一民族主義を貫きたいのかよくわからないが、在日韓国・朝鮮人と、社会制度から生まれた「えた」「非人」出身のひとたちと同じく、長い間日本国内ではアイヌの人たちに対して差別扱いをしてきたと思う。そんな意味で、アイヌの歴史や文化については、いまではすっかり観光地化されてしまっている阿寒湖周辺に片鱗だけしかみえなくなってしまっているために、本当のところのアイヌとは一体なんなのか?という素朴な疑問に対して「あそこにいけば、必然的に解る」という日本の場所はもう既になくなってきてしまっている。これは大変残念なことである。

それでも、アイヌは同じような領土内に居住していたために、大和からきた人間と紛争があったり、または貿易をしていることにより、なにかしら大和人と関わってきたことは事実である。純粋化をまい進したのか、それとも日本人との血縁を好んだのかは、彼らが生きていくうえでどのような選択をしたのかによるところなので、詳しくは知らない。ただ、現代の日本人から見るとアイヌは、差別的な視点から判断しているとはいえ、いつまで経っても原始的で、腰蓑を巻いて、弓と槍で獲物を狙っている人たちなのではないかというのをホンキで思っている人が多いと思う。そういう偏見的な見方をすると、本当のアイヌの人たちにとっては申し訳ないのだが、自分たちよりも格下の民族というのを常に持ち歩いていることになってしまう。

したがって、アイヌについて、そういえば、金田一京助が始めてアイヌ語の辞典を作ったときにアイヌと初めて接触があったような嘘ばかりの記憶でしかいまの日本人は思っておらず、いったいアイヌとはどういう人たちで、どんな生活をしていたのか、そして現日本人と常に隔離続けるのは不可能なので、どのような交流がお互いにあったのかというのを知りたいと思い、本書を買ってみた。アイヌの本はほんとうにどれもこれも需要がないからか高い。だから、例によってイーブックオフで購入した。今回は奮発して500円で。100円じゃないところから、ちょっと無理したかなと思ったが(といいつつも、原価は2800円)、買ってみて損はしなかった。

実際のアイヌの人たちの生活は、どういう場所に、どういう生活の生業をし、グループとしての集団生活はどのように行われ、他グループとの交流では、なにを珍重されていたのかというような、結構集団生活者が行うことを明確に分析して記載しているところに、研究者らしい報告を感じられたし、おくが深い分野だとわかった。特にアイヌは、自らも字を持たない民族であったために、記録になるようなものがまったく無い。記録されているのは、あくまでも他民族が主観的にアイヌをみた感想や商業で経験した印象を克明に書いているだけのことであるため、偏見的な見方がその中では含まれている可能性はあるのは仕方ない。あとは、住居跡などに残っている遺物をマクロ的な見方をすることで、アイヌ全体としての考え方や生き方を分析しているところがすごいと思った。

ただ、一般的にこの手の本を読むときには、どうしても学者的な要素がないと読みにくいし、一般教養の範囲を少し超えた高度な知識を持っていないと、何を言っているのか全然理解できないものになってしまう。この本も多少アイヌに関する知識を持ち合わせていたほうが内容ははるかに理解できるものだ。著者はできるだけ、無知識のひとへの説明をするような文章を書いているのだが、やはり考古学に違いものであるため、すんなり目から頭に内容が入らないようになっているのが、読んでいて少し辛いとは思った。

アイヌが中国大陸やサハリンあたりにまで渡って交流していたのはびっくりした。また、北海道=サケというイメージは強いのであるが、サケに対してアイヌは、自分たちの食料とするだけでなく、保存食として利用したり、大量に取れるところからそれを交易の一物品として生計をなしていたり、交易で儲けた金を使い、農耕生活ではないが、農耕生活者の他民族から必要物品を購入していたというのは驚いた。


アイヌの歴史―海と宝のノマド
著者:瀬川 拓郎
278ページ
出版社: 講談社選書メチエ
発売日: 2007/11