バックバッカーの溜まり場というのは、世界中にどこかというのは決まっているみたいで、その中でもかつてはカンボジアは、まさしく、世界のアウトローなひととや、世間がいやになっちゃった人や、渡りに渡ってやってきて、人生どうでもいいやとおもっているような腐った人間が集まってくる典型的な場所のひとつだったようである。筆者のクーロン黒沢氏も、なぜかそんな人たちが集まるような場所を好んで住んでいたりするような人で、そこで体験できることは、一般の良い子ちゃんではどうしても経験できるようなものではないものばかりなので、これが本当の世界なのか?と良い子ちゃんにとっては疑ってしまいそうな内容ばかりのことが現実には起こっているし、それをつぶさに描写して本にできる観察力というのは、筆者の得意技なのだろうと思う。
バックパッカーといえども、どこかで他人の協力なしでは生活はできないし、旅はできない。ましてや怪しい場所に定住となると、これも単独では生活できず、どうしても仲間が必要になってくる。そんな仲間が集まってきたとしても、その集まった人たち自体が、一癖もふた癖もあるような怪しさ満載の人たちなのだから、普通の神経の良い子ちゃんでは、毎日が小便垂れ流しの状態になるだろう。ましてや、日本人の仲間だけじゃなく、現地カンボジア人たちが仲間かもしくは獲物を狙う敵としてうじゃうじゃ囲んでいるのだから、これもまたまっとうな神経の持ち主では生活できないだろう。
カンボジア内戦は、カンボジア自体を疲弊してしまったが、それは物質的に疲弊しただけではなく、国民全体自体を腐らせてしまった。互いに互いを信用せず、元兵士が番犬になって金持ちを狙ったり、金持ちの擁護をしているし、いちおう武器保有は禁止といえども、腐るほど武器を持ち込んだ内戦のあとに、すぐにそんな武器がなくなるわけがなく、だれかれとも安価で武器が買える市場ができていたのは記憶に新しい。武器だけじゃなく、なにも生産していていないところなのだから、金儲けしようとして手っ取り早いこととしたら、麻薬の売買か売春、そして武器売買と殺しのエージェントである。これが全部カンボジアには揃っていた。そんな環境が本当に嫌ならさっさと国外脱出するのだろうが、この本に出てくる人たちは、その環境をとても楽しんでいるようにしか見えない。
いったい彼らはこのカンボジアで何をして生計を立てているのかまったくわからない。日本で稼いで、その金でカンボジアで遊んでいるとしか思えないのだ。たまに、現地の会社で働いている人もいるのだが、その人も会社自体が適当な会社であり、昼間からギャンブルをしていても社長に怒られることは無いというわけのわからない環境にいるのだ。どうも、日本人観光客がカンボジアにやってきたときに、社長自らがコーディネートし、その観光客からがっぽり金をとるという手法をしているようである。でも、ほかの人は昼間からベトナム人の売春女を囲ってみたり、有り余る金でヤクに手を出し、昼間からスーパーマン気取りになって強気になったり、ヤクが切れたら精神が抜けたみたいに腑抜けな弱い人間になったりするのも面白い。なんとかして、金儲けをしようと考えたのが、売春宿から売春女をリクルートしてきて、その女に稼がせよう家に泊めさせていたら、翌朝早朝に田舎に帰ってしまったという不始末もしている人もいる。やっぱり手っ取り早い金儲けが売春なのだろう。
見よう見まねで適当に作っている日本料理を提供する中国人が経営するレストランの話がでてくるのだが、まともに食べられるのがレバニラ炒めだけで、そのほかのものは、物が腐っていて不味くても誰も文句が言えないようなめちゃくちゃなレストランが存在する。ここに日本人が結構屯していて、お互いの情報交換をしている場にしているのは、まるでチャイナタウンの親分の店のような感覚だろう。それと、中国からカンボジア内戦のドサクサで、たくさんの土地を買い占めている成金婆が、カンボジア兵士を傭兵にして囲っていたり、なかなか環境としてもアグレッシブな人たちが囲んでいるところなのだといえよう。
そんなはちゃめちゃぶりな生活の様子を面白おかしく書いている著者は、一気に本を読んでしまうくらいのインパクトがある内容だ。現在のカンボジアは、中国資本がめちゃくちゃ入ってきて、ほとんどカンボジアの金はこの華僑のやつらに全部かっさられているのが事実であるのだが、そんな中国資本が入ってくる前の話なので、この本を読んでカンボジアに行ってみようなんていう時代錯誤な人がいたら、物価も高くなっているし、女も普通には抱けないじゃないか!と怒るだけだろう。
プノンペンどくだみ荘物語
クーロン黒沢 (著), 浜口 乃理子
文庫: 270ページ
出版社: 徳間書店
発売日: 2003/07
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