2009/03/06

伊勢神宮の謎


伊勢神宮は今も昔も人気の観光スポットであり、日本人の心のよりどころの1つであることは言うまでもない。でも、なぜ都に近いところではなく、変な場所に政府公認の大神宮を設置したのかがよくわからないでいた。なぜなら、他にも神宮またはそれに匹敵する神社というのは、日本にはいくつかある。代表的なのは愛知県の熱田神宮や島根の出雲大社だ。

さらにいうと、伊勢神宮は内宮と外宮と2つあり、同じ敷地内にあるわけでもなんでもないし、それぞれが正式名を持った神社である。こんな神社は他には日本全国では存在しない。これも不思議だなと思っていた。

「伊勢神宮の謎」は、いわゆる伊勢神宮に関する「なんでだろうなぁ~」というような内容を全般的に記載されているので、理解しやすい。宗教的な概念や知識を知らなくてもすらっと読める内容である。多少、日本の歴史についてと産業について知っていたほうが読みやすい。

伊勢神宮に関する事実はもちろんのこと、伊勢神宮に付随した事実についても述べているので興味が湧く。

例えば、伊勢神宮付近では水銀が取れ、大仏に金箔を貼り付けるときには水銀を使わねばならなかったために、その水銀を利用するために伊勢神宮への参拝を政府を代表として奈良時代および鎌倉時代に行ったことの歴史は、よくよく考えると不思議だ。それも政府を代表として伊勢神宮に行ったのが、坊さんだというのが面白い。神道と仏教という違うジャンルがここで融合しているのが面白いのだ。

台風のために難破してしまい、シベリアにたどり着いたあと、女帝・エカテリーナに謁見できた唯一の日本人こと大黒屋三大夫も実は伊勢の出身である。でも、三大夫は単なる船頭であったのに、なぜ苗字を持つことができたのか?よく考えたら不思議なことである。それもこの本を読めば一目瞭然。

明治時代になって、太陰暦から太陽暦に日本はカレンダーを換えることになるのだが、その暦に纏わる話も面白い。というのは、いまでは年末に新聞と一緒に配られる暦一覧というのは、それまで伊勢神宮の専売特許みたいなものであり、それは伊勢神宮の重要な収入源であったために、明治政府が暦表一括管理するという方針をとったときに、伊勢神宮による殺人事件も起きていてるという話もある。

「お伊勢参り」は今で言うところの団体旅行の走りであったことも本を読めば分かる。その団体旅行の客(要は信者)を獲得するために、伊勢神宮の神官たちは、全国に営業活動をしていたというのもなんとなく笑える。神社は黙っていても向こうから客がやってくるものだというのではなく、賽銭をたくさん出してもらうためには客を呼ばないといけない、そのためには呼び込みをしようという結果が「お伊勢参り」という興行を生んだことになる。

現在の都道府県に値する地方区分は、いまよりももっと細かい。しかしその細かさのなかでも、「志摩」地域は特別に小さい。例えば、紀伊の東半分を含めて「志摩」としても良かったと思うのだが、そうじゃなかったのは、伊勢神宮があったからなのである。

伊勢神宮という神道のことよりも、伊勢神宮に付随する歴史的事実を一つずつ解説してくれるのは楽しい。ただし、神道的なことを追究したいひとはこの本はお勧めできない。伊勢地方の何故だろうということを解明してくれる本だとおもって読んで欲しい。


伊勢神宮の謎―なぜ日本文化の故郷(ふるさと)なのか
高野 澄 (著)
出版社: 祥伝社
発売日: 1992/10

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