2009/04/11

熊野まんだら街道


「熊野」地域は、言葉の響きを聞いただけでも、神秘的に聞こえてくるのは、それは日本人だからなのだろうか?別に日本人だからというわけじゃないのだろうが、高野山から熊野の地域については、密教・神道の宗教を通してでも現世的な気持ちから解き放たれ、行ったことも無いのに「なんか凄いところかもしれない」という先入観で考えてしまうところだ。

著者は出身地の和歌山県について、地域の文化性や歴史の中での紀伊の役割がどのように担っていたかということを中心に、県境の大阪府の堺市から海岸沿いを満遍なく紹介し、新宮あたりまで総なめにしたのち、熊野古道へ至る、和歌山の歴史書というべき書だとおもう。

ところが、この本、とても読みにくい。熊野へ行く道をとても細かい部分まで、それも大雑把に町を飛びとびに紹介するのではなく、隣町隣町と、もうそんなちょこまかちょこまか紹介しなくても良いだろうというくらい、熊野までの道を時間的ではなく距離的にのんびり紹介しているからだ。特に、あまり良く知らない地域に対して、地理的に想像して読み込んでいくのは、実に疲れる。和歌山出身の人であれば、「あぁ、あそこに確かにあるねー、そうそう!!!」と納得の上で読み込んでいるから、こんな面白い本はないとおもうのだが、そうではない他県出身の人間には骨が折れてしまう。

ただ、内容は本当に濃い。民俗的、歴史的、人物的にも様々な要素をつめこんでいるので、同じ道をのんびりと時間をかけて歩いて観光しようとするのであれば、とてもよい参考資料になるのだと思う。紀州であるので、徳川家との係わり合いにはとても強い地域であるだけに、徳川家に関する話もよく出てくる。地元の有名人である南方熊楠についてのエピソードも出てくるが、いまいち個人的には南方熊楠という人のことをしらない。植物学者というイメージがあるのだが、著者曰く、実はマルチタレントだったというようなことを書いている。本当のところは良く分からないので、機会があれば別の本で読み込んで見たいと思う。

熊野に関する本は、時刻表オタクで歴史本を何冊も書いている宮脇俊三も、この地域を好んでいたようで、電車ではなく路線バスで、道中の歴史について書いているのを読んだことがある。しかし、地元ではないので、そんなに細かいところまでは記載していない。もっと広い地域として熊野を見ると、やはり紀州の海側の地域を全部知らないといけないような気がする。もし、熊野地域を本気でいくのであれば、ただでさえ、現代でも行き難いこの地域ではあるが、できれば、著者が紹介した道沿いで、時間をかけてのんびりと大社まで行ってみたい気がする。

まともに行程を、紹介した遺跡や旧跡などを訪問しながら熊野までいったら、きっと1年は掛かるんじゃないだろうか?

熊野まんだら街道
神坂 次郎 (著)
出版社: 新潮社
発売日: 2000/05

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