2011/04/10

ナチスと映画

中公新書から出版されている「ナチスと映画」という本が目に入ったので思わず買ってしまった。

題名から考えると、どうせ、ナチス時代に天才的宣伝部長だったゲッペルスと、ナチスのプロパガンダ映画をたくさん製作したことで、ナチスの回し者とレッテルを後に張られることになったレニ・リーフェンシュタールのことが書かれているだけの書物だろうと思っていたのだが、いやいや、中身はなかなか幅広いものになっていて、大きな意味でのドイツ映画とはどういうものだったのか、宣伝とはどういうことなのか、ナチスを題材にするという意義は何なのかというのを多角面で評価しているので、映画好きな人には歴史参考書として保有しておくと良いと思われるが、ハリウッド映画しか見ない人にとっては、全く興味がわかない書物でもある。

この書物が面白いのは、ナチス前の映画、ナチス統治時代の映画、戦後のナチスを題材とした映画という3世代に渡って作成された映画が年表のように全作品が載っているところだろう。これは映画史を勉強したりドイツの映画の変遷を知るためにはいい資料になるところだ。文章中にも、各映画を紹介し、その映画の作成された時代背景や作成されるために裏で動かれた史実を紹介されているため、映画個々では全く関係ないようなものでも、すべてが1つの線で繋がっているように見えてしまうから、これを分析した著者はすごい。

ドイツ映画というと個人的印象では暗くて社会的で、それでいて、観たあとにスカッとするようなものではなく、後味が悪く考えさせられるような映画が多いなという感じを持っていた。でも、どうやらこれは結構当たっているようで、もともとドイツの映画は流れとして社会派のようなものを常に追い求めてきたようであるし、ドイツ人の気質にそれがあっていたからこそ、映画に熱狂的になったのだろう。もちろん、いまみたいに娯楽が豊富な世の中ではなかったので、映画に娯楽性を見出そうと国民が思っていたからというのも原因だったかもしれない。

ナチスはまずその「ドイツ映画」言葉の定義から制定した。ドイツの国内の会社によって製作されたもので、セットもロケーションもドイツ国内で行われている映画、シナリオ、音楽、マネージャー、監督といったすべてのスタッフがすべてドイツ人である映画だと手意義付けている。そこで今度は「ドイツ人」とはなにか?という定義になる。ドイツ人とは、ドイツ民族で、ドイツに国籍を持つものと定められている。ドイツ系外国人の場合、1923年1月以降にドイツ国内に居住するものに限り、ドイツ人と認めた。これで、ユダヤ系の映画人が外国資本でドイツ国内で仕事をするということは不可能になる。これによって、多くの人がドイツから離れてしまう結果を生むことになった。マレーネ・デートリッヒもその中の一人である。加えて、帝国文化院法(Reichskulturkammergesetz)の公布により、映画だけでなく、新聞・音楽・ラジオ・造形美術・演劇などの文化活動全般が宣伝大臣ゲッペルスの監督下になるあたりから、一般的にナチスが映画を宣伝材料として使うようになってきたという認識が現代日本人にも知られるようになったのだろうと思われる。

いまの中国のようにすべての出版物に対しては検閲という通過を通らないと世に作品がでていかなくなったのも、この上記の法律によるものであり、内容が国家政治的に価値があるか、芸術的、民族教育的、文化的に価値があるかという点で検閲がかかり、それに相応しくないという作品となれば上映禁止になる。世界的には成功を収めたマルレーネ・ディートリヒ主演の「嘆きの天使」も検閲上は相応しくない映画に該当することになっている。その格付け評価を導入しているというのもなんとなく笑える。客受けにより興行が良かったかどうかではなく、あくまでも配給前に決まってしまうという点が不思議だ。

記録映画として今でも語られる1934年のニュルンベルク党大会の映画については、ヒトラーとして、同年死んでしまったヒンデンブルグ大統領から大統領職を引き継ぐという意味と、政敵になっていた突撃隊長エルンスト・レームの粛清により、権威を国民に知らしめるためという重要な役割があったために、大規模な舞台と演出により神聖化したヒトラーを見せることが目的に作られた。レームのような同性愛趣向者はドイツとしてマイナスイメージになる。しかし、実際には多くの同性愛者がいることは当時でも明らかになっていて、いまでもドイツは同性愛者がめちゃくちゃ多い国の1つになっている。そういう非生殖活動者を人間扱いしないこともナチスの方針の1つにしたいと考えていたこともある。

が、映画監督を担当したリーフェンシュタールは、ナチスが考えたほどナチス傾倒のひとではなく、自分はあくまでも映画人であり、自分が芸術的に考えた構成と撮影アングルと演出で作品を作り上げている。したがって、ナチスの党が考えた実際の進行と映画の中での進行というのが全く異なって作られているところが1つのポイントだろう。しかも、カメラワークというのがすばらしい。飛行機のコックピットからのショットから始まる演出やら、列を組んで行進する兵士足しの姿を飛行機から撮影するとか、ヒトラーが車から折観衆の前に現れたときに、ヒトラーの背後から沿道で手を振る民数の様子を写したり、基本的にはカメラワークはヒトラーの目線で撮影されているというのが面白いと評価している。もちろんその手法は今度は「民族の祭典」であるベルリンオリンピックの記録映画にも引き継がれ、これも今でも名作にあげられるものになっている。

記録映画を延長して、テレビがいまのように普及しているわけではなかった時代には、映像によって人々に時事的な情報を、戦時には戦地の様子を知らせる重要な情報源だったのがニュース映画であり、これも情報操作によって非常に有効なプロパガンダの手段だったし、ナチスもこのニュース映画を特に重要としており早くから採用していた。でも、これはナチスが考えたものではなく、既に第1次世界大戦の時代にドイツ皇帝ヴィルヘルム二世が戦地にいる舞台を訪問をする映像をニュース報道することで、国民の戦争への意欲を高めるプロパガンダに積極的に使ったという歴史がある。ナチスはこれを利用しただけのことだ。ナチ時代には宣伝中隊(Propaganda-Kompanie)と呼ばれる組織が作られ、そのひとたちがいろいろな場所に出向いて撮影をし、ドイツ国内にニュース映画として報道していた。

戦後の場合、ナチスは悪役として登場する。特に戦後すぐの1950年代から60年代の場合は、これが顕著になってくる。それは特にアメリカとソ連の二台巨頭が世界を動かすようになっていく過程で、それぞれの国が世界のリーダたるものになるための誇示をするために、ナチスは敵国の巣窟として描かれることになる。ハリウッド映画のほうが日本人としては親しみがあるが、これはソ連側でも同じ傾向であり、いかにソ連が強いか、そして暴れん坊をいかに抑えていったかを宣伝することに使われる。

80年代に入ると、ホロコーストを舞台とした映画がたくさん作られることになる。このあたりになると現代人にとっても、あぁ、あったあったというような映画のことがたくさん出てくる。わかりやすいので言うと、「戦場のピアニスト」とか「シンドラーのリスト」だろう。

時代の変遷と各時代に作られたドイツに関する映画およびナチスが映画のなかでどのような役割を演じてきたのかというのを、説明しているとてもいい書物だと思う。特に目線がすばらしい。ナチス内部からの目線で映画に対して接した姿勢と、外部の人間がナチスを映画の中でどのように扱うようにしたかというのをまとめているところが素晴らしい。映画好きの人も、ナチスの歴史に興味がある人も、また映像技術に興味がある人にとっても、価値ある資料的作品なのではないだろうか。是非一読するべき書物だと思う。

ナチスと映画―ヒトラーとナチスはどう描かれてきたか (中公新書)
著者:飯田 道子
出版社: 中央公論新社
発売日: 2008/11/25
新書: 254ページ

0 件のコメント: