ルジャ広場のど真ん中には、このドブロブニクの守り神である聖ヴラホを祀っている聖ヴラホ教会(Crkva sv. Vlaha)が堂々たる姿で建っている。この建物だけがなんとなく他の建物に比べると違う雰囲気の建物だなという感じがするが、それもそのはず、大半の建物が15-6世紀に建てられたものなのに、この建物は大地震でぶっ壊れたことにより18世紀に建て替えられたからであって、当時としてはバロック式が主流であったため、ドブロブニクがオーストリア・ハプスブルグ帝国の領土になった影響もあって、ウィーン様式と同じような建物がここにできてしまったというのが、その違和感の結果なのだろう。
そもそも聖ヴラホって誰よ?英語では、St. Braise(ブレーズ)、ギリシャ語だとブラシウスで、日本だとブラシウスのほうが一般的。現トルコ領のスィヴァス(Sivas)にいたアルメニアの主教。ローマ帝国によるキリスト教弾圧は、公式には313年のミラノ勅令でキリスト教が国教になったことにより殉教者はいなくなったことになっているが、実はローマでこの法律が発布されても、遠いトルコの土地まで即時に法律が適用されたかというと、それはない。1945年の日本が戦争に負けても、まだ遠方では戦争が続いていたのと同じ理論である。聖ヴラホが殉教したのは316年。聖ヴラホは、生前、病気を治すことに優れ、魚の骨を喉に詰まらせて窒息しそうになった子供を救ったという言い伝えがある。なんとなく、間抜けな話でもあるのだが、それを有り難がった当時の人がなにか無理やり伝説的なことをしたことにして伝えたいと考えた功績と考えなくもない。
しかし、なぜ聖ヴラホがドブロブニクの守護聖人になったかというと、ドブロブニクの聖職者の夢の中に聖ヴラホが神のお告げのように現れて、ヴェネチアの襲撃を告げたため、事前にドブロブニクでは軍備を備えることができたことだそうだ。その夢は927年のこと。
また、この教会は必ずといっていいほど市民の結婚式に出会うことができる。やっぱり守護聖人の見守る下で結婚式を挙げたいというのは、ドブロブニクに住んでいるひとにとっては当然思うことなのだろう。これだけ守護聖人の聖ヴラホで見守られていて、聖ヴラホ以外は何も受け付けないというような雰囲気の街では、他の宗教は似合わない。
さて、教会の中に入ってみることにしよう。中はそれほど大きいというわけではない。主祭壇には、大理石でできたすごい綺麗な天子の彫刻があり、その中央に金の聖ヴラホが天使に支えられて立っている。その聖ヴラホだが、ドブロブニクの町の模型を持って立っているところに、この街が聖ヴラホが支えているんだというのを象徴するものだといえよう。ちょうどこのとき、教会はミサが始まる直前だったので、シスターがミサの準備をしているところだった。
聖ヴラホのWikipedia
http://hr.wikipedia.org/wiki/Crkva_sv._Vlaha_u_Dubrovniku
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