2010/02/01

しくじった皇帝たち

中国の中でも愚帝と呼ばれているのが2人居る。隋の皇帝・煬帝と、明の皇帝・建文帝である。隋の煬帝のほうは、運河を作ったというのを歴史で習っているだけあって、最初は「なんで愚帝と呼ばれているのだろうか?運河なんていう大事業を行ったのだから、偉帝といわれてもいいんじゃないの?」と思ったりしたのだが、本を読んでいくうちに愚帝と呼ばれている理由がわかってきた。もう1人の建文帝については、別の書籍である「永楽帝」という本を(別途紹介したい)読んだこともあるので、それまでは存在さえしなかったが、つまんない皇帝だったというのは知っていた。

さて、そんな皇帝たちがなぜ「しくじった」と言われているのかを書物に記載されているのだが、その前に、この著者の書き方が気に食わない。中途半端な書き方をしているからだ。内容が中途半端というのではない、読者は誰なのかというのを明確化していないからである。最初のほうのページでは、「中国の歴史に興味がある高校生を相手」にするために書いたような文章の書き方だったので、「そりゃぁ、理解しやすい」と思っていた。各所で前置きと称して、「おじさんは・・・だから」という書き方をしているために、本当なら難しい言葉を使って説明するところを、君たち若い人にはぴんと来ないだろうから解りやすく言い換えるとこういう言い方をするというような書き方をしていたのだ。ところが、あとになって、筆のスピードが変わったのか、代理の人間の書き方が変わったのか、かなり文調が異なってくるのにとても違和感が沸いてくる。これを気にしなければ、内容としては面白い書物だと感じた。

煬帝の場合も建文帝の場合も、どちらも2代目の皇帝であるため、王朝を起こした初代に比べると、絶対に実力も器量も考え方もまったく劣るのは当然だろうし、どうしても比べられてしまう。とりわけ、この2人の場合は、前王朝からの転換期にとても活躍した初代の偉業を引き継ぐ形になっていたために、それなりの実力のある持ち主であれば、さらなる隆盛が期待できたのに、初代が作り出した盛り上がりを、全部食い尽くしてしまったという点が共通としていえる。特に煬帝のほうは、自分が皇帝になるために親族を陥れてのし上がってきたという点においては、やっていることが金正日に似ている。それにくっついてこようとする高級官僚も悪いのだが、素行の悪さが甚だ目立つ煬帝は、ほとんど暴君ネロと同じようにやりたい放題にやっていったから、部下たちの不満が爆発する結果を生んだことになる。特に唐王朝を建国した李淵と李世民の親子は、立場上煬帝の部下であったのだが、みんなの不満を結集させて王朝を新たに作ったようなものなので、異民族が新たに王朝を建国したというのとは異なる。どちらかというと、日本の幕府のようなものと似ているかもしれない。しかし、日本の幕府と異なるのは、日本の場合は、絶対君主である天皇はそのままで、統治する人間が幕府の名のもとに統治していたという点だが、中国王朝の場合は、例え、同民族であったとしても、君主は王朝を建国した人が絶対だというところが違うのである。

建文帝の場合は、単なる弱い子ちゃんだったからというのが理由であり、偉大なる初代皇帝の息子である叔父のほうが、孫よりも強かったというのも、もう1つのダメ皇帝といわれるゆえんだろうとおもう。叔父というのが、先述した第3代皇帝の永楽帝である。この人は本当に戦闘能力が高かった人のようで、それと人望が厚かったようである。ただし、難点としては、第2代皇帝を武力で蹴落として自分が皇帝になったことだけが終始気にかけていた汚点だと自分でも言い聞かせていたことだろう。それにくらべると建文帝は、まわりの官僚たちに何かと振り回され、最終的に叔父と戦う羽目になって「戦うつもりじゃなかったんだけど、戦えって回りがぎゃーぎゃー騒ぐから戦った」という子供のような結果になって、最後には逃走している。

その逃走の話として、幸田露伴の『運命』として日本では有名である。だが、これはまるっきりのでたらめ。正規歴史書である「明史」の記載ではなく、派生して生まれた俗話を文章「明史紀事本末」にしたものを元に、単に和文に記載しただけのでたらめ書なのである。ただし、当の幸田露伴は、この「明史紀事本末」に記載されていた内容はすべて本当の事実であると本気で信じていたので、彼にとっては後の評価は悲しいものだったに違いない。現に、運命を発表した17年後に「あとがき」を記載しているのだが、そこでは「内容は史実ではない」とはっきり謝罪しているわけではなく、自分の間違いを否定していが面子のために絶対屈しないというようなことを記載しているのが笑える点だと、この本の著者は指摘している。あとは、幸田露伴は各分野に関してとても幅広い知識をもっていたために、結果的に文章が散漫化しているところが、読み手のことを全く考えていないで、単に自慢ばかりしている愚作だと批判しているのも面白い。

本著者は2人の皇帝のみにフォーカスを当てているのだが、日本の将軍にもスポットライトを当てると、似たような人が絶対いるに違いないので、別の機会に日本の将軍版を探して呼んでみたいところである。

しかし、著者の書き方は、嫌いである。

しくじった皇帝たち
高島 俊男 (著)
文庫: 215ページ
出版社: 筑摩書房
発売日: 2008/1/9

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