2009/04/07

不可触民


カースト制というと、インドにある厳しい身分制度で、最高のバラモンの人たちは神様みたいな扱いになっているというのは、歴史の時間でも習ったことのある事実だと思うし、いまのインドでも、ガンジーの力によってカースト制がなくなったという話も聞くが、実際にはそれが嘘であることが分かる。

実際にインドで残されているカーストの片鱗を、この著書では読者によく伝えていると思う。著者が現地インドに何年も留学したことと、その後何度もインドに通ったことによって知ることができた生々しい本当のインドの中で言われている声をまとめたものだと思って良いだろう。特に日本では、同じような身分制度があったこともあり、士農工商の身分制度とその下にあった「エタ・非人」の身分に関する記事や話をすることはタブーになっていることもあり、インドのカーストも似たようなことがあるから、なかなかカーストに関する本当の話は聞くことが出来ない。また、日本では実は今でも見えないところで身分制度があるのに気付かない人が多いために、身分制度が有ることすら「知らない」と無知振りを発揮している日本人が多いため、身分制度に関する事実に付いて正面を向いて受け入れることが出来ない人も多い。

この本は、カーストの中でもカーストに入れてもくれない通称「アンタッチャブル」な人たちのことを中心に書かれている。日本の身分制度で言うと「エタ」のようなものである。「非人」は罪人とその子孫が落とされる身分で、場合によっては平民に戻ることができるが、エタは子々孫々エタであり、平民になることが許される身分ではなかった。このアンタッチャブルな人たちも実は同じである。

日本もそうだが、世界中で素晴らしい人と思われているノーベル平和賞を取ったガンジーについて、アンタッチャブルな人たちは、「所詮、彼はバラモンだからね。ノーベル平和賞を取ったといっても、我々には何も変わるわけが無い。むしろ、酷い扱いは余計酷くなっている」という話は印象的だ。アンタッチャブルな人たちにとっては、自分達が人間的な扱いをされ、他の身分制度の人間と同じ環境で生活ができ、職業の自由を持つことができることが、最低でもの幸せだと考える。

身分制度によって職業が決められているというのは、いちおう耳に聞いたことがあることだが、実際にどういう職業がどの身分の人達が就くものなのかは、皆目検討がつかなかった。しかし、この本を読めばだいたい分かる。特に、清掃・洗濯に関わるものを中心に、汚いものに触れるものはすべてアンタッチャブルな人達が携わる仕事だ。

シンガポールのオーチャード通り沿いにある駅「Dhoby Ghaut」は実は「洗濯場」の意味であり、これは南インドから連れてこられたインド人がこの辺りを中心に住んでいたことにも起因するが、連れてこられた大半は、身分があるカーストのひとたちではなく、カースト外の人たち、つまりアンタッチャブルな人たちが大半だったということもわかる。つまり、母国でそこそこの身分で生活できる人間は、特に知らない土地に移動しなくてもそれなりに生活ができるが、生活できない人間は当時の政府の言うなりになるか、強制的に人身売買されて他国に行ってしまうというのはよくある話。日本でも「からゆきさん」が戦前にはたくさん居たがそれと同じことがインドでも起こっていたのである。だから、いまのシンガポールのインド系の人に「あなたはどのカースト?」と聞いても、「知らない」というのは当然で、カースト外の子孫だし、ここはインドじゃないからカーストに縛られないため好き勝手な職業に就くことができるとおもっているひとたちなのだ。でも、全員がアンタッチャブルな人というわけではなく、イギリス軍とともに警備のためにつれてこられた人は、実はそれなりの身分の人たちであった。

上記のようなことは実はこの本を読むと分かる。

アンタッチャブルな人達が人間的な生活をできるために、団体を作ることに著者は一肌脱ぐのであるが、これが多大なる各方面からの妨害にあい苦労する。そりゃぁそうだ。アンタッチャブルのひとたちは、人間以下の扱いをされているわけで、そんなのが人間的な社会団体を作って何かの運動をすること自体が、豚がコンピュータを持ってチャットをしたいと言っているのに等しいように聞こえてくるからである。さらに「誰が明日から洗濯するのだ?洗濯する人間が居なくちゃ、明日着る服に困る」というバラモンのひとたちの声も載っていて、この理不尽さが笑える。

身分的人口分布から言うと、アンタッチャブルな人たちの数が圧倒的に多いこともこの本を見てはじめて知る。アンタッチャブルな人たちは、人口の数に入れてもらえない場合が多いので、現在インドの人口が10億とも言われているが、本当のところのインドの人口はもっと多いはずである。じゃぁ、アンタッチャブルなひとたちが一丸になって暴動を起こせば良いではないかというが、これがまた難しい。なぜならアンタッチャブルなひとたちは固まって生活していないし、行動範囲が狭まれているからである。さらに、アンタッチャブルな人たちに対して、他の身分の人間が人間扱いしていないため、強盗・強姦・放火・暴行などの対象になっている場合が多い。要は、他の住民が寄ってたかって、集団リンチをしているためである。これじゃ、明日生きていくという気力も薄れ、何か立ち上がって反抗したいという気にもならず、明日生きていたらいいかもしれないというだけの気だけしかなくなるのは当然だろう。

これが現代でも続けられている。

今のインドはIT天国といわれてもてはやされているが、これは単なる華やかな一角をみせているだけであって、本当のインドの真髄をみせているわけではない。

漫画の「ねこぢる」でも、カーストに関することがインド旅行記の章で出てくるが、それをみて「嘘だろう?」とおもうひとは、実際にインドに行って見て、現実を知ってみると良いだろう。それでも信じられるかどうか。また、見る勇気があるかだろう。著者は一般の日本の観光客が行かないようなインドの原点と呼ばれている場所で、インドの底辺の人たちを語っている。これこそ生の声ではないか。

そんな著者が、残念ながら本日(2009年4月7日)お亡くなりになったという記事を新聞で見た。とても残念である。インドの本当の姿を本当の言葉で語ってくれている数少ない人だったのではないだろうか。

不可触民-もうひとつのインド-
山際素男 著
出版社:光文社
2004/10/15発売

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ガンディーはバラモン出身ではなくヴァイシャ出身です。
ノーベル平和賞は何度も候補にはなったものの受賞には至っていません。
著書からの抜粋であるなら、その程度のことも間違っているのは疑問に思います。

おきらくごくらく さんのコメント...

コメントありがとうございます。
わたしの勉強不足でした。