
「シンガポールのオリンピックでの最高の成績は、1960年のタン・ホウ・リンによる重量挙げの銀メダルです。」
この記事を見て思ったのは、意外にも、かつてシンガポール人でも、オリンピックでメダルを獲った人がいるんだーということ。全世界から選手が集まってくるオリンピックは、多種多様な競技が開催されるので、国家の威勢を海外にアピールする手段として、かつてはメダリストをたくさん輩出しようと、各国はがんばったものである。特に共産圏においては、共産主義の偉大さを資本主義国家と世界へアピールするために、これらの主義に属する国はとても強かったものだ。別の観点から言うと、オリンピック選手を育てるのには、選手育成のために金がかかる。だから、貧乏国出身者は、なかなかオリンピックでは勝てない。体を使う単純な競技(マラソン、走る、跳ぶ)のような競技では、アフリカの国家から金メダルを輩出しているが、それ以外の高度な技術を使う競技でなかなかこれらの国が勝てた過去が無い。
シンガポールはどうなのかというと、決して貧乏な国ではない。ただ、国として小さいし、多民族国家であるため、あまり国家としての纏まりが無いというのが事実だろう。スポーツは元来人気があり、イギリス連邦国家に属していたために、その影響でラグビーやバレーボールは今でも盛んなところだ。ところが、やっぱりオリンピックでは、先のとおりに大昔に銀メダルを獲ったのが最高記録である。
銀メダルを獲った「タン・ホウ・リン」という人のことを調べてみた。
漢字で書くと「陳浩亮」。福建語読みのために、先のカタカナ表記になるようだ。英語で書くと、「Tan Howe Liang」。重量挙げの選手として活躍し、オリンピックを挟む大会の成績は次の通り。
1958年 第3回アジア大会(東京) 金メダル
1958年 第6回イギリス連邦大会(Cardiff)ライトウェイト級金メダル
1960年, ローマ・オリンピック大会 ライトウェイト級 銀メダル
1962年 第7回イギリス連邦大会(Perth)ミドルウェイト級 金メダル
なかなか、好成績な選手だったようである。詳しくは下記のサイトでこの選手の話題が乗っているので、そちらを参照されたし。
http://www.ssc.gov.sg/museum/ssm_heros_profile.jsp?type=6&artid=194&root=28&cat=29
1970年代以降、著しい経済成長を遂げているが、その背景に徹底した英才教育だ。資源の乏しいシンガポールが、貿易や工業で世界経済に進出するためには小学生の頃から学力別に振り分けて教育し、エリートを大量に送り出すことが必要とされた。ちなみに、将来を占う共通試験は、小学校4年終了後に、全国統一テストが行われ、彼らのその後の人生がここで決まる。フランスの教育方式と似ているが、成績の悪い人が決して政府機関に属することはまず無い。ダメな人は、金を稼ぐという方向に、全人生をまい進するのである。ところが経済成長が足踏み状態になって失業率が上がり、国民の政治不信が高まってくると、シンガポール政府は危機感を抱き、打開策を模索した。その手段の1つがスポーツである。これまでオリンピックで一度も金メダルを獲得したことのない国からメダリストを輩出することで今一度、国民の一致団結を図ることにしたのである。「自治・青年・スポーツ省」という新しい行政機関を設置して「スポーティング・シンガポール」というスローガンを掲げ、「シンガポール・スポーツ学校」を開校。全寮制の中高一貫校で、ここの学校に通う生徒は週末だけ家に帰ることができる。スポーツ以外の授業ももちろんあり、それぞれに高い水準が求められるす。成長期の子どもの運動能力を最大限に引き出すことを目的に、海外から種目ごとにコーチを招聘し、科学的トレーニングを導入しているし、トレーニングのみならず、成長期に必要な栄養の摂取も、栄養士の食事管理によって徹底さる。徹底的な英才教育を受けさせることで、将来はシンガポールからもメダリストが出てくるだろう。


店の中は少し暗めの電飾を演出している店になっていて、壁にはよくありがちな日本酒の空き瓶を並べている。どうして、この手の店は、壁に意味不明にも日本酒やら焼酎の空き瓶を並べているのだろう?いかにも「酒の店」というのを演出しているのだろうか?あれは品が無いとおもうので、止めた方がいいと思う。
まず、飲み物として運ばれてきた酒だが、日本酒を升にでも注いでくるのかと思ったら、なんとカップ酒の形式で運んできた。カップ酒といえば、なぜか常磐線の酔っ払い電車を思い出してしまう。それも「ワンカップ大関」(笑)味はともかく、なんだか貧乏人が味は気にしないでなんとか酔っ払いたいというような人が飲んでいる酒というイメージがある。ワンカップ酒が全部そういう酒ではないとおもわれるが、どうしてもワンカップ酒のイメージが「大関」から抜けてくれない。そんなものを提供する店にがっくりだ。
名古屋といえば、まず思い出すのが「味噌カツ」。そんな短絡的な理由からか、いきなり味噌カツを頼んでしまった。カツを味噌で食べる文化が東京には無いため、これはかなり衝撃的だった。カツはやっぱりソースで食べるのが美味いと思っていたのだが、味噌で食べるというのも斬新的で新鮮だ。
続いて注文をしたのが、これもまた名古屋名物の「天むす」。実は生まれてこのかた、天むすなるものが、どんなものか見たこともなかった。ただ、名古屋の天むすは有名だということしか知らなかったのである。名古屋自体にこれまで用が無かったから、それで知らなかったのだと言ってしまえば、それまでかもしれない。どういうのが来るのかなーとおもっていたら、単に天麩羅がおむすびに巻かれているだけじゃん!なるほど。天むすの「天」とは「天麩羅」の天だったのか・・。今日初めて知った自分はかなり間抜けだろうか?!
続いて、名古屋の名産である「名古屋コーチン」を使った鶏肉料理を頼む。鶏の名産地として、庄内鶏、薩摩鶏と他にあるのだが、名古屋の名古屋コーチンも名産鶏としては有名だ。ブロイラーっぽいわけじゃなく、臭みが無いので、これは結構好きな味だった。
これは名物に入るのか知らないのだが、メニュを見ると「味噌おでん」というのがあったので、頼んでみる。具材として頼んだのは、大根と卵。大根は、昆布だしに浸されている大根が個人的には大好きであるが、味噌味の大根とは一体どういう味なのだろう?赤味噌で味付された大根は、やっぱり甘味があって、少し「子どもっぽい」感じがする。酒の摘みには東京の人間としては合わないなとおもった。小さい頃から、「これぞ、おでんである」とDNAの中に染み込んでいるのであれば、抵抗感は無かっただろう。
味噌味の鍋焼き饂飩も名古屋の名物なのか知らないが、それも注文してみた。しかし、しかし、これが超不味い。饂飩が、「いま入れました」というくらい、ほとんど粉っぽい。芯が少し残っているというのは素麺やスパゲッティではOKとされているが、饂飩類でそれをされると、げんなりくる。特に讃岐うどんを好物としている人間にとって、この手の麺類には厳しく評価したい。「もっと調理の勉強をしてから店を出せ」と言いたくなる。この店では、饂飩類を絶対注文してはいけない。みなさんに警告である。 
なんだよー、「抹茶烏龍」って!!「バナナ豆乳」も、おゑ~である。
安倍川餅がこれだけ長い間人気があるのは、おそらくその単純な味だからだろうと思う。日本の「餅」の代表的な味付である、「黄な粉」と「餡子」だからだろう。それが一口サイズで1人分として入っているところに、その食べやすさと愛着感を継続的に持たせる魅力があるのだろうと思う。