ヨーロッパの歴史というのは、どんな本を読んでも、何度となく読み返しても、訳がわからなくなる。それというのも、現在の「国家」という概念と「王国」の考え方が違うし、その王国を統治している人間が、別のところの王も兼用していたりするから、日本的感覚の一国一政府一家系というものとは全くことなるから、とっつき難いのかもしれない。さらに、ヨーロッパの場合は、兎に角王族の名前は、ほとんど似たような名前で、単に1世や2世がついていたりするだけだったりする。キリスト教徒だから、聖人にちなんだ名前から引用されて名づけられるのだろうと思うが、あまりにも似たような名前ばかりなので訳がわからない。さらに付け加えると、ある場所で生まれた王族の人間が別の場所の統治者になった場合、名前が現地の言語に変換されて通名になってしまうから、さらに困惑する。全く別人だと思っていた人間が、意外や意外、実は一緒だったという場合もあるから、もうヨーロッパの世界史って嫌だぁーと思った人は絶対多いとおもう。まだ、ローマ帝国あたりの歴史のほうがわかりやすい。名前がとっつき難い、「○○ヌス」という名前だからわかり難いとは思うが、まだ、たくさんのフィリップやカールやフェルナンドが出てくる中世ヨーロッパの歴史に比べると良い。男性の王様なら、まだ何世というのがついているから、まだ良い。勘弁してくださいと誤りたくなるのは、その后になる人たちの名前だ。どれだけたくさんの「マリー」または「マリア」がでてくることか。さらにどれだけたくさんの「エリザベス」「エリザベート」「エリザーベト」が歴史上に出てくることか!同じ名前ばかりなので、「もう止めてくれ」と思う。当の本人たちも、似たような名前が多くて、困惑しなかったのだろうか!?
現在、日本では映画「マリー・アントワネット」が公開中だが、その出身母体であるハプルブルグ家というと、泣く子も黙る、世界の王家として700年間ヨーロッパでは君臨していた家系である。このハプスブルグというのが、曲者も良い所の家系で、あちこちの国と政略結婚をしているために、誰がどこの統治をしているのか、全く訳がわからなくしてしまっている根源だ。今回は紹介しないが、もう1つヨーロッパの中世の歴史をぐちゃぐちゃにしているのが、イタリアの名家であるメディチ家だ。メディチ家のことは別の機会に書くことにする。
「ハプスブルクの一千年」という著書は、そんな訳の分からないと思われている中世ヨーロッパの歴史を分かりやすくまとめている本として参考になるだろう。ただし、この本、少し参考書としては「???」という部分がある。書いている本人としては、読者に分かりやすくするためということなのだろうが、偉い人の言葉や例えが、尾張・名古屋弁で記載されていたりするから、名古屋の人にとっては楽しいかもしれないけど、そうじゃない人間にとっては、はっきり言って「ウザイ」と思った。例えでフランクに書くのはいいのだが、なぜ名古屋弁なのだろうか?名古屋弁が本当に嫌いになった。耳で聞いているくらいなら、猫が鳴いているような言葉だーと笑っているだけで良かったが、活字で書かれたものを改めて読むと、面白さから作者を嬲り殺したくなると感じてしまうのは何故だろう。
文章の書き方を除くと、中心核であるハプスブルク家のことは当然だが、トルコを中心としたイスラム文化、ロマノフ家を中心としたロシア、そしてもともと専門家だったのかどうかはわからないが、スペインの歴史については、博識がある内容だと感じた。おそらく今回の著書を書く上で、古今の各種資料を紐解き、難解な中世ヨーロッパを一般庶民でもわかるように内容を落としてくれたのは良く分かる。歴史的背景と有名な事件を幅広い見識と角度から原因を記載しているので、歴史の授業で何でこんなことが起こったのだろうか?とか、何でこんな出来事になってしまったのだろうか?と知っている歴史について頭の整理をするにはちょうどいい内容だろう。ただ、やっぱり予備知識が無いと、この本でもやはり読解するのは難しいところがある。なんといっても、ハプスブルクの統治した700年間だけでも、それは長い期間だが、著書の中での歴史は、モンゴルを中心とした東アジアのことも知らないとだめだし、ローマ帝国時代のヨーロッパのことも知らないと意味がわからないからである。幸いにも、近世ヨーロッパ諸国につきものの植民地政策については、ここではあまり述べられていないが良い。これまで紹介されてしまったのでは、もう本当に地球規模の博学がないとついていけないからだ。運良く、メキシコの銀山程度くらいしか出てこないのがラッキーだ。
この本を読んで「へぇー」とトリビア的に思ったものもたくさんある。例えば、ウィンナー・コーヒーという名前は聞いたことがある人は多いと思うが、実はオーストリアの首都はコーヒーが盛んな場所であるし、カフェがたくさんある。コーヒー=アフリカ、南米と勝手に連想してしまっていたため、なんでウィーンにコーヒー?と昔から疑問に思っていたことがあったのだが、その理由がこの本には書いてある。トルコ軍がウィーンを囲むほど勢力が増していたとき、トルコ軍を戦い勝った神聖ローマ帝国軍が、退散したトルコ軍の陣地に「ヤギの糞みたいな」ものがたくさん山盛りになっていたのを発見。それが実はコーヒー豆だったというのが始まりらしい。その後すぐにウィーンにカフェが誕生したというから笑える。さらに、ウィーンで女性による「コーヒー反対」運動が起こったのも笑えるが、その理由が、「旦那がカフェで論壇や四方山話をするために出かけるため、妻の相手をしてくれない」貴族が増えてしまったらしいというのが原因。笑えるような事実だ。
他に前から気になっていたことなのだが、「男性と話をするときにはドイツ語、女性と語らうときにはフランス語、神と話すときにはスペイン語、そしてどんなときでも良いのはロシア語」と、ロシア語を勉強しようかなーと思い、かなり速い段階で挫折した経緯があるのだが、そのときに知った上述の言葉で「なんで、スペイン語が神と話すときに適した言葉なのか?」というの疑問も、この本では解消してくれた。他にも、たくさんトリビアな話が出てくるので、ご覧になっていただきたい。
一番分かりやすい表現だと思ったのが、「神聖ローマ帝国は西ローマ帝国を、ロシアは東ローマ帝国の正統継承者だと認識していた」という文章だろう。そう考えると、教皇との関係や領土の問題というのも分かりやすい。
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