2012/06/09

ワット・プラケオ(Bangkok)

王宮が存在する敷地内にある寺院「ワット・プラケオ(Wat Phra Kaeo)」はバンコクへ観光旅行をする人だったら絶対いくところのひとつだろうとおもう。バンコクリピーターのひとだったら、もう行かない場所であるのは言うまでもない。なぜなら、この寺院を見学するには1人350THBがかかるからだ。もちろんこれは外国人価格であるのは言うまでもないが、タイ人だった場合にはもっと安いので、タイ人かタイ人じゃないのかはどこで区別するのかというのは非常に興味がある。1回に350THB払うということは、バンコクで安く仕上げたいと思っている人たちにとっては、金ばかりかかって一度観れば飽きるという場所に映るのだろう。
さて、このワット・プラケオは大変混雑するところであるのは知っていたので、朝早い時間から行こうと思っていた。前日は早めに就寝についたので、多少早く起きても良いだろう。ワット・プラケオのあたりはスカイトレインでいければ本当はとても便利だろうが、残念ながらスクンビット通りからは国立競技場までしか続いておらず、そこからワット・プラケオまではまだまだ遠い。だから、ホテルから目的地までタクシーで移動することにした。バンコクを実質初日みたいなものだから、王宮のあたりまで行く間にどういうところを道は通るのかというのを知る上でも、タクシーで移動するのはバンコク市内を知るという意味で有益だと考えたからだ。やっぱり王宮あたりにいくのも100THBも掛からなかったので、とても便利な乗り物だというのは感じたし、王宮に近づけば近づくほど、同じように観光でくるような人を乗せたバスやタクシーや自家用車が結構たくさん見受けられた。

ワットプラケオの入口は実は1つ。出口はたくさんある。なので、迷うことはないのだが、ここで事件が起きた。タクシーを降りようとしたときに、道路沿いに何人かの人が到着するタクシーに向かって、「ここで降りなさい」という指示をする。決して警官や警備員ではない。そして「いまはお祈りの時間だから外国人はあっちの入口に行きなさい」と言われる。ここで気づけばよかったのだが、バンコク初日にいきなりこんな騙されるようなことに出くわすなんていう心積もりが無かったので、「本当にお祈りなのかな」とは思いつつも言われるとおりに、すこし戻る形で別の門のほうに道路を歩いていく。その門のところに行くと、別の人が「12時まで入れないから、その間別のことをしていなさい。オススメはボートツアーだよ」という。そんなもの全く興味が無かったので、「興味ない」と突っぱねる。その男はボートツアーの勧誘の男だり、ボートツアーの良いことばかりをいうのだが、彼は間違いを1つ犯した。なにしろ、1人900THBだというのである。これが90THBくらいだったら騙されていただろうが、900THBなんていう法外な値段を言ってきたので、ますます乗る気なんかなるわけがなく「まーったく興味が無い100THBだったら考えなくてもない」と交渉する。この時点で乗る気はないという意思を別の言葉で言っているはずなのだが、その勧誘のひとは諦めない。2時間の遊覧だから900THBだとか、100THBだったら俺たち首を括って死んじゃうよーっと、大げさなアピールをする。首を括って死ぬところを観たいなーと馬鹿にして言うと、「勝手にしろ」とそこで自分たちから離れた。両親とも、自分がその勧誘のおっさんのやりとりをじっと見ていて、おもしろい漫才を見ていたような感想を言っていたし、他人事のように振舞っていたのには参った。

さて、そのおっさんとの無駄なやりとりをしたあと、元の通りに正規の入口のほうに向かう。もちろん、正規の入口なのでここで「立ち入り禁止」と言われるわけがない。だいたい、「お祈りの時間だから入館してはいけない」というルールは全くない。門が開いている間は誰も入館可能だ。門のところに門番がいるのに、この門番が全く役立たずで、観光客相手に騙そうとするやつらの取締りをしないことが一番の原因だと思うが、やつらもきっと賄賂を貰っているのだろう。

入口の門を潜ると、中は広大な芝生のある広場みたいな状態になっており、寺だからということなのか、オレンジ色の袈裟をきた僧侶がたくさん境内の中を歩いていた。おそらくタイの僧侶も観光旅行でやってきているのであり、その様子を別の観光客が見ているという形なのだろうと思う。坊さんたちもやっぱり観光旅行はしたいのだ。

入場料金を支払って、そのまま入館方向に向かって歩いていく。その入口でいま購入したチケットを確認することになるのだが、手荷物は手荷物検査機にかけられて軽いチェックを受けるが、これ、ほとんどチェックになっていないんじゃないのか?という感じはする。だって、誰も引っ掛かっているひとを見かけないから。しかし、ここが一番混むゾーン。なぜなら、この入口を入ってすぐのところで、いきなり目の前にババーンと溜息が出るような建物が見えるわけで、入口の係員が「そんなところで止まらないで進んでー!」と言われても、目の前に出てきた建物の写真を撮りたくなるのではありませんか!もっと言うと、目の前には寺、後ろを向くと壁には壮大な絵画が描かれていて、それも観たいとおもうとなると、入口のところで必然的に立ち止まってしまいたくなる。

入口に入った途端に、いきなりタイ文化の洗礼を受けたという衝撃は忘れられない。目の前の建物もすごいし、後ろの絵画もすごいし、ちょっと左をみると、金ぴかの建物が出てくるわで、もうすべてを見ているだけで、うわーっ、うわーっと口を開けて見入ってしまうのは、現地に行ってもらわないとたぶん分からないだろう。とにかく、敷地内はみるところが豊富すぎて、これだけでも半日はここに居ても全く飽きないだろうというのが、ワット・プラケオ。おそらく、こんな寺をあっさり30分くらいで観て廻るひとは、全く何しにタイに来たのか分からず、どちらかというと夜の世界しか期待していないという人たちなんだろうと思う。

まずは、圧巻なのは全体が金ぴかになっている仏舎利、プラ・シー・ラタナー・チェーディー(Phra Sri Ratana Chedi)だろう。よくもここまで金ぴかにしたなーということに驚きがあるし、19世紀末にラーマ4世の命によって建てられたとはいえ、よくもここまで手入れがされていることにも驚きだ。バンコク市内は最近綺麗な街並みになってきたとは思うが、まだまだ裏路地に入ると汚らしい。そういう街の中に、王宮の傍だからという理由で、これまで立派な建物が建てられていることに対するギャップには驚きだ。中にはいることはできないが、ここはあくまでも仏舎利。つまり、仏陀の遺骨の一部がここに納められているということになっているのだが、遺骨のなにが入っているのかは不明。まぁ、キリスト教会における遺骨や髪の毛の一部と称しているのが飾っているのと実は同じようなものだ。それにしても、遠目にみたら金箔が貼られているように見えるこの建物は、実は細かい金のタイルの集合体として作られている。したがって、メンテナンスとしても、タイルを修復すればいいので、保守運用の面からみてもよく考えられていると思われる。
隣りにあるのは、仏教経典を納めているというプラ・モンドップ。こちらは建築的には絶対注目するべきものだ。すべての壁はとても細かい彫刻で覆われており、それは彫刻だけではなく、メッキを施しているからだ。基本と成っている材質は大理石。それを金や緑や赤といった色使いで神聖たる風格を醸し出しているというものだから、観ているだけで圧倒される。建物だけじゃなく、建物を囲んでいる像についても注目をしてもらいたい。日本ではあまり見られないようなインドのヒンズー教の影響をそのまま持ってきている仏教の像が結構たくさんある。特にあちこちに見られる半人半鳥のキンナラには注目。これは仏教の像ではなく完全にヒンズー教の神。演芸の神様あり、インドの叙事詩「ラーマーヤナ」の中にも出てくる。これも細部にわたるところまで、結構細かく整備されているし、金色に光っているところが素晴らしい。絵になるし、ほかにいろいろ像があるのは、ここは王室にとってとても重要な場所だからだ。各種の像で警護することで、この中に納められている経典を守るということになっているのである。だから、いまでも誰も入ることができない建物の1つである。

建物の前に仏塔が2基立っているのだが、これもまさしく金ぴか。プラ・スワンナ・チェーディーと呼ばれるものだが、ラーマ1世が両親に捧げるために作られたもの。この仏塔は悪魔と猿神が交互の並んで仏塔を支えているような格好になっているのだが、この仏塔の前で写真をとるときには、被写体になるひとの多くは、この神々のように手を左右に開いて、ガニマタに脚を開いて立つというのがお決まりのポーズとなっているようだ。

さて、本堂だが、ここは敷地内で一番大きな場所になっており、王室専用の御堂になっているのだが、観光客も当然中に入ることができる。この建物を見ていると、タイの国旗のカラーを思い出してしまうのだが、それだけ屋根のカラーリングには特徴があり、さらに四重層のつくりというのは、タイ独特の建物の建て方であるが、それを凝縮したのがこの建物だということが言えるのではないか。建物には、通称「エメラルド仏」と呼ばれるものが祀っており、これはタイだけではなく隣国ラオスからも重要視されている。というのも、もともとラオスと戦争をしたときに、ラーマ1世戦利品としてタイに持って帰ってきちゃったから、ラオスとしては「もともとワシのところにあるものだ」と思っているからというのが理由。しかし、本堂に入ると、このエメラルド仏は、とても暗いところに仏だけライトアップされているような状態になっているので、あまりよくわからない。写真で撮ろうとしても結構撮るのが難しくて大変。

さらにどんどん敷地内を歩いていくと、今度は王室の居室がある建物にやってくる。しかし、これはボロマビアン宮殿。マラカニアン宮殿みたいな名前だが、歴タイの国王が居を構えているのは確かだが、鉄柵で囲われているので、敷地内に入り込むことさえできない。そして、鉄柵のまえには衛兵がボーっと立っているのだが、台湾の忠烈祠にいる警備兵を見習って欲しいと思う感じだ。が、白い帽子に白い警備服というのは、シンガポールあたりでも見られる格好なので、なんだか特徴の無い服装だなーという気がした。もっとタイ独特の服装で守っているのかなと思っていたので、なんとなくショック。
タイ風の建物の中で1つだけ西洋風になっている建物があるが、これが海外大好きのラーマ5世が建てさせた宮殿チャクリー・マハー・プラサート宮殿。中に入れるのかなーとおもっていたら全く入口が閉じされているし、警備兵がつまんなさそうに立っているし、ここは写真撮影だけ。海外風の建物と見えるのは、当時の国王が洋式趣味だったからということもある。これはベトナムや日本でも同じで、19世紀終わりくらいに西洋諸国が植民地としてアジアにやってくるとき、西洋文化も一緒に持ってきたということが、当時の東洋では衝撃だったことなのだろうとおもう。西洋のものはすべて素晴らしいという中華文化からの脱却が始まったことが、西洋文化傾倒への動きになったのではないだろうか?

他にも敷地内にはいろいろな見所の建物があるのだが、とても広すぎるし、外は蒸し暑いし、途中で絶対にイヤになると思う。ワット・プラケオに入る前にはミネラルウォーターを買って持ち込むのが大前提ではあるのだが、それも途中で無くなっちゃうので、王室居住棟のあるあたりから出店があるので、そこで水分補給するのも良いだろう。また、ちょっとしたカフェみたいなのも存在するので、そこで休憩するのも良いだろう。ずっと外にいるようだと、きっと脳みそがボーっとしてくるだろうし、座る場所もないから疲れることだろう。

さて、バンコクに行ったらもう1度ここに来るかというと、どうなのかなー。1度来たらもう二度と行く必要は無いかなとおもう。というのも、人が混みすぎる。一番の見所の場所だからということもあるのだろう。どこに行ってもたくさん人がいるので、それだけで疲れる。そして、本堂等に入るときには下足をしないといけないのだが、これがいちいち面倒くさい。草履みたいなので歩くようなバックパッカーであれば、靴を脱いでも、汚い場所を裸足で歩くのは全く気にしないだろうが、一般的な観光客としては、靴下+靴であるため、靴下であるくと、それだけで足の裏が真っ黒になるのがイヤだ。日本の寺のように、完璧に靴で歩いてよい場所と、靴を脱がないと歩けない場所を分けているのであれば気にしないが、なにしろ適当にその辺で靴は脱いでというようなやりかたをしているので、土足のまま歩いているひとたちの上を靴下または裸足で歩くのはイヤである。なぜなら、う○こでも踏んだかもしれないような土足の上なんか歩きたくないからだ。

ワット・プラケオ (Wat Phra Kaew)
Open : 08:30 - 15:30
Fare : 400THB

0 件のコメント: