2012/03/13

自分なりのTwitterとFacebookの利用違い

ツイッター、フェイスブック、ブログ、Ustreamと、いまでは情報発信手段というものはいろいろ増えてきた。それぞれの使い方もまた発信者によって全然違うのだろうが、全部同じネタで発信しているというツマンナイ使いかたをしている人・企業も結構あるのはご存知の通り。反対にすべてのメディアに対して全く異なる方法で情報発信しているところもあるのだが、これを実践している企業や団体や個人というのは、プラニング、マーケティング、プロバイディングと各方面ですごい念入りに案を練っていることなのだろうと感心するのだ。じゃ、自分個人としてこれらのツールをどのように使い分けしているかというのをちょっと考えてみた。

Ustreamはこれは他の3つのツールの文字ツールと違って動画配信なので、ここでは言及しないことにする。Podcastと並んで情報発信するための情報量は文字に比べて断然多いのだが、自分がPodcastもUstreamも配信行為をしていないので、その良し悪しについて言及できる立場じゃないからだ。ただ、個人でもテレビやラジオのような情報配信が気軽にできるようになったことは大きな進歩だとは思う。

じゃ、他の3つのツールについての違いなのだが、自分なりには次のように考えている。

ツイッターは即効性のある情報配信・情報収集ツールだと考えている。ほぼタイムリーに大量の人たちがその場で思ったことや普段から考えていることが140文字という文字制限ながらも次から次へと新しい情報を提供してくる。新しい情報がほぼタイムリーに出てくるので、「いま」という瞬間を知りたいときや、自分から「いま」を配信したいときには有効だ。問題は情報取得側の問題。次から次へとやってくる情報洪水に対して何を必要とするのかということの取捨選択がここでは求められる。ツイッターでの情報配信は個人的にはあまりしない。別に情報配信するものがないからというのもあるのだが、積極的に「ボクがここにいるよ」というのを世間一般にアピールするつもりもないからということもある。ただ、その瞬間の生の情報を配信できるという意味では、自分がその瞬間で何を考えたか、何を見てどう感じていたかということを記録するためにはいいツールだと思っている。公開型のEvernoteのようなものである。Evernoteとは違うのは、他からの反応があること。発信した瞬間に誰か別の人からそのコメントに関して反応があることだろう。チャットの場合は、その場に居た人たちがおしゃべりをするというものであるが、ツイッターはチャットほど即効性があるツールではない。コメント・リコメントする側に考えさせる時間を与えている点も異なる。別にコメントが欲しいわけでもないので、ツイッターを通しての反応は、それもまたその瞬間の反応でもあり、受け止める必要がある。

似たようなものでFacebookもあるが、こちらのほうも即効性といえば即効性はある。ただし、表示の仕方が即効性というよりも、半記録的な情報配信であるかと思っている。それは、Facebookの場合、反応があった場合、そのコメントが最新情報としてまた表示の中でトップに来るので、コメントがあればあるだけずっと上に表示されるということなのだ。ツイッターもFacebookもどちらも動画と画像が添付できるのだが、ツイッターの場合、使うツールによって保存されるサイトが毎回異なる。しかし、Facebookの場合はFacebook内の特定のディスクのところに保存されるので情報の一元化ができるという点はある。言い換えれば、Twitterは配信者の情報はどうでもよく、プラットフォームだけ提供しているのだが、Facebookのほうは誰が誰と繋がって、どういう情報を配信し、どういう画像を所有しているのかというのを全部管理したいという点なのだ。そういうところでの情報配信となると、どこまで公開するべきなのかというのが難しいところだ。個人的には情報の内容についてはあまり気にしていない。ツイッターは日本語でしか記載していないのであるが、Facebookのほうは各種言語で配信することにしている。つまり言い換えると、ツイッターは自分が日本人であり日本語で情報収集しているということもあるので、日本語の配信専用サイトにし、FacebookはFacebookから世界各地の事情を収集しているから、配信も世界向けにしているという点の違いだ。内容はツイッターよりもFacebookのほうが断然少ない。なぜならあまり即効性というのを重要視していないからである。

じゃ、ブログのほうはどうなのかというと、これもまた情報の扱い方が違う。どこからの反応が欲しいという意味でこれもやっているわけじゃない。これも備忘録的に記載しているだけのものである。最近では旅行記ばかりが目立ってしまうことになってしまっているのだが、その旅行記を誰かに読んで貰いたいというのではなく、あの時こういうことがあったなーというのは写真を観ればわかるところもあるのだが、記事にしていたほうが自分が思いだすときにいいトリガなれるなと思ったからである。ブログだと情報量を気にせずに1つのトピックに対して好きなだけダラダラと書き綴ることができる。のこしたいだけの情報をブログは残すことができるという点では良い。もちろん、他の人にとってはブログは「日記」でしかない場合が多いとおもうのだが、個人的には日記のつもりは全く無い。あくまでも記憶を残しておくためのサイトなのである。だから、たまに他人から「ブログを観たんだけど、あんまりブログらしくないね」といわれることがあるのだが、だいたいブログらしいブログってなんなの?ということが言いたい。ブログ=日記だと思っている人が多いので、そう考えている人たちに自分がブログで記載している内容のことを説明してもほとんど理解されない。

自分のような使い方の区別をしている人がどの程度いるのかわからないのだが、どれもこれも同じような内容にしている人を見ていると、何がしたいのかが個人的にはわからない。単にアピール君だということにしか見えないのだ。そんなにアピールして、自分が有名人になりたいのか?という疑問はわく。もちろん、何かの目的のために同じ情報を提供している組織や個人もある。

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