あまり意識をしたことがなかったのだが、日本語には日本語表記には現れない発音が実際にはある。その典型的な例が鼻濁音だ。鼻濁音を出す言葉として「ガ」行の言葉をつかうときに該当する。ただし、鼻濁音を出す場合と、通常の濁音を出す場合が、日本語の文字を書く場合には区別がない。どちらも「が」「ぎ」「ぐ」「げ」「ご」の表示になる。
文字で記載しないからということもあるのだが、実際には鼻濁音が使わないひと、もっというと、使えない人が日本人に居たということを最近になって知って、そのほうがびっくりした。
たぶん住んでいる地域の方言や親が使用していた地域の出身かなどのさまざまな要因で儀濁音を使わない、または、使えないという人が増えていったのだと思う。しかしながら、古来から日本語は鼻濁音を使っており、標準日本語を操るNHKのアナウンサーは、もちろん鼻濁音は使えるし、標準日本語自体が鼻濁音を使う言葉としてアナウンスされている。
実際に鼻濁音が入った場合と入らない場合では、聞いている側からするとかなりインパクトが違うというのは驚かれる。鼻濁音が入らず、すべて濁音になった場合には、言葉全体が「きつい」「汚い」「傲慢に聞こえる」という良くないものばかりが目立つ。ここに鼻濁音を入れることによって、いま述べた悪しき習慣はきれいさっぱりとなくなってしまうのだ。ただ、これも聞き手によって全然感覚が違うようで、鼻濁音を聞きなれないひとにとっては、全くどれが鼻濁音なのかわからないらしい。よって、鼻濁音がない話し言葉を聞いても汚い言葉というような感覚にならないようだ。
意外に外国人のほうが、この微妙な発音の違いについてわかっているようだということを知ったときも面白いと思った。確かに、もともと母国語で鼻濁音に相当するngを使う言語の人であれば、鼻濁音の違いはわかりやすいだろう。実際に台湾中国語を話すひとたちにとって、この鼻濁音は日本人が考える以上に区別されているらしく、意外に上手に使い分けている人が多い。ただし、それは日本語学科を出ている人であり、自学自習で日本語を齧っている人はやっぱりダメである。
さて、そんな鼻濁音の世界だが、実際にどのときに日本語では鼻濁音を使うかというと、下記のルールによって成り立つ場合に使われる。
①が行が文節の頭以外にきたとき
②助詞の「が」全部
③数字の5である「ご」は、いかなる場所においても鼻濁音にはならない。
④複合名詞の場合、後半の単語の頭が「が」行」である場合は、たいていは鼻濁音にならない。
よって、次の文章の場合には、どこが鼻濁音でどこが濁音になるかは、結構シビアにすると違いがあるのだ。
「午後5時に、学校が終わって下校途中に、偶然、銀行からお土産のおにぎりを食べながら歩いてくる友達を見た」
「午後」の最初の「ご」は頭にあるので濁音、しかし、後ろの「ご」は語頭にないので鼻濁音。「5時」の「ご」は数字の「ご」なので濁音。「学校」の「が」は語頭なので濁音だが、そのあとの助詞「が」は鼻濁音。「下校」の「げ」は濁音で、「偶然」の「ぐ」は語頭なので濁音。「銀行」の「ぎ」も語頭なので濁音で、「お土産」の「げ」は語頭じゃないので鼻濁音。「おにぎり」の「ぎ」も同様に語頭ではないので鼻濁音。「食べながら」の「が」は語頭じゃないので鼻濁音。
こうやって書くと、自然に違いを出してしゃべっているのは不思議だ。外国人はこれを意識して話をしなければならないので、これこそ、「慣れろ」としか言えない。
2 件のコメント:
鼻濁音と云う言葉は小学生の折、先生から教えられました。
「午後5時に~」の例文は、全て無意識に、正確に読みました。
①以外の法則は、今迄余り意識した事が有りませんでした。
鼻濁音を使わない、歌には耳を塞ぎたくなります。
NHKのアナウンサーも最近は頼りになりません。
「言葉は生きているので、時代と共に変わって行く。」
と云う説明を度々耳にしますが
品の無い方へ変わって行く現状を苦々しく思っています。
か行の鼻濁音には ゛を辞めて ° で表記すれば良いと思います。
(昭和20年京都府生まれ男性)
貴重なコメントありがとうございます。
鼻濁音をぜひ残していきたいと思っているんですが、
やはり一番はテレビに出ている人たちによる鼻濁音利用を
もっと強調して欲しいですね。関西の言葉以外の方言が徐々に
希薄化していることも鼻濁音消滅に拍車をかけているような
気もします。
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