2013/01/25

熱海梅園

熱海の紅葉の名所は2箇所。そのうち広大な用地があって、1日いてもいいくらいの場所があるが、それが熱海梅園である。しかし、この熱海梅園に行くには、高台の上に存在しているために、歩いていくのはちょっと面倒くさい。そこで熱海駅から東海バスの「相の原団地行き」に乗って行くのが一番良いだろう(熱海駅発の時刻表はこちら)。バス停も「熱海梅園前」というのがあるから、そこでバスを降りれば目の前がお目当てのところである。もちろん、車で行く人も駐車場が用意されているので、車で行くのも良いだろうが、ここではまったく車で移動することを考えないことを記載したい。

熱海駅からのバスは海岸沿いを通ったと思ったら、いきなり山間部のほうにバスは移動して、熱海の町は本当に坂道の多いところだなというのが本当によくわかるところだ。その坂道をどんどん進んでいって、そこまで上っていくんだろうと思っていたところに、15分くらい乗っていれば熱海梅園に到着する。バスはそんなに頻繁にくるわけじゃないので、帰りの時刻くらいは事前に調べておいたほうが良いだろう。熱海の隣り駅の来宮駅までは、なんとか坂道を歩いていけば歩けないことも無いところであるが、熱海駅まではさすがに遠い。

バス停でバスを降りたら目の前が熱海梅園である。特に入場料はここでは不要である。無料でこんなところを散策できるなんて、新宿御苑は見倣ってもらいたいものだとおもうが、手入れをするひとたちにも費用が掛かると思うので、その費用はどこから算出されているのかよくわからない。

熱海梅園自体が丘陵地に造られているために、この中を歩いているだけで、かなりの高低差を移動していることになる。そして、敷地面積が御苑の2倍以上はあると思われるくらいの大きさなので、実はやろうと思えば、1日ここでのんびりするということも可能である。名前が梅園ということになっているが、秋の季節になると点在ではあるが紅葉樹が一斉に赤・黄色・橙というカラフルな色をつけるのが見られる。今回はそれを見に来た。狭い範囲に一斉にカラフルな紅葉樹が立っている様子もまた趣があるものだが、注目を浴びるためのように立っている紅葉樹が点在しているのも、また違う楽しみができるものだということが改めて感じた。
 
 
 
 
 
 
熱海梅園は平坦ではないことは述べたのだが、庭園内に滝はあるわ、庭園内家屋はあるはでなんだか1つのテーマパークのように思えるところ。ここでは2つの建物が存在する。1つは朝鮮系の建物とその説明、もう1つは作曲家・中山晋平の移設されてきた住居が存在するのである。

朝鮮系の建物の展示に付いてはどうでも良いと思っている。いちおう貴族だった家屋をこちらに移設してきたものが展示されているが、これは日韓友好の交流の印として韓国から送られてきたものらしいのだが、この家屋、本当に貴族が住んでいたような家なのかというのは疑問である。所詮、朝鮮貴族なんていうのはどこまで金をもっていたのかは知らないのだが、キムチドラマに出てくるような朝鮮貴族を想像すると金持ちのようにも見える。が、実際にこちらにおかれている家屋をみると、日本の農家の家よりも断然小さく、江戸のような密集している町人文化に存在するようなくらい小さく粗末な建物だからだ。実際に朝鮮貴族の家はこれくらいのものが普通だったんだと思う。それをドラマは誇張表現しなければ貧相で惨めなドラマになってしまうために、カラフルでダイナミックなつくりの家にしているんだろう。だから、本当の朝鮮文化を知るためにはこういうところに来るべきだと思う。そして、キムチドラマの中のものはすべて「ウソ」であり、あれが本当の朝鮮文化であるということは、中国・朝鮮がウソで塗り固められた文化と教育であることの典型的な宣伝であるということを認識するべきである。

しかし、そんな朝鮮関係の展示の中で、日本人として知っておくべきことでもあるし、当然朝鮮人には絶対知っていて貰わなければならない女性の碑がここにはある。それは日韓併合後の日本で、朝鮮系女性で初めて飛行士になった朴敬元女史のことである。うまれは朝鮮半島であるのだが、1910年の日韓併合後は純粋の日本人と同じような扱いをもちろん朝鮮系だろうがされることで、日本の航空学校へ入学し、二等操縦士として免許を取得することに成功する。免許取得後の1933年に祖国の地に向かって長距離飛行をするために羽田から大勢の見送りをあとにして飛び立ったのだが、激しい気流に巻き込まれて熱海市街にある山頂の付近に激突し墜落死した。地元の人によって荼毘にふされ、翌年墜落現場に慰霊碑を建てたということがあった。日本側の地元では有名な話だが、これは韓国では「売国奴」とか「日本に魂を売った女」として必ずしも英雄扱いもされていないし、むしろそんな人間が存在していたこと自体すら忘れさせるような風潮が実はある。1910年以降の朝鮮人は全員日本人になっているわけであり、誰一人として非日本人の朝鮮人は存在しない時代のことを、韓国人はいつまでも歴史的認識をめちゃくちゃにして、すべて「現在の韓国・朝鮮が正しい」ことを機軸として歴史展開をしてくるから訳がわからなくなるのである。日韓首脳会談が2002年に行われたときにもようやく韓国側の大統領がそういう事件があったことを認識するくらいだったので、韓国側では本当に知ってはいけない事実ということに勝手に歴史歪曲をしていたようだ。韓国人は日本に観光に来るなら、こういう正しい歴史が行われているところを積極的に訪問すべきだと思う。
中山晋平の住居跡のところにいくと、まずはピアノが数台置かれていることが目に付く。この中から、いわゆる童謡と呼ばれる分野に数多くの曲を発表した中山晋平の曲が生まれたのかと思うとなんだか感慨深い。だいたい中山晋平の曲って何があるの?というような人は、ちょっと小学校に戻ったほうが良いとおもうのだが、「しゃぼんだま」とか「カチューシャの唄」なんかは全部彼の作品。建物の中には童謡を作ったときの原本になる譜面が置いてあったりする。しょ、しょ、しょーじょーじ♪で始まる「証城寺の狸囃子」も実は彼の作品。これ、最初はなにかのCMのために作られた曲かと勝手に思っていたのだが全然違ったことを改めて認識。
それにしてももっと多くの人がこちらに訪れても良いと思うのだが、なぜ紅葉の時期になると、こぞって箱根や高尾山のような人が混んでしまうようなところに行きたがるのだろうか?確かに熱海あたりの紅葉の時期は11月23日あたりの週ではなく、ちょっと遅いために、少し紅葉の時期としては時期ハズレのように感じるのも仕方ないだろう。しかし、人混みが嫌いな人にとっては、ちょっと遠出になるが、時期ハズレの紅葉散策も良いだろうと思う。

熱海梅園まつり公式サイト
URL : http://www.ataminews.gr.jp/ume/

熱海駅発の時刻表
URL :  東海バスの時刻表

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