2007/10/20

咸亨酒店

神保町の中華料理屋はかなり結構たくさんある。それも中華街顔負けしないような美味い店が結構有る。もともと古くからの学生街であることは変わりないのだが、中国からの留学生を受け入れる保証人がたくさんこの辺りに住んでおり、そのまま中華料理屋を営業をし始めたというところも結構ある。それだけ意外に神保町は中華と関係がある街でもある。

神保町の中華料理屋において、好きなレストランがいくつかあるのだが、その中の一つが「咸亨酒店」である。中国の浙江省にある港町・寧波の地元料理を中心に提供をしている由緒正しい中華料理屋だ。寧波は、西側に酒で有名な紹興市と隣接し、揚子江の河口を挟んで向こう岸には上海がある。この店の本店は、実は紹興にもあり、上海の浦東地区にも存在する。中国の作家である魯迅の作品にもここは出てくる。

さて、この店、平日はなんと夜中の3時くらいまで営業しているため、どんなに平日遅くても、ここなら絶対店が空いているからと、遅い時間まで仕事をしていたときに、ちょっとお腹に入れたいなと思ったときには、この店によく通ったものである。夜遅い時間になると、傍に出版社が結構たくさんあるので、その関係者がたくさんいるので、人間模様をみているとなかなか面白い。でも、だいたいの出版関係者の人たちは、夜遅い時間に仕事を始めるようで、自分たちとは違う人種だということも良く分かる。料理も美味いし、酒も美味いところなので、作家や商談をするためには、よく使われるのだろう。

そもそも寧波料理と言われても、一般の人にとっては、ナンジャ?と思うに違いない。そういう自分もはっきりとはわからない。しかしながら、中国4大料理という大分類にすると、上海料理に入るだろう。上海料理は日本人の口にとても一番合う料理で、基本的に海鮮料理と少し甘めのソースを使うのが特徴だ。その味付が日本人に合うために、大都会上海で食べるのであれば、絶対上海料理屋に行くべきだと思う。上海ならどこの地方の料理でも確かに食べられるのだが、絶対上海料理がお勧めだ。寧波もまさしく上海料理の一派なので、この店の料理は本当に美味いと感じられる。更に言うと、浙江は蒋介石の故郷であるのだが、彼は海沿いの町に住んでいたわけじゃないので、生粋の上海料理や寧波料理を食べて育ったというわけじゃないのだろうが、似たような味付けを食べたのは確かだろう。

上海といえば、この季節は上海蟹だ。上海蟹はもちろんこの店でも食べられる。上海まで行って食べるのであるなら、ここに行って食べるほうが便利だ。日曜日に行ったのだが、やっぱり平日とは異なり、神保町は町が死んだように静かだ。だから、この店も日曜になると閉店時間が早い。22時くらいまでしか営業をしていない。店のほうも毎日遅い時間までやっているのも疲れるのだろう。

今回この店で注文したのは次のとおり。

まずは、紹興酒の「利き酒セット」。化学の実験に出てくるようなフラスコに3種類の紹興酒を入れられてくる。この了が結構たくさんあるので、全部を一人で飲むとかなり酔っ払う(笑)しかし、これで1800円というのは安い。その3種類というのは、陳酒総公司と東風酒業と大越酒業のそれぞれ7年もの。同じ年代に作られた酒なのにも関わらず、こんなにも味が違うのかとかなりはっきりとわかる。個人的には東風酒業の紹興酒が味として好きだ。あまり辛くなく甘くなく飲みやすい。紹興酒を飲むときに砂糖を入れて飲むのが普通と思っている人が多いらしいが、これは大きな間違い。焼酎で言うところの「大五郎」とか「純」のような工業用アルコールみたいな紹興酒を飲む場合には、味がないので砂糖を入れればいいのだが、まともな紹興酒はそれだけでも味があるので絶対に砂糖を入れるのは避けるべきだ。酒に失礼だからである。

次に選んだのが「芝海老のXO醤炒め」。こちらはぷりぷりした芝海老の味が残ったまま、名前のとおりXO醤で炒めているので、味はわかりやすいだろう。美味い調理法を使っているために、素材を殺さずに味付けしているところが本当に感心する。

一緒に頼んだのが、「スペアリブの揚げ物」なのだが、これは豚の骨付き軟骨の部分をたべるのだが、少しこげている揚げ物のようで、味付が意外に見た目よりも濃い。今回はプーアル茶を頼んでいたので、こういう脂っこく濃い料理の場合には、一番飲み物として合う。骨付き肉は食べにくいのが特徴なのだが、この軟骨部分のところはコリコリとしていて、その食感を楽しむだけでも楽しい。量としては少ないので、少人数として食べるのであれば、これは良いチョイスだろう。しかし大人数である場合にはちょっと少ないかもしれない。

それで、ここで真打登場。真ん中に真打というのはなんとも落語の世界では変な話なのだが、この店にきた理由の一つである上海蟹を注文した。それも特大サイズ。上海蟹は大きさによってその値段が決まる。この店では特大は3500円で食べられる。生憎、上海蟹の写真を撮るのを忘れてしまったので、ここでは掲載できないのだが、上海蟹をたべると季節が来たなーという感じになるのは、グルメになってしまったからなのだろうか?しかし、上海蟹は、値段の割りにはズワイ蟹なんかに比べると、雲泥の差で食べるところが少ない。少ないのに、この蟹を食べるために、この時期を狙ってわんさか群がるのは、なんだか同じ季節に、意味不明に待ち焦がれているとはしゃぐ、ボージョレ-ヌーボー目当ての客に似ているような気がする。食べるところが少ないし、それほど超美味いというわけでもないのに、なぜこれだけ魅力があるのだろうか。メスの子供を持っているほうが、オスより美味い。なぜなら脳みそよりも断然卵のほうが美味いからである。もちろん、このときにもメスを選んだ。

蟹を選んだあとは、「スペアリブの黒豆蒸し」と「土鍋炒飯」を食べた。またスペアリブ?といわれそうだが、メニュを見て美味そうだなと思ったのが、たまたまそうなのだから、仕方ない。こちらも骨付きで、ソースに黒豆ソースだから味はわかりやすいだろう。でもそれほど濃いというわけじゃないのが、やはり寧波料理だからだろうか?京料理に近いような食べものだというと、意外性に思えるかもしれないが、実際に味わってみるとそう感じる。土鍋の炒飯は、これは結構量が多い。他の料理がちょっとしか皿に入っていない割りには、こちらの炒飯を数人で食べるのはかなり多いと思う。詳しいことは面倒くさいので書くのをやめる。

最後にデザートとして、杏仁豆腐と団子を注文した。団子のほうは餡マンのようなもので、形が桃のような形をしている。こしあんタイプなので、個人的には大好きだった。杏仁豆腐も、店によってはなんじゃコリャ?というところも多いが、ここの杏仁豆腐は、ちゃんとした杏仁を使っているので、本当に美味い。絶対一度食べると病み付きになる。
神保町でご飯に食べるところに困ったら、絶対この店に行くことをお勧めする。
咸亨酒店
東京都千代田区神田神保町2-2
TEL 03-3288-0333

探偵ナイトスクープ


日本全国どこでも同じテレビ番組を放映しているということはまずない。東京は確かにたくさんチャネル数があるが、このあいだまで地方ではNHKの2チャンネルのほか民放は2チャンネルというところはほとんどだった。だから、東京で放映している番組が地方にいくと、放映して居なかったり、または東京とは異なる時間帯に放映されていたりするから、出張や旅行で地方に行った時に、自分が観たいなとおもった番組が観れない場合が多くある。そして、日テレ系なら必ず日テレ系の番組を放映しているかというと、実はそうではなく、日テレ系でTBSの番組を放映していたり、フジテレビ系だったりする場合もある。

そして、地方では放映されていて人気なのに、東京では全然放映されていない番組も当然ある。その代表格が、おそらく「探偵ナイトスクープ」だろう。関西圏では長寿番組として金曜日の夜に放映しているこの番組は、実はこの間まで東京では放映されていなかった。正確に言うと、かつては放映されていた時期もあったのだが、いつのまにか放映されなくなったというのが正しい。それも確か昔はテレ朝で深夜2時ごろに放映されていたのだが、深夜帯だから、ころころと番組変遷に伴い、いつのまにか観られなくなり、気付いたときには、今度はテレビ神奈川で放映されているのを偶然新聞で見つけて、それでまた観始めたはず。しかし、そのテレビ神奈川での放映もいつのまにか終わっていて、面白い番組なのに何で観られないのだろうとやきもきしていた。

ところが、先週からなんと東京ローカル放送局のMXテレビで、金曜の夜23時30分から放映することが決まって、これで金曜日の夜は楽しくなった。タモリ倶楽部とニュースステーションとの間で観られるので、もうテレビにずっと噛り付きになれるとおもう。

東京は、生粋の東京人というのがとても少ない奇妙な場所なのだが、そう考えると、地方出身者が多く集まっているため、地方から出てきた人たちがやっぱり娯楽としてテレビを見る際に、地元で見ていた番組を東京でも見たいと考えるのは当然だろう。そこで、特に大阪出身の人が「あれ?なんで探偵ナイトスクープは東京では見られないの?」と疑問に思っている人が多い。しかし、彼らは自分たちの地方出身であるアイデンティティを、他人にバレたくないというわけの分からない自尊心のために、あまり他人に娯楽番組のことを話さない。ただし、飲み会の席になると酒の力を借りて結局は自爆するのであるが、だったらそんな自尊心を捨ててしまえばいいのにと思う。

話は脱線したが、そんな探偵ナイトスクープが観たくて観たくてたまらないのはなぜかというと、視聴者からの調査して欲しいというリクエストに対して、タレントが探偵と称していろいろ調査し、その行程がとても面白いので、番組は人気がある。大阪ローカルといえばそうなのだが、大阪では有名な芸人を使っているために、大阪独特の雰囲気で番組が造られているところも楽しいかもしれない。特に、桂小枝の「小ネタ集」は好きだ。依頼する人たちもテレビに出演するのだが、その依頼者が面白い場合もあるので、見逃せない番組だ。

いつまでMXテレビで放映するのか分からないが、放映している間はずっと見ていたい。

2007/10/14

日本の宗教

日本に住んでいるのに日本のことを意外に知らないなと思い知らされるのは、海外に行った時に、現地の人に日本のことを質問されるときだろうと思う。それと、普段何気なく過ごしている風習が、なんでこんなことをしているんだろうと何も考えずに育ってきたために、不意に「それは何故?」と聞かれることにより、「はて、なんででしょうね?」と自問自答してしまうきっかけが、まさしくこのときだろうと思う。
以前、台湾南部に遊びに行ったときに、とても綺麗で流暢な日本語を喋る台湾人じじぃにバスの中で話し掛けられて、最初は良かったのだが、「君たちは今でもアマテラスを信じているのか?」と聞かれたときに、「はぁ!?」と思うのと同時に、じじぃから「僕らは小さいとき、そう信じていた」と聞かされたときが一番衝撃的だった。次に衝撃的だったのは、西洋人に「日本人はクリスマスのときは何をしているのだ?」と聞かれたとき、「カップルだったら、一緒にご飯食べて、セックスしまくるのが常だね」と答えたときに、「日本人の宗教感覚はどうなっているのだ!」と怒られたときだろう。

この2つの出来事があってから、そういえば、日本人の宗教観っていうのは無いに等しいかもしれないが、事あることに神社や寺に行ってお参りしていたりするわけだし、全く宗教観がないというわけじゃないのはとても不思議だとおもった。正月に1年の計を祝うために神社にお参りするし、結婚式のときには、なんちゃってクリスチャンになって教会で式をあげるし、合格祈願や安産祈願のためには神社に行ってお参りをするし、クリスマスのときには教会に行かずに、高いホテルを予約して、夜通しパコパコしているのが多いし、なんでもありなのだろうというのは一目瞭然なのが日本人なのだと思う。

と言う点もあるが、歴史の授業において日本は仏教伝来から、独自に仏教を発達させて、その延長として日本独特の日本文化を形成していったというのも学習する。古代仏教から始まり、鎌倉仏教での乱立、そして現代の怪しげな宗教団体と、ありとあらゆる宗教団体が日本には存在し、それは身近にある。

シリーズ本になっている書物のうち「日本の歴史」については、主に日本の神道と仏教について、その起こりや風習や慣習について述べられているので、日本の宗教観を整理するにはとても便利だ。もちろんキリスト教徒も日本にはいるわけで、どうしてキリスト教徒を生むことになったという歴史的背景についても一緒に述べられているので、参考書として読むのは大変良いと思う。むしろ、神道と仏教については知っているようで知らないことがたくさん書かれているので、これは勉強になった。神社の建物の形はいくつかの種類があるとか、鳥居にも宗派があることについて全然気付かなかったし、「かしこみぃ~、かしこみぃ~」と神社で祈祷されている文句は聞いたことがあるが、あれは一体なんなんだ?ということに対する解説も書かれているので、次に神社で祈祷している場面に出会ったら、内容を聞けば分かるような気がする。

仏教についてもインドでの仏教の起こりと、普通に仏教用語として使っている現代の日本語のもともとの意味や、仏像としていろいろな種類の神様がいるのだが(毘沙門天や恵比寿様など)、それは一体もともとなんだったのか、そして何故祀られるようになったのかというような内容も書かれている。仏教の場合は、もっと生活に密着した内容も書かれており、宗派によって死んだときの戒名や仏壇の飾り方が違うということもこの本で初めて知ったことだし、焼香の仕方や葬式の運営方法なども宗派によって違うということも初めてしった。基礎知識を磨くという点では参考書になるのは間違いない。

現代宗教の章においては、創価学会は有名だが、その起こりや背景はもちろんのこと、実は立正佼成会も創価学会も同じ宗派だったということがこのとき初めて分かり、あんだけ無駄に騒いでいるこの2つのなんちゃって宗教団体は、つまんないことで騒いでいるなーと自己満足の領域で笑ってしまった。
自分の家の宗派(臨済宗だが、どの流派なのか良く知らない)のことさえも、あまり良く分かっていないので、特に自分の家の宗派のところは熟読したつもりなのだが、それでも内容が難しすぎるので、なかなか頭に入らない。これを期に、仏門に入るということはまず無いし、あやしい宗教勧誘をしたいというわけでもない。一般常識としてこの本を読んでみて、かなりためになった。しかし、電車やバスの中で読んでいるとき、表紙や背表紙は、本屋のブックカバーがかかっているから、まともに本の題名を見られることはないが、透けて見えたり、後ろから立って覗き見をしているしているひとにとっては、「こいつは一体なにを読んでいるのだろう?あっ、宗教本か!怪しい奴だ・・・」と思われていたと思う。それでもめげずに夢中に読んでいた姿は、きっと宗教にすがりたい悲しい人間なのだろうと想像されていたに違いない。

故宮博物院の本


台湾にある故宮博物院は世界四大博物館のうちの1つであるのはあまりにも有名である。台湾へ旅行する人は必ずといっていいほど1度はここに行くことになるだろう。ここは中華文化を凝縮した歴史的資産の塊と言っていいものである。しかし中華文化が台湾に元々あったかというと、それは嘘で、国共内戦により蒋介石とともに台湾に歴史的資産がやってきてから作られた博物館であるのも有名である。従って、中国本土にある同名の故宮博物院には、台湾へ持ち込めなかった品数だけ、言い換えれば、台湾に持っていかなくても言いと思うほどのクズしか残っていないから、規模と建物自体も歴史的価値として考えれば、中国本土の故宮博物院のほうが世界四大博物院に入れてもいいが、入れないのはこの理由のためである。

しかし、蒋介石が好き好んで旧故宮である紫禁城からお宝を運んできたわけじゃない。ここには蒋介石をたぶらかせて、自分のものにしたいと思っていた役員が実は絡んでいたのである。孫文の後継者と自認をしている蒋介石にとって、孫文は中華の王朝をぶっ壊したが、歴代から続く中国の歴史の中心人物として存在したいという欲望があった。したがって、その中心人物は歴代王朝が継承してきた遺産についても当然引き継ぐべきであり、それを持っている人間こそが正統の中華継承者であると言いたかったという理屈にくっつけることができる。

故宮博物院は、その巨大な敷地にもかかわらず、全部の宝物を展示することができない。というのも、それほどたくさんの数があるために、毎回故宮を見学しても、展示品を替えており、行くたびに違った展示物を見ることが出来るのはいいことだ。しかし、この展示物をどのようにして持ってきたかということと、溥儀が紫禁城から出て行ったあと、台湾に車での間に、数々の内戦と日本との戦争が会ったはずなのだが、それにも関わらず戦禍を免れて持ってこれたのは何故だろうと、前から疑問に思っていた。

リニューアル改装したと聞いたので、ひさしぶりに故宮博物院に行ってみたのだが、かなり綺麗になっていてびっくりした。しかし、展示物が少なくなっていたような気がするのが気になる。毎度展示物が変わるのかどうかは、新しい女性館長の手腕に関わる。一番吃驚したのは、お土産コーナーであり、前はたいしたものを売っていなかったのだが、いまではすっかり巨大お土産コーナーになっていて、それも書物が豊富に売っている。今回の故宮では、そこで売っていた「故宮七十星霜」というのが目に入り、なかをぱらぱらと見ていたら、まさしく上述した「どのようにして貴重な宝物を、溥儀の紫禁城退出以降、台北に持ってきたのか」という疑問を解消してくれる中身だったので、早速買ってしまった。値段は650TWDで、決して安いわけじゃないのだが、ほとんど文字ばかりでそれもないよう豊富で、惜しげも泣く、自虐的内容も含まれていたので、これはかなり楽しいと思った。もちろん中身は日本語で記載しているので読みやすい。これが中国語だったら、絶対に買わなかっただろう。故宮博物院が直接編集しているもので、少しプロパガンダ的な要素もあるのだが、内乱時期の中国と宝物の関係や、清王朝が消滅したといっても、なかなか溥儀が紫禁城を出なかったために、その間に流出した貴重な宝物が行方不明になったとか、いまでも故宮博物院ではかつては紫禁城にあったものを、台湾マネーを使って買い集めているというのも載っていて、かなり楽しい。

日本でも売ってもいいと思うのだが、あまりこういう芸術的な本について需要が少ないので、日本で出版されるのはたぶんないのだろうと思う。でも、故宮にいったときのおみやげとしてはあまり大きくなく重くも無いものなので、本好きな人には良いお土産だと思う。

国マニア


地図を見ているのは大好きだ。地図を見ているだけで、その土地に行っている気分になる。高校の地理の授業では、授業中ほとんど授業をきかずに、ずっと地図帳ばかりを見ていた気がする。それでも地理の点数は結構取れた。その土地に行った気になって、よくも知らないはずなのに、妄想のなかで行って現場を見たことにすることで、頭の中に勝手にその土地の様子を描いていたからなのだろうと思う。その地図帳を見ていると、世界にはいろいろな土地があるんだなーというのは分かるのだが、なんでここはこんな小さい国なのだろうとか、ここは一体誰のものなのか?とか、いろいろと理屈では良く分からない場所を見つけることが出来る。


例えば、一番分かりやすいのは、ヨーロッパにはたくさんの国がごちゃごちゃとあるのだが、大国に挟まれている小国として、モナコやリヒテンシュタインやルクセンブルグというような小国がいまでも存在する。この国々は、戦前の帝国主義、もっと前の王朝時代の場合には、一体どうなっていたのだろうか?そしてなぜ現代でも小国として君臨できているんだろうか?というのは実に不思議でならなかった。世界史を高校のときに選択していなかったので、一番楽しそうなヨーロッパの歴史を実は知らないで今まで来ていたので、長く疑問のまま各地を旅行していたのも事実である。


今回紹介する本は、そんな世界地図を見ると不思議だなーと思うようなことは全部解決してくれる内容なのだ。それも地図だけではわからない、領土無き国家や世界のほとんどが独立国として認めていないような不思議な国も紹介しているところが面白い。歴史的経緯と領土的位置を散りばめて説明しているところが良い。それと、現在存在する国家だけではなく、少し前の日本に関係する怪しい国家・地域についても紹介されているのはとても勉強になる。   ニュースや本では聞いたことがあるが、実際にはどうなっているのかあまり良く分からないというような地域は世界中に結構ある。カフカス地方のナゴルノ=カラバフ自治州の問題は、昔高校受験の勉強中に聞こえてきたモスクワ放送(当時住んでいた地域はモスクワ放送がめちゃめちゃクリアに聞こえた。といっても、北海道ではない)から、舌を噛みそうな名前を何度も連呼していたので、なぜか名前は覚えているのだが、なぜ揉めているのか全然ニュースを聞いても訳がわからなかったし、最近まで全然意味がわからなかったが、この本の中で関係地域がアゼルバイジャン共和国にあるアルメニア人が多いところで、アルメニア共和国に帰属することを望んでいる人が勝手に暴走して問題になっているということをこの本で読んで分かった。


個人で勝手に国を作ってしまったシーランド公国は、一時期テレビでも放映されたので知っている人も多いと思う。いまでは国ごと売り出してしまっているというから、もう国なのかなんなのかわけがわからん。日本関係でいうと満州鉄道に関係して線路沿線だけ日本の統括地だったというのも、今考えればわけがわからない領土の取り方だともいえる。領土もないのに国と名乗って、国連やEUのオブザーバーとなっているマルタ騎士団も、存在不明と言う意味では代表的だろう。そういう意味がわからない国や地域をまとめて紹介している本は、是非読んでいると楽しいので、お勧めしたい。