2012/10/28

古代蝦夷とアイヌ―金田一京助の世界〈2〉

日本の北方民族であるアイヌについては、アイヌのひとたちも自分たちのアイデンティティを隠しているし、和人もアイヌに対しては違う人たちという目でみるために、どうしてもアイヌが表立って出てくるようなことがないのは悲しいことだ。台湾のような小さい地域でさえ、少数民族は尊重され、そして決して漢民族から見下されているというわけでもなく、自分のアイデンティティさえも決して隠すことはない。しかし、残念ながらアイヌは今では自分がアイヌであることを墓場まで隠し通そうとする人もいるし、さらにアイヌを見つけたら異物のように思う人もいるし、さらにアイヌコタンのような村があまり人気が無いのは、アイヌに対して全く敬意や知ろうとする意識が和人に無いからなんだろうと思う。

金田一京助はアイヌ文化とアイヌ語の研究にいそしんだひととしてとても有名であり、彼がアイヌの研究をしなかったら、アイヌは言葉も文化も廃れる運命にある民族の文化だったに違いない。金田一京助が北海道に訪れたときには、すでに多くのアイヌ民族の文化のうちいくつかはもう消滅していたというくらいだから、もう少し前からアイヌについての考えが和人に芽生えていたら、生き字引はいなくなったとしても文書として残っていたんだろうと思う。なにしろ、アイヌは文字を持たない文化なので、すべてが口承でしか歴史は伝わらないのである。これは台湾の閩南語と同じだ。

本書は金田一京助が晩年各種の雑誌への論文投稿や、講演会で講演した際に話した内容をそのまままとめて載せているものである。明治時代に発表されたものではあるのだが、決して文語調で書かれているものではないので、現代日本人にとってもとても読みやすいものだと思う。そして、金田一京助がアイヌについて偏見に満ちていた考えが一般日本人にもたれていたものを、なんとかして払拭するために、科学的・文学的・歴史的な面などいろいろな観点からアイヌ全体について、アイヌは日本の文化を作っている基礎の一部なのであるということを主張しているわけである。

そしてもう1つ金田一京助は本書の中で述べておきたいことを記しているが、それは「えみし(蝦夷)」というのはアイヌのことであるということなのであり、これは文化的に上から目線の和人が勝手につけたものであるということなのだが、実はアイヌに対して中世は征伐はしているのだが、決してヨーロッパのゲルマン人からみたユダヤ人のような扱いをしているわけじゃなく、酋長を招待して儀式を迎えているという点などがあったことを述べて対等の扱いだったということを述べているわけだ。

よく言われているのだが、地名を見ればアイヌの名残があるというのがわかるというもの。特に東北地方はアイヌ民族が住んでいたところであり、のちに北東北部と北海道に集中してしまってはいるが、それでも東北地方にたくさんアイヌ語を基にした地名があるのは、そこに住んでいたからという証拠だということだ。アイヌ語にしてしまえば、同じ意味なのだが、アイヌ語では都合が悪いのか、和人は無理やり漢字を使ってアイヌ語ではないように見せることにしたため、現代人にとってはその地名がアイヌから来ているのかというのが一瞬では分からない。東北地方で「ナイ」がつくところは、確実にそこにアイヌが住んでいたところの証であるが、そういう証拠となる地名の説明に付いて、かなりのページを割いて説明してる。地理好き・言語好きなひとにとっては、なかなかおもしろい章だろうと思う。

そして、金田一京助は、「義経の入夷伝説考」と「アイヌ叙事詩」についても忘れずに言及している。前者については、なんでこういう伝説が生まれたのかというのを、いろいろな項目から検証している。もちろん、この伝説が生まれたのは虚説から始まっているというスタンスは変わっていない。衣川での自殺は明晰に立証されているのに、それでもなおこの伝説が生きているのはなぜだろうかということだ。このあたりの検証についての話の内容は、多岐にわたっているので、まさしく冒険物語を読んでいるかのようにワクワクしてくるから、是非一読していただきたいところだし、アイヌのなかで、義経に関する伝説があるというのは、琉球における平家伝説があるのに近いくらい面白さがあるところを呼んでいただきたいところだ。

後者のアイヌ叙事詩は、世界三大叙事詩の1つであるユーカラだが、この話の中身について、話の内容をあまりよく知らない人たちに対して説明するような書き方で論じているの。もともとアイヌは文字がなく、口承でしか文化を使えることはないため、なんでも話にして伝えようとしていた。そのため、話が結局長く続いて、ひとつの叙事詩のように出来たともいえようが、それでも主人公とその話の発展というのはどこか中心となるような骨格があるわけだ。それは一体なんなのかというのを説明しているが、それと同時に、アイヌ語で伝わるなかでのキーワードについても説明がある。キーワードもその言葉の本来の意味はなんなのか?というという予備知識がないと、ユーカラの話はなかなか理解できないというのだが、金田一京助はそこをちゃんと補ってくれている。だから、ユーカラを一度読んでみたくなるような内容だった。

アイヌに付いては日本人は知っておくべき文化の1つだとおもう。ヨーロッパや東南アジアの文化をしることも良いことだと思うが、日本人が自ら隠そうとしている日本の文化の1つを知らないで他国の文化を知ったところで、それはなんの自慢にもならない。おいおい、アイヌに付いては個人的な知識の吸収の課題としてこれは進めていきたいところだが、残念ながらまわりにアイヌがいないので、詳しいことが聞けないのが残念だ。金田一京助のこれまでの成果を追いたいところである。

古代蝦夷とアイヌ―金田一京助の世界〈2〉
著者:金田一 京助
単行本: 316ページ
出版社: 平凡社
発売日: 2004/06

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