2012/01/28

アイヌ語ラジオ講座(Podcast)

日本は単一民族国家だというように教えられているが、実はそうじゃない。大和民族を中心とした複合民族国家なのである。典型的なのは、琉球人とアイヌ人を日本人に組み込んでいることだ。日本は長いこと、単一民族国家だというように教えられてきたことにより、他民族であるという主張はすごく嫌われる。台湾のように先住民族は「原住民」として敬っているような土壌が無い。自分たちと違う人間に対して排除するということを当然のようにしてきたムラ社会の延長がいまだに続いているのである。単一民族国家であると主張していても、ガンとして日本人にならず、永住外国人籍として日本に居座っている韓国・朝鮮籍の人たちは、我が強いやつらなので、日本人からなんと言われようとも、国籍を日本にすることも無いし、ましてや、自称「戦勝国」と主張して、本名ではなくニックネームを社会的に適用できるような土壌を作ってしまった糞民族である。が、アイヌ人や琉球人は、心の中にはそれぞれの民族性を保持しつつも、大和民族ではなく独自の民族であるということを主張することは、多くの差別やいじめにあうからと、決して自民族の主張をしたがらないという傾向がある。とはいっても、徐々に日本の中でも、琉球の人やアイヌの人はちょっと違う日本人なんだなという認識は増えてきたことは事実だ。

独自の民族性を押し殺したまま生活するということは、これまで先祖が培ってきた文化が徐々に消滅してしまうということを意味する。大和民族のほうが先端的な技術を持っていたりするときもあったのだが、それぞれが貿易や交流があって交わってきたわけだし、どちらが優位かというのは時代によって違うのだ。そして、沖縄の場合には、一時期アメリカに占領されていたということもあるのだが、独自のアイデンティティというのを持つきっかけが出来たと思う。ところが、アイヌの場合は北海道がロシアに占領されたというようなことはなく、徐々に日本人化してきたことにより、独自の文化を再認識するような時間がなかった。そこで琉球とアイヌは大きく異なり、いまでは琉球語で話をしているひとを見ても、それは「またわけのわかんない言葉だなー。やっぱり字幕がいるね」というように半分冗談でもいえる様な言葉として残っている。ところが、アイヌはどうか。まずほとんど日本のテレビやラジオではお目にかかったことが無い。もちろん、北海道の一部に行けば文化保存館等で見ることが出来るが、ほとんど生きているひとが発している言葉というのを接することは無い。

言語というのは文化のうちの一番重要な部分の1つである。その言語が衰退してしまうということは文化が1つなくなってしまうということと同義だ。琉球の場合は、標準語がテレビによって普及したとはいえ、まだまだ一方言として琉球語が残っている。もっと細かく言えば、琉球語は本島と石垣のほうでは言葉が違うはずなのだが、結構いまではそこまで分かれて居ないような気がするが、琉球方言が話せるわけじゃないので、ここでは言及できない。しかし、アイヌ語のほうはどうだろうか?全くと言って良いほど、公の場に出てくることはほとんどないので、アイヌ語って一体どういう言葉なんだろう?というのが全く一般大和民族ではわからない。

大切なアイヌ語を守っていこうという主旨で始められたのが北海道の放送局(STV)が始めた「アイヌ語ラジオ講座」である。STVがどこまでアイヌ語に対して思いを強く持っているのかは不明だが、数少ないアイヌ語を聞ける番組ではあることは変わらない。書物ではなく、生きている言葉として音声で聴けるというのはとても有り難い。国語学者の金田一京助がアイヌ語のへん編集したアイヌ語辞典は有名だが、それだけ見ていても、アイヌ語ってどういう言語かというのは全くわからん。しかし、このような音声放送があるということは、当時も今も変わらず、言語として言葉が生きていることがわかるし、アイヌ語のリズミカルな言葉を書物では解らない。

この番組は、毎週1回更新されるもので、内容は事前に3ヶ月分配布されている内容を音声で教えるというものである。アイヌ語の先生と、それを学ぶ生徒2人という形でやっているため、発音の勉強にもなるし、アイヌ語の肉声を知ることではおもしろい試みだと思う。なにしろ、PDFファイルでテキストは無料で取得できるので、それを見ながら毎週配信される音声を聞くというのは、NHKのラジオ語学講座と同じようなものである。もちろん、単語も例文もいろいろ豊富であるために、わかりやすいし、頭に入りやすい。

アイヌ語の文章を聞いていると、確かに何を言っているのか全然解らない。全く日本語にない単語ばかりだからだ。ただし、アイヌ固有に言葉が無い場合には、いまの日本語から言葉を拝借するようで、例えばコーヒーやカレーのような言葉は、日本語のままアイヌ語でも使われるということがわかった。マレー・インドネシア語にも似たような傾向があり、やっぱり言葉としてはいろいろ新しいものが出てきても、もともとになければ表現しようが無いので、外来語として受け入れられるんだろうなというのが解った。それと、文法構造が日本語ととてもよく似ているので、単語さえ覚えれば、結構実はアイヌ語というのは使えるんじゃないのだろうか?というのが解った。これは韓国語を学ぶのと同じだと思う。ただし、韓国語と違って困ったのは、このアイヌ語として使える範囲がとてもとてもとても狭くて小さいというところだろう。北海道に行けば、誰にでもアイヌ語で話せば通じるというものではない。アイヌの人でもアイヌ語が話せないひとなんて、ほとんどだ。ということは、アイヌ語をせっかく知ったとしてもそれを使える環境が無いというのはとても悲しいことだと思う。

アイヌ語に新しい流れが入り、例えば、知っている人たちだけしか知りえない暗号の言葉として使われるなどのような動きがあれば、アイヌ語を勉強しようとするひとは結構増えると思う。ただし、アイヌ語は台湾の言葉と同じように文字を持たない言葉だ。だから、文章として残すことは難しい。したがって、話し言葉の暗号としては有益だとは思える。アイヌ語も、詳細にいえば、知床あたりの言葉と内陸部の言葉とでは全然違っていたりするのだが、そこまでの違いは今となってはもう気にしないだろう。廃れてしまった言葉を再建するのは難しい。いま残っている言葉を後世にも残していこうというのは大変いい試みだとは思う。

文章として書物として残すのではなく、音声のアーカイブとしてどんどん残していただきたいと思う。しかし、1つ不満なのがある。それはアイヌ語ラジオ講座のサイトにいくときに、無料ではあるがユーザ登録をしなければいけない。なぜそんなことをするのか?誰でも自由にテキストと音声ファイルをゲットできる環境を用意するのが、本当にアイヌ語を残して生きたいという心意気に繋がるものだと思う。

アイヌ語ラジオ講座(STV)
http://www.stv.ne.jp/radio/ainugo/index.html

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