2011年3月11日14時46分頃は、多くの人にとって忘れがたい日になったことだろう。そう東日本大地震が起こった初回の悲劇の始まりである。
この日は週末の金曜日。午後もお昼ご飯を食べて、そろそろ15時の休憩でも入ろうかなと思っていた人たちも多かったのではないだろうか。自分の記憶を記録するために、ここに当日から翌日についての出来事を記載したいと思う。
第1回目の地震が起こったときには、最初、いつものようにグラっとやってきて、「おっ、地震だ」と思ったのだが、その揺れが最初は小規模だったのに、だんだんと振幅が大きくなってきて、その揺れが椅子に座っていながらも左右に揺れてしまうくらいになった。幸い、オフィスには上に何もないし、最近机の上には書籍や書類をむやみやたらに置いておくなというお達しが出ているために、地震発生時に書類があちこちに散乱することはなかったのだが、初めて体験する揺れには正直びっくりした。オフィスの中にはあまりにも壮絶だったために腰が上がらなかった人もいる。早速ウェザーニュースのサイトを見たのだが、オフィスがある場所での震度が5。いったいどこが震源なのかと調べると、なんと三陸沖だというではないか。三陸沖の地震がここまで届いて、それもここの震度が5ということはどういうことなのだ?と疑問を沸く。
その直後、早速オフィスのテレビがあちこちでスイッチが入り、地震速報のニュースが始まる。悲劇はここから始まったといえよう。この地震によって、大規模な津波が発生するということをしきりにテレビでは言っている。津波の規模は10メートルだと。10メートル!?10メートルといえば、飛び込み台のプールのあのてっぺんの高さである。それだけの高さの波がやってくるという。うそでしょう!?と本気で思った。よく映画の世界では、津波があったときに、ビルを飲み込むような波が町全体を襲うというのがあったとしても、これまで地震があって津波があるという報道があっても、せいぜい3メートルくらいの波がやってきて、道路をぬらす程度だと思っていたからだ。そこへ初めて映画を見ているのではないかというくらいの波の高さがやってくるというから驚きである。
そういうニュースが報道され始めたころに、また大きな地震がやってきた。それも先ほどと同じくらいの規模の地震を感じたのである。えっ?また?だ。今度の震度はどのくらいかとおもったら、これも震度5.しかし震源地が茨城沖だという。なんでこんな短期間に違う場所を中心とする地震が大規模に起こっているんだ?と少し不安になる。
それからというもの、軽微の地震から「おっ、揺れてる」と感じることができる震度3~4の地震が数えられないほど起こるのだ。一番最初の大地震の時にはまったく機能を果たさなかった携帯の「エリアメール」というのがあるときから有効になる。地震が起きる数秒前に通知され「揺れます」という案内が来るのだが、毎回来るわけではなく、こないときもある。これは絶対システム的なバグだろう。システム的なバグというと、もう1つある。ドコモの携帯に「iコンシェル」というサービスがあるのだが、通常、電車の遅延や運行停止情報が飛んでくるときには重宝していて、すこし利用していたのだが、今回、このiコンシェルが馬鹿みたいに情報を遅延して送ってくるのである。電車が止まるという情報のほかに、どこで地震があったという情報も送られてくるのだが、これがまったく役に立たない。なにしろ、ひどいときには、翌朝12日の10時ごろに、前日の夕方17時くらいに地震があったというのを大量に送ってくるからである。遅延も遅延。まったく役に立たない。3分から5分の遅延なら許せるが、半日以上も遅れて到達するような情報は、無価値であり邪魔なスパムでしかない。この件があってから、iコンシェルのサービスはさっさと解約した。夜中に地震がひと段落して落ち着いたときに、時間遅れのiコンシェルによる「地震がありました」という洪水のようなメッセージは、無駄に携帯の電源を少なくするだけで、本当にいやだ。
そういえば、この日は、20時ごろからユーザシステムの設定変更作業が予定されていた。大地震が起きて、交通手段がすべて絶たれてしまった状態であるために、現場に駆けつけるにはどのようにすればいいのかを考えたのだが、道路は交通マヒでバスもまともに動かないとなると、歩いていくしかない。幸いにも現場までは4kmくらいの距離だから、歩けなくもないと思い現場に行こうと思う。ところが、会社側からは危険だから行くなという。しかし、ユーザ側からは「やるんですよね?」と催促がくる。こういうい手挟みのときには、会社としてどう取るべきかをさっさと決断するべきなのに、みながオロオロしていて、決断ができない。とりあえず、会社としては社員がいま全員どこで何をして無事なのかということしか頭が回らないようだ。
携帯電話は発着信規制が掛かっているために、まったく携帯からの電話はつながらない。固定電話の場合は、これも関東全体に発着信規制が掛かっているためになかなか掛からない。ただし、100%規制をしているわけじゃなく、通話量見合いで規制の規模を変えているため、ほとんどギャンブルに近い割合で、掛かるかどうかをリダイヤルを連荘で行う。まるでチケットぴあに対してチケット取りをするために、連続して電話することと同じである。やっと掛かったので、現場のほうに建物状況を聞いてみると、建物は大丈夫だが、エレベータが止まっているとのこと。サーバが置かれている場所は14階なので、14階まで徒歩で階段を歩かなければならないのである。嫌気が差したが、行かないとまずい。あとに日程がないからである。さらに言うと、電車が全面的に止まっているということは、帰宅時に帰れるかという問題もある。電車の運行ができることを期待して、取りあえず現場で作業は開始することにした。
家族への安否確認についても必要である。地震が起こってすぐに、家族の携帯へ電話をしてみた。今日は全員外に出ていると最初から聞いていたので、家に電話をしてもまったく無駄。しかし、先述のとおり、全員に電話をかけてもまったくつながらない。携帯からは無理なので、会社の固定電話から連荘でかけてみる。何十回かトライしてみたところ、母親だけは繋がった。どうやら京王線の途中の駅で電車は止まって、動くのを待っているらしい。様子から見て、電車はいくら待っても動く様子がないので、さっさと改札を出て、タクシーかまたはバスを拾って家に戻るように指示。そのときには、まだ京王線は全然動くとか動かないとか何も放送しなかったらしい。だから、乗客もどうしていいのかわからず、皆おとなしく電車の中にいて、必死になって通話もできない携帯で連絡を取ろうとしていたらしい。電車の中では、ワンセグを使ってテレビの情報を車内に聞こえるような音量で状況を流しているひともいたらしく、それで乗客はパニックにならなかったらしい。母の状況は後ほど再記しようと思う。次に父親の安否がどうなのか電話をかけてみたのだが、まったく繋がらない。たまに呼び出し音が出るようになったから繋がったかと思っても、一向に着信に出ようとしない。そこでメールを送ってみることにした。意外にもこういう災害のときには携帯メールは通じる。毎回必ず送信できるわけではないのだが、数回トライをしてみると必ず送信することができる。もちろん、受信もすることができる。当日、会社のメンバでも外に出ている人との連絡は、携帯メールでやりとりすることができ、安否の確認ができたくらいだ。意外に使える携帯メール。ありがたい。しかし、そんな携帯メールでメールを送信しても返答がない。これは本気に死んだか!?と思ってしまった。いくら送っても返答がないので、そのうちあきらめることにした。慌てて家に戻ろうとしても戻る手段がないからである。
連絡手段として電話というのは、こういう災害の時にはまったく役に立たない。どういう通信会社間の通話は発着信規制が掛かっているために、実はほとんど通話ができないのだが、通信会社間が異なる場合、実は若干繋がる余裕が出てくるのである。今回の場合、固定電話のNTT東日本から携帯のNTTドコモという異会社間通話なので、通話路確保という意味では、実は電話がしやすい。よって、固定電話から携帯電話へが掛かりやすかったのである。そして、メールのほうが通話路を超短期しか占有しないので、実は繋がりやすい。「無事か?」「無事だ」のやりとりは、メールのほうが単純明快で断然良い。メールは、携帯メール間でも通常メールと携帯メール間でも同じように使える。そして、電話のことで思い出したが、以前、新潟の大地震が起こる前に、050のIP電話網を敷設したことがあったのだが、これを使っていたユーザが、被災地の新潟に電話をする際、一般電話だと世の中はまったく通じないと言っていたのに、うちの会社はまったくそんなことはなく大変重宝したという話をしていたことを思い出した。わが社でも 050 をいざという時に利用できるようにしておけばいいと思うのだが、まぁ見栄のためにできないのだろう。だらしない。
意外に使えないと思ったのは「171」と「災害伝言板」と「安否情報確認システム」である。うちの会社で言えば、毎年2回も訓練と称して、安否情報確認システムを使った災害時の連絡を行っているのが、地震が起こって世の中がめちゃくちゃになり、連絡手段ができないときにこのシステムを活用できなかったということと、幹部連中がこのシステムを活用しようとする頭がまったくなかったということが現実がある。システムを作ったから、もう安心だと災害対策担当の人は思い、そのシステムを作ったことを機に出世をしていったりしているのだが、システムは作ったからOKではなく、運用できて初めてその価値が生まれる。それも運用というのは、訓練ではなく本番利用である。本番利用でその価値がまだわからなかったのに「できました」とよく平気で言えたものだと思う。今回のことで、あの安否情報システムはまったく無意味の手段であるということがわかったので、今後は見直しをするだろうが、システムの問題ではなく、それを使う人間の問題だと思う。特に幹部連中の脳みそを取り替えるしかないと思うのだ。発想がないこと自体、宝の持ち腐れになるからである。171なんかも、これはシステムとして公になっているのだが、誰も使ったことがないので、いざ使おうと思っても、意味がわからないということになるだろう。だいたい171の場合、家族で共通の番号を使っておかないと、まったくほかの人の安否は確認することさえもできないのである。こんな腐れシステムを使うより、単純明快な携帯メールを使うことをお勧めしたい。
個人的にはiPhoneを持っていないので実証をしていないのだが、ViberやSkypeを使った通信というのはメールと同じような理屈であるために、結構通話が問題なくできていたようである。Skype も Viber もどちらもそのソフトをインストールしていないとまったく通話はできないのだが、通話の可否を考えると十分利用価値の高いものだったに違いない。地震後のネット情報を調べたところ、Skype よりも Viber のほうが断然ユーザ数が少ないために、実はViberのほうがすごく使いやすかったのではないかという情報がある。ただし、Skype も Viber も一般家庭電話へかける場合には 050 と同じ理屈であるために無料ではないし、ある程度発信規制に陥ることになるかもしれない。
電車の運行で言えば、地震が発生したあと、何度も大小の地震が発生していたので、いくら待っても電車の運行は改善されることはなかった。夜中になったら改善するだろうと期待していたのだが、JRは18時にあっさりと「本日の運行は見送ります」と宣言をしていたし、私鉄についても、全路線の安全を確認しないと運行開始ができないこともあり、22時ごろまでどの路線もサービス開始していなかった。京王線が開始されていたのをテレビで見ていたのだが、それでも京王線に乗るためには新宿までいかねばならず、その新宿に行くためのJRがまったく動いていないようであれば行きようがない。会社の人によっては、夕方に早々と「今日はもう電車は動かない」と悟り、徒歩で帰った人も多かった。20kmくらいの道を歩いて帰る人は結構いたようである。なにしろ、車で迎えに来てもらおうと思っても、その道路が全面的に渋滞になっており、まったく動かないのである。
個人的にはどうしたかというと、結局作業が22時ごろに終わったので、電車の運行は改善したかと思ったら、JRはまったく動く様子がない。私鉄の様子をみていたら動いているようであるが、そのときにはどうやって帰ればいいのか、頭にまったく浮かばなかったので、どこかで夜を明かすしかないない思った。そこで作業場の会議室の1室を借りることにして、そこで椅子を並べて寝ることにした。また、食事も実はしていなかったこともあるので、その場で食事も提供してくれたのでありがたく頂戴することにした。
しかし、夜中にバンバンメールが入って、そのたびに起こされるので、いい加減いやになり、電源を切ってしまった。世の中の動きを知るのは唯一携帯電話で知るしかなくなってしまったので、それでどうなっているのか知ろうとする場合、一番よい情報手段がツイッターだった。ツイッターはいろいろなひとがテレビ情報、ネット情報、鉄道情報を記載してくれるので、テレビを見なくても様子はわかった。ツイッター上で、JRの運行は8時ごろに開始する予定というのを見たときに、やっと帰れると思っていた。しかし、ちょうど駅が見えて、電車が動いているかどうか窓から見える場所にいたために、本当に動くのかどうかをその窓からずっと観察していたのだが、一向に動く様子もない。そうこうしているうちに、携帯の電源が足らなくなってきたことに気づく。そこで作業場の人に誰か携帯の充電器を持っているのかどうか走り回って、いちおう借りることができた。情報の命綱である携帯が無用の物体になってしまったときほど悲しいものがないからである。
9時半頃になって、ようやく電車が片方向ではあるが動いていることを確認した。ということで、やっと帰れると思い、新宿方面の電車に乗るために駅に向かう。埼京線の電車に乗るためにホームに行ってみると、すでに新宿方面の電車が動いており、いまにも発車しようとしているのだが、電車の中は満員。何でこんなに多いのだろうと思ったのだが、みんな同じように昨日帰れなかった人が多かったのだろうとはすぐにわかった。ただ、この乗り込んだ列車、どうやら新宿方面に行く一番最初の電車だったらしく、道中の線路状況を走行で確認するために、いつもより運行スピードが3倍も遅い状態になっていた。1つの駅を移動するのに、何分掛かっているんだろう?というくらいの遅さである。結局大宮から新宿に到着するのに1時間15分も掛かったことには驚いた。
京王線も地震の起こった翌日は、朝から運行はしているとはいえ、急行・準特急・特急をすべて廃止。運行しているのは普通列車と快速列車の2種類しかないというシンプルさ。運行しないというとユーザに迷惑が掛かるが、サービスの種類は抜きにして、まずは動かすという決断をした京王線には感服する。本数は減らされても、これまでどおりの時刻表と同じような列車を動かそうとする馬鹿路線もたまにはあるのだが、そういうのはやめてほしい。すべて各駅列車でいいから動かすことが先決だと思う。その後の電車運行運営に関して欲を言えば、快速以上の駅すっ飛ばし電車はすべてやめてしまい、運行はすべて各駅列車にしてしまえばいいと思う。そうすれば、電車の時間調整も、すべて駅間の中途パンパなところでとまることはないだろうからだ。
いずれにしろ、長時間掛かったとはいえ、ようやく家に到着した。これはとても喜ばしいことだ。家に帰れないかと思っていたので大変嬉しい。また当日、歩いて帰った人も多数いると思うが、そういう人はお疲れ様だと思う。土曜日もほとんど潰れてしまったために、あんまり休日を休んだとはいえない状況になった。月曜日以降の世の中の状況がどうなるのかわからないが、復活に向けて進んでいってほしい。
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