2013/08/03

オランダ東インド会社(書籍)

最終的には鎖国時代の日本と唯一貿易をすることができたのはヨーロッパのオランダ。でも、オランダが国交として貿易していたというように習っている日本史では、オランダ政府が親書を持って日本の徳川将軍に貿易させてくれというように嘆願してきたわけじゃない。実際にはオランダ東インド会社が会社として契約してくれと頼んだようなものである。しかし、そのオランダから日本にもたらした各種の情報や技術と言うのは、当時の日本人には刺激的な要素がたくさんありすぎて、時代を先んじて知ろうとした知識人たちにとっては、憧れの人たち・団体だったことだろうというのは予想できる。

そんなオランダが日本に対して影響を及ぼしたのは江戸時代から徐々に入ってきた西洋技術を日本に取り込んできたことでかなりの広範囲に及ぶことができた。これはその前にやってきたポルトガル人とは大きく異なり、商売のためにオランダの会社は日本にやってきて、日本のものを購入し、日本に西洋のものを売ったということを純粋にやって、文化を押し付けたことではないところがポルトガルとは違うところだ。

そんな東インド会社について、知っていそうで知らないなあとおもったことと、何度かオランダに行った経験があるが、その至るところで日本文化の片鱗を見ることがあり、なぜオランダにはここまでと日本文化に傾倒しているのがあるんだろうと感じたことがあるのだが、それはなんといっても東インド会社の活躍のためだったんだろうとは容易に想像できるところ。しかし、出島に出入りして、そこに密かに忍び込んで西洋文化をしろうとした日本人がたくさんいたというくらいしか、実はあんまり東インド会社についてしらなかった。そこで今回講談社学術文庫から出ていた永積昭著の「オランダ東インド会社」というのを買って読んでみようと思った。学術文庫だと本当にアカデミアな本が多いので、研究者には必読の本が結構多いので、理解できるか不安だったが、かなり構成が面白かったので、ついつい一気に読みきってしまった。

まず読み始めて、ああ、なるほどーとおもったしょうげきの初歩的定義として、「東インド会社」というのは、これを読む前には「インド東部に本拠地を置いていた貿易会社」だとずっと本気で思っていた。ところが、インドとは全く、いや、ほとんど関係なく、それまでヨーロッパからみるとインドくらいまではよく知られていたのだが、それより東部アジアについては、日本も含めて十把一絡げで括られる地域でしかなく、その地域をヨーロッパ人は「東インド」と呼んでいたようだ。アジアに住んでいる自分たちにとっては、オランダが活躍した地域をみると、インドネシア、台湾、日本と東南アジア地域といえるところだとは言えるのだが、当時のオランダ人にとってはその概念がなく全部東インドといっていたのはびっくりだ。だから、彼らの言う「東インド」地域を貿易として商売をする会社が東インド会社であるということだ。のちに、オランダのあとを追ってイギリスも東インド会社を発足し、同じように貿易をしはじめるのだが、考え方は基本的に同じである。現在のインドネシアがなんでインドとは関係ないのに国名にインドなんていう名前がついているかというと、それはオランダ植民地時代に、それまでバラバラの王国で存在していたこの地域を全部ひっくるめて「オランダ領東インド(Nederlands-Oost-Indië)]とで呼んでいたことから現在に至っている。

もうこっから自分で勝手に理解していた東インド会社という定義について、ズバッと斬られた感じだ。

本書においては、東インド会社と日本に関係する流れで内容が書かれているわけではない。内容の大枠としては次の内容に分類することができ、それが上手に交わって解説されていると考えてよい。

① オランダ東インド会社の設立の背景
② オランダ東インド会社の現地での役割
③ オランダ東インド会社の歴代提督の紹介と、提督ごとの実績について
④ オランダ東インド会社が各地域間で貿易をした品物の輸送方向とその規模
⑤ オランダ国家と東インド会社の関係
⑥ オランダ東インド会社とインドネシア地域各王国との関係

こうやって書き出すと、台湾を日本に併合したあとの、日本政府と台湾総督府と台湾住民との関係がどうなっているのかというような論理と似ているような気がするが、台湾の場合は日本の国家にするために台湾をどのように換えていくかということが最大の命題であった。しかし、東インド会社が行った現インドネシア地域に対する行為というのは、あくまでも自分たちが商売をするために必要な材料・物資・販路・生産を確保するために、現地を搾取することと奴隷化することが命題であり、決して現地をオランダ化しようということは毛頭もなかったことが大きな違いである。これは西洋各国がアジアの列国を植民地化したときに何を現地に行ったかということと、日本が植民地にしてなにをしたかのちがいだ。ただ、よく勘違いするのが、太平洋戦争がはじまったあとの関東軍を中心とする南侵後、日本軍が現地で何をしたかということと、正式に植民地化した地域でおこなったことは大きく違う。南侵後の日本軍の行為は、まさしく東インド会社が行ったことと同じである。

①の背景は、もう結構有名なので高校の世界史を履修したことがあるひとなら誰でも知っていることだが、スペイン・ハプスブルグ家から独立して、自力で連合地域を生きていくためには、商売するしかほかに生き残りがないというために、海洋国家として生きていこうと決断したことによるものだ。連合地域と記載したのは正式に国家と呼ばれていたものがあったわけじゃなく、スペインから独立した地域が集まっていただけであり、それらの総称として「ネーデルランド」と呼ばれていたからでしかない。そのときに作られた会社なのだが、これが有名な、世界で初めて株式会社として設立されたものである。それまで国家がかかわる貿易については、国王へ利益を渡すことが条件であったのだが、それがなく、株主に利益を還元するというものを初めて採用したのがこの東インド会社である。もちろん、出資者はそれなりに金を持っていた人たち。貿易地での活動はすべて会社の判断によって行われるものであり、国家がからんでいたというわけじゃない。なにしろまともに王を立てて国家を形成しているひとたちではなかったからだ。やっていること、思想としては、殿様がいなかった堺や船場の商人と同じである。

③の歴代提督の話に付いては、なかなか面白かった。やっぱり何代も提督がかわると、優秀な人も居れば愚かな人も出てくるという典型的な人事の現れであることは、ここでも読み取れる。いくつか目立つひとの紹介をしているので、詳しくは本書のなかで見て欲しいと思う。あくまでも提督というすごい名前がついているのだが、会社組織の社員であり、考えようによっては、現地駐在員の組織長であるしか権限が無いのだ。どうするかは全部オランダ本国のほうに随時報告しなければならないし、本国にある会社の本部からの命令は絶対なので、それに従わざるを得ないことになる。だからどうしようもないような人が提督になった場合には解任される。今みたいに電子化されたような情報ネットワークが発達していない当時においては、正式な文書というもののみが唯一の情報連絡手段になる。従って、たまにやってくる本国からの指令文書が現地に到着するたびに、提督は一喜一憂していたことなのだろうというのは想像できる。

そして、本書における一番読んで理解するべき点というのは、インドネシア各地域をいかに自分たちの手下にしていったかということだ。インドネシアはたくさんの島からなる今でこそ1つの国家として存在しているが、オランダ(正確にいえば東インド会社)が支配する前も支配していた間も、実はたくさんの分裂王国国家として存在していたのである。国家間の微妙な紛争やいがみ合いをたくみに利用して、東インド会社がどちらかの地域に加担してその見返りに加担したところから利益を搾取するという方法を採っていった。最終的には、朝鮮の歴代国家が中国王朝に宗主国でもなんでもないにも関わらず、必ず新しい国王が就任するときには、中国の皇帝に形式上でも承認を貰わないといけない関係だったのと同じように、インドネシア地域の各王国も最終的には国王が変わるたびに東インド会社の承認を得ないといけない状態にまで成り下がっていたらしい。この結果、インドネシアの各国家が東インド会社の下僕となりたっているので、結果的にはオランダを宗主国としてみなすことになったという形が出来上がったわけである。しかし、その統治時代の現地東インド会社とそれを引き継いだオランダの国家としての植民地経営は酷すぎた。搾取するだけ搾取しただけで、現地の文化や産業向上には全く関与しようということは考えなかったからである。そういう状態のところに、日本が南侵してオランダを蹴散らしたというのは、どんなにインドネシアの住民にとって喜ばしいことだったかというのがよくわかる。

ただでさえ、よくわかっていないインドネシアあたりの歴史と言うのは、どこかでまとめてくれた本があればいいのになーとおもっていたところ、意外なつながりでインドネシアの歴史も知ることとなってしまった。もちろん、本書には記載されないのだが、マレー半島との関係はインドネシアは切っても切れない関係である。そこについては別の書物で知ったほうがいいだろう。

オランダ東インド会社
著者:永積 昭
文庫: 304ページ
出版社: 講談社学術文庫
出版日:2000/11/10

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