2013/05/11

発見のモニュメント(リスボン)

線路を挟んでジェロニモス修道院と反対側に存在する観光地として、このあたりに行く人はたいてい訪問するのは「発見のモニュメント(Padrão dos Descobrimentos)」だろう。元々、この記念碑は1940年にポルトガルで行われたエキスポに過去のポルトガルの栄光の時代を早朝するためのものとして建てられたのだが、あまりにもボロい素材だったので、1960年にエンリケ航海王子没後500年を記念してコンクリート製として作り変えたものである。

高さ52メートルの帆船をモチーフにした塔は、かつてポルトガルが世界に活動の拠点を広げた大航海時代の主要港であったベレン地区の港に向かって船先を立てている。このモニュメントはポルトガル人の心意気と誇りを凝縮した象徴の原点だと思うが、この国を語る上では歴史と文化を通じて知らなければならない偉大な人物たちの姿もここには存在しているのである。

像の東西側では実は違う人が存在する。結構いろいろなガイドや書物をみると、東西で同じひとが登場しているように見せているのがおおいのだが、全然違う。先頭はいわずもがな、1人だけ前をキリっとした態度で立っているのがエンリケ航海王子である。海洋博物館に鎮座していたあの像をそのまま立たせたような感じだ。他の人たちは下記の通り。日本でも有名な人もいれば、なんでこんなひとがいるわけ?という意味の分からないものも結構ある。」
<モニュメントの東側>
・アフォンソ5世 - 大航海時代の王
・ヴァスコ・ダ・ガマ - インド航路発見者
・アフォンソ・バルダイア - 騎士
・ペドロ・アルヴァレス・カブラル - ブラジル発見者
・フェルナン・デ・マガリャンエス(フェルディナンド・マゼラン) - 初めて世界一周を成し遂げた
・ニコラウ・コエーリョ - 航海士
・ガスバール・コルテ・レアル - 航海士
・マルティン・アフォンソ・デ・ソーザ - 航海士
・ジョアン・バーロス - 歴史家
・エステバ・デ・ガマ - 大航海時代の船長
・バルトロメウ・ディアス - 喜望峰を初めてまわりインド洋へ到達
・ディオゴ・カオン - コンゴ川に到達した最初の人物
・アフォンソ・デ・アブレウ
・アフォンソ・デ・アルブケルケ - ポルトガル領インド第2代総督(副王)
・フランシスコ・ザビエル - 日本へ1549年にキリスト教を伝道した宣教師
・クリストバウン・ダ・ガマ - 航海士・騎士
<モニュメントの西側>
・フェルナンド聖王子- ジョアン1世の王子、エンリケ航海王子の弟。
・ジョアン・ゴン・サルベス - 騎士
・ジル・イアネス - 航海士
・ペロ・デ・アレンケーレ - 航海士
・ペドロ・ヌネス - 15世紀の数学者
・ペロ・デ・エスコバール - 航海士
・ジャコメ・デ・マイオルカ - 天文学者
・ペロ・ダ・ゴビリャン - 15世紀の冒険家、陸路でインド到達。
・ゴメス・イアネス・デ・ズラーラ - 作家
・ヌノ・ゴンサルヴェス - 15世紀の画家
・ルイス・デ・カモンイス - ルネサンス期の詩人。航海者を著作『ウズ・ルジアダス』で讃えた
・フエレイ・エンリケ・カルバーリョ - 神学者
・フェルナン・ゴンサロ・デ・カルバーリョ - 神学者
・ドナ・フィリパ・デ・レンカストレ - ジョアン1世の王妃、エンリケ航海王子らの母。・ペドロ・デ・コインブラ - ジョアン1世の王子、エンリケ航海王子の兄。

そして、塔のてっぺんから地面を見下ろすと、今度は地球をモザイクにした模様が見えるのだが、世界中の各地をポルトガル人が到達した年号も一緒に記載されているのが分かる。だいたい自分の国がポルトガル人によって「発見」されたのはいつなのかを確認するかのように地図を見ちゃうのだが、日本の場合、鉄砲伝来の年の1543年ではなく、難破して大分に不時着した1541年が日本到達年になっている。これは歴史的に正しいので結構細かい演出であるということがわかった。

 

0 件のコメント: