2009/03/07

車窓(南アルプスアプトライン)

南アルプスアプトラインは単線の鉄道である。それは山間部を走る鉄道の共通的なファシリティであるとおもう。そしてもう1つ共通的な要素がある。それは車窓からの風景が、常に絶景であるということだ。電車のスピードに合わせて、窓からの景色が変わっていくが、この景色をずっと見ていても飽きない。それは山間部を走るための単調さがないからなのか、それとも山あり湖あり川あり人家ありが複雑にそれも短期間に変化するからなのか。森林地帯を走っていくこの電車は、車輌が赤いため、緑の木の間を走っているととても絵になる風景だ。途中に何度も川を渡るのだが、この川は同じ川。あるときは右側にあるとおもったら、トンネルを抜けたら左にあったり、橋を渡ったら逆側になったりと、とても複雑だ。途中にその川にかかる車の橋が見えたが、それも真っ赤な鉄橋であり、緑の森のなかでかなり目立つ。途中に小さいダムも結構あるため、川はいくつかの場所で流れがなく、深い緑色に水が溜まっている場所がある。

途中に長島ダムというところが見えてくる。大井川水系で唯一の多目的ダムであり、多目的のくせに水力発電の機能を持っていない意味が分からないダムなのである。そのダムからの噴出された水の勢いを列車から見ることができる。またこのあたりは静岡の名産・川奈茶が獲れるばしょでもあるので、道中、たくさんの茶畑をみることができた。途中にアプト式を外す駅では、対向の列車とのすれ違いをする場所でもあるため、対向ホームでは、こちら側の列車が入ってくるのをカメラを構えて待っているひとたちがたくさんいた。長島ダムが作った湖のうえに駅を作ったため、それが奥大井湖上という名前の駅として生まれている。しかし、この駅を降りたところで、ダムからの風景しか見えないので、実は降りて何をするんだろうとおもうのだが、なぜかホームに鐘があったりするので、それを鳴らして遊んでいる人もいた。なお、この線路はダムに沿って以前はたくさんのトンネルを経由して走っていたのだが、ダムの上を走るような形に線路を変えたことによって、旧線路は新線路から見ることができるが通ることができなくなった。

南アルプスアプトライン

大井川鉄道の終点駅の千頭から井川というところまで、日本でも珍しいアプト式の鉄道が走っているのを知っている人は少ないと思う。そもそもアプト式って何?というところだ。南アルプスアプトラインと名前にも使われているその「アプト」というのは、急勾配でも鉄道が動くように線路が普通の形ではなく、2本のレールの間に車輪が空回りしないよに線路自体にギアが付いているものだと思ったほうが良い。っと言葉で説明しても意味がわからないので、写真をみてもらったほうがいいだろう。
写真のとおりにレールの間に凸凹がついたカムのようなものがあるのがアプトというものだ。この凸凹を噛むように走る特別の起動車を下り側につけて走る。こうすることにより、かなりの急勾配でも上っていくのである。ただ、最初からこのアプト式で動いているわけではなく、急勾配の箇所だけ採用しているのだ。機動車の付け替えのところでは、乗客全員がその様子をみて、どうなっているんだろうとホームに出る。それ以外は、普通の列車と同じように走るのだ。車輌は、通路を挟んで2席と1席の形式であり、それは線路幅が狭いために車輌の幅が狭くなってしまったせいなのだろうとおもう。この形式は台湾の阿里山鉄道も同じだった。トロッコ列車になっているのかと最初は思っていたのだが、立派な鉄道だったのでそれはそれで吃驚した。勝手にトロッコ列車だとおもっていた自分が情けない。大井川鉄道との乗り換えには、一度改札を出なくてはいけない。意外にも千頭駅の駅舎は立派なのがさらにびっくりした。大井川鉄道の金谷駅がショボかったために、その違いに驚愕だったのだ。金谷駅は東海道線と接しているのでそっちのほうが立派であってもいいはずなのにという思いからだ。

SL弁当(大井川鉄道)

列車のたびの楽しみの1つは駅弁だろう。大井川鉄道にも立派に駅弁がある。普通の駅弁は駅構内にあるキオスクで買うことになるのだが、大井川鉄道ではそうじゃない。完全予約制だ。

前日までに予約したい弁当について、直接電話で連絡して行う。平日だろうが土日あろうが、きっと電話の先はおばちゃんだとおもうが、懇切丁寧におばちゃんが対応してくれる。そのときにはむやみやたらに電話してもだめで、自分がよやくしたSLの予約番号を電話の相手に言わないといけない。

それはどうしてかというと、弁当は当日SLの客車内の予約された座席に置かれているからである。最初はそれがわからなくて、弁当の予約をしていたのだから、弁当を取りに行かないといけないとおもったから、時間に余裕を持って金谷駅に着こうと考えていたのだ。だいたい弁当をどこで受け渡ししてくれるのかなんて分からないし、金谷駅に着いたらなんとかなるんだろうと思っていたからである。御代はいつ払うのかということになるのだが、それはちゃんとしている。弁当を買ってくれたお客の座席はちゃんと管理されていて、どんな弁当をいくつ売ったのかは控えとして持っている。だから、あとで車内を集金のおっさんのように回収してくるので、そのおっさんに対して代金を払えば良い。立派にシステム化されている。

弁当の種類は季節によって内容が変わるのだと思うのだが、大井川鉄道の子会社である大鉄フードのサイトから見ることができる。ちなみに車内では駅弁の販売は行われない。駅弁ではなく、大井川鉄道にちなんだグッヅはワゴン車で運ばれながら売られているので、興味があるひとは買うのがいいとおもう。だいたいが子ども用の玩具でしかないのだが。

自分たちが今回予約したのは次のとおり。

・大井川ふるさと弁当(1050円)


・東海道金谷宿弁当(1050円)


・汽車弁当(1350円)

いずれもお茶が付いているので、好みと食べられる量によって選ぶと良い。どの弁当も、JRの弁当に比べて手作りだーというのがわかるような味で美味い。是非大井川鉄道に乗るときにはこの弁当を食べながら乗ることをお勧めしたい。

大井川鉄道 SL車内

大井川鉄道の客車は、昔ながらの客車そのままである。だから、はっきり言ってお世辞にでも綺麗というものではない。SL自体が昔のものだから、客車も昔のままで楽しんで貰おうという趣向のようだ。椅子は向かい合わせの4人席で、通路を挟んで両側に4席ずつある。もちろん昔の車輌なのでリクライニングシートになっているわけがない。長距離の移動の際にはお尻が痛くなる典型的な椅子である。それに前の人の膝に絶対当たってしまうというスタイルなので、よっぽど仲がいい人同士じゃないと、この4人の空間の中にいっしょにいるのは苦であろう。こういう椅子に座ると、貧乏旅行として東京から大垣行きの夜行列車に乗っていったことを思い出す。同じような貧乏旅行のひとたちが列車に満員になって乗っていたために、通路にも立っている人はたくさんいたし、知らない人と4人の空間を作っていたし、椅子が狭いので座りなおしをすることもあまりできないし、長時間の移動なのでケツは痛くなるしと、もう二度と乗りたくない列車だという思った印象が残っている。

車輌の内部は昔の構造だからということもあろうが、照明器具についても古めかしいスタイルをしているので、本当に時代を感じさせる。この薄黒く煤けているところがなまめかしてよいではないか。洗面台やトイレももちろん備えつきになっているが、トイレはお世辞にも綺麗なところじゃない。用が足せればそれで文句はないでしょ?といっているようなくらいの、いわゆるボットン便所だ。こちらは今でも使うことができるが、洗面台についてはおまけについているようなもので、水が出ないから使用禁止である。
冷房装置がついているわけじゃないので、暑ければ窓をあけて喚起をする。しかし、なにせこの機動車はSLだ。煙をもうもうと吐いた列車であるため、窓を開けっ放しになっていると、漫画の世界じゃないが顔が真っ黒になってしまう。特にトンネルに入った場合はさっさと窓を閉めないと、煙がもんもんと車内に入ってくるので大変だ。その度に、窓を閉める人達がわっさわさと動き出すのも笑える。

しかし、個人的には石炭が燃えたような匂いというのは不快な匂いじゃないので、窓を開けっ放しにしてでも嗅いでいたい・・・と思う。が、他の人も居るので、そんなことは口が裂けてもいえなかった。

金谷駅から終点の千頭駅までの約90分間のSLのたびを満喫してほしい。でも、SLに乗っていたとしてもあまりSLに乗っているなーという気にならない。やっぱりSLは乗っているものではなく外から見るものだというのが良く分かった。

大井川鉄道 金谷駅

新幹線等を乗り継いでやっとSLに乗るために、静岡県の金谷というところまでやってきた。大井川鉄道はJRに併設されているところなので、すぐに乗換えができる。もっと大きな駅なのかなとおもったところ、全く小さな駅で拍子抜けした。よくありがちなのが、乗換駅だといっても、駅がめちゃくちゃ遠くて、改札を出てからかなり歩いてからじゃないとお目当ての駅に着かないという場合もあるが、ここ金谷の場合にはそんなことは全くない。隣も隣だ。大井川鉄道の駅のホームからJRのホームの看板が丸見えなのだから。大井川鉄道でSLの切符を買わねばならないのだが、これは当日ひょいといって、買いたいですといってもまず無理。事前に予約をしなければならない。"ネットでも電話でも予約が可能なのでそこから行う。ネットの場合は返信メールが大井川鉄道より返って来るので、それでも返事がない場合は確認したほうがいい。

JRのみどりの窓口で事前に切符を購入しておくということができないために、どうしても現地の金谷駅にきて予約番号と引き換えに切符を購入することになる。ただし、SLじゃない場合は、当日金谷駅にきて行きたいところの駅までのことを言えば切符はもちろん買うことができる。SLは全席予約なのである。

したがって、金谷駅では予約番号から切符を購入する人たちで結構ごった返していた。余裕をもって金谷駅にくるほうがそのごたごたのためにSLに乗れなくなるという心配をしなくていいので、ギリギリはやめたほうがいい。金谷駅の時刻表を見ていると、大井川鉄道の本数はそんなに多くない。乗降者数が多いわけじゃないからということもあろう。ホームは片側1つだけ。地方の駅にはありがちな、時間前にはホームに入ることが出来ない処置をとっている。ただし、トイレはなぜか改札の中にあるので、トイレに行きたいんですけどーっというと、ホームの中に入れちゃうのだ。あまりにも早く来た場合には、売店もあるので、そこでのんびり待っていればいいのではないだろうか。金谷駅の傍には何もないので時間を潰すにも潰す方法がない。

ターミナル駅になっている金谷駅なので、SLはどうやってホームに入ってくるのだろうかとおもっていたが、ホームに入ってくるまでは牽引車によって客車が入ってきて、あとからSLがバックで入ってきて接続される。牽引車はホームに入ってきたあとに、客車と切り離されて、SLのほうが前になって進んでいくことになる。
SLの客車については次項で書くことにする。

大井川鉄道に乗ろう


昨年の秋のある日に、ふと思い立って、「そうだ。SLに乗ろう」とJRのCMじゃないが、いきなり行くことにした。しかし、大井川鉄道は東京からすぐいける場所ではないため、実は事前に調べていた。東京から日帰りで大井川鉄道を全線乗ることは、時間が足らないことが、事前の調査で分かっていたし、SLなんて頻繁に走っているものかと勝手に思っていたら、普通の列車より遅いことと、1日1往復しか動いていないことが分かった。

日帰りでとにかく帰ってこようと思ったので、下記のようなスケジュールを組んでいくことにした。

日程:2008年9月22日

■行き

東京  9:03 発 新幹線ひかり365号
静岡 10:06 着
  10:23 発 東海道線 各駅列車 浜松行き
金谷 10:53 着
    11:48 発 大井川鉄道 SL
千頭 13:12 着
    13:22 発 南アルプスアプトライン
井川 15:06 着

■帰り

井川 15:48 発 南アルプスアプトライン
千頭 17:38 着
    18:14 発 大井川鉄道(普通列車)
金谷 19:28 着
    19:58 発 東海道線 各駅列車 静岡行き
静岡 20:28 着
    20:36 発 新幹線ひかり384号
東京 21:48 着

スケジュールを見ると、たくさんの電車に乗り換えているという印象があるが、確かにそうかもしれない。しかし、大井川鉄道というのとその先まで行っている南アルプスアプトラインというのは別の鉄道であり、大井川鉄道だけであれば、終点の千頭まで行けばいい。でも、せっかく来たのであれば、その先の鉄道まで乗ってしまいたいというのが人間だろう。もうここまでくると、ほとんど電車に乗るためだけに1日が終わって締まっているのと同じである。鉄道オタクの部類に入ってもおかしくない。でも、これが楽しい贅沢なのである。馬鹿馬鹿しい事項ほど印象は残るものだ。

朝から晩までただ電車に乗るだけだが、これが結構疲れる。なんで電車に乗っているだけなのに疲れるのだろうか。単に早起きしているから眠くなって疲れるからなのか、よくわからない。

当日は、静岡方面で大雨が降ってしまい、SLには余裕で到着するだろうとおもってスケジュールを立てていたのに、結局出発15分前くらいに到着したというアクシデントがあった。雨のために列車がしばらく走行不能になってしまい、静岡駅で足止めを食らったのである。更に悪いことに、動いた電車が予定を変更して金谷駅の一つ手前の駅止まりになってしまったことが、さらにSLに乗れるのかどうか気が気でならない状態を作ってくれた。でも、SLに乗ってしまうと、うそのように晴れてしまい、万事巧くいく。余裕をもってスケジュールを組んだからよかったが、あれがギリギリの列車を選択して金谷駅に着くようになっていた場合にはどうなっていたのだろう。

怪しきシンドバッド


いくら冒険好きでも限度というものはあるだろう。著者・高野秀行の破天荒というか無謀というか危険へ自ら入っていくというアグレッシブは姿勢は誰もできない。「あんた、そんなことした、ホントに死にまっせ」と言いたくなる冒険モノのオンパレードである。フィクションではなく、全部がホントの実話であり、体験であるからなおさら文章に面白みが増して読み応えがある。これが嘘の妄想の世界で作られたのであれば、全然迫力感が満ちてこない。

インドでは騙され、コロンビアでは殺されかけているのにも関わらず、それが快感に思えるのか、脳内麻薬ビュンビュンのアドレナリンが出まくりで、熟慮して行動しているとはとても思えないような出来事がたくさん出くわしている。見かたによっては、この人の自慢話に見えなくもないのだが、普通の人が体験したくてもその勇気がないために出来ないだけであるので、実現しちゃうこの著者のほうを賛成したくなる。文句を言う人が居るのであれば、自分でも同じことをやってみてから言ってくれと。言うだけ番長はたくさんいるが、そんな人は言う資格がない。

はっきり言えば、この人、絶対頭がおかしいと思う。

非日常的な冒険ばかりやっているし、普通の人間では体験できない素晴らしい体験を身を持って紹介しているからで、絶対何も考えないで行動しているんだろうなと思う。すべてが出たところ勝負。ダメだったらダメで、でもなんとかやってみようっと。あるときにはモノ攻撃でなんとか前進できる手段を作っていき、あるときには後先考えずとりあえずやってみて嵌ってしまうというようなめちゃくちゃぶりが面白い。

そう、読んでいるうちに痛快だと思えるところがたくさん出てくるのである。

文章を書く能力が高いということもあろうが、その内容がおもしろいので、文章化しなくても読者のほうで、体験もしたこともないのに想像を掻き立てるような内容になっているからである。

何かの壁にぶつかっている人がいたら、この本を読めば、人生なんて馬鹿やっていないとおもしろくないぞっというのが分かるから、もっと違う人生をみつけてしまうきっかけになるかもしれない。

それにしても題名の「シンドバッド」は全く本文章とは関係ない。でも、はちゃめちゃぶりだけは一緒か。

怪しいシンドバッド
高野 秀行 (著)
出版社: 集英社
発売日: 2004/11

アヘン王国潜入記


アヘンは悪役である。悪薬と書いても良い。あんなものは体にとって良いというものは全くない。だけど、人間は悪薬に手をつけたがる。イギリス人が茶と陶器の購入の代償として中国に売りつけることに成功したアヘンは、あっというまに、貴族から民衆まで広まって、全民族がアヘン漬けになった。アヘンで国がめちゃくちゃになるのは嫌だと、さすがに清王朝も思い、まだ自ら世界最大軍事騎馬民族だとおもっていた清朝は無謀にも世界最強の海軍であるイギリス軍と戦い、あっという間に負け、中国の自信を失墜した。これが有名なアヘン戦争だ。

アヘンはこのときには終わらず、日本が満州に傀儡国家を作った際に、一番最初に行ったことは税の徴収であり、一定の税収を期待するにはアヘンを国家の専売物質にすることで、アヘンを売れば売るほど国家が儲かるという図式を作ることに成功した。アヘン戦争後でも、中国全体が阿片中毒になっていたことの現れであり、この様子を巧く使った日本軍は頭が良かった。

・・・っと昔のことのように思われると実は困る。アヘンの生産は、戦後でも脈々と続けられ、タイ・ミャンマー・ラオスの黄金三角地帯と呼ばれるところは、アヘンで儲けている軍事団体がいることは世界的には有名だった。どうやってアヘンを作り、どうやってアヘンを売りさばき、売りさばいた金をどうしているのかは、ほとんどの人がこの三角地帯で取材しようにもできないでいた。

世界を探検している自称フリータの高野秀行はすごいことをやってのけた。

あの黄金三角地帯に潜入するだけでなく、そこで一緒に現地の人間とアヘンを栽培することに成功しているのである。それだけではない。なんと作るだけには飽き足らず、モノは試しにと吸ってしまったアヘンのためアヘン中毒になってしまうのである。こんな日本人は他には居ないだろう。

高野の持って生まれた語学修得能力の天才さを随所に出てきており、タイ語と中国語とミャンマー語を自由に操る彼独自の世界のため、周りの人間も「変な日本人」と思わせるのに成功することから、潜入し、現地の人間と全員から信頼と愛情をもって受け入れられてしまうドキュメント作品だ。ちょっとでも日本人的理性があった場合には、相手は警戒感から受け入れられることは無いのだが、そこはどこに行っても友達になれると自負している彼だけ合って、読めば読むほど「おいおい、そんなことしていいのか?」と本に向かって突っ込みを入れたくなるところ満載である。

謎が謎のままで終わっていた黄金地帯の地理的様子、競合団体の相関図、ミャンマーのなかにあるのに自らはミャンマーの国民だと思っていない住民の住民意識、アヘンは害だと分かっていながらもアヘンが重要産業資源としているのがわかっているために育てている住民。育てているが絶対に自分たちは使うことがないアヘンに対する住民の立場。アヘン製造とその周辺に関する知りたいことが全部この本に書かれている。

アヘンを売ることで入ってくる収入のため、どこにも属さずとも擬似国家として形成することができるという分かりやすい図式がここには載っているのだ。ワ人と呼ばれるひとだけの問題ではなく、アヘン製造と売買には大いに中国人も絡んでいることがよくわかる。それも政府高官。やっぱり金の集まるところ中国人が集まるという図式はどこでも通用するのだ。さらにいうと、ワ国の間では、かなり中国語が通じるのである。一般用語が中国語であることが多く、ワ国以外にはミャンマーと中国しかこの世の中にはないと思っている人たちが大半なのだ。それだけ中国の影響はこの地域では大きい。

また、アヘンの生産から流通のルートを作ってしまうと、そのルートを使っていろいろな物資の供給が可能であることも良く分かる。

作るやつがいるからアヘンが無くならないというのではない。使うヤツがいるからアヘンがなくならないのである。つまり、使うヤツが居なければ、作っても売れないので、売れないものがないと生活が出来ない人達がいっぱい出てくる。そうすると、アヘンなんて作ることが馬鹿馬鹿しいとおもうような生産者が出てくるのだ。実際にはアヘンを使う人は減らない。ということは、生産者は売れるから作ってしまうのだ。

ただ、アヘン自体をそのまま吸い込むのはなかなか難しい。少し熟練の技が必要になる。高野はその技の習得を吸った後の爽快感と解脱感についてもきちんとレポートしている。アヘン中毒者としての様子を自らの体験で書いているのだ。もう要らないと思っていても、体が欲するので吸ってしまうというのは、禁煙をしようとしてやめられない喫煙者のひとにも言えることだろう。アヘンからさらに樹液だけを抽出するコカインの場合は、使用者にも使いやすい材料に変化する。これがいま巷に出回っている大半だ。しかし、高価であるため、手に入るのは容易ではない。アヘンもコカインもどちらも人間として滅ぼすものでいい事ではない。

本書はアヘンに纏わる数々の逸話とデルタ地帯の様子をしる名著だが、実際にアヘンを自ら吸うということはやめていただきたい。そんな人は居ないか。


アヘン王国潜入記
高野 秀行 (著)
出版社: 草思社
発売日: 1998/10

ヒトラー時代のデザイン


ナチスドイツは、負の遺産ばかりが目立ってしまい、あの時代のドイツを全面的に否定するような傾向が全世界的にある気がするが、ある一面から見た場合には、確かに負の遺産と思うのだろう。特に、連合国側や苛められてた民族であるユダヤ人から見た場合には、ナチスの「ナ」という字を見ただけでも、全否定になるのは理解できる。果たして、ナチスの時代のもの、つまりナチスが作ったものは全部が全部ダメなものなのだろうか。言い換えると、その時代に作られた形あるものから、形がないものまでの、あらゆる「モノ」はダメなのものだろうか。

個人的にはナチスが形成したもののうち「宣伝」という分野は、現代でも十分通用する手段であり、粗削りながらも理にかなった方法を造った素晴らしいものだと考えている。多かれ少なかれ、ナチスが造った宣伝方法を、いまでは各国が使っているのに気付いているひとはどれだけいるのだろうか?

本書は宣伝分野のうち「ポスター」などの「印刷物」についてまとめた本である。

ナチスは戦前からその団体として存在していたわけで、最初はナチス党の宣伝から始まる。ワイマール憲法下におけるナチス党は、ナチス党のみが大インフレで経済混乱していたドイツを立て直すことができるという宣伝を打ち出す。それはポスターから始まり雑誌などでインパクトの強い絵画的な描写で一般人に宣伝をし始める。この方法は、現在では実写真とCGを使ってよりリアルに演出しているが、ナチスの時代には、ドイツの敗北まで同じような演出で行っていく。昔、教会が信者を増やし、無知の人間でもキリスト教は素晴らしいということを教会という道具をつかって宣伝していたのと同じように、ナチスは視覚的な宣伝からナチスが素晴らしいということを訴えた。もちろん、ヒトラーの演説のサポートという位置付けであることはいうまでもない。

しかもこの本はその宣伝物の「デザイン」である。

ドイツ的質素倹約なデザインであるために、ド派手な演出はない。ところがそれがかえってインパクトが強くなる。

ニュルンベルクの党大会宣伝ポスターは、ナチスの象徴である鷲とハーケンクロイツをメインのデザインとして描かれていて、これ以上に主張するパラメータは不要である。今の日本のポスター宣伝であれば「~のための自民党」みたいな余計な修飾語がつくことが多いはずなのだが、ナチスはそんな修飾語がまったくない。標語がないのだ。これはこれで簡素で十分だ。

ドイツ大三帝国では各軍隊に、独自の軍旗があったことも良く知られている。空軍・海軍・陸軍がそれぞれ持っているのは分かる。なんと総統自らも旗を持っていたし、各軍司令官自体も旗を持っていたし、軍ではなく兵士としての旗もあったから驚き。こんなに旗を造って何の意味がとおもうが、実は旗には魅力があって、独自の旗を持つことでステータスを他人に印象付けるということができるし、身内に対しては同じは他の下にいるという自身をつけさせるという宣伝になるのだ。そして、旗の基調は、ハーケンクロイツか鉄十字であるから、威圧感は抜群である。

おもしろいところでは、外国人志願兵部隊を募集した際に利用したポスターだろう。ドイツはドイツを中心に東西のヨーロッパ各国を占領し、領土を獲得していった。ドイツ人だけでは戦争はできないため、占領した国でドイツのために戦うような兵士を募集する際に、各国語で形成されることになる。占領された民族が占領した民族になぜ荷担したかというと、自国政府が簡単にドイツに屈してしまったことに対する情けなさから反発して入隊したのだ。しかし、戦後、入隊していた彼らは入隊していた事実をひた隠して生きていくことになるが、宣伝になっていたポスターや切手類は物的証拠として残っているために、消せない辛痕として残ることになる。

フランス北部を併合したドイツは、親ドイツのフランス人向けに52週の週めくりカレンダを配布した。毎週毎週、ドイツ軍の素晴らしい勇姿を書いたデザインであり、いまの軍事オタクのひとが見たら、涎モノのものがたくさん描かれているものなのだ。絵の部分はそのまま絵葉書として使われるくらい素晴らしいデザインであるため、現存するのが少ないらしいのだが、運良く残っていたものを本には掲載されている。いやぁ、これを見るとドイツらしい力強く、そして、「ドイツよ、頑張ってくれ!」と応援したくなるような軍隊の各装備や軍人が描かれているのである。

全世界が軍国主義であったので、軍国主義が悪いとはこのときには言えるはずもない。軍国主義として覇権をとったものが強いもので、取れなかったものが単に弱かっただけ。軍国主義として君臨したかったが、欧米と日本に翻弄された中国は当時は負け犬だったのだ。だから、日本が悪いとか欧米が悪いとか、中国はだらしなかったとか、そういうことは中国人は言うべきではない。ドイツも、当時はナチスという軍事的政党がヨーロッパをめちゃくちゃにした悪者であって、ドイツ人はその過去のことに対して卑屈になる必要はない。時代が翻弄していただけなのである。

デザインを通してナチスを見る本ではあるが、シンプルであるが力強かったことは十分に伝わる本である。頭を柔らかくしてぽかーんとみるには良い本だが、資料としてみるべきであって、買ってまで見るべきかどうかは疑問。

ヒトラー時代のデザイン
柘植 久慶 (著)
出版社: 小学館
発売日: 2000/07

2009/03/06

ゲイ能人勝手にカミングアウト


噂をどこまで信じるかは、その人の情報と行動範囲と目利きによるところが大きいだろう。特に芸能人のゴシップについては、誰もが注目し、興味をもつ分野だとおもう。

最近は、日本の芸能人も自らゲイであることをカミングアウトしちゃっているのもたくさん出てきたのだが、そういう芸能人は、どちらかというとまだまだエレファントマン的な眼で一般人は見ていることだろう。言い換えれば、芸能界でも真面目に振舞っている人はゲイであってもゲイであることをカミングアウトをする雰囲気になれないという。たぶん、これはどこの国でも同じなのだろうと思う。

ネットの世界では、嘘か誠か、あの人はゲイ、あの人は隠れゲイとか、そういう情報が腐るほど載っている。ただ、火のないところに煙はたたないのであって、だいたい噂になる芸能人は、本当にゲイである場合が多い。ゲイであることをいうと、それまでのファンが逃げてしまうことを警戒してカミングアウトをしない人が多いのも事実だ。

この本は、巷に広まっている噂のゲイの芸能人・知名人を広い範囲で紹介している。tだ、人によってその詳細さについてはまちまちなのが、あくまでも噂の範囲から逸脱してないという悲しさなのだろう。有名なゲイの芸能人・知名人については、逸話や事実やニュースになったことなどを網羅しているのであるが、本当かどうか不明なのだがゲイであるという噂になっているのは、誰が言ったかわからないような内容が掲載されている。ほとんどがネットで掲載されているものなので、ネットを見ているひとは新しい情報なんか全く載っていないので面白くも何ともない。ただ、頭の整理をするための本であるという範囲であれば十分読めることだろう。

ただ、今読んでみると、新しめの芸能人が掲載されていないので、消化不良になる。成宮は載っていても、もこみちは載っていないし。売り専あがりの芸能人は載っていても、2丁目でぶいぶい言わせていたような芸能人のことは載っていないし。なんか中途半端である。新刊を探してまで買うものではないが、ブックオフで100円で売られているのを見つけたら買ってみるのも良いだろう。だが、なぜか本の中に出てくる芸能人は、実名を揚げているのではなく、一部の名前を伏せて書かれているのが何故だかわからない。そんなことをせずに、ずばっと書けばいいのに。意気地なしな本である。

ゲイ能人 勝手にカミングアウト―ゲイの有名人総ざらえ (単行本)
ゲゲゲのゲイ太郎 (著)
出版社: 鹿砦社
発売日: 2007/07

伊勢神宮の謎


伊勢神宮は今も昔も人気の観光スポットであり、日本人の心のよりどころの1つであることは言うまでもない。でも、なぜ都に近いところではなく、変な場所に政府公認の大神宮を設置したのかがよくわからないでいた。なぜなら、他にも神宮またはそれに匹敵する神社というのは、日本にはいくつかある。代表的なのは愛知県の熱田神宮や島根の出雲大社だ。

さらにいうと、伊勢神宮は内宮と外宮と2つあり、同じ敷地内にあるわけでもなんでもないし、それぞれが正式名を持った神社である。こんな神社は他には日本全国では存在しない。これも不思議だなと思っていた。

「伊勢神宮の謎」は、いわゆる伊勢神宮に関する「なんでだろうなぁ~」というような内容を全般的に記載されているので、理解しやすい。宗教的な概念や知識を知らなくてもすらっと読める内容である。多少、日本の歴史についてと産業について知っていたほうが読みやすい。

伊勢神宮に関する事実はもちろんのこと、伊勢神宮に付随した事実についても述べているので興味が湧く。

例えば、伊勢神宮付近では水銀が取れ、大仏に金箔を貼り付けるときには水銀を使わねばならなかったために、その水銀を利用するために伊勢神宮への参拝を政府を代表として奈良時代および鎌倉時代に行ったことの歴史は、よくよく考えると不思議だ。それも政府を代表として伊勢神宮に行ったのが、坊さんだというのが面白い。神道と仏教という違うジャンルがここで融合しているのが面白いのだ。

台風のために難破してしまい、シベリアにたどり着いたあと、女帝・エカテリーナに謁見できた唯一の日本人こと大黒屋三大夫も実は伊勢の出身である。でも、三大夫は単なる船頭であったのに、なぜ苗字を持つことができたのか?よく考えたら不思議なことである。それもこの本を読めば一目瞭然。

明治時代になって、太陰暦から太陽暦に日本はカレンダーを換えることになるのだが、その暦に纏わる話も面白い。というのは、いまでは年末に新聞と一緒に配られる暦一覧というのは、それまで伊勢神宮の専売特許みたいなものであり、それは伊勢神宮の重要な収入源であったために、明治政府が暦表一括管理するという方針をとったときに、伊勢神宮による殺人事件も起きていてるという話もある。

「お伊勢参り」は今で言うところの団体旅行の走りであったことも本を読めば分かる。その団体旅行の客(要は信者)を獲得するために、伊勢神宮の神官たちは、全国に営業活動をしていたというのもなんとなく笑える。神社は黙っていても向こうから客がやってくるものだというのではなく、賽銭をたくさん出してもらうためには客を呼ばないといけない、そのためには呼び込みをしようという結果が「お伊勢参り」という興行を生んだことになる。

現在の都道府県に値する地方区分は、いまよりももっと細かい。しかしその細かさのなかでも、「志摩」地域は特別に小さい。例えば、紀伊の東半分を含めて「志摩」としても良かったと思うのだが、そうじゃなかったのは、伊勢神宮があったからなのである。

伊勢神宮という神道のことよりも、伊勢神宮に付随する歴史的事実を一つずつ解説してくれるのは楽しい。ただし、神道的なことを追究したいひとはこの本はお勧めできない。伊勢地方の何故だろうということを解明してくれる本だとおもって読んで欲しい。


伊勢神宮の謎―なぜ日本文化の故郷(ふるさと)なのか
高野 澄 (著)
出版社: 祥伝社
発売日: 1992/10

時刻表昭和史


列車の時刻表というのはとても複雑に見えるが、これほど整理整頓されたものはないとおもう。さらにいうと、日本の列車はその運行の正確さは世界一だと思うので、列車がどこを走っているかという状況で、いまが何時なのか分単位で分かるというものだ。この芸術的数字と地名の羅列が記載されている書物は、旅行者にとっては必須であるが、じっくり中を見たことがあるひとは、よっぽどの時刻表マニアだといえよう。ところが、この時刻表というものは、あなどるなかれ、かなりの情報が記載されている。

列車の運行時刻と、どこを通るかという地名が書かれているのは当然だが、簡易ながらの地図も掲載されている。他の国の時刻表で地図まで記載されているというのは見たことがない。それと各駅の駅弁情報が欄外に記載されているのを知っている人は知っている。今ではたまにデパートの駅弁フェアで知られるようになったものでも、昔からの弁当はこの時刻表には記載されているのである。それから、季節ながらの特別列車状況や、列車の時刻表なのに飛行機の時刻表と地方路線のバスや船などの時刻も乗っている場合がある。

ある時期において時刻表を見ても実はあまり実感しないのであるが、長いスパンを見たときに、時刻表というのはその中に記載されている内容がかなり変わってきていることがわかる。

筆者・宮脇俊三は、なく子も黙る時刻表オタクの代表的な人ではある。この人、戦前の衆議院議員の息子であるために、かなり裕福な家で育った。おかげで、父親に付いて全国あちこちに旅行ができたというとても幸せな人である。いまの列車旅行と違って、昔の列車旅行はお世辞にでも楽なものじゃなかったと思う。子供のころから列車に乗ることが好きだったようで、最初は身近な距離である山の手線から、あとでは遠いところまで夜行寝台列車で移動ということをやってのけている。

著書は子供のころからの列車への思いと実体験がかかれている為に、時間の経過とともに、どういう列車に乗って、どういう場所に行って、列車に関わる逸話をたくさん載せている。

最初の逸話は、渋谷駅のことから始まる。いまでは東急の庭になっている渋谷ではあるが、昔はそれほど繁華街になっているわけではなかったらしい。それに驚いたのはあの「ハチ公」を生で見ていたようだ。単なるおとぎ話としか思っていなかったハチ公の話を生で見ていたなんて言うのは、とても羨ましかった。ハチ公は大学教授に最初飼われていたが、のちに別の人に飼われるようになっても、いつものとおりに渋谷駅で待っていたというから、あの銅像が立ったのだろう。

だんだん生臭くなってきた戦時中の話についても、あまり他の書物では見た事が事実がかかれている。1つは列車の等級が今では2つしかないが、戦前までは3つあったこと。いまのグリーン車は2等車の意味であったことは、列車の歴史には書かれていること。そうではなく、戦時中どんなことがあっても列車は時間どおりに運行され、特に山の手線は東京空襲があったときでも運行され、被害が少なかったということ。長距離列車は快速特急がだんだん少なくなってきて、最終的には特急列車はなくなってしまったこと。それと、時刻表オタクにとっては寂しいことなのだが、紙原料が少なくなってきたことによる時刻表の出版部数自体が少なくなってしまったということだろう。青函連絡船のような海の国鉄は、時刻が正確だと潜水艦からの攻撃により船がぶっ飛ばされることになるため、出発運行の時刻は職員のみしか知られないようになっていた。実際に、船はほとんど破壊されてしまったようである。

玉音放送後は田舎から疎開として避難していた人たちが都心に帰ってきたのだが、そのときの列車というのは、いまのインドの通勤電車なみに、座席や通路は関係なく、入り口もドアも窓も関係なく出入りしていたようである。列車自体は時間どおりに動いていたのに、その本数がとても少なくなっているということと、戦時中では「贅沢は敵」というスローガンの元、意味なく旅行として出かけるのを禁止していたため、列車に乗るためには最寄の警察署に何故列車に乗る必要があるのかという理由を貰いに行かねば切符を買うことができなかったという名残のために、戦後の規制が終わったとしても、やっと買えた切符を無駄にはしたくないという一身で乗客は無理やりでも列車に乗り込んだためなんだそうだ。そういう逸話は他には見たことが無いし、実際に経験したことがある人はたくさんいるはずなのに、過去の嫌な思い出なのか誰もこういう話はしたがらないのが何故なのか。

時刻表と列車の運行という歴史から、日本の戦前・戦中・戦後の事実を垣間見ることができたのだが、読んだ後は悲しい思いをした。

時刻表昭和史 (単行本)
宮脇 俊三 (著)
角川書店

秘伝・香港街歩き術


香港は今も昔も日本人にとってはとても人気の有る観光地のうちの1つだろう。大体の人がそのごちゃごちゃした香港の街並みに魅力を感じ、ある人はショッピングに、ある人はグルメを堪能するために、ある人は映画の世界に浸るためという理由で渡航しているのだろう。そして、香港に関するガイドブックは腐るほど日本では刊行されているのは周知のとおりだ。

そんな香港の魅力に取り付かれて、暇があったら香港で香港人と戯れ、気分転換をしている人が書いた香港に関する本は、決してガイドブックとしては役に立たないと思う。ガイドブックとは偏見がなく一様に紹介をするものだが、この本では、本人の好き嫌いとこんなことが過去にあったというのを面白おかしく体験的に体系化したものであるからだ。しかし、その内容が濃すぎる。いくら香港の町が小さいとはいえ、北から南まで、本島から離島まで津々浦々まで網羅しており、それぞれの地域での主な見所はもちろんのこと、本人が過去に体験した出来事もここに記載されているのである。

好き嫌いで書いているものであるから、その情報が偏っているだろうとおもったら大間違い。香港の魅力はその1つに食べ物であるから、美味いとおもったところ、香港に行ったら必ず寄ってしまうレストランを紹介している。本を読んでいると、この人は広東語が堪能なんだろうと思うような場面が数々出てくる。よく行くレストランでの話の場面では、前に来たときにはこんなメニュはなかったのに、なぜ友達が来たときに日本語メニュがでてきたのだ!と、店員に聞いていたりするところは秀逸。離島あたりでは英語が通じず、広東語しか通じないような地域で、暑くてだるそうな顔をしていたら、店から「ビールでも飲むか?」と聞かれて対応しているのも面白い。

しかし、この本は、1993年に最初に観光されたものを文庫本にする際に情報を精査して再刊行しているものなので、今から考えると情報はちょっと古い。あれだけダイナミックに変わっている香港の町の様子を書こうとした場合には、常に新しい情報を記載しないといけないのであるが、ここに記載されているようなところはほとんど変わることがない香港を記載しているので、今読んでみても楽しい。香港に行ったことがある人であればもちろん、香港なんて興味ないっという人も、この本は読んでみるといいだろう。香港に対しての考え方がちょっと変わってくると思う。

また文章の中に出てくる作者の友達というのが、変な人たちばかりなのだ。神戸生まれの作者としては、生まれ育った神戸に近い六甲山麓からの夜景を香港の夜景と被せて説明しているが、「六甲なんて族の溜まり場でしょう?そんなところに慣れているんだから、こんな夜遅い時間に娘たちだけで歩いていても大丈夫だよねー?」という切り返しをしているところが面白い。

自分も台湾に関する本を彼女の本と同じような主観で書いてみようかなー。やっていることは基本的に変わらないし。

秘伝 香港街歩き術
藤木 弘子 著
新潮文庫
発売日: 1997/06

2009/03/04

上越国際スキー場

先週末は久しぶりに会社の人たちとスキーに行ってきた。それも久しぶりに関越方面にくるまで行ってきた。まるで学生のときみたいな感じだ。学生のときは狂ったように毎週日帰りで関越方面に友達と車で出かけていたのだが、さすがに社会人になって年齢があがってくると、日帰りはきつくなってきて、泊りじゃないと嫌だーということになる。さらに、雪質がいいところを求めて、ここ数年は、回数は少なくても北海道に行くようにすることにしていた。だから、本当に関越方面に行くのは久しぶりだった。

関越方面にはスキー場は結構たくさんあるので、どこへ行くのかは迷ってしまうものだ。とおもっていたのだが、最近はスキーブームもあまりないので、スキー場も経営が悪いらしく、多少は潰れたスキー場もあるらしい。そんな中、今回は上越国際に行くことにした。

上越国際スキー場にはゲレンデ傍に立つホテルが目立つところで結構前から気になっていた。それがホテルグリーンプラザ上越だ。外観がスイスアルプスにあるコテージみたいな格好をしているところである。しかし、実際にここに泊まってみてびっくりした。部屋数がとても多いのである。苗場プリンスも横長で部屋数が多いところではあるが、それと同じくらいに多い。そして、自分がどこにいるのか良く分からないようなつくりになっている。おまけに昨今はスキーブームではないのにも関わらず、自分たちが行った週末はなんと満員で、上越国際のスキー場にいるひとたちは全員日帰りではなく、ホテルに泊まっているのではないか?というくらいの人数が居たのである。だから、チェックインとチェックアウト時の混雑は、もう、年末年始の田舎に帰る人たちの列車の混雑ぶりに似ていたし、お風呂場や食事をするところも、それほど多いわけではないので、ほとんど戦争状態のイス取り合戦であったことは言うまでもない。上越国際スキー場の傍には他にも泊まるところはあるはずなのに、なぜここに人が集まるのだろうか?それほどお世辞にも部屋は大きいわけじゃないし、綺麗というわけではないのだが。それに湯沢あたりからでもすぐにやってこれる場所なのにである。

朝食とバイキング形式の夕ご飯が付いている宿泊と、2日間のリフト券が付いていて、14000円というのは意外に安いのではないかとおもった。
さて、ゲレンデはというと、これが今年は暖冬のためにゲレンデコンディションは最悪だった。スキーに行く前日、珍しくも東京でも雪が降っていたので、越後山脈の向こう側では当然雪が降っているだろう・・・・と期待していたのに全然降っていなかった。全くゲレンデに雪がないというわけじゃない。昨年のうちにドカ雪が降って、その貯金がまだ溜まっていただけであったのだ。だから、ゲレンデの雪はパウダースノーではなく、ほとんどカキ氷の塊みたいなものだった。ただし、リフト待ちが以前のスキーブームと違ってほとんどないのが嬉しい。

それにしても気になったことがいくつかある。

以前一時期流行っていた非接触型のチケット確認ゲートというのはなくなってしまったのだろうか?上越国際にはそんなものがなかった。以前あったのかどうかは忘れた。

続いて、足置きがあるリフトがなくなったのだろうか?昔はクワッドリフトなら必ず足置きがあったのだが、昨今のスノボブームでそれが邪魔になってなくなったのだろうか?上越国際にはなかった。

リフトで思い出したが、フード付きのリフトというのはなくなったのだろうか?幸い、今回は無風もいいところで、逆に天気が良すぎて暑すぎたくらいだったから、フードがなくても全然平気だったのだが、強風時にリフトへ乗るのはほとんど拷問に近いところがある。

スノボをやっているひとにとっては面白かったのだろうけど、ちょうどスノボの国際大会が行われていた。だから、ホテルにも海外からの参加者らしきひとたちが泊まっていて、そこそこ国際色豊かだった。

いやぁ・・・やっぱり北海道に最低でも2泊3日で良くスキーのほうがいいと改めて感じたスキー旅行だった。