清王朝の時代で一番華やかな時代は、康煕・雍正・乾隆の3皇帝の時代であろう。この時代に満州族の皇帝ができるだけ中国大陸の高度な文化を受け入れ、自らのアイデンティティを残しつつ、高度な文化・技術・思想を取り入れて、それを吸収していった時代である。康煕帝の時代に、中国大陸での満州族による支配の基盤を確固たるものに作り上げ、雍正帝のときに質素倹約と密偵組織を作り上げたところに、最終的に文化増長の手助けをしたのが、乾隆帝である。
台北の故宮博物院に行くと、定期的に乾隆帝に関わる特別展示会を行われているときに良く出くわすのだが、この展示物を見ているだけでもため息がつくようなすばらしい作品をたくさん見ることができる。そのときの多くは、満州らしい作品ではなく中国エリアの文化を自分たちのものにして、独特の綺麗な作品に仕上げられているようなものがたくさんある。これを後ろからパトロンとして作らせたのが乾隆帝なのである。
満州民族の生まれながらにして漢民族よりも漢民族でありたいと思い続けた乾隆帝について述べられているのは、文藝春秋から出版されている中野美代子著の「乾隆帝」が詳しい。
芸術の分野で特に乾隆帝は清王朝のなかで一番輝いた歴史を作った。絵画を見ただけでそれまでの画風と乾隆帝のころの作品では断然違ってくる。これは、イタリア人でイエズス会の宣教師だったジュゼッペ・カスティリオーネの影響はかなりある。カスティリオーネを特別に宮廷画家として重用し、カスティリオーネから西洋の画風を中国に持ち込むことに成功した。ルネッサンス以降の人物や風景に対する技法が圧倒的に鮮やかにそしてはっきりと描いているところがその特徴だろう。それまでは水墨画や色彩画でも、顔の描き方や背景の構図は適当に描いていたように見える。ハブスブルグの宮廷画家の作品にも見られるような細かい描写のところを丁寧に描いているのは、カスティリオーネが持ち込んだ技法の特徴だと思う。カスティリオーネが関わったものは絵画だけじゃない。建築物に関しても大いに影響を与えた。北京の郊外にある円明園は、いまでも観光スポットだが、ほとんど廃墟同然の状態に現在はなっている。しかし、この円明園で現在ではぶっ壊れた形のままに残っている大理石で作られていた数々の建築物は、実はカスティリオーネが監修し、西洋風の建物を作ったものがここでは豪華に立ち並んでいたものである。どういう建物形式だったのかは、少しカスティリオーネとその弟子が関わった絵画に残っているところなのだが、イギリスとフランスがめちゃくちゃにぶっ壊し、高価な貴重品は全部イギリスとフランスに持っていかれたので、残念でならない。また、中華をこよなく愛していたにも関わらず、良いと思った文化や制度を積極的に取り入れて許可した乾隆帝は本当にすばらしいと思う。
乾隆帝は歩く詩人とでも言われているくらい、膨大な詩を漢詩として作成している。満州文字ではない、漢字だ。生きている間の作品数は4万点とも5万点ともいわれており、それはすべてが「高宗純皇帝聖製詩」という5集に収められているのだが、ここに収められている詩の文学的価値は、その辺のおっさんが作った適当な詩と同じくらいの価値しかない。しかし、歴史書としてみた場合には、当時の正式な文書の中では見て取れない事実を詩を通して見出すことができるという意味では、貴重な個人による日記みたいなものだろうといえる。そう、漢詩は彼にとっては日記みたいなもの、今で言うところのツイッターみたいなものだったに違いない。
乾隆帝といえば、絶対外せないのは「十全武功」だ。十回の武力による成功というものを、彼は後世に自慢しておきたい事項として自らの詩の中にこれも記した。カザフスタンに居たジュンガルを平らげたこと2回、ウィグルを1回、金川(四川省北部の苗族の住んでいるエリア)を2回、台湾の平定を1回、ビルマとベトナムを降したことがそれぞれ1回、それとネパールを2回平定したということ。本人が勝手に「やったこと」になっているのだが、実際にはベトナムには侵攻したが負けているし、台湾の平定は、台湾に秘密結社ができて明を復興しようとする動きを封じ込めたということを意味するものだからだ。まぁ、本人が自分の手柄として後世に残したいのは良くわかる。そういえば、台湾では2代目総統の蒋経国の時代にも似たような政治的スローガン「十大建設」を行った。これはどちらかというと、台湾のインフラを整備するための政策なのだが、きっと乾隆帝の「十全武功」を参考に言葉を選んだのではないかと勝手に解釈している。
乾隆帝の時代に一番領土を広げた清の時代。いまの中国人の「中国」の概念はこのときの領土を基本知識として植えつけているため、現在の領土問題のときに、ウィグルやチベットのような、全然中国じゃない場所も「中国だ」と絶対的な主張をする。だけど、本気で「中国じゃないかもしれない」と思っているのか、内モンゴルも含めて、それらの地域は「自治区」になっている。だけど、一度手に入れて認めた領土を「返します」ということは、中国人にとって末代までの恥とおもうことと同意なので、なかなかこれらの自治区が独立国家になることはないだろう。
乾隆帝のときに構築された芸術や思想というのは現在の中国人にも深く植え付けられているという。一度植えつけられた思想を変えるには、相当強い衝撃がない限りに無理だ。しかし、良い思想であれば永久に持ち続けることは良いことだ。ひん曲がって、嘘で塗り固めた思想を持ち続けるのは危険だ。乾隆帝時代の良い部分だけを持っていてほしい。
乾隆帝ーその政治の図像学
著者:中野美代子
出版社:文藝春秋
新書: 260ページ
発売日: 2007/04
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