2012/03/23

欝であること

鬱になることは決して恥ずかしいことではない。誰にでもちょっとしたきっかけで鬱になることはあるものだ。実際に、今考えれば軽度の鬱になっていたのだとおもう。家族や医者を含めて、本人に「あなたは欝だ」ということを決して言わなかったことはありがたいことだったと思った。たぶん、あの時点で「鬱ですね」と言われていたら、きっともっと精神的に参ってしまい、二度と復活することは無かったかもしれない。なぜなら、鬱になるのは精神的に弱い人がなるものであって、自分は決して鬱になるタイプじゃないと思っていたからである。そのように勝手に思っていたために、人格的に否定されてしまうような宣言を受けることは生きているのに値しないと、これまた短絡的に考えてしまい、きっともっと悲惨な結果になっていたことだろうと思う。

自分の場合の症状は、最初は耳が痛いというところから始まった。そのときに、中耳炎かもしくは虫でも耳に入ってしまったかと思ったくらいのものだと思っていたのだが、実際に調べてみると、突発性難聴だったことが発覚した。異動先の部署は、プロジェクト自体が破綻していたようなところで、なんとかして立て直さなければならないという圧迫が各方面から強く訴えられていた部署だった。そこへ何も知らずにのほほんと異動してきたのはいいのだが、プロジェクトとして責任者の上長はいるのだが、正式な上長のほかに、アドバイザーみたいな形で他に2名の上長が存在しており、上長同士が全く意思疎通が出来ておらず、さらにその上の部長クラスとも話が出来ておらず、まずプロジェクト内の意思確認を進めるために、自分が媒酌人にならないと全く先に進まないというひどすぎる部署だった。最初のころは面倒くさいなと思っていたのだが、あまりにも4者4様で好き勝手なことを言って、決めることも決めないで「んで、なんでそれにしようとしたの?」と責任の押し付け自体も担当者に振りかぶるようなやり方が続いてきたので、途中で不満は爆発してしまった。他部署からはプロジェクトの早期建て直しの圧力は掛かるし、内部では方針を全く決めない・責任は取らないような人たちがふんぞり返っているという世界だったために、ちょっとしたことも全く前に進まないというものだった。決して自分のフットワークが悪かったというわけじゃないと思うのだが、あまりにも内部にいる肩書きの偉そうな人たちが非協力的だったことが原因でストレス性の突発性難聴になってしまったのだとおもう。異動して3ヶ月目のことだった。

それでもがんばろうと思っていたのだが、症状がだんだん酷くなってきて、次に頭痛もしてきた。偏頭痛の始まりである。このときも、最初は、左右の視力のバランスがもともと悪いので、長時間のデスクワークのせいによる凝視で偏頭痛が始まったのかと思っていたくらいである。小脳の左側の奥が痛くて、医者にも診てもらっていたのだが、あまり効果はなかった。いまでは一般的に出回っているロキソニンを服用していたが、それでも偏頭痛が出るときは出た。

さらに酷いことに、今度は心臓が圧迫されるような痛みがたまに出てきたのである。水泳をやっていたので心肺機能は強いと思っていたのに、この痛みはいったい何なのだろうか?とかなりあせったのは言うまでもない。早速心臓専門の病院に掛け合ってみるのだが、特に決定的な症状が出ているわけじゃなかった。でも、ニトログリセリンは絶えず持ち歩くように言われていたので、財布に持っていた。

この時点で、なにかがおかしい・・・と自分では思っていたのだが、まさか鬱だとは決して思わなかった。たぶん疲労によるものなんだろうなと思っていたのである。しかし、心身ともに疲れているのであれば、睡眠もすぐにぐっすり寝るということになると思うのに、全く寝られないのである。寝られないから、疲れが取れない。疲れすぎて、打ち合わせのときにも居眠りをしてしまう。そして家では寝られない・・という悪循環が続いた。もうこの時点でもっと早く気づけばよかったのに、体の調子が悪いのは業務が大変だからと勝手に思ったのは失敗だった。生まれて初めて睡眠薬を服用したのもこのときである。しかし、睡眠薬による睡眠は実はそんなに自分には効果が無かったと思う。飲んでも寝れないときは寝れないのだ。

いままでは自分の身に起こったことばかりを記載したが、この状態の自分に対して家族や友達はまともに向き合ってくれたことは、非常にありがたかった。たぶん、家族に対してもすごい喧嘩っぽい口調で接していただろうと思うし、もちろん業務が忙しかったので、毎日夜12時すぎの帰宅で朝は7時には家を出るという生活が続いたから、それに対応してくれた家族には本当に感謝している。おかげで付き合った親は、体調を悪くしてしまい、迷惑をかけてしまったことは自分に原因があると思うので、いまは感謝の意味も兼ねて世話になった分を恩返ししようと努めている。友達の場合も、できるだけ一緒に遊んでくれたのはありがたかった。これも口調としてはあまり優しくないような言葉遣いを結構使っていたことだと思う。自分に余裕が無かったから。そんな口調に対しても嫌がらずに接してくれた友人たちにはお礼を言っても言っても言い切れないところだ。励ますとか、ハッパをかけるとか、そういう接し方ではなく、今まで通りなんの変化もないような接して方をしてくれたことが良かったのかもしれない。会社の同僚に関して言えば、愚痴によく付き合ってくれたと思っている。

ブログをめちゃくちゃ書き始めたり、短期間ながら旅行にも行き始めたのは、ちょうどこの精神的に病んでいるときだったと思う。たぶん、自分なりには、文章化したり、生活環境とは違うところへ逃避することによって、現状から打破したいという思いがあったのだと思う。でもこれが既に鬱の状態だったのだが、それをもっと早めに認めていたら気が楽だったのだろうと思う。

周りの人たちの協力無しには鬱の状態を回復させる方向に持っていくことはたぶん不可能だ。自分ひとりでなんとかしようと思っている人がいたら、それは絶対無理だといえる。何とかしても何にも出来ないし、むしろ悪循環に陥ることになると思う。是非、味方になるサポータをつけるべきだとおもうし、見つけるべきだと思う。受け入れ側も鬱になった人を責めたり、「がんばれ」というような言い方をして励ましあうのも良くない。すべてを聞き流すくらいの聞き上手にならないといけないと思う。そして、鬱になったひとは、極力がんばらないようにしたほうがいい。上手く表現できないのであるが、他人と比較して自分の劣っていることを悔やんでいても仕方がない。その比較をすればするほど、現実と理想とのギャップに悩み苦しむことになる。理想は高く持ったほうがいいが、あまり真剣に持たないほうが良い。たまには息抜きをするべきである。そして、息抜きをするときには、上手な息抜きをすることが良いのだが、これは個人差があるので、一概にこの方法が良いというのは無いので、残念ながらアドバイスができない。

そういえば、一番自分が病んでいたと思うときには、ヘミシンクにも手を出して、脳の世界から現実逃避しようと試みたことがある。しかし、もともと妄想癖がないので、脳内麻薬がバンバン出てきて、妄想の世界にどっぷり嵌れるヘミシンクは全く効果が無かった。ヘミシンクは幽体解脱を音の周波数のずれにより幽体解脱できるというものだったが、全くこれは出来なかった。素晴らしい妄想の世界を持っている人は、このヘミシンクは大変有益な現実逃避手段に使えたことだろう。

0 件のコメント: