2010/02/25

ジャガイモの歴史


ファーストフードから家庭料理、洋の東西を問わずして、いま世界中で一番食べられているものとして、ジャガイモは食卓には欠かせないものになっているのだが、このジャガイモ、太古から人々の胃袋の中に収まっているものだと勝手に思っていたのだが、実は全く大嘘で、世界中に広まってきたのはここ500年ほどのことなのだそうだ。そう考えると、特に北欧や東ヨーロッパのほうだと、主食がパンとジャガイモの世界なので、そのジャガイモがない世界だったときの食生活は一体どういうものだったのだろうというのが、かなり不思議になる。質素倹約なところが、さらに質素な生活をしていたことなのだろうと勝手に想像してしまった。

いまとなっては、ジャガイモはいろいろな料理のレパートリーに入る必須アイテムになっているものなのだが、ジャガイモが普及する際には、かなりの長い道のりが必要で、あっという間に広まったものではないことが今回の本を読んで良くわかった。アンデスが原産であるジャガイモは、ヨーロッパ人が南アメリカにやってきたときに発見され、それをヨーロッパに持ち込んだのがはじめなのだが、その形と色が不気味だったこともあり、グリコ森永事件じゃないが、「食べたら死ぬで」といううわさが流れて、最初のうちはほとんど普及しなかったらしい。また驚いたことに、それまで地面の中で育つ植物というのを人類が口にするということがほとんどなかったようで、地面の下のものがなぜ食えるのか!?という抵抗感があったことも、普及しなかった理由だったようだ。

ジャガイモはその成長土壌に必要なものはとくになく、どんな土地でも育つという万能植物であるため、肥沃な土地ではまず育てる必要がなかったために普及しなかったというのは大きい。しかし、科学技術と食事というのは、どうやら戦争が起こるたびに、飛躍的に伸びるらしく、食生活ががらりと変わったのは、ナポレオンによる遠征が始まったころなのだろう。農作物が戦争により荒廃になり、食べ物も満足に取れないときに大活躍したのがジャガイモだ。ジャガイモは、その栄養価がとても高く、取れるときにはめちゃくちゃ沢山取れるというメリットがある。このメリットは、その戦争時の荒廃にとても役に立った。

ロシア人があんな極寒で、かつ民主化革命のごたごたのときに、店に食い物がないという状態でも餓死しなかったのは、ロシア人はどのひとも家庭菜園を郊外に保有しており、そこでジャガイモを作っているから餓死をすることはなかったという話しは納得。同じようなことは、日本の屯田兵の世界でもあり、次男以下の家庭に生まれてしまい、両親の田畑を引き継げなかったひとは、北海道へ屯田兵としていくのだが、米が作れない環境でも作れたのがジャガイモだったのは涙ぐましい。また、満州進出に伴って、ライフル一丁を携えて満州に渡ったひとたちが、満州で耕作したのもジャガイモ。寒いところでも育つという特性を生かした作物つくりである。困ったときのジャガイモというのは、納得で、調理としていろいろなことに使えるし、そのままでも食べても旨いのは重宝する。そういえば、アンネの日記で有名なアンネ=フランクがナチのSSから逃れるために屋根裏部屋で生活をした際には、逮捕されるまでジャガイモを齧って生活をしていたというのは、涙が出てくる。

本を通して全体的に感じたことは、ジャガイモにまつわる話は、ほとんどが悲しい物語に密着しているものとしてしかないということ。楽しい話が全くないというのは可愛そうだ。トマトの場合には、発見後にイタリア料理に革命を起こしたとか、いろいろな逸話が残されていそうだが、ジャガイモは所詮、パンの代わりになるために育ったようなものなので、食えるか食えないかという主軸でしかジャガイモの存在を計れないのだろう。そして、食えるのが当然であり、食えないのが悲惨だという結果ありきの話であるため、ジャガイモは存在して当然なものとなり、存在しないということは、よほどの事情があることだということに短絡的に考えられるからなのだろう。だから、結果的にジャガイモにまつわる話は悲惨な話ばかりしか残らなくなるのだろう。

ジャガイモの世界史―歴史を動かした「貧者のパン」
著者:伊藤 章治
出版社: 中央公論新社
発売日: 2008/01

0 件のコメント: