2007/03/28

ロシアとラトビア


ベルリンの壁を皮切りに、旧東側諸国の民族意識が向上したことにより、旧ソ連邦の諸国もいまでは15カ国が独立したのは、みんなが知っていることだ。特に、ヨーロッパ地域側における独立心というのは、旧ソ連時代から高かった。特にバルト三国の独立心は、チェコやハンガリーが、旧ソ連による支配が強烈だったときに、民主化運動を敢行して、ソ連軍が力で抑えて失敗したという事件のようなことは引き起こさなかったが、やはりソ連のスラブ圏とは自分達は違うと言う意識はずーっともっていたみたいである。ただ、小国ゆえその独立心を表現できなかったという制限だったことは分かりやすい。

もともとあの地域は、18世紀に君臨したプロイセン王国の領土であり、ハプスブルグ家が君臨していた神聖ローマ帝国とは違う系列の発達をした王国であるし、その後、継承したドイツ帝国へと発展する中心地であった。従って、彼らはロマノフ朝のロシアとは元々一線を画していた領土にいたひとであるために、ソ連成立後に巨大な軍事力を背景に、徐々に西側へ侵食していたことは不満であったし、それに対抗できる能力が無かったことに対して憤慨していたことだろう。

念願の独立のときに、いろいろと問題をクリアしているものかと思ったら、実はロシアとは東側でロシアと接している国境が、実はどこなのかというのを解決することなく、いままで来ていたのであったそうだ。その問題も今日になって、モスクワで国境協定に調印したようである。旧ソ連がロシア領とした領土を巡り対立が続いたが、旧ソ連時代の境界を踏襲することで合意したとのこと。ロシアが欧州連合(EU)に求める査証発給の緩和などを巡る交渉ではバルト各国との協定締結がカギとなるが、エストニアとの国境問題は解決していない。

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