語学を勉強するためには、テキストによる語学の勉強もひとつの方法だが、その言語を母国語としているひとと仲良くなることも1つの習得方法だと思う。中には、「恋人を外人にしたほうが、絶対に上達は早い」と言われているのも有名な話だ。仕事で利用しなければならないという、切羽詰った状況である場合も、語学は大変上達が早いと思われる。別に仕事でも使うわけでもないし、人生が掛っている状態ではない人の場合には、なかなか後押しされる出来事がないと上達は難しいが、気軽に上達できる方法として、最近はネットを使ったものがあげられるだろう。
そもそも、昔は全然中国語には興味が無かった。漢字ばっかりだし、発音はわけがわからないし、テレビに出てくる中国人はうるさいし、粗悪だし、ルールは無視するし、こんな人たちとは絶対に仲良く慣れるわけがないと思ったので、海外旅行に行くにも対象から全く離れていた。しかし、2001年5月に初めて台湾に行ったときに、この印象は全く変わる。台湾を中国の1部だということは個人的には考えていない。地理と歴史を知っている人は当然分かっていることだが、政治的に関わっている人は是に関しては難しい立場になると思うので、「中華は1つである」というアメリカのニクソン大統領の言葉を引用して、台湾を中国の一部と見なしている人も多いのは事実。その台湾に行ったときの印象が、「ここは日本か!?」と思うくらい文化的だし、台湾人は日本人なみに礼儀正しいし、治安がとても良いし、なんと行っても食い物に困らず、すべてが美味い。そして、最初に訪問したときに、普通に歩いている人たちがとっても親切だったので、本当に日本の田舎にきたような感覚になってしまった。それから台湾にのめりこんでしまうわけだが、まさか今となってはこんなに台湾に対するリピーターになっているとは思っても居なかった。
何度か台湾にいく機会が増え、書物で台湾のことを知るようになると、台湾人と仲良くなりたいと思うのは当然の欲求であろう。手っ取り早いのは、台湾人のチャットに出入りすること、台湾人がよく出入りしている掲示板でwantedを出すことなどなどが考えられる。今考えると、当時、どうやって台湾人といろいろコンタクトを取ろうとしたのか忘れてしまったが、いまでもたくさんの人たちとの交流は、これまでのやりとりで増えてきた結果だと思われる。大概の台湾人は、哈日族と呼ばれる日本大好き人間と言われる人たちなので、大変好意的だ。しかし、必ずしも、彼らが全員日本語ができるわけではない。だから、ネットでのやり鳥をする場合、日本語が出来る人とは、日本語で行うが、多くは英語でやりとりをする。しかし、日本人と同様、台湾人でも英語が苦手な人は居るわけで、そういう人は、自分の意思を表現するとなると、やはり母国語である中国語で表現しようとしてくる。中国語の基礎さえも習ったことがないこちらとしては、漢字の羅列をいきなり目の前に出されると、「どういう意味!?」と最初は戸惑う。幸いにも、台湾の漢字は繁体字であるため、日本で言う旧漢字と同じだから、文法や語彙の表現は別にして、漢字単体を見たときには、見慣れているものであるから、なんとなくどういう意味なのかは想像ができる。これが大陸の漢字の簡体字の場合は、漢字そのものが全く見たこともないものだったりするので、まず「この漢字は、日本のどの漢字に相当するものか?」ということから翻訳しなければならない面倒くささはある。その点、台湾の場合は、この「漢字の変換」が必要ないので、単純に言葉の意味を検索すればいいだけだから、楽である。最初は難しいなとおもったが、何人もの台湾人と中国語の表現で書いてきた場合、だいたい意味がわかるようになってきた。こちらはまだ中国語での表現ができないので、英語で返答する。日本人と同様、通常の教養があるひとであれば、「英語を読むのは可能」というひとは大半なので、意思の疎通は可能である。
同じような漢字だし、漢字文化圏のなかにいるわけなので、ある程度は意味が理解でき、日本人としてはその意味を想像するのは簡単であるが、やはり違う言語であるため、同じ漢字でも全く意味が違う場合も往々にして存在する。それは台湾人から「こういう意味だ」と教えて貰うことでこちらは勉強できる。こんなやりとりを時間をかけたことで、いまではすっかり80%くらい、中国語で書かれた文章は読めるようになった。まだまだ口語や社会的な語彙などについては難しいところがある。特に、日本語で言うカタカナ表現をする場合も、中国語圏ではすべて漢字にするので、訳がわからない場合も多い。そういうのを除けば、だいたいいまではすっかり文字による台湾人とのやりとりは可能になった。ところがやっぱり中国語で意思表示をすることはまだまだ苦手である。反復表現や簡単な表現の場合は、答えられるが、日本語のような自由度が無いので、中国語での表現は難しい。また、台湾人も含めて中国語圏の人たちは、自言語に対する間違いは厳しく指摘する傾向があるようだ。日本語を話そうとする外国人に対して、日本人はあまり「それは間違っている。こういうべきだから、直せ」という人はほとんど居ないだろう。ところが台湾人・香港人・シンガポール人・大陸人と、地域に関係なく、中国語を母国語にする人は、少しでも違うと「違う」と指摘するのが嫌である。何でもかんでも「違う違う」と指摘されると、相当のどMでない限り、金輪際中国語を使うのをやめようとおもうはずだ。言い換えれば、それだけ自国語に対して自信がある、言い換えれば、自分に対して相当の自信を持っている人たちの自己表現の1つであるから仕方ない。
チャットの場合、日本語でも同じだが、大体は相手に口語を使ってしまうことが多い。口語はなかなか授業でも書物でも出てこない領域なのではあるが、生の言語を知ることが出来るので、知っていることは重要だと思う。ところがあまりにも口語表現が多いと、frankに会話はできるが、教養や知性の無さを露呈してしまうことになるため、あまり使いたくない。言語学習者にとっては、正しい表現も満足にまだできないときに口語を知ることはいけないことだと思う。だから、できるだけ、今でも中国語を母国語とする人には「口語は使わないで」とお願いしている。それと、もうひとつ、漢字文化圏特有のチャットとして、「同音発音の異漢字使用」があげられる。日本語でも漢字を間違って使っているときが多いが、これが中国語を母国語にするひとにも存在する間違い行為であることがわかるようになった。中国語では同じ発音だが、漢字が全く漢字を使われると、日本人には全く訳がわからないという場合がある。なぜなら、同じ漢字に対する中国語の発音と日本語の発音が全く異なることが起因なのだが、間違った漢字を書かれた場合、元の漢字を想像することが日本人には発音の違いから出来ないということがあげられる。発音に精通している人なら、「これは、もともとこの漢字を書こうとして間違っているんだな」と想像できるが、あまり発音を知らないので、間違った漢字を書いてきた場合、そこで一瞬会話が止まってしまう事が結構ある。発音を勉強できるという前向きの考え方もあるが、基礎知識がない状態だと、混乱するだけだ。
それでも言葉は生ものであるため、自主勉強のためにもこれからも中国語をどんどん勉強していきたいとおもう。ただ・・・日本にも中国語を教えてくれる人が身近にいればいいのだが、残念ながら「金を払う人」以外に、そういう優しいひとに出会うことがいまのところないのは寂しい。漢字に付いて言えば、まずは繁体字から漢字を知り、そのあとに簡体字を知りたいと思う。
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