2013/05/11

ポンバル侯爵広場(リスボン)

エドゥアルド7世公園のふもとになるのが、リスボンでは交通の要所になっているポンバル侯爵広場(Praça de Marquês de Pombal)である。ここから真っ直ぐ川に向かって伸びる大きな通りがリベルダーデ通りであり、おそらくリスボン滞在中には地上・地下共に1度は通るのではないだろうかと思う。この広場には、名前に使われているポンバル侯爵の大理石の土台に銅像が建っている。しかし、この広場にわざわざやってくるような観光客はあんまりいないんじゃないのだろうか?ただ、広場に沿うように大きなホテルがいくつか建っているので、観光客にとっては便利な場所になるだろうとは思う。
でも、ポンバル侯爵(Marquês de Pombal)って一体何者?

ポンバル侯爵の本名はセバスティアン・ジョゼ・デ・カルヴァーリョ・イ・メロ(Sebastião José de Carvalho e Melo)。ポンバルというのは人の名前ではなく、侯爵の位をもらったときに領土として割り当てられたときの土地の名前である。しかし、この人はとても有能であるがゆえに、時の王とともに波乱万丈に生きることになる。

下級貴族出身であるために最初は各国の大使を歴任するくらいであったが、やはり優秀な頭脳であるため宰相として登用されることになる。しかし、一番の活躍はリスボン大地震が起こった1755年での地震後の処理の対応だろう。いまの東日本大震災後の一向に進まない災害地に復興のふがいなさをポンバル侯爵が見たら、きっとイライラすることだろうし、ふくいち爆発後に責任転嫁と正しい情報を全く出さない東京電力のめちゃくちゃ対応と、そのとりまきの原子力ムラに群っている頭のおかしいひとたちの対応をみていたら、きっとポンバル侯爵は、おそらくリスボン地震後の対応で文句を言ってきた大貴族たちをバッサバサ処刑にさせるくらい大鉈を振るうことを進言することだろう。

なにしろ、大地震では建物がほとんど崩壊し、死人もたくさん出くわした。下水道施設が完備されていないヨーロッパでは、ペストの大流行が一番問題であるが、これだけ死者がそのまま街の中に放置されたままであれば、ペストの発生の温存であるのは当然であると考えたポンバル侯爵は、沖合いの場所に死者を全部集めさせて、川に埋葬させたことによりペストを免れたことは衛生的に正しいことをしている。土葬が当然のヨーロッパでは、死者に対してむちゃくちゃな対応をすることに宗教関係者はかなり怒りがあったようだが、万単位の死者の処理を間違ってしまえば街全体が不潔のままになるのはわかっていた宰相の考え方に大多数は賛成していたようだ。

さらに貴族・キリスト教と関係なく、地震発生後5年以内に建物建設が出来ないひとたちは郊外の場所に移設されるという大胆な都市計画を立てる。これは大貴族も関係なくできなきゃ出て行けというやり方だったので、だいぶ不満が溜まったようだ。でもこのおかげで、現在の綺麗なリベルダーデ通りが出来たわけなので、リスボン全体が昔はアルファマ地区のような感じだったことを考えると、だいぶすっきりしたことになった。

時の国王ジョゼ1世は、政治には全く興味が無く、全部ポンバル侯爵に権限をあたえることになり、結果的にポンバル侯爵の専制政治が続くになる。国王は文句を言わないし、侯爵の言うことは絶対になるわけだ。これでは敵がたくさん増えることは当然である。

最終的にはチヤホヤさせていた国王が死んだあとを受け継いだ女王マリア1世はポンバル侯爵をよく思っておらず、結果的には解任される。最後はそのまま隠遁の地であっさり死んでしまうということになるのだが、リスボンの都市改造、ブラジルの対等化、植民地政策の転換、アフリカ奴隷のポルトガル本土への持ち込み禁止と、結構すごいことをいろいろ行っているのは確かだ。

個人的には大災害が起こったあとの対応してはポンバル侯爵の姿勢と思想というのは、各利権をすべて全部廃棄させて大改造するというやりかたは正しいと思う。なんでもかんでも利権が絡んで何にも出来ないというのはとても問題だ。このことができるかできないかは、時の指導者の力量によるものだろう。日本の政治家と呼ばれている人たちは少しはこういう宰相のことを勉強してもらいたいと思う。

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