2012/06/09

国立博物館(Bangkok)

バンコク最終日は国立博物館に行ってみた。タイの歴史や文化が凝縮されているところだろうと思っていたからである。日本の国立博物館みたいに洗練されているものだと思っていたら、とんでもない。大きな倉庫が広い敷地無いにいくつか存在するというようなものを想像されたほうがよく、お世辞にも保存環境が良いとは言えない博物館だった。もっと室内温度は常に同じ温度というような仕組みでも入れているのかと思ったのだが、まったくその設備が存在していないようである。
敷地の入口に入って切符を買う際に、手荷物は全部預けなければいけない規則になっている。ただし、カメラの持込とペットボトルの水を持っていくのは問題ないとのこと。だから、この館内では長居することに結局なるのでペットボトルの水を事前に持ってきているのであれば、鞄の中に入れてしまわないで預けたほうが良い。もちろん、このときに、貴重品はいくら預けるからと言っても、ロッカーに預けるというわけじゃないので、自分で持って管理をしていないとだめだろう。

毎週水曜日と木曜日の午前9時30分からは、日本人ボランティアによる無料の日本語ツアーもあるので、時間が合えばぜひ利用したいものだが、そのボランティアのひとがどの程度のスピードで各館を説明するのかはよくわからない。1時間くらいでぱぱっと見るような案内であれば、そんなのはほとんど見ないほうがいいのと同義だ。

館内の案内図に順路が書いてあって、その順番とおりに建物を通っていくとタイの歴史を過去から現在にかけて順番に見ることができるようにはいちおう成っているが、ただ、タイの歴史自体が全くわからないので、その順番が過去から本当に現在の順になっているのかどうか判断ができない。展示されているジャンルごとにいちおう建物が分けられていると考えたほうが分かりやすいと思う。

入口付近から行くと、まずは展示物とは全然違うのだが、この博物館の中にも寺院が存在するので、そこからお参りした後に館内の展示物を見に行って見たら良い。名前はブッタイサワン礼拝堂(Bhuddhaisawan)。よく手入れされた床と高い天井の寺院である。壁を見ると神様の絵がずらっと上から下まで描かれていて、ここまで神様に見守られながらじゃなと何かを得られないのだろうか?というのが不思議に思うのだが、名もどういう神様が祀っているのかもぜんぜんわかんない寺院だが、やっぱり内部に入って、正面の仏像をみてしまうと不思議な空気に包まれたてしゃきっとするから不思議だ。信仰心が無いほうだが、なにか聖なるものに囲まれていると感じてしまうからなのだろうか?
特別展示室から奥はジャンルごとに収められているので、興味がある分野のものがあれば楽しいと思うが、全く興味が無いようなものだったらさっさと飛ばしてしまうかもしれない。ここでは、演劇や遊戯に使うようなお面や衣装の部屋から、中国やベトナムから輸入してきて王室で使われていた陶磁器が展示されている。お面などのほうはおもしろくみられたのだが、外国製品ばかりの陶器については全くタイに関することを感じられなかったので、それなら台北の故宮博物院にいったほうが断然いいし、質がいいものしかない。金細工や装飾のエリアにいくと、これがまたタイ風の装飾がたくさん見られて楽しい。特に石造や木造の彫り物は見事としか言えない。

服飾のところや生地、そして楽器のエリアにやってくると、タイもマレーも実はカラーリングやスタイリングは似ていると思ってくる。確かに建物の屋根の形なんかもマレーシアの王宮の特徴がそのままタイにも来ているのか、逆にマレーの文化がタイにやってきたのか、そのあたりは東南アジア専門家のひとたちが教えて欲しいところである。装飾になるとこれは世界的規模で似たようなものになるが、生活密着型の要素に近ければ近いほど、隣同士の世界は似たようなものになるというのがよくわかる。ただ、中国の文化はどうやら前からタイにはないようだ。現王朝がバンコクにやってきて、バンコクの開拓のために華僑を使って商売も含めて拡大させたときに初めて華僑が中華文化を少し持ってきたようだが、それでもタイの文化とはあまり融合していないような印象が得たし、おそらくそれはタイ国王がタイ独自の文化を継承しなければならないということを率先していたからなのだろうという気もした。
 
 
別棟にはアジア全体の仏像美術をまとめて展示しているところがある。タイ国内の仏像はもちろんだが、中国やインド、そして日本の仏像なんかも展示しており、国ごとのそれぞれの違いが一同として見られる環境にあるので、かなり仏像マニアとしては楽しいものだろう。ただ、いかんせん、仏像が保管されている建物自体の保管方式がめちゃくちゃ悪い。だいたい石像なんかは匂いが篭っているようで、雨上がりの石畳のような臭いが部屋全体に充満しているようだった。

絶対見ていて方が良いのは、葬儀用の山車が保管されている倉庫だろう。超巨大な倉庫には王室のメンバが崩御したりしたときに使われる金色の山車があるのだが、あまりにも山車1台あたりの大きさが大きすぎるので、全体をじっくりと見ることができないのが悲しい。ここまで派手にしないとだめなのか?というのがちょっと疑問だが、おそらく現国王がもし崩御した場合にも、新しい山車が作られて、それが使われ、終わったあとはそのまま保管されることなんだろう。
国立博物館(National Musuem)
住所:4 Na Phrathat Rd., Phra Borommaharachawang, Phra Nakhorn, Bangkok 10200
電話番号:0-2224-1370
ファックス:0-2224-1404
営業時間:09:00―16:00
休業日:月曜日・火曜日・タイの祝日

ブルー・エレファント(Bangkok)

バンコクの最高級レストランとしては絶対外せない場所としてはブルー・エレファントは外せない。ここのレストランを行かないでバンコクに行ってきましたというのではあれば、単なる貧乏旅行を楽しんできましたとしてしか言えず、民衆と同じような食事をしたから、自分がタイ人の心をよく知ることができたでも言わんばかりの主張をしてくる人がいるが、タイの料理をギュッと洗練された形にまでした料理を出してくれるところであるのがここなので、ここは滞在中に絶対に1度は行って欲しいところだと思う。他のタイ料理の店よりは確かに高いかもしれないが、日本人価格で考えれば、日本でまともに同じような食事をしたら数万円かかるのをずっと安い価格で食べられるという贅沢なことができるのだから、せめて話の種にでも行ったほうが良いところだ。

BTSのスラサック駅からもレストランの建物はよく見える。歩いてすぐ傍にあるからというのもあるが、周りに高い建物があっても、ここだけは昔ながらの3階建ての建物としてぽつんと建っているから余計目立つのではないかという気もする。特に建物をライトアップされると、そこがディズニーランドではないか?と思われるくらいの派手さになってしまうのだ。
さて、店内に入ると予約の有り無しを聞かれるが、早めに行けばそんなに混んでいるわけじゃないので予約無しでも可能だ。だが、このレストラン、高い割にはすごく人気があるレストランなので、ある程度の時間帯になってしまうと、店内はほぼ満員になってしまうので注意だ。スラサック駅自体が変なところにあるようなものなので、いくのが面倒くさいというのはあるかもしれない。が、BTSの電車に座っていれば勝手に到着できるんだから、その手間を惜しんでいく価値はあるだろうと思う。

店の雰囲気もさることながら、こちらのレストランで給仕しているスタッフがどのひとの洗練されており、きっとオーナーが厳しい指導を全員に行っているのだろうと思う。それもそのはず、この店はタイ人と結婚したベルギー人がオーナーになっており、ヨーロッパ風の風習を持ち込んできて、タイ風とグルメの町ベルギーの風習がミックスされたものとして、それが受けたんだと思われる。だから、どんな客が来店したとしても、店に入ってきたときから、奉仕の姿勢が見えて、本当にヨーロッパのレストランに来たかのような気分になれる。無駄な動きや遅い対応というのはこの店では絶対に無い。お客さんの数にくらべて給仕しているひとの数が異様というくらい多いので、テーブル専用に1人いるんじゃないのか?と思ってしまうくらいのものだった。だから、常に自分たちのテーブルでの食事のスピードをよく見ているようで、複数の料理を頼んだあとには、別の料理を出してくるタイミングがとても絶妙だったりするのが感動的だ。

この店、東京にできないかなー?と期待しているのだが、いまのところ主にヨーロッパにしか存在しない。2012年6月現在では、ロンドン、パリ、ブリュッセル、コペンハーゲン、ドバイ、ベイルート、マルタ、クウェート、バーレーン、モスクワに支店があるらしい。

さて、ここでは次の料理を頼んでみることにした。

・Pearls of Blue Elephant : 550THB
・Eggplant salad : 380THB
・Orange Prawn Curry : 450THB
・Wild Jasmine Rice : 180THB×人数分
・Blue Elephant Phad Thai : 380THB

茄子のサラダだが、こちらはミルフィーユのような数段構造になっており、見た目は少なそうだなとおもったのだが、実は意外と量が多かったのだが、これはサラダなのか?というくらいの濃厚な味。なすとなすとの間に白身のすり身と酸味のある切り刻んだ野菜を混ぜているのだが、なすとのミックスが全然酸味を感じず、ナスの本来の持っているうまみとその水分が混ざると絶妙といえる味になって楽しかった。
前菜の看板メニュになっている「Perls of Blue Elephant」はメニュをみたときに、いったいなんなのだ?とおもったのだが、これがうちの技術ですというような意味でお客さんに出すような前菜だったということがわかった。だから、大して量は多くない。いくつかのコンパクトな料理を凝縮して1つの皿に盛られているのだが、一口サイズのそれぞれの料理はとても手が懸かっているものだったというのはよくわかった。ただ、それぞれの料理について、いま詳細はなんだったかが思い出さない。値段の割には量が少ないのは、バンコクで腹いっぱい食べたいというひとには物足らないものだと思うが、ブルー・エレファントの実力を知るための指針にはなるだろう。
ブルーエレファントオリジナルのタイ風イエローカレーは、車えび、ジャックフルーツが入っており、キュウリのサラダが付いている。これはピリッと辛いカレーなのであるが、酸っぱさも含められているので、一緒に頼んだジャスミン・ライスと一緒に食べるとすごく美味しい。一度食べたら止められないのだが、カレーといっても、ほとんどスープに近いくらいのとろみだ。具も食べやすいものばかりなので、なかなか美味しくいただけた。

もう少しお腹を膨らせようと思って、あとでタイ風の焼きそばを注文。この焼きそばだけが、なんだか庶民的な感じがして店の雰囲気には全くそぐわない。
どれもこれも美味かったし、また来たいと思ったのだが、会計のあと店を出る際に、1人1セットのソースを貰うことになった。1人につき、タマリンドソースの大瓶と、中瓶のブラックペッパーソース、そして、小瓶の2回くらいで使えるレモングラスソース等々をもらった。各人によってどういうソースが入っているのかは違うのだが、大瓶×1本、中瓶×1本、小瓶×2本はもらえる。これは全然料金には含まれて居ないのだが、日本に帰ってきてこれら貰ったソースを使ってみたのだが、どの料理やサラダに使っても美味かった。これ、どこかで売っていないのだろうか?

ブルーエレファント(Blue Elephant)
URL : http://www.blueelephant.com/
住所 : 233 South Sathorn Rd., Yanawa Sathorn, BKK 10120
電話番号:0-2673-9353-8
営業時間:ランチ 11:30〜14:30 
         ディナー 18:30〜22:30

ワット・ベーンチャマボピット(Bangkok)

アナンタ・サマーコム宮殿はヨーロッパ文化をたくさん吸収してそれをタイ国内に持ち込んだものであり、世界の波に追いつこうとするラーマ5世の意欲も感じる建物だった。しかし、タイ国王としてラーマ5世は西洋かぶれになるのを嫌がり、タイの本来の文化も大切に継承していかねばならないという考えも持っていた。ドゥシット地区の敷地からスリ・アユタヤ通りを介して、向こう側の土地に、ナンタ・サマーコム宮殿と同じイタリアから持ってきた大理石で作った大寺院を建立して、タイ文化と西洋文化の絶妙な混在を残すことにした。その寺が、ワット・ベーンチャマボピット(Wat Benchamabophit Dusitvanaram)である。

別名「大理石寺」と言われるのだが、それだけこの寺院はどこもかしこもイタリア製の大理石でできているかなり贅沢なつくりの寺である。タイの現代寺院建築の最高峰と言われるほどに美しい建築物であるのは言うまでも無い。しかし、ワット・プラケオやワット・ポーみたいな有名寺院と実は同じくらい重要な寺院ではあるが、ちょっと離れた場所にあるために、ほとんど観光客らしいひとはここには来ていない。時間と暇が有り余っているような外国人観光客くらいしか来ないらしい。地元の人もほとんど来ていないようだったが、こんな立派な寺があるのにーとおもうのは所詮外国人。地元の人にとって、行きにくい場所にある寺院にいくほど面倒くさいものは無いだろう。なにしろ、傍には国会議事堂や国王の住居があるような場所だから、バイクや違法駐車なんかしてしまったら、警備員にすぐにしょっ引かれてしまう可能性があるから、なおさら近寄らないようにするのかもしれない。

内装でまずは述べておかないのは、正面祭壇にある金色の仏像と、それを強調するように映えている青色の背景だろうと思う。この美しい仏像はチナラート仏というもの。元々は、ピサヌローク県にあるワット・マハタートというところにあったものをモデルにして同じようなものをここに作ったというのが始まり。特にこの背景に金色の仏像が映えている姿はなんとも幻想的にみえてしまうから不思議だし、いつまで見ていても口をぽかーんとして見てしまいたくなる。

でも、この寺はこの仏像だけじゃなく、壁や窓もみてもらいたい。窓はタイの寺院には珍しくステンドグラスになっているのだが、これがイスラムのモスクにあるようなステンドグラスになっているのが不思議。もちろん、真ん中に仏陀の顔があるという点では、偶像崇拝を禁止しているイスラム教とは異なるところではある。
建物の外に言っていると、狛犬の代わりになるような巨大な守り神が入口に立っているのはわかる。しかし、よく見ると、狛犬もどきは1種類だけではなくいろいろな種類があることがわかる。なにしろ、日本の狛犬と同じようなものもいるからなのだ。目線を換えてみると、エジプトの神殿前に立っている像のようにもみえてしまうから、ここの寺院は純粋なタイ式の寺ではなく、世界の中心にタイが存在するかのように、いろいろな世界からいろいろな要素を取り入れているように見えて仕方ない。
ワット・ベーンチャマボピット
Wat Benchamabophit Dusitvanaram
Address : 69 Rama 5 Rd.
Open : 8:00 - 17:00
Fare : 20THB
Holiday : なし

アナンタ・サマーコム宮殿(Bangkok)

ウィマーンメーク宮殿があるドゥシット地区にはまだまだ見るべきところがある。同じ敷地内でひと際白い壁と口蓋を持つ建物が緑の芝生の真ん中に映えるように建っている建物があるが、これが「アナンタ・サマーコム宮殿」である。1907年にラーマ5世の命令により迎賓館としての役割と、国家的儀式を行う建物として建立されたものだ。タイ式の建築形式ではなく、20世紀初頭の建築ブームではヨーロッパと同じようにヨーロッパの流れがタイにも来ていたし、もちろん当時の日本や台湾にもやってきたのは周知のとおり。ここでもタイの国家を代表とする建物としては、イタリアの建築家によってルネサンス様式+ネオクラシック様式を混在させた二階建ての建物として作られた。

完成はラーマ5世の生前中ではなく、次のラーマ6世の時代によって完成された。しかし、1932年から立憲君主国になってからは、ここは国会議事堂として使われるようになった。しかし、いまの国会議事堂はもっと北側にある別の建物が国会議事堂になっている。現在のこの建物は、それでも国家的行事をするときには利用されているようである。

訪れたときには王妃の1人が6歳になる誕生日が近くあるらしく、そのために各組織や団体から贈られてきたと思われる記念品がたくさん展示されていたのだが、その展示物がすごすぎる。金や銀を素材としたものは当然なのだが、工芸品としては第一級品になってもおかしくないものばかりで、何十人もの職人が何年かかけて製作されたというものばかりだった。一番多かったのは、象の背中に乗るための鞍を芸術的な推移にまで発展した作品が多かったこと。実際に象にこんなものを載せて乗ることは無いのだが、象は神聖なものであるし、王家として民衆を従えるにはとても威圧感が出てくる乗り物であることは言うまでも無い。実際に象に乗ったらあんなに乗り心地の悪いものは無いと思うのだが。そのほかには王家の歴史を壁一面に描かれた絵画があったりと、もう至る所の作品が凄すぎて、適当に入ってすぐに出て行こうと思ったのに、かなりの時間を費やしたと思う。

ところが、この建物、女性はズボンを履いての入館は許されていない。スカートを履かないといけないという意味不明なルールがある。そこで女性用に大きなスカーフが用意されていて、ズボンの上からスカート風に見せることで対処するようなことをしている。そして、中はウィマーンメーク宮殿よりも警備が厳しく、強靭な警備員というか、兵士がここには駐留して観光客を厳しい目で監視をしている。見えないところで、ほぼ1観光客に対して1監視員が遠くから動きを監視しているため、写真撮影や変な行動をしたら、即効でその警備員がやってきて厳重に注意される。そして何にも増してすごい監視だと思ったのは、いくつかの部屋に分かれている展示物を見学者が移動するたびに、どういう格好の人がどこどこの部屋に移動したと、警備員同士が無線で連絡しているというもの。この完璧というべき仕組みは警備として素晴らしいのだが、すべての訪問者を性善説で受け入れているわけじゃないというところが素晴らしい。どこかの官公庁とは全く心意気が違うのである。が、それを絶対に表向きには敵意むき出しにしているわけじゃないところがもっと良い。静かなる監視とでも言うべきものなのだろう。

建物のほうにもっと目を向けてむると、天蓋の部分はキリスト教の画家にみせてやりたいくらいすごい高精細のフレスコ画だ。ルネサンス期の天蓋の絵画だと、絵が綺麗なのだが、細かいところまではあまり書かれて無いため、双眼鏡でじっと眺めてみるとかなり粗い絵だというのがわかるのだが、ここの絵画はめちゃくちゃ細かい。本当に細かい。ラファエロも、ミケランジェロもこの絵画をみたら、負けてられないと勝負心に火がついたことだろう。題材としては、あとで調べてみたところ、ラーマ1世から6世までの偉業をテーマにして描かれたようなものらしい。が、その偉業自体が分からないので、内容も理解できなかったのだが、事前にこのあたりの歴史を知っていたら、もっと天蓋画をみるときに楽しめたに違いないと思う。

旧国会議事堂(アナンタ・サマーコム宮殿)
Old Parliament House
URL : http://www.thailandtravel.or.jp/detail/sightseeing/?no=550
Open : 10:00〜20:00
Address : Dusit, Phra Nakhon, Bangkok 10200
Admission Fare : 150B
Holidays : 月曜日、正月、タイ旧正月

ウィマーンメーク宮殿(Bangkok)

タイの政治と行政の中心地のところには、結構見所の多い建物が点在しているのだが、そのなかでもドゥシット地区は王室関係の施設を筆頭に、官公庁や王室の住居などがあり、ちょっと他の地域とは一線を画した場所であると思う。

ラーマ5世が住んでいたこのエリアに実際に住んでいた建物として現存しているのがウィマーンメーク宮殿(Vimanmek Mansion Palace)なのだが、ここは写真なんかで見るよりは実際に現場に行ってその素晴らしい建物を見たほうが良い。宮殿というからにはさも重厚な石垣や建物構造になっていたのだろうとおもいきや、全然違う。すべてがチーク材を使って建設されているため、マレーシアやインドネシアなどの旧王宮に見られるような建物を考えれば良いだろうと思う。

この建物はいちから作られたものではなく、元々は、チョンブリ県の南東にあるスリ・チャング島にあった王宮をそのままこの地に持ってきて再建されたものである。しかし、主であるラーマ5世が亡くなった後は宮殿は使われなくなってしまったのだが、元国王妃のシリキット王妃がチーク材建築物を再評価することによって修復されて、現在では内部も含めて一般公開できるようになったというわけである。このシンキット王妃の業績がなければ、何も知らずにやってきた外国人観光客がこのような建築物に入って見られることはなかっただろう。建築様式としては当時の最先端建築様式であるドイツのビーダーマイヤ様式。

現王宮のワット・プラケオの入場券を持っていれば、実はこちらの王宮も入館することができる。だから、ワット・プラケオに行って満足しただけではなく、そのときに貰ったチケットは大切にしておき、こちらの王宮に入館する際に警備員に見せれば入館は可能だ。こういう併用入館可能な仕組みがあるのは嬉しいことである。

さて、中に入ると全員荷物を一度ロッカーに入れるように命令される。そして、カメラ撮影についても内部に入るときには許されない。だが、なぜかミネラルウォータを内部に持ち込むのは可能なのだが、その理由が全然理解できないで居た。ただ、ロッカーへ荷物を預けないといけないときにお金が居るのだが、そのお金はあとで返ってくることになる。だが、余計な荷物を宮殿内に持ち込むことは厳しく監視しているようで、宮殿無いにも監視カメラがいたるところにも付いていた。

本来ならガイドによる館内案内じゃないと見学はできないらしいのだが、ドサクサ紛れにタイ人かベトナム人かの団体観光客についていって中に入ってしまった。館内に入館する際には靴を脱いで裸足で入館しなければいけないが、チーク材でできている床なので、歩いていてとても気持ちが良い。

3階建ての構造になっている宮殿内部は、王・王妃の寝室から貴賓室や謁見の間があったり、調度品もそのまま展示されている。意外に西洋風の生活をしていた形跡もあったりするのが面白かったのだが、やっぱりタイの国王としてはタイ文化を守り継承していくというのが暗黙の掟としてあったようで、内部の部屋には入れるところが少ないのだが、ひとるひとつの部屋はいまでも使われていてもおかしくないというところだ。

なんといってもチーク材なのでタバコを持って歩くやつが居ないかという監視が一番大切だと思う。火が一番王宮にとっての大敵だからだ。中国人観光客の多くはタバコを吸っている奴らが多いのだが、そいつらのマナーの悪さは本当にへきへきする。敷地内は一切の喫煙は禁止になっているのに、それを無視してタバコを吸う中国人たちが警備員たちに注意されているのをよく見かけた。どうしてあの人種は世界のどこに行ってもルールを守れない人たちなんだろうとおもうし、黙っていればとか、バレなければ問題ないというあくどい神経の持ち主なんだろうとおもう。てめえの家に手榴弾持って上がってきた客に対して、てめえは「ようこそ」と快く迎え入れることができるかどうかと同じである。歴史的建築物の前でもそれを守ろうとする気持ちがなく、己の欲求解消がまず第一と考えること自体がこの観光地に来る資格はない。だいたい怒られている中国人が次にやる行動としていは、警備員に食って掛かるという暴力的手段である。大勢の面前で叱られるということをすごく嫌っているやつらなので、よくも恥をかかせたなーと警備員に食って掛かるのだが、もう話の論点がめちゃくちゃだとおもうし、怒られるオマエが悪いのにそれを絶対謝らないという態度がふざけているとしか思えない。あぁいうルール無視の中国人が歴史的遺跡を破壊したり、炎上させて紛失させたりするんだろうなと本当に思う。まぁ、やつらにとっては、日本人のほうが野蛮らしいが、自分たちが戦争時に奔走する際に日本軍に化けて逃げていたために、さもそれを知らない無知な中国人農民たちが日本人が野蛮だとおもって今日まで伝わっているんだろうと思う。

この王宮も入館者に喫煙者かどうかの質問をして、タバコを吸う奴は牢屋に換金しておいたほうが良いんじゃないのか?という気がする。なにしろ、ここはすべてが木造だからだ。

ウィマンメーク宮殿 (The Vimanmek Mansion Palace)
URL : http://www.palaces.thai.net/index_vm.htm
Open : 9:30〜15:15(チケットは15:00まで)
Address : Dusit, Phra Nakhon, Bangkok 10200
Admission Fare : 150B
Holiday : 無

バンコクの渋滞はひどすぎる

バンコクは世界でも有数の渋滞地域と言われている。特に通勤時間帯の朝と夕方の混雑振りは本当に酷すぎる。全くと言って良いほど車は動かなくなるのだ。まるで毎日が年末年始の地方へ行くひと、地方から帰ってくる人の高速の交通渋滞といった感じである。これが毎日行われるとなると、車に乗っている人たちにとってはストレスの固まりになるんだろうとおもうのだが、それだったら車なんか使わず、公共のバスやBTSを極力使えば良いとおもうのは日本人。だが、自分が中心とおもっているタイ人にとっては、俺は急いでいる、おまえがドケというのが基本的な考え方。だから、他人がバスに乗れば良いとおもっているし、自分たちは自分の好きなような手段で行ける環境が良いと思っているのだ。このあたりは中国系の人が多く住んでいるバンコクならではの考えなのだろうかどうかはわからない。

混んでいるのが分かっているのに車を使っているという住民の考え方も変なのだが、もっと変なのは道路の交通システムのほうだと思う。太い道のくせに一方通行だったりするし、対面交通になっている道路でも、往路と復路で車線数が全く異なっているというところがあるのである。全部で6車線の道路だったら、3車線-3車線で交通運用すれば良いのに、なぜか5車線-1車線というような仕組みになっていたりするのだ。なんでこんなわけのわからないような仕組みにしているんだろう?太い道なのに一方通行というのは、台北でもシンガポールでもよく見かけることなので、これはこれで問題ないと思う。

さらに悪いことに、時間帯によってはある方向に行くのはNGになるような道路が結構たくさんあるのだ。夕方になったら、どこからともなく現れた警官などが、道路の真ん中に工事中によく使うコーンを立てはじめて、「これ以上はこの道は通れません」というような主張をし始めるのである。なんでそんなわけのわからないことをするのだろうか?それも幹線道路で。裏道のようなところだったら分かる。だから、タクシーの運転手なんかは、いつの時間にどの道が通行止めになるのかという情報を事前にしておかないと、かなりの遠回りになってしまうのである。たまたまそういう事情を知らずに、通行止めになってしまうような道路に入ってきてしまったタクシーに乗り合わせた場合には、わざと運転手が遠回りをしているんじゃないのか?と疑った目で見るようになるだろうが、中にはそういう悪い運転手も居ると思う。大抵の場合は知らなかったというのが理由になると思う。
東京も交通量が多くなってきたため、線路を越えるような幹線道路は、踏切をなくして地下に潜ったり、高架にして踏み切り待ちにならないようにするような工事が頻繁に行われている。是と同じようなことをバンコクでも積極的に現在行われている様子だ。だが、まだまだ全部が対応できているというわけじゃないので、たまに踏み切りによる交通遮断ということに出くわすこともある。電車がくる寸前に踏切が動けばいいとおもうのに、ずいぶん前から踏み切りを遮断してしまうようなことを行うので、余計、車の踏み切り遮断中継というのが長くできてしまうのである。
もっと笑えるのは交差点の信号について。大きな通りと少し小さな通りがクロスするような場所だと、大きな通りのほうが断然長く点灯しているような有利な交通運用がされている。それは交通量と密接な関係があるかで、たくさんの車が通る通りを頻繁に赤信号にしてしまっては、それだけ車が渋滞になってしまうからである。だから縦通りと横通りで、青になっている時間の長さが違うのはありがちな施策だと思うのだが、バンコクの場合意味不明なのが、十字路になっている交差点では、縦方向なら往路も復路のほうもどちらも青になっていれば良いのに、なぜか往路だけ青で、対向のほうが赤になっているというような仕組みを作っているところが結構多い。つまり、同一方向が青になっているという順番は、対向方路→横方向の往路→横方向の復路のあとに巡ってくるという4回に1度しか廻ってこないという変な仕組みになっているのが多い。だから、一度赤信号に捕まってしまうと、次の番まですごーく待たされるというオチに出くわすのだ。これによって2つの弊害が生まれている。1つは、青になっているうちにどうしても行こうと強引に突っ込んでくる車が多いということ、もう1つは、待ち時間が長くなるので、車の排気ガスが交差点付近はすごーく濃度が高くなってしまって空気汚染になっているということ。バンコクの交通量が多い交差点で、このような意味不明な施策をしているのは、日本と同じように左側通行している車が右へ曲がる際に、対向してくる車の流れが収まらないと右折することができないのだが、その対向の流れを一切止めてしまえば、右折のために一旦停止をしてしまうこともないから、後ろに車が渋滞することが無いというのが理由なんだろう。だが、淡々と信号を頻繁に変えればいいわけだし、両対向が同時に青になっていたほうが断然良いとおもうのだがとおもう。一度赤信号に捕まってしまったら10分は次の青になるまで待たないといけないというオチは、本当ににイライラしてくる。

繁華街は交通量が多くなるので、そんなところを通ろうとするタクシーはダメ。裏道をいかに知っていて、交通渋滞になる時間帯にはどこを通れば希望のところにすんなりいけるのかというのを知っている運転手ほど優秀であると思う。が、これもバンコクではどこまで有効なのかは疑問だ。なぜなら、優秀なタクシーは結構たくさんいるのだが、みんなおんなじことを考えることは同じようで、裏道だから空いているとおもったら大間違いで、裏道は道が狭いからなおさら対面通行をするのが一苦労する場所である。おまけに四輪車だけじゃなく、道路のゴキブリのバイクやスクーターも走ってくるから、もうひっちゃかめっちゃかになっているのだ。だが、信号で長時間待たされるという状態よりは、ちょっとは先に進んでいる感がある裏道通行のほうが良いようだ。

マンゴーツリー(Bangkok)

 
シーロム界隈で日本人にももちろん人気だが、西洋人にも人気であり、傍にあるパッポン通りのような喧騒からちょっと離れたところにある人気の店が、マンゴーツリー。地元のタイ人が来る店というよりも、外国人がたくさん来ている店で、清潔感があり料理が美味いからというのが人気の理由らしい。店内は屋外と屋内の2面性があるので、お好みに合わせて選べばいいのだが、あんなクソ暑いところなのに、屋外のほうを選んで食べようとする人たちの神経がよくわからない。北欧の人たちは太陽の光をたくさん浴びたいがために屋外のほうを極力選びたいという人は多いのだが、それに釣られてか、カフェでも道路に面したところのほうを選びたがるひとが多いのと同じで、ここでもなぜか屋内よりも屋外のほうが混雑しているという不可思議な現象に出くわした。
お店自体は表通りに面しているわけじゃなく、ちょっと裏に入ったところにあるために、イマイチ地図を片手に行かないと行きにくい場所にある。それは仕方ないのだが、ちょっと暗めの裏道を歩いていくと、突然明るい場所が見えてくるので、それがマンゴー・ツリーである。この店、実は東京駅や新宿にも支店があり、その本店がこの店であるから、なんか名前を聞いたことがあるなーとおもったら、それはこのことである。

大人気の店なので、できれば事前に予約をしたほうが良いのだが、予約無しでも早い時間帯なら比較的待たずには入れることができるようだ。自分たちもそれを見越して19時ごろには店内に行くことにした。入口のところで「予約は?」と聞かれたので、当然「なしっ(きっぱり)」と答えると、あっそうという顔をしながら店内のほうに案内された。このとき、案内をしてくれたのが、いわゆるオカマ。それもすごいオカマ。腰をくねくねしながら、マンガの登場人物みたいな格好と顔をして、しぐさも完璧にオカマ。新宿二丁目あたりにいる汚いオカマと同じ系統である。でも、ここではオカマでも普通のレストランで店員として雇われる権利はあるというのがタイの方式なので、いきなり店員がここまですごいオカマだったとしても、びっくりしてはいけないのである。たぶん「人権侵害だ」と意味不明にPTAのババァなみに怒ってくるひとがいるかもしれない。

マンゴーツリーの料理は辛い・甘い・酸っぱいのタイ料理をそのまま体言化したようなものなので、タイ料理を全く知らない初心者にとっては、教科書的な場所だと思う。メニュを見ると、タイ語、日本語、英語標記のメニュが書かれているのだが、ここで書かれている日本語のメニュ名は単純にタイ語を日本語読みにしただけであり、それが揚げているのか似ているのか、肉なのか野菜なのか、ちっともわからない。そういうときには英語標記で中身を見るしかない。誰か日本語のメニュとしてもっとまともな書き方をするように申告してくれるひと、または翻訳してくれるひとがいないのだろうか?タイなんてたくさん人が来ているわけだし、日本人観光客もたくさんいるんだろうから、やればもっと客は来ると思うんだけどなと思う。

だから、なかなかメニュを見ても何を頼んで良いのかわからないので、本当に困った。そこでガイドやウェブサイトから事前に調べていたメニュを頼んでみることにした。頼んだのは次の通りである。

・トム・ヤム・クン・スープ
・蝦のタマリンドソース炒め
・鶏肉のそぼろ風香草炒め
・川魚の白身甘み餡かけ

トム・ヤム・クンスープは辛さ中くらいにしてもらったのだが、意外にそれほど辛いというわけじゃなく、むしろ酸っぱいという感じだった。それにトム・ヤム・クンをあまりよく知らなかった両親にとっては、これが世界三大スープの1つとして謳われている料理かということで咽ながら食べていたのは印象的。それでも美味い美味いと言いながら食べていたので、結構気に入っていたのだろうと思う。

エビのタマリンドソース炒めだが、こちらは皮を剥いだナスと一緒に炒めたもので、辛さとしてはそこそこである。ナスの甘さがあるからあんまり辛いと思わなかったのだろうと思うが、見た目よりは少しからい。

鶏肉をそぼろ風になっているのが意外に辛い。見た目はまったく赤みがなさそうなのだが、これは実は刻んだ唐辛子を混ぜているために、小さいながらもパラフルな主張をしている唐辛子が口に入った途端に、ハァハァしてしまうのは仕方ない。そういうときには、ビールかアイスティなんかで流し込むしかないだろうが、そうなると、今度は水分だけでお腹がポンポンになると思う。

白身魚の辛味餡かけについては、これがめちゃくちゃ辛い。白身の味が全くわからなくなるくらい辛い。どんだけの香辛料を使えばこれだけ辛くなるんじゃ?というくらい辛い。しかし美味いとおもってしまうのが気になる。

御飯を食べ始めると、表のほうから音楽が聞こえてきた。どうやらこれはお店の中から聞こえてくるようで、屋外で食べているひとにはもっとよく聞こえるのだとおもうが、食事を楽しんでもらおうとするためのBGM代わりに、タイの民族楽器を使ってタイ独特の音楽を演奏しているのである。ただ、これは表で聞いていたら、絶対タイの音楽と温度で脳みそがウニになりそうだとおもった。
これだけ全部食べて1400THBだったので、本場価格はすごい安いなと思った。たぶん日本で食べた場合には1万円は絶対超えていたことだろう。場所代や人件費が異様に高いからだ。タイでは多少高いかな?とおもっても、もともとの物価が安いので、安いその辺の屋台なんかで食うのではなく、ちょっと高めの店で御飯をたべたほうが良いと思う。

マンゴー・ツリー(Mango Tree)
URL : http://www.coca.com/mangotree/
Address : 37 Soi Tantawan, Surawongse road
Tel. 0 2236 2820, 0 2236 1681
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タニヤ通りとパッポン通り(Bangkok)

バンコクはバックパッカーの聖地みたいなところに扱われているのだが、なんだか混沌としていて、安い価格で飲み食いができ、そして売春もできるような場所であるため、夜の待ちの代表のところもであるのだろうとおもう。特に西洋人バックパッカーだけじゃなく、日本人のバックパッカーの人たちにとっても、ここに来れば情報と女を仕入れる場所だというので重宝していたのだろうとおもうのだが、それがかの有名なパッポン通り。

パッポン通りに行くには、BTSのサラディーン駅から歩いてすぐのところにある。駅のすぐ傍にあるのがパッポン通りと並んで夜の繁華街とでも言うべき場所がタニヤ通り。別名日本人街と言われるくらい日本人ばかりが多くやってくる場所だし、通りに面した看板を見ると、日本語ばっかりで、まるで歌舞伎町にでもいるかのような場所だ。バンコクの駐在員たちが接待をする場所としてもこの場所はよく使われているようであるが、できればもっとタイに相応しいところで接待をされたいと思う。といっても、屋台じゃイヤだけど。どこを見ても日本語の看板なので、日本語がここでは公用語のようになっているのが面白い。だから、バンコクにいるのに、あちこちから騒ぎ声で日本語が聞こえてきたのは笑えた。

パッポン通りは昼間は車が通れる普通の横道なのに、夜になったら、どこからとも泣く現れてきた移動式屋台が溢れてきて、それに釣られて人がわんさか溢れてくるところだ。ちょうど昔の士林夜市の通りと同じである。士林夜市のとおりは、1日中人が混んでいるのだが、ここは夜だけ混んでいる。たけどこのパッポン通り、名前がパッポンと変てこりんな名前が付いているのだが、これは人の名前。タイが今みたいに繁栄する前、タイ王室は街を整備したひとに、褒美としてその開墾した場所を与え、そして自分の名前をつけても良いということにしていた。葦だらけで運河だらけの街を政府主導だけでは開墾は無理だと考えていて、金がある人が自由に開墾してくれればそれで国は繁栄するだろうと考えたのだろう。そこに目をつけたのがパッポン一族。建設に必要なセメント工場を作って、それを建設会社に売ったことで一躍金持ちに成り上がった一族である。そのパッポン一族が作ったエリアだからなのだが、土地の発展が私有地として発展していったようなものなので、いまでは公道のような扱いになっているこの通りも、実は私有道路だからという理由から、夜だけは自由に商売をしてもいいような通りになったらしい。所によれば歴史ありだ。

このエリアは歓楽街であり繁華街ではあるのだが、バックパッカーのような人種がここに集まって、人間として堕落していく場所の最終地であったりするようだ。本国ではできないようなことをタイに行けばなんでもできるという、意味不明な妄想をもってやってくるような都会人たちや西洋人、そして日本人は結構イッパイいるんだろうが、タイだって1つの立派な国であり、そこに住んでいる人たちは精一杯生活しているわけだ。生活するために詐欺や盗みや売春をしてまで金を作ろうとしているのだろうが、それを下劣な人たちがやっていると勝手に決め付けて、金さえあればここでは許されると思い、自分たちの快楽のためにタイの現地の人を性奴隷化していったり、現地妻化させているのは多いのではないだろうか?タイは何でも受け入れてくれる場所であり、優しい国だから、これらの行為に対して文句を言わない。嫌なことだとわかっていても生活向上ができるのであればそれも仕方ないと思っているところは多いのだろう。しかし、金がある旅行者ばかりがここには来るとは限らない。金に困って、同じ外国人同胞から盗むをしたり騙すやつらもここには集まってくる。金持ってくる無知な外人を引っ掛けるのは簡単なことだ。そんな犯罪的な行為を自らやっている分にはまだいいが、麻薬に手を染めたり、もう本国に戻れる金が無いから、乞食でもやっているしかないというような外国人観光客もたまにはいる。自分たちもスカイトレインの駅に戻る途中の道端で、行き場所を失って、中身が入っていない鞄だけを抱えて、路上で寝ている西洋人を見かけた。きっとパッポン通りあたりにきて遊んでいたら、騙されて身包みはがされて棄てられたんだろうと思う。騙されるほうがここでは悪い。

タニヤ通りとパッポン通りは、タイの夜の顔が一番面白いところなので、行くならば昼間ではなく夕方以降に行くべきである。タイヤクザがどこまで絡んでいるのかしらないが、おそらくこの2つの通りで挟まれた地域は、マフィアが取り仕切っているところなんだろうが、そこにパッポン一族がどう絡んでいるのかが不明である。こういうのは夜の社会に詳しいひとたちがどこかで述べているとおもうので、そちらを参考にしたほうが良いのではないだろうか?

ジム・トンプソンの家博物館(Bangkok)

東南アジアでシルクといえばジムトンプソンというのがどこでも見かけるのだが、その起こりはこのタイのシルクからである。最初、ジム・トンプソンの名前を知ったのはシンガポールに初めて行ったときだったので、てっきりジム・トンプソンはシンガポールに住んでいたイギリス人かと思っていた。なにしろ、名前が西洋名であったからがその理由なのだが、あとからそれは大嘘だったということが分かったし、なんにもないシンガポールが観光客を集めるために、他国で流行っているものをすべて自分のもののように振舞うという宣伝に大いに踊らされた形になる。そのあと、マレーシアにいったときに、ジム・トンプソンがクアラルンプールの郊外にあるキャメロン・ハイランドで失踪するという事件が起こったという史実を知って、もしかして、ジム・トンプソンはマレーシアを活動拠点にしていたのかな?とまたしても間違った想像をしてしまった。キャメロン・ハイランドは標高の高いリゾート地であり、暑いマレーシアでは金持ちが避暑のために別荘を持っている場所でもあるため、マレーシアに活動拠点の中心地を持っていたのであれば、こういうところに別荘地を持っていてもおかしくないだろうという短絡的な考えで思ったことと、シンガポールはもともとマレー連邦の1州であったが、中華系の住民が多いために邪魔だからとマレー連邦から追い出されたという歴史があり、ジム・トンプソンが活動した時期というのはまだシンガポールもマレー連邦だったから、本当のところはマレーシアにいたんだろうとおもったのが理由である。でも、ここでどうして考えなかったのかと思う点が1点ある。それは、マレーシアやシンガポールってシルクをもともと生産していたのか?ということである。シルクは蚕がないと育たない。蚕は暑い地域では育たない。赤道直下のようなところでシルクが生産されることは無いのである。
じゃぁ、なんでジム・トンプソンがタイでシルクを生産・販売し、シルク王になったかというと、この男、もともとは第二次世界大戦中は、CIAの前身であるOSS(Office of Strategic Services:戦略事務局)の情報将校としてタイに勤務していた。大戦後もバンコクで働いていたのだが、アメリカに戻って退役したあともタイのことが忘れずに、すべてを棄ててタイに戻ってきてタイシルクに魅了されたというのが事実のようだ。

バンコクに行ったら絶対行って欲しいのが、「ジム・トンプソンの家博物館」である。BTSのシーロム線で終点の国立競技場(National Stadium)駅まで行き、そこからラーマ1世通りの横道にあたるSoi Kasem San2のドン詰まりまでいくとこの博物館はある。しかし、博物館の前には怪しいひとが結構たむろっている。「今日は博物館は休みだよー」というウソ情報を流しているやつがいて、しつが自分の関係している意味不明なツアーに強引に連れて行こうとするのだが、そんなのは大いに無視して結構である。その前に、駅からこの博物館へ続く道が、本当に汚くて、本当にこんなところに博物館があるのだろうか?と勘ぐってしまう。

さて、入口を通り抜けると、いきなりここはジャングルか?というような鬱蒼とした木々と整理された庭が見えてくる。ここから博物館の本当の入口は実はもっと奥にあるので歩かないといけない。その前に左手に、帰りにでも寄れば良いのだが、ジム・トンプソンの商品を売っている店がある。それを博物館訪問する前に買い物するのもいいのだが、荷物入れなんかは無いので、あとで買うべきだろう。
入場料を払うと、「何語?」と聞かれる。その理由は、この博物館は自由勝手に動き回る形式ではなく、ガイドの説明付きで廻ることになるのだ。自由気ままがいいというような観光客にとっては鬱陶しいこの上ないのだが、そういうシステムになっているのであれば従う必要がある。ある程度人数が集まったらその言語を話すガイドが館内を案内するようなシステムになっているようで、日本人観光客は結構くるためか、頻繁に日本語ガイドによる案内は行っているようだ。時間指定の案内があるまでは、庭園を見て廻ることができるが、建物の中には入ることができない。このジャングルのような庭園のなかにいると、外はめちゃくちゃ暑いのに、この庭園のなかだけは涼しく感じることができる。すぐ隣りに運河が流れているので、この運河の汚い水が臭いから匂いはあんまりよろしくない。これさえ我慢すれば結構楽しめるだろう。

庭園はガイドによる説明のときにも通るのだが、その前に全部がチーク材で作られた建物を眺めるとともに、あちこちに無造作に置かれている陶器やタイ工芸品を観るのも良いだろうと思う。チーク材で作られた建物だが、これは日本の寺と同じように1本も釘を使っているわけじゃない。そして、建物としては現代的な部品は一切使われていないため、窓もサッシは無いので、いかにも昔ながらのタイの建物をそのまま忠実に表現した形になっているので、タイの建築文化を知るという意味でも是非見るべき場所なんだろうと思う。

館内は土足厳禁。土足文化の西洋人にとっては「なんで靴を脱がないとダメなの?」と思う人が多いようだ。そして、大抵の西洋人は靴ではなくサンダルで歩いているので、だいたいが足が汚い。毎日掃除や床を磨いているスタッフの人たちは、ほとんど裸足も同然で訪問する西洋人の汚さに閉口しているんだろうが、金のためなら黙っているのだろう。そして、館内は一切の写真撮影とビデオ撮影は禁止である。もし、その行為を見つかった場合にはカメラ没収であるから注意。最初からダメだといっているのを、ルール違反をして使用したほうが悪いのである。当然の罰だ。それは表向きのことだが、実際には説明をよく聞いて欲しいという思いがあるようだ。なにしろ、ジム・トンプソンの家のなかにはいると、本当に見どころはたくさんあるし、時間がいくらあっても足らないくらいだし、どれを見てもその物品の歴史や文化について長い説明が補足として存在するからである。

ジムトンプソンはタイの文化を非常に敬愛していたようで、タイ中に散らばっている歴史的価値のあるものをたくさん採集していた。タイ人がほとんど無関心であった歴史的な価値のものを外国人が価値あるものだと評価するのは、日本の浮世絵版画と全く同じだと思う。過去のものはゴミとしてしか思っていなかったものが、実は価値があるものだと認識されたときに、元々は自分たちのものだと後出しじゃんけんのように主張するのはどこの国でも同じような無理な主張ではあるが、ジム・トンプソンの収集に対しても、タイ政府はかなりイライラしていたようである。目利きとしてのジム・トンプソンが素晴らしい能力を持っていたということもあるのだが、元諜報活動員であるために、物に対する価値というのを文化的・歴史的側面から分析して、どこにそれが存在しているのか、それが本物かという情報を仕入れていたからこそ集められたのだと思う。だから、このジム・トンプソンが集めて部屋の中に飾っていたものはすべてが価値あるものであるといえよう。

面白いことに、この博物館での彼の生活は、西洋式をそのまま貫いた。建物はタイ式、陶器は中国からの輸入の品を利用という、三様の洋式を混在して生活していたというのは、なかなかできるものではない。もって生まれたアメリカナイズされた生活を変えるのは、海外に長く生活していたとしても簡単には変えられるものではなかったようだ。

ジム・トンプソンの家
The Jim Thompson House
URL : http://www.jimthompsonhouse.com/
Open : 9:00 - 16:30
Admission Fare : 100THB