北陸地方は昔から東京から遠くて、雪深くて、簡単にはいけないような場所であった。なにしろ、上越新幹線が出来てからちょっとはマシになったが、それまでは金沢から上野に出るのには、当時のL特急・白山やはくたかを使っても、7時間近くかかっていた。上越新幹線開通後は、途中駅の越後湯沢から別の路線を経由して北陸本線にいくと、格段に時間が短縮した。それでも5時間近くはかかるので、まだまだ遠いところであるとはいえよう。なぜなら小さいときに、小学生のときに金沢に住んでいて、両親のどちらの親も東京に住んでいたので、夏休みのときに遊びに行くとするときに、この列車に乗っていくのだが、乗っても乗っても全然到着しないし、寝ても寝ても着かないくらい遠い場所だという印象があった。
かの加賀百万石の城下町として、京都と江戸の次に金を持っていた藩を治めていた前田家は当時の支配者の策略により、金沢から参勤交代をして歩いて通っていたというから、まぁ恐れ入る。これも江戸幕府が各藩に金を使わせて、徳川に歯向かう気力をなくしてしまうというのが根本的な理由だった。それでも年に1度は江戸に来ないといけないのは藩には重荷だったとおもうが、百万石の加賀藩にとっては、たぶんたいしたことではないことだったろう。でも、片道にかかる時間はハンパない時間だったとおもうから、現代に加賀藩の侍たちが生きていたら、その高速交通網の発達にビックリしていたことだろうと思う。
そんな遠い場所であった北陸3県に対して、長年切望していた北陸新幹線がようやく2015年3月15日に開通する予定までやってきた。路線としては、上越新幹線の延長ではなく、長野新幹線の延長として開通し、まずは最初に金沢まで開通する予定である。最終的には福井県を通って、京都・大阪へ接続される予定のようだが、そこまではまだまだだいぶ先になる予定だ。ルートから考えると、以前のL特急・白山のルートをそのまま継承することになる。このルートで金沢から上野を越えて、一気に東京まで行くことができ、これで最速・2時間半でいけるというというから、もう驚きを隠せない。
長野新幹線の延長として北陸新幹線は営業開始するのだが、そうなると長野新幹線はどうなるのか?という素朴な疑問が残る。もともとは、長野新幹線自体が北陸新幹線の一部として、長野オリンピックを開催するのに合わせて、先に開通することになっただけのことなのだが、長野オリンピック開催から既に16年も経過しているんだから、すっかり長野新幹線という名前自体は馴染んでしまったといってもおかしくない。そんなあとに本来の北陸新幹線が開通となったのでは、長野の名前が消えるんじゃないのかと心配になっている長野のひとたちは多いことだろう。なにしろ、長野オリンピックのときには長野が世界に広まったが、そのあとは長野があっという間に陳腐化してしまったのは記憶に新しい。しかし、できてしまった新幹線がそのまま無くなることはなく、むしろ、長野あたりが東京への通勤圏として変わってしまったことは、もう通勤サラリーマンにとっては消滅させてはいけないものになっている。このことで、長野に集客するはずだった客がみんな東京に出てしまったので、長野自体の経済が急落したのは高速交通網が整備されたあと、必ずその土地にやってくるお決まりの事象だ。高速交通網が発達すると、都会から人がやってくると思って誘致をしようとする地元のひとたちは、開通したあとに、人口と経済の流出が誘致したものによって根こそぎもっていかれることを知るのは、開通後のことであるのはどこの世界でも同じこと。それは通勤という2時間圏内だったら通えなくも無いと思えるほどの距離だから、大都会へ余計人が集まることになるのであって、それよりも時間がかかるものであれば、話はまた全然変わってくる。通勤という概念はどうしても時間が長いので無理であるため、今度はこれまで時間がかかってなかなか行き難かった場所として思われていた所が今度は都会にとって少し身近な場所に変わってくるわけである。つまり、本来の都会の客を呼び込むための交通手段として誘致した地元の思惑が実現することになるのだ。ところが、そうは問屋は卸さない。金沢は東京への通勤圏内にはならないが、都会の人たちが客としてやってくるとしても、途中の長野はどうかというと、単なる途中駅であるため、そこで降りる人が激減するくらい減ることになるだろう。つまり通過地点の役割として長野が存在するだけになるのは目に見えている。これは長野の危機であるのだが、当の長野のひとたちは、おそらく金沢へ向かう客を途中で狙うドジョウとして思っているだけなのだろう。今後が危うい。
さて、北陸新幹線で使われる車両は、青森に行っている新幹線と同じ形式の車両を使う予定で、3つのレベルの車両が存在するのも同じだ。特にグランプラスのシートは、オール革張りになっているし、席が広いので、2時間半の列車の旅は全然苦痛じゃないことだろうとは思う。
途中の停車駅は、これも既存の駅を利用するようなものかと思っていたところ、実際には違っていた。一番名前が魅力的な駅の名前は「黒部宇奈月温泉」という駅だろう。黒部峡谷は夏になったら、大変山岳ファンにとっては魅力的な登山ルートの入口として訪問する人はたくさんいるのだろうということは予想できるし、紅葉の時期なったら、黒部峡谷鉄道のトロッコ列車から見る景色は最高に美しいと思われるので、これを見るためにやってくるひとたちも多いことだろうと思う。このトロッコが走る鉄道と新幹線が接続するのかもしれないとおもうと、驚異的にこのトロッコ列車に乗ろうとする観光客がやってくることが想像できる。そうなると、辺境のような場所だったところに、くだらない観光客がたくさんやってくると、地元の金目当てのひとたちは「地域活性化」という名前のもとに商売繁盛するのだろうが、自然破壊の深刻さは収まっていかないことだろう。マナーのない下らない客がたくさん来るからである。そうなったあとでは地元も金儲けよりこの自然を守ることが重要と思うはずであるが、そのときには既に遅い。
北陸という魅力的な路線を走ることになる新幹線が開通することによって、困った会社が2社ある。1つは石川県の主要ゲートウェイになっている小松空港を使っている航空会社であろう。小松空港は、羽田空港からだと50分程度で行ける場所なので、飛行機を使えば確かに使えるといえよう。小松空港自体は日本海側にある航空自衛隊の基地も兼用しており、日本の空港としては最大に近いくらいの大きさがある空港である。なにしろ、北朝鮮や中国の脅威があった場合には、いち早くスクランブル発信するための最前基地になっているからである。その一部を商用利用としている場所だ。だから、小松自体が空港で成り立っている成田みたいなものだと思っても良いだろう。その小松自体が金沢からは結構離れており、空港直行バスでも1時間はかかる場所にあるのだ。それに飛行機に乗るために出発する寸前に空港に言っても乗れないのは常識。その前時間を考えると、実は東京駅から金沢まで2時間半でいける新幹線のほうがトータルとして実は時間的に近いということになるのである。そして、新幹線であるために、それなりに本数が多いことだろう。ANAとJALをあわせて1日の便数は決まっているだろうし、1機に乗せられる乗客の多さは多くても250人くらいだとは考えると、新幹線で大量に輸送できるほうが断然便利になることは間違いない。あとは、新幹線の料金が飛行機との競争としてどの程度安いものになるのかということにかかってくることだろう。もちろん、競争が新幹線になると、かつての東京~大阪間の輸送競争として新幹線と航空会社が競争になったように、今度は東京~金沢間が新たな新幹線と航空会社との間の競争になることだろう。
そして、もう1つ地味に痛い影響を受けることになるのが、上越線の六日町から犀潟まで結んでいる北越急行なのだと思う。越後湯沢からこの北越急行の線路を使って直江津まで特急を使い、金沢方面の列車に乗り換えていくというひとは既存でも多かったことだろう。北越急行の途中の駅で降りることは無いと思うが、鉄道会社にとっては、自社線路を通るだけでも接続会社から通常営業分の収入が入ってくるわけだから、駅設備にあまり手をかけず、沿線開発をしなくても、漁夫の利のようにして得られる収入で成り立っていたことだろうと思う。それを今度は全く経路として北越急行の路線を使わない金沢方面の新幹線が開通ということになると、北越急行を使うようなひとは、激減するのは決まっている。新幹線料金が高いのであれば、それなら乗り継ぎでもいいから北越急行経由でいこうというひとはでてくるかもしれないが、これまでの乗客利用率に比べると、桁が1つ変わるくらい違ってくるのは容易に想像できることだ。結果的には北越急行自体が消滅してしまう可能性が出てくるかもしれない。それは軽井沢~横井間の路線がなくなってしまったのと同じ影響である。上越新幹線の開通と同時に第三セクターとして運営していた会社も終焉を迎えることは目に見えている。
京都は日本人の心のふるさととは言える場所だが、京都の次に京都らしいのが金沢で、それは金をもっていた加賀百万石前田家が育んだ街も、和の文化を十分すぎるくらい体験できる場所であるため、もっともっと金沢へ行く人が増えれば良いと思う。それと同時に、金沢はこれまでと同様にあまり近代化はしないで欲しいと思っている。
◆北陸新幹線停車駅(長野以北)
長野-飯山-上越妙高-糸魚川-黒部宇奈月温泉-富山-新高岡-金沢
◆北陸新幹線(2025年以降)
金沢-小松-加賀温泉-芦原温泉-福井-南越-敦賀
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