漢民族の中のユダヤ人と揶揄されるのが客家の人たち。名前から考えても、常にお客さんみたいなイメージがある客家の人たちこそ、中華系の経済を牛耳っている中心人物たちの集まりである。客家語では、「ハッカ」と言うこの人たちは、世界中に散らばってはいるが、約5000万人は住んでいる。しかし、いちおう漢民族ではある。が、文化、習俗、言語は独自のものをもち、価値観も独自のものを持っているために、何処に言っても、自分たちと違う人たちというレッテルを張られて異質なものとして扱われてきた過去がある。
しかし、中国の偉大なる指導者鄧小平も、台湾の李登輝も、シンガポールのリー・クワン・ユーも客家の人たちである。まだ鄧小平が生きていたときには、「三大中華国家」として客家人が国家と経済の運命を握っていたことになる。また華僑の世界でいうと、華僑は、広東系、福建系、潮州系、海南系と客家系にわけられ、全華僑のうち客家人のしめる割合は8%程度なのに、経済は30%以上にもなる。このように経済的に客家華僑が強いのは、経済活動、福祉、教育、寄付金集めを相互扶助組織を形成してそこで行っているからなのである。客家としての国家を持っていない彼らにとっては、互いに仲間を作って助けあうことが重要と考えている。この団結力の中に入り込むことができたときには、強力な組織を背景に持つことができ、大きな活躍ができることが約束される。タイガーバームの胡文虎も、香港の不動産王の李嘉誠も、インドネシアのサリムグループの林紹良も、万国銀行グループの陳有漢も、台湾の海運王の張永発も、全部客家華僑財閥のひとたちである。そういう蒼蒼たる人たちの名前が列挙されると、「おぉ、客家ってやっぱりすごいな」と感心してしまう。
客家の住居というと、広東省にある円楼の建物が代表的だろうと思う。こういう家が出来たのは、外部は全部敵という場所で生活しなければならないための工夫が生んだ住居スタイルである。言い換えると、その住居に住んでいる人たちは全員客家で仲間である。その仲間を統率することこそ、強い団結力を生む環境を作りだすことになる。したがって、客家の人たちは生まれたときから強烈なリーダーシップを発揮するひとが多い環境にさらされるし、また訓練されるようなので、飛び切り強い指導者を輩出ことがよくあった。だから、孫文も出てきたし、洪秀全も出てきたのだろう。
乏しい畑にしか住むことが出来なかった客家は、次男以下の人間が食べていくには、教育しかないと最初から考えており、そのために中国の中でも早い段階から字を学ぶ環境をつくっていた民族であるようだ。だから科挙試験にも大量の人が採用されているし、商店の番頭をやったり、軍隊の書記の役割を担当することが客家のひとは大昔から多かった。教育熱心な環境は現代でも続いており、李登輝は京大に行っているし、リー・クワン・ユーはケンブリッジ大学を首席で卒業しているし、鄧小平もフランスに留学している。
友達の中に客家のひとが何人かいる。その人たちの活躍を見ていると、本当にすごいと思うし、真面目だし、賢いし、礼儀は正しいし、決して韓国人みたいに怒るということはないし、広い心を持った人たちだと、本当に尊敬したくなる。どうしてこういう人たちが同じ漢民族なのに存在するのだろうというのが、最初に客家の人たちに対する興味を持った理由のひとつである。知り合いの客家のひとたちは全員台湾出身なのだが、活動拠点は台湾だとしても、台湾から飛び出して各国に出ることが良くあり、そこでそれなりに名を馳せ始めている。その道程を良く観ているので、毎度毎度活躍の様子が耳に入ってくる度に、すごいなーと本当に思う。このバイタリティはいったい何なんだろう?
本書は、そんな客家のひとたちが小さいころから家庭で教育されている格言のようなものをまとめたものである。書かれている内容は客家のことだが、実はこれは民族や地域を越えて、どこでも通用するものだというものが本当に分かるものだ。こういう一子相伝、その民族にいないと分からないようなものが書として他民族に知られるというのは本当にありがたい。
人間関係、仕事に対する考え方、家族・健康に対する教え、金銭に対する考え、人生についての教えという5本柱で紹介している。これはとにかく必読。生き残るための術が全部詰まっているといっていいと思う。常に迫害と邪魔者扱いされていた客家の人たちは、仲間を大切にし、目利きをしっかりもち、金銭感覚について絶妙なバランスをもち、健康を保つためにやるべきことを守っていけば、人生はうまくいき、長い人生に対しての人生観をどのように持つかを常に持っていれば素晴らしい世界が開けてくるというものだ。ちょっと宗教掛かってしまうような言葉がいっぱい出てくるかが、神様を信じろというようなことは全くここでは出てこない。客家の人たちは人間が好きなのである。生身の人間が好きなのだ。
そんなたくさんの教えのなかで、あーっ、なるほどーというのがいくつかあったので、それだけは紹介しておこう。
まずは「交わるは易く、選ぶはさらに難し」。常に周りが敵だった客家のひとは、最初から客家人以外の人を信用しないことにしている。だが、「商いをよくする者は必ずや愛嬌を要す」という教えから、常に笑顔で他人と接し、相手を気持ちよくさせてくれる。しかし、腹の底では単なる知り合いとしてしか付き合わない。しかし、一旦、客家の人に友達として認知されると、彼らは絶大な信頼を与えてくれ、客家の口頭での約束は契約書を結んだのと同じ効果が出てくる。だから、めったやたらに信用するようなことはしないくらい堅実なのである。だから、友達と認められたときには、こちらも相手が望むものがあったときにはそれに応えたくなるし、相手も常にこちらのことを気遣ってくれて、多大なる助けをしてくれるところも有る経験があるから、とてもよくわかることだ。
「話は広げるなかれ、傘はすべて開くなかれ」だ。余計なことはべらべらしゃべるなということである。客家人にとっては価値観を共有にしている一族であればいいが、周りが常に敵みたいな環境にいたこともあり、ちょっとしたミスでもそれが命取りになることもある。ましてや、発言に関してもちょっとした悪口をいったことが廻りまわって本人を滅ぼすことになりかねない場合もあるので、彼らは言動にとても注意する。
「ひとは名の出るを恐れ、豚は太るるを恐れよ」という言葉は、結構華僑の世界を知ると良く分かる言葉だ。シンガポールやマレーシアの華僑を見ていればよくわかる。金持ちの華僑に限って、すごい汚い服装をして、どこの浮浪者だというような格好を平気でしているのを見つけるときが有るのだ。これは名の上げたものであれば、知らない間に見知らぬ相手から妬みやそねみを買い、誹謗中傷されるのはあたりまえだし、誘拐される場合もありうる。さらに金持ちだとすると人目に引くような格好をしていると、しっぺ返しを食らう可能性があるから地味に暮らせということを意味する。そして、素性が分からないようにし、あくまでも群衆の中に埋没しろということを意味する。目立ちたがりの漢族の人も多いのだが、客家の人は全く違うのである。
他にもたくさんの格言があるが、全部紹介していると書ききれないので、このあたりにしておく。戦乱の世の中ではないのだが、商売の世界では常に荒波の中を渡っていかねばならない世の中ではある。ましてや日本経済がめちゃくちゃになっているときなのであるから、どのような生き方をしなければいけないのかというのは模索する必要があるだろう。これはどんな年齢になっても必要なことだろうと思う。人生の参考書のひとつとしてこの本を読んでみるというのはいかがだろうか?かなり参考になることが多いのではないだろうか?特に迷走しているような人生観を持っている人にとっては読むべきだし、成功者にとっても、経験上は知っていることだろうとは思うのだが、参考にまでに読むのも良いだろうと思う。
客家(ハッカ)の鉄則―人生の成功を約束する「仲」「業」「血」「財」「生」の奥義 (ゴマブックス)
著者: 高木 桂蔵
出版社: ごま書房
出版日:1995年4月30日
ページ数:186ページ
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