ドブロブニクはクロアチアの内戦でことごとく建物が破壊された。それはたったの20年前くらいのことであり、そこから復興して、いまの綺麗な赤レンガの連なる町に戻ったのはとても素晴らしいことなのだが、それは観光地であるがために、観光客がくるようなところだけはいち早く修繕を施したからということでもある。翻ってみれば、あまり観光客が通らず、地元の人しか行かないような外れたところや裏道などに行くと、まだまだ崩れたままの建物の跡や壁や道路というものに出くわすことができる。こういう影の場所を見てこそ、初めてクロアチアの内戦の悲惨さについて知ることができるというものである。聖イグナチオ教会に行ったあと、行きとは違う道を通って聖母被昇天大聖堂のほうにいこうとおもって、裏道をくねくね歩いていると、ちょうどStulina通りという、この辺りの人たちくらいしか使わないような道に出くわしたときに、工事現場かもしくは破壊途中みたいなじょうたいの壁と、壁の向こう側に瓦礫のように石が崩れた状態でちょっとした敷地になっていた場所を見つけた。
入口らしいところの扉は開かなくなっているのだが、その扉の近くに碑のようなものが蚊がげられていた。しかし、クロアチア語で書かれたものなので、なにが描いているのかわからないのだが、クロアチア王のミロスラフ(Stjepan Miroslav)のことが書かれている。このミトスラフ王だが、9世紀から11世紀ごろまでクロアチアを支配したトルビミロヴィッチ家(The Trpimirvic)の一員である。歴代王の中にはクロアチア王(Kralj Hrvatske)と言っていたひとと、クロアチア王兼ダルマチア王(Kralj Hvratske i Dalmacije)と名乗っているひともいるのだが、このミトスラフ王は後者を名乗っていたようだ。この教会らしきところを修復しない理由は何なのだろうか?金が無いからというのも理由だろうが、修復するに値しないと思ったからなのかもしれない。それは地元のドブロブニクの人たちに聞かないとよくわからないところだ。ただし、この教会跡のすぐそばに、道路の壁のなかに埋め込まれたマリア像が正面に見守っている形になっているので、なんだか破壊しか感じないところだったと思ったのだが、ちょっとホッとした。
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