2013/05/11

リスボン市内の落書き

経済的に疲弊しているポルトガルは、首都リスボンにおいてもその影響は大きく、平日の暇な時間帯であっても若い人が仕事もせずにうろうろしているのが目に付く。いちおう観光地であり、観光資源としては街全体にたくさん散らばっているので、これを有効に観光客むけにつかうのがいいとおもうのだが、どうもあまり巧く使いきれていないような気がする。天然資源も観光資源も無いようなシンガポールが、他国の文化をすべて自国の独自文化のごとく宣伝したことによって、マレーシアやインドネシアが本来もっている文化を無知な人はシンガポールの文化だと認識してしまっていることは結構多々あるが、全くウソではないが、100のうち1しか持っていない事実も、100にしてしまうようなこの宣伝力をポルトガルでも使えば、もっと観光資源を有効に使えるんじゃないのかと思う。

観光資源をうまく使えていないので、ひまな学生たちが、ポルトガルから出て行き、かつての植民地であるブラジルに行ったり、ドイツのような経済国家のほうに出稼ぎで生活の糧を稼いでいるというのが現実のようだ。だから、若者を中心とした国民の不満は大々的なデモにはなることはないが、潜在的な不満は消すことができないので、何かにぶつけるしかない。それが、観光客にとっては残念に思える、町の落書きとして表現されてしまっているのだ。落書きは多ければ多いほど、その街の荒廃ぶりを反映していると言われている。リスボンはまさしくそのまま反映しているところであり、どこの場所に限らず落書きを見ることができる。歴史的建築物だろうが、普通の家だろうが、全く関係ない。描けるスペースがあったり、誰も書かれていないところがあったら、そこを征服してしまおうという欲求からか、まぁめちゃくちゃ落書きが書かれているのだ。

一番がっかりしたのは、リスボンの名物詩にもなっている路面電車。それも坂道を駆け上るケーブルカーの車体に、これでもかーというくらいの落書きが書かれていることだ。車内の描かれる事は無いのだが、車外の汚さはどうしようもない。落書きされたあと、それを消すということを全くしないので、余計酷い。落書きされたあとを消すために、金をかけて消したとしても、またすぐに落書きをされるからだという市の消極的な態度があるからなのだろう。

しかし、落書きを一概に全部同じようなものと思ってはいけない。確かに、犬が電信柱に目印をつけているかのように、壁に意味不明なサインもどきの絵が描かれていたりするのがあるが、そんなのは芸術性は全く無い。しかし、ただの落書きというよりも、これは壁に絵を描いてもらったのではないか?というくらいの芸術性が高いものもあったりするから、面白い。でも、リスボンの街並みには全くマッチしているわけじゃないことは確かだ。品の無いものから文字だけ表記したもの、それからウィットに富んだものまでいろいろある。

ちょっと落書きのオンパレードをご鑑賞あれ~。



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